四月一日ウソ時間―金剛石の意図的なウソ―

一花カナウ・ただふみ

四月一日ウソ時間

☆ 1 ☆



 四月一日火曜日。朝十時。

 金剛こんごう抜折羅ばさら火群ほむらこうの家の前にいた。執事のような仕事をしているお目付役のトパーズに頼んで、車で送ってもらったところだ。

 まもなくして、紅が慌てた様子で玄関から出てきた。部屋着らしく、長袖のティーシャツにジャージのズボンを合わせた格好だ。

 無駄のない動きはかつて陸上部で活躍していたことを彷彿させる。それはそれとして、走ると余計に彼女の胸は目立つなと、抜折羅は冷静にそんなことを考えていた。紅の胸は明らかに他の女性よりも大きい。動いて揺れる様は重量感たっぷりだ。

「抜折羅っ!」

 道路に飛び出すなり、抜折羅の胸に飛び込んできた彼女をしっかりと抱き止める。大きな胸が邪魔で密着できないことと、押し付けられるこの柔らかな脂肪の塊の感触を楽しむことについて少しだけ思案し、忘却を選択する。紅は抜折羅のカノジョであるのだし、多少はスケベな目で見ても許されるのではないか――と一瞬は思えど、そこを懸命に自制しようとするのが抜折羅の馬鹿真面目なところだ。

「どうしたのっ!? 重要な話があるから会いたいだなんてっ!」

 普段から「会いたい」と言わず、気持ちを抑えて仕事に打ち込んできたからだろう。紅が抜折羅の珍しい言動に驚いて狼狽うろたえているのが見てわかる。

「それが……さ。実家への呼び出しがあって、しばらく日本に戻れそうにないから」

 言いにくそうに抜折羅はぽつりと呟く。もっと堂々と伝えるはずだったのに、こんな可愛い態度をされると予定が狂ってしまうではないか。

 紅が顔を上げた。不安そうな表情に、抜折羅の良心がチクリと痛む。

「実家……って、ワシントンでしょ!? 帰るって……やっぱり仕事? どれくらいかかるの? また休学するの?」

 寂しいとすぐに口にしないのは、彼女が抜折羅の境遇に理解を示しているからだろう。

 日本にいるのは仕事のためだ。本来ならできるだけ世界を飛び回って青いダイヤモンドの欠片を探したり、呪われた宝石を浄化する仕事をこなさなければならない。そんな事情を、なんとか調整してここに留まっている。その仕事が抜折羅にとって必要なことであるとわかっているからこそ、彼女はわがままを言ったりしない。

 ――紅……。

 もう少しシナリオを用意していたのだが、抜折羅は計画を変更することにした。ネタばらしは午後からというのが多いようだが、これでは紅が可哀想だし、普通に空港まで見送りに来てくれそうだ。

 抜折羅は小さくため息をつく。

「……紅?」

「なに?」

「今日の日付、わかるか?」

「……へ?」

 きょとんとされてしまった。ひょっとして、日本ではエイプリルフールの習慣はメジャーではないのだろうか、と不安になる。

「四月一日なんだが……」

 恐る恐るヒントを出してみると、紅は目を瞬かせて、次には見開いた。

「エイプリルフールっ!!」

「うん、伝わったようで何よりだ」

 表情にはあまり出ていないだろうが、かなりヒヤヒヤした。

 養母である今の母親がエイプリルフールが大好きで、馬鹿正直に引っ掛かる抜折羅を見ては楽しそうにしていたため、今年は誰かに仕掛けてやりたいと思っていたのだった。

 ――仕事で忙しいはずなのに、こういうときだけは母親だから距離がわからないんだよな……。

 エイプリルフールに便乗してやってみれば、養母の気持ちが少しはわかるかとも考えていたが、結局謎のままだった。

「って、抜折羅に合わない! なんでウソついたの? 本当に帰らないのよね?」

 たたみかけるように質問で責められる。抜折羅は頬を掻いて視線をそらした。

「それは……その……少しでもお前と一緒にいたかったから……」

 正直に話すのは照れくさい。ぼそぼそ言うと、紅が首を傾げる。

「どういうこと?」

 本当にわかっていないらしいので、抜折羅は補足説明をする。

「エイプリルフールでついたウソは、一年間実現しないって聞いたから……それで」

 正直に答えると、紅が腰に回した腕に力が入った。

「なぁんだ……びっくりした。嬉しい」

「ウソだとは思わなかったんだな」

「当然でしょ」

 言って、紅はクスクス笑う。幸せそうに思えたのは、自分勝手な解釈だろうか。抜折羅は彼女の頭を撫でる。

「そんなジンクスのために来てくれて嬉しい。一年間実現しないっていうの、出典不明らしいけどね」

「そうなのか」

「でも、そういうのにまですがっちゃうのが抜折羅らしい」

「…………」

 何も返せない。出会ってからまだ一年にも満たないはずなのに、彼女は自分のことをよくわかっているなぁと思う。彼女に嘘はつけそうにない。

「紅、お前さえ良ければ、これから食事に行かないか?」

「うん。良いよ。でも、着替えてきて良い?」

「そうしてくれ。その格好はいささか刺激が強すぎる」

 しれっと今の気持ちを伝えると、彼女はみるみるうちに赤くなった。

「……ば、抜折羅のばかっ!!」

 離れて、紅は家に戻っていく。十分くらいで彼女は再びここに現れるだろう。

「たまにはこういうのもアリだよな」

 少しでも多くの二人の思い出を作れますように――抜折羅は爽やかに晴れた空を見上げながら願った。



☆ 2 ☆



 四月一日火曜日十三時過ぎ。

 紅との突発的なデート。食事をして、ショッピングをして。次は映画でも見ようかと話をしているときに電話が鳴った。

 嫌な予感がして、スマートフォンを取り出す。

「ハロー」

 周りが賑やかなのはお互い様か。音が聞き取りにくい。

「ハロー、バサラ」

 流暢りゅうちょうな英語は母親の声で発せられる。

「……えっと、何の御用でございましょうか?」

 英語で返すところを、抜折羅は緊張のあまり日本語で問う。日本が大好きな養母は日本語も達者なので、通じるはずだ。

「そっちの仕事を引き上げて戻って来なさい」

 これまた流暢な日本語で告げられた台詞に、抜折羅はフリーズした。

「あら、聞こえなかったのかしら。バサラ、返事なさい」

「…………」

 喉が渇く。

 ――ジンクスなんて、所詮しょせんそんなものか……。

 黙ったまま固まっている抜折羅を、紅が不思議そうに覗き込んでくる。声を掛けてこないのは、抜折羅が電話に出たときにハローと言ったせいだろう。仕事仲間はみんな英語で話すので、警戒しているようにも見える。

「とにかく、手筈は整えておいたから、あとのことはトパーズに頼んでちょうだい。じゃあね」

 通話が途切れた。抜折羅は通路の端に立っていたことをいいことに、その場にしゃがんで頭を抱えた。

「何故だ……どうして思うように事が運ばない……」

「何かあったの?」

 紅が隣にしゃがんで、優しく問い掛けてくる。おそらく、彼女はすでに察しているのだろう。

「悪いな、紅。デートは中止だ。詳しいことは移動しながら話す」

 予定通りにデートができたことが一度でもあっただろうか。突発的なデートでさえ、こうして邪魔が入る。早く不運の呪いを解いて、平穏無事な生活を送りたい。できるなら、紅と一緒に。

「いつものことだもんね。気にしちゃダメだよ」

 紅の笑顔に救われる。

 抜折羅はトパーズに連絡したのだった。



☆ 3 ☆



 てっきりJR八王子駅前にあるエキセシオルビルの事務所に戻るのだと思ったのだが、違うらしい。車は見知らぬ道を走っていく。

「もう撤収準備ができているのか?」

 訝しく思って、運転しているトパーズに英語で問う。

「ええ。社長から指示いただいておりましたので」

 かたっくるしい発音の英語で返ってくる。

「俺への相談はなしに、か」

 英語で告げると、トパーズは小さく笑った。

「着けばわかりますよ」

 紅も一緒についてきてもらったが、大丈夫だろうかと心配になる。

 車は住宅街を抜けて、ある高層マンションの前で止まった。ファミリー層向けの集合住宅だ。

「こちらにどうぞ」

 キーを外して後部座席の扉を開けたトパーズが促す。まだ状況がわからない。戸惑っていると、トパーズが急かした。しぶしぶ抜折羅は紅を連れて降りる。

「では、こちらへ」

 トパーズに導かれてマンションの中に進んでいく。エントランスを抜けて、エレベーターに乗り込み、最上階の奥の部屋に案内された。

「トパーズ、これはどういう――」

「長期滞在をするのに、お坊ちゃんにいつまでも事務所生活をさせるわけにはいきませんからね。社長があなたへの誕生日プレゼントを兼ねて用意した家でございます」

 告げて、扉が開かれた。

 明るい部屋だ。調度品もすでに設置済みらしい。

「ちょっと待て、じゃあ、さっきの電話はっ!?」

「エイプリルフールですよ。毎年しっかりと引っかかりますね」

 爽やかに返すトパーズが少しだけ憎い。抜折羅は頭痛を覚えた。

「今夜からはこちらで生活していただきますよ。よろしいですね」

「……はい」

 なんで騙されてしまうのだろう。エイプリルフールは午前だけと思っていたが、よくよく考えれば時差がある。電話を掛けてきたあの時間、ワシントンは零時になったところだったはずだ。

「えっと……どういうこと?」

 やり取りが英語だったからか、紅がついていけなかったらしかった。抜折羅は気を取り直す。

「引っ越しするんだよ。今の事務所生活を終わりにして、ここを生活の拠点にするってこと。母さんがエイプリルフールに便乗していたずらしてきたようでさ」

 気まぐれでサプライズ好きな人なだけある。長期滞在を考えて家を用意してくれたのはありがたいが、やはり相談くらいはして欲しかった。

 ――やっぱり距離感がわからん……。

「ここに住むの? 広すぎじゃない?」

「まぁ、そのあたりは母さんの感覚もあるからな」

「お二人とも玄関で立ち話に興じていないで、こちらにいらしてください。紅茶をお入れしますから」

 トパーズが呼ぶ。

 抜折羅は紅を見て笑むと、彼女の手を引いてトパーズのいるダイニングに向かう。

 新居で迎える新年度。果たしてどんなことが待ち受けているのだろうか。

 抜折羅は淡い期待を胸に前へと踏み出す。



《了》

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