第3話 「Lateness」


翌日、僕は重大な暴挙を犯すこととなる。


「やばいやばいやばいやばい!」


僕が重い瞼をこじ開けた先に見たものは、絶望の二文字だった。

現在時刻、十一時十四分。

入学二日目にして、文句なしの大遅刻だ。


「たく、どこのヤンキー漫画だよ!」


思わず自分で自分にツッコミを入れてしまうが、そんな場合じゃないと頭を振り、全速力で身支度に取り掛かる。

僕がこれほど大幅な寝坊をしてしまったのには、明確な理由があった。

それは恥ずかしくも昨日の彼女の姿を忘れることが出来ず、全く寝つけなっかたためだ。

今でも在り在りと思い出せる、彼女の歌声、笑顔。

そして、最後の涙。


「僕の歌って、そんなに下手くそだったのかな…」


 何度考えてみても、彼女がなぜ突然泣き出してしまったのか答えが見つからず、結局のところ僕は、この情けない結論しか導き出すことができなかった。

自分が音痴だなんてことはつゆ知らず、あんなところで歌ってしまった自分が恥ずかしい。

ウタウノダメ、ゼッタイ。

そんなことを肝に銘じながら、真新しい制服を荒々しく着る。

小走りで台所を通りかかると、テーブルの上にサンドイッチが置かれているのが目に入った。

朝食用意するくらいなら起こしてくれよと家族に毒づきながら、その一つを口に含んで僕は慌ただしく家を出た。

学校までの道のりは二度目ということもあり、迷うことなく進むことができた。

最寄駅で電車を降りてから、歩いて十分ばかしの距離を三分で駆け抜ける。

すると見えてきたのが、僕の三年間の学び舎となる長野県立常翔高校じょうしょうこうこう、通称常校じょうこうだ。

門を通った先に見える正面玄関には、部活動の輝かしい成績を謳った垂れ幕がでかでかと飾ってある。

しかし生徒はそこからは学校に入らず、正面玄関を向いて右に行き、ぐるっと左に曲がると見えてくる生徒昇降口から常校へ登校していく。

僕も例にならって昇降口を通ると、時計の針は十二時を少し超えたところを指していた。

なんとか午後の授業からは間に合いそうだ。

目の前にはお昼時ということもあって、購買が開かれていた。

ちなみに常高では学年別にネクタイの色が分かれており、現在一年生は青、二年生は赤、三年生は緑という割り振りとなっている。

食べ物を求めごった返す生徒たちのほとんどが赤や緑のネクタイを揺らす上級生であり、一年生はちらほらとしかいない様子であった。

僕はそれをするりと通り抜けると、昨日の記憶を頼りに廊下を歩いていき、階段を四階まで昇る。そうして目に入ってきた教室が、僕のクラスとなった一年一組だ。

扉を開けて中に入ると、クラス中の視線が僕へと一点に注がれる。

自業自得だが、こうも注目を集めてしまうと精神的にくるものがある。

僕は努めてポーカーフェイスを意識し、名簿順に並べられた自分の座席へと向かった。


「おっす、重役出勤とは流石ですね~奏汰くん?」


そこへクラスメイトと楽しそうに談笑していた駿がやってくる。わざとらしい言い方が少し癪に障ったが、昨日の一件が僕に何も文句を言えないというブレーキをかけていた。再びあの件について掘り返されないことを願うしかない。

しかしクラスメイトと早速わいわいおしゃべりできるほどに打ち解けていた駿を、素直に凄いと感心してしまう。持ち前のコミュ力は折り紙つきだ。

すると駿が絡んできてくれたおかげなのか、いつのまにか僕への緊張感のようなものは消え去っていて、何事も無かったかのように弛緩した喧騒が訪れていた。


「そんなのただの寝坊だよ。茶化すなって」

「あ!もしかしてそれ、昨日のことが絡んでるの?」

「げっ」


的を射た駿の発言に、思わずぎくっと反応してしまう。僕の望みはあっけなく散っていった。

一方の駿はといえば、「ビンゴ!」とニヤけ面をより一層深めた。


「ホント昨日は酷いよな~。トイレから戻ってみれば待ってるはずの親友は消えてるし、メッセージ送ってみても全く反応ないしで、結局二十分近く待たされた挙句の果てにだよ?ストリートライブしてた女の子とイチャイチャしてました~だなんて、虫のいい話だと思いませんか皆さん!?」

「皆さんって、誰に向けて言ってるんだよ…いやホントごめんなさい」


これを言われてしまうとぐうの音も出ないので僕は懸念していたのだが、駿の表情を見る限りまだまだこの話題でイジる気満々のようだ。…まるで腹いせをするかのように。

昨日彼女と唐突に別れた僕は、ポケットの振動にようやく気が付くこととなった。

そう、本当にようやくだ。

画面をつけると、そこにはSNSの通知で一杯だったのだ。

もちろん送り人は駿である。

アプリを起動させメッセージを開いてみると、時間が経過していくと共に、目に見えて駿のテンションが落ち込んでいくのが分かった。

すぐさま返信をして駿と別れた場所まで戻ると、なんとも悲愴感に打ちひしがれたイケメンがベンチに項垂れているのだった。

そんな駿を見て、しょうもない言い訳をつける人など果たしているだろうか?いやいない。

というわけで、必死に謝りながらも正直に事情を話した僕なわけなのだが、駿が言うことにはシチュエーションが気に入らないらしく、先ほどのような口撃を被っているというわけである。駿のルックスならばモテること請け合いなのだから、そろそろ許してほしいところだ。

ここは話題を変えるに限るな、うん。


「まぁこの話は置いといて…僕が来る前にクラスで何やってたのか教えてよ、駿くん」

「あっ、話逸らすなし!…まぁいっか」


そう言って駿はあっさり諦めると、口頭で詳しい説明をしてくれた。こういう時に、駿ははぐらかされてくれるから助かる。もちろん良い意味で。

駿の話によると午前中で、始業式と学級長やら委員会やらなどの決め事が全て終わったらしい。その場にいなかった僕は当然残った委員会に入るわけなのだが、駿はそれがなんだったのか忘れてしまったらしい。余り物に福があることを願うしかないな。


「そんでこの後の予定が、昼飯後の部活説明会な」


そこで駿はファイルから一枚のプリントを取り出して僕に渡した。

そこには部活説明会の詳細が書かれていて、全ての部活のリストと発表順が記載されていた。

恐らく説明とは名ばかりの部活発表がメインであろう。


「軽音楽部か…中学にはなかったな」


僕は一番上に記入されている部活名が気になり、ポツリと呟いていた。

軽音楽といえば、確かバンドをやる部活だ。

大分前にニュースで取り上げられていたとあるアニメタイトルを思い出しながら、本当にこんな部活あるんだとどこか不思議な気持ちに僕はなっていた。

ふいに、彼女の歌う姿が脳裏を過る。

彼女のようになりたいと、昨日の僕は本気で思った。

ならばこそ、この部に入ることには大きな意義があると思う。

しかし、今の僕の意識には、漠然とした諦念が満ちていた。


「ん?奏汰軽音入りたいの?」

「いや、ちょっと気になっただけだよ」


気にはなるが、今はもうただそれだけだ。

楽器はひとまず置いておくにしても、僕の歌には、人が泣いてしまうほど絶望的ななにかが含まれているのだから。

そんな僕の思考を遮るかのように、昼休み終了のチャイムが鳴り響く。

それを合図にして、クラス中のみんなが各々でまとまって移動を開始する。


「俺たちも行こうぜ、奏汰」


急かしてくる駿に対して「おう」と頷き、僕たち二人は人込みに流されながら体育館へと向かった。

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