第10話 Handgemenge―乱戦―

「あの落馬した騎士を撃ち殺せ!」


 荷馬車隊の指揮官がそう命じると、いしゆみの矢がゲッツを次々と襲った。


 だが、戦場では常に動き回らないとまとになってしまうことを心得ているゲッツは、不格好ぶかっこうな体勢で倒れながらもゴロゴロと転がり、右頬と鎧の左腕甲わんこうがかすっただけで済んだ。


「ゲッツ殿! 大丈夫か! ちくしょう、よくもやりやがったな!」


 タラカーの傭兵ようへい隊の中で最も馬術に優れている馬面うまづらのカスパールは、膝とかかとだけを使って馬を巧みに操り、両手に持つ二本の短槍たんそうで群がる雑兵どもを蹴散らしながら、地べたをいずり回っているゲッツの元に駆けつけた。


「ゲッツ殿、俺の馬に乗れ! ……まったく、あんたは本当に手の焼ける大将だ。やっぱり、ハッセルシュヴェルトの兄貴がこの前言っていた通り、あんまり命知らずなことをしていたら、若い内に犬死しちまいますぜ」


 カスパールが文句をぶつぶつ言い、馬からひらりと降りると、ゲッツは「うるせえ!」とわめきながらカスパールの馬に飛び乗った。


「そんなことより、奴らが体勢を立て直して荷車城塞ワゴンブルクの陣形を作る前に、何とか撃破しないとまずいぞ。とにかく、御者ぎょしゃを優先して狙って、荷馬車の動きを止めるんだ」


「そうは言っても、こっちは数が少ないんだ。ゲッツ殿が頭で思い描いたようには簡単に……。あっ、何か飛んで来た!」


 敵味方入り乱れて大混戦になっているところに飛来したのは、ニュルンベルク軍のカルバリン砲の砲弾だった。


 轟音ごうおん炸裂さくれつし、クリストフ隊の傭兵が一人吹っ飛んだ。それだけではなく、一台の荷馬車の車輪が破壊され、倒れた荷馬車は、鉄の装甲の中に隠れていた兵士たちを地面に吐き出した。


「何て乱暴な奴らだ。味方の被害なんてお構いなしかよ。……し、しかも、ばんばか撃ってきやがるーっ!」


 戦場では後先など考えない戦い方をする荒くれ者が多い。敵味方が乱戦になっていても、


「十発撃った内、半分以上が敵に命中したら、味方が多少死んでも構うもんか」


 という乱暴者が大砲をぶっ放し、戦場が混乱に陥ることはままあることだ。とはいえ、ニュルンベルク軍の大砲はおびただしい数だ。引き起こされる混乱の度合いは、まさに阿鼻叫喚あびきょうかんだった。


「おわっ! 危ねえ!」


 ゲッツの頭上を通り越した砲弾がタラカーの傭兵一人に当たり、主人の元に駈け寄ろうとしていたトーマスに危うく当たりそうになった玉は荷馬車隊の指揮官が乗っていた荷馬車に命中した。


 鉄の装甲も砲弾には吹き飛ばされ、荷馬車は粉々、兵士たち数人が死傷した。指揮官は、生きているのか死んでいるのか、ピクリとも動かず倒れ伏している。


 最初から敵の砲撃を警戒し、散開して戦っていたゲッツたちはまだ良かったが、荷馬車の中でぎゅうぎゅう詰めになっているニュルンベルクの兵士たちは、命中するたびに大量に死んでいった。


「ゲッツ! これはさすがに引いたほうがいいぜ!」


「何を言ってやがる、クンツ。また逃げる気か。いくさは、先にびびったほうが負けなんだよ! この砲弾の雨で荷馬車隊はひるんでいる。今こそ好機だ! 死ぬ気で戦え!」


 ゲッツはそうわめくと、近くで戦っていたハッセルシュヴェルトに、「お前の大盾おおだてを貸してくれ!」と頼んだ。


 いしゆみ使いのハッセルシュヴェルトは、矢を撃つ準備をしている時に大きな隙が生まれてしまうので、自分の身を守るために大盾をいつも背負っていたのである。


「ゲッツ殿、どうする気です」


 ハッセルシュヴェルトが盾をゲッツに渡してそうたずねると、ゲッツは、


「こうするんだよ!」


 と言いながら馬腹を蹴り、鉄砲や矢をひっきりなしに撃ってくる一台の荷馬車へ大胆にも真正面から突撃した。


 馬を疾駆しっくさせるゲッツを狙って、鉄砲玉が六発飛んで来たが、ゲッツは頑丈がんじょうな盾を前に押し出し、それを全て防ぐ。


 ゲッツに気を取られていた荷馬車の射撃部隊は、別方向から迫っていた老騎士タラカーに気づくのが遅れ、御者がタラカーによって首をねられてしまった。


「今だ! ぶん投げろーーーっ! ぶん殴れぇーーーっ!」


 ゲッツはそう叫ぶと、大盾を力いっぱいぶん投げ、鉄の装甲に激突させた。装甲の中に潜む兵たちはその衝撃に驚き、一瞬ひるんだ。


 その隙を突き、ゲッツは、重量のある鎧を着ているとは思えない身軽さで、馬から荷馬車へと飛び移った。そして、荷馬車をおおっている鉄の壁に張りついたのである。


「てめえら! いつまでそんなところに引き籠っている気だ!」


 剣を抜いたゲッツは、鉄の壁の内側にいた兵士の一人を突いた。大胆なゲッツに驚いた敵兵たちの多くが混乱状態に陥り、次々とゲッツの剣の餌食えじきになっていく。


 ゲッツのこの戦法を見た家来のトーマスやハッセルシュヴェルトらタラカーの傭兵たちも、銃撃をくぐり抜けて荷馬車に飛び乗り、車内の兵たちを攻撃した。


 調子に乗ったゲッツは荷馬車の中に乗り込もうとした。しかし、怯えている兵士ばかりではなく、冷静にゲッツのひたいを撃ち抜こうと狙いを定めている傭兵もいたのだった。


「ゲッツ! 頭を引っ込めろ!」


 クリストフの声がして、ゲッツはとっさに頭を下げた。


 一発の弾丸がゲッツの鉄兜を吹っ飛ばす。


 ゲッツの頭は無事だ。さすがのゲッツも金玉きんたまがキュッと縮み上がった。


「油断をするから、そんなことになるんだ」


 ゲッツの反対側の鉄の壁に張りついていたクリストフが、そう説教をしながらゲッツを狙った傭兵を槍で突き殺した。すると、クンツも、


「お前は本当に猪だな。前だけしか見てねえ」


 と笑いながら、ゲッツを背後から襲おうとしていた荷馬車隊の指揮官を斬り殺した。この指揮官は、砲弾のせいで気絶をしていたのだが、ようやく復活し、ゲッツの背中を斬りつけようとしていたのである。


「猪で悪いかよ。逃げようとしていたくせに」


 ゲッツが悔しまぎれにそう言うと、クンツは、


「そうしようと思ったんだが、どうやら形勢が逆転しそうだ。あれを見ろよ。カジミールの若様が、ようやくお出ましだ」


 と答え、はるか後方を指差した。軍馬が接近しているのだろう。地平の向こうで砂塵さじんが巻き上がっている。


(俺たちが奮戦しているのを見て、手柄を全部取られてたまるかと慌ててやって来たんだろうよ。母親に似て、卑怯なお方だぜ)


 ゲッツは内心面白くなかったが、これで我が軍に勢いがついたと思った。そして、すでに陣形がずたずたになった荷馬車隊の後始末はカジミールにやらせて、あの厄介やっかいな大砲部隊を何とかしようと考え、傭兵たちにこう怒鳴った。


「みんな! 荷馬車を奪って突撃するぞ!」


 疲れを知らぬ傭兵どもは「おう!」と口々に言い、敵の死体を荷馬車から放り投げ、それに乗り込むのであった。



            *   *   *



 一方、がむしゃらにカルバリン砲を撃ち続けていたニュルンベルク軍の後方でも変化があった。


「貴様ら、味方まで撃ち殺す気か! 今すぐ撃つのをやめろ!」


 シュヴァーベン同盟の代表者の一人で、ニュルンベルクに援軍として駆けつけていた、アウクスブルク市の守備隊隊長ヴィルヘルム・フォン・パッペンハイムは、命令もなく大砲を撃ち続けた砲撃手たちを鞭で激しく打ち、砲撃をやめさせようとしていた。


 ニュルンベルクが雇っている傭兵たちは猛者もさぞろいだが、血の気が多過ぎて、指揮官の指示がある前に勝手に動いてしまう。何とも統率が難しい奴らばかりで、パッペンハイムは苦労していた。


「見ろ。敵に打ち負かされた荷馬車が五台、こちらに逃げ込んで来る。迎え入れて、傷の手当をしてやれ」


 そう命令したが、そばにいた傭兵が「撃ちましょうぜ、隊長」と言ったため、パッペンハイムは「馬鹿か!」と怒鳴った。


「味方を撃つなと言ったばかりだぞ!」


「いや、あれは味方じゃないですよ。先頭を走る荷馬車の御者の顔、俺は知らねえ。あんな馬みたいなつらした奴、初めて見る。たぶん、敵が荷馬車を奪って攻めて来たんだ」


 傭兵が指差していたのは、馬面うまづらのカスパールが操る荷馬車だった。


「な、何だと!? それを早く言わんか!」


「俺は最初から撃とうって……」


「撃てーっ! 撃てーっ!」


 パッペンハイムの判断は遅すぎた。ゲッツたちが乗り込んでいる荷馬車は、すでに大砲隊の目の前まで迫っていたのである。撃つなと怒鳴られて手を止めていた砲撃手たちが、


「え? 撃つの? 撃たないの? どっちだよ」


 と困惑して、まごまごしている間に、荷馬車からゲッツたちが躍り出て来て、砲撃手たちを次々と襲ったのだ。


 ふところに飛び込まれてしまえば、大砲など無力だ。大将の指示を待たずに敵を攻撃するニュルンベルクの傭兵どもは、退却する時も大将の命令なんて待たない。「こりゃ、いけねえ」と判断した傭兵たちは、パッペンハイムを置き去りにして逃げ散ってしまった。


「名のある貴族と見た。いざ、尋常に勝負!」


 ゲッツが血刃を振りかざして叫び、パッペンハイムに一騎打ちを迫ったが、ニュルンベルクの傭兵たちが逃げたのに援軍の自分だけが踏ん張って戦っていられるかと思ったパッペンハイムはゲッツを無視して馬に飛び乗り、アウクスブルク目指して逃走したのだった。

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