第7話 大阪城とおばあちゃんとモフモフ犬 その1
おみおくり商店の幽霊を相手にした業務は、ボランティアではなく商売である。
つまり、依頼人のためにお土産を探し出して、その仕事に対して報酬をもらっている、ということになる。
そうでなければ、商店で働いている私たちは生活ができない。表向きに行っている雑貨屋からの稼ぎなんて、寂しいことに雀の涙くらいしかない。
でも幽霊の方から私たちに、具体的な報酬を支払うことは不可能だ。生者の側から御供えはできても、反対に死者の側からなにか物を贈ることはできないのだから。
じゃあどうやって報酬を得ているのかというと……。
実はまだ、私は詳細を知らされていない。
幽霊のために働く者へ見返りを支払う、なんらかの仕組みが存在するらしい、としか聞かされていない。まだ仮採用だからという理由で。
六月末の現在まで二ヶ月半ほど働いて、行方知れずの母親からお給料はちゃんと振り込まれている。記帳をすると、六桁の数字がしっかり並ぶ。
商店に報酬が支払われる仕組みとは、一体どんなものなのか? 気になる……。
が、私がそのことについて詳しく知ることができるのは、もう少し先のことのようである。
おみおくり商店に依頼人を斡旋してくれる仲介人さんは、その仕組みに属している。
どうやら幽霊の上司的な人物もいる様子。
聡明そうな雰囲気の、虎のお面を被った死者の少年。
太陽の塔の一件もそうだし、未完の小説などの件でも、未練を抱える幽霊たちを紹介してくれた。
仲介人さんが依頼人を連れてきてくれるからこそ、商店の仕事は成り立っている。私たちにとってはなくてはならない存在だ。未練を持って彷徨う死者にとっても、霊感の強い生者を紹介してくれるのだから有り難い存在だろう。
しかし、だ。
仲介人さんも依頼人たちと同じ、この世に漂う死者である。
なにかしらの未練を抱えているために、成仏できていない幽霊なのである。
見た目の年齢は小学生くらいだが、精神的にはそれよりもずっと上だと思われる。大人びた態度や口調からもそう感じられるし、背負っている御供え物の量が他の死者よりも比較的多いということもある。二十五歳の私より年上なのではないだろうか。
だからおそらく、仲介人さんは十年以上この世に居座っている。
仲介人としての務めがあるから?
それが理由なのかもしれない。
それだけではないとしたら?
成仏していない理由を以前に訊いてみたことがあるのだけれど、教えてはくれなかった。私はまだ本名さえも知らない。お面に隠された素顔も、見たことがない。
悩んでいる様子はなくて、飄々と好きに彷徨っているようなのだが……。
仲介人さんは、謎の多い幽霊である。
◇
おみおくり商店の店内で、丸椅子に座って扇風機の風に当たりながら、退屈なので梅雨明けがいつ頃なのかなとスマートフォンで調べていると、
「
「なんですかいきなり。すごいニヤニヤしてますけど……」
居候の探偵も丸椅子に腰を下ろし、真面目な表情を作って続ける。
「大阪の大学生が仲間内でまず間違いなく行う行事とは、一体なんやと思う?」
「大阪の大学生ですか? えっと……。あぁ、ユーエスジェ」
「たこパやで」
「……答えを言うの早いですね」
「たこパとは、たこ焼きパーティの略です。タコさんウィンナーパーティとはちゃうで?」
「タコさんウィンナーパーティってなんですか。母親が朝から張り切り過ぎたんですか?」
翠川さんは「返しが巧みになってきたな!」と嬉しそうに言った。私は咄嗟に「やかましいわ!」と言いそうになって、すんでのところで踏みとどまった。
私は翠川さんを無視して、素麺のアレンジレシピを検索しようとした。
だが、「ちょいちょいちょい」と止められる。
私は溜め息を吐く。
「なんですか? 翠川さんが素麺ばっかりって文句を言うから、なにか工夫できないかなって調べようとしてるところなんですよ」
「せやから、そういうのも引っ括めて、たこ焼き作ろうって言うてるんやんかー」
「ここで、ですか?」
「そうや、ここでや」
私は「それは、悪くないですね」と言いながらスマートフォンを置いた。
「どうでもいいことですけど、私たち学生じゃないですよ?」
「うむ。ただ大阪あるあるを言いたかっただけや」
「そんなことだろうと思いましたよ」
それが本当に大阪の大学生あるあるなのかは別として。
悪くないというか、良いなぁと思えてきた。先月に千里中央のお店でたこ焼きを食べたけれど、家で自分たちで作って食べるのも愉しそうである。
「この家、たこ焼き器ってあるんですか?」
「そらあるやろー。俺は料理せんからキッチンを把握してへんけど」
「じゃあどうして言い切れるんです?」
「大阪人の自宅には必ず一台はたこ焼き器がある、それはホンマやからやで」
「ほほう」
提案されてだんだん気分が高まってきた。昔、母親に教えられながらたこ焼きを作ったことを思い出す。自分で作った熱々をその場で食べるのは、嬉しいものである。
だが、私は翠川さんにピシャリと言う。
「今日はやりませんよ。もう買い物は済ませてますし」
「えっ」
「たこ焼きはまた今度ですね。今日のお昼は素麺です」
「またっ!」
私が「文句があるなら食べなくても良いですよ」と言うと、翠川さんは「ほんなら素麺をたこ焼き風にアレンジしてくれ」と頼んできたので、「じゃあ翠川さんソース付けて食べて下さいね」と返すと、「細麺のソース焼きそばと考えれば、いけるか……?」と自問し始めた。いや、本気で思案しなくても……。
そんなことをしていると、お面を被った仲介人さんが来店した。
今日は一人だけだ。
「こんにちはー」
「あ、どうもこんにちは」
「お、依頼人か?」
私は翠川さんに「仲介人さんが来られました」と伝えておく。
仲介人さんの姿しか見えないから、仕事の話ではなくてただ遊びに立ち寄ってくれただけかもしれない。もしくは、まだ依頼人が来ていないだけかもしれない。
小柄な少年は会釈をしてから、私に問い掛けてきた。
「お取り込み中でしたか? なにやらソースの話をされていたようですけど?」
お面を被っているが、おかしそうにしている気持ちが伝わってきたので、その内側で笑顔を浮かべているが判った。
「ぜんぜんっ、取り込み中ではないですよ」
私はすぐさま否定する。感化されて同じようにおかしいなと思いつつ、下らない会話を聞かれたことに恥ずかしさを覚えて、複雑な心境になってしまった。
翠川さんが堂々と「いんや、昼ご飯について取り込み中やで」と言い張ったが、「後で勝手に自問自答してて下さいっ」と黙らせておいた。
仲介人さんはクスクスと小さく笑う。
大人っぽく頭を下げたと思ったら、意地の悪いことを言ってきたりするのだ。なんだか上手く遊ばれているみたいで、やっぱりこの人は年上だなと改めて思う。
それはそれとして。
私はお面を被った少年に尋ねる。
「今日はどんなご用件でしょうか? お一人のようですけど」
「頼みたい仕事があって来ました。一人だけなのには理由がありまして……」
仲介人さんはお面の位置を直してから言った。
「今回の依頼は、当人から頼まれたわけではないんですよね。僕が個人的に、彼のためになにかしてあげたいなと思った次第でして。というのも、彼は人間ではないんです」
「人間ではない?」
私ははてなと思いながら訊き返した。どういうことだろう。
翠川さんも「人間ではないやて?」と眉間にしわを寄せる。
「怨霊とかか?」
「あー、それウチの専門外ですね。仲介人さん、続けて下さい」
「未涼ちゃん、たまには極悪なお化けとかとも戦ってみようや。箔付くで。FBIとかから捜査協力の依頼来るで!」
「私パスポート持ってないんで、大丈夫です」
翠川さんは海外ドラマが大好きなので、その影響を受けているのだろう。
私たちのやり取りに対して仲介人さんがこうコメントした。
「おみおくり商店が業務の路線変更をするつもりなら、そういう仕事も紹介できますよ?」
「いや、あの、仲介人さんが言うと本当っぽいんでやめてもらえますか……」
少年の姿をした幽霊は「ははっ」と笑った。真偽が不明だった。
話がなかなか進まないではないかっ。
「それで、人間ではないというのは、どういうことなんですか?」
「はい、動物の幽霊ということです。犬ですね」
その回答を聞いて私は納得する。
「なるほど。犬ですか」
動物の幽霊はたまに見掛ける。
ペットとして可愛がられていた動物が、飼い主の傍に居続けるというような場合が多い。壁を擦り抜ける野良らしき猫がいたり、強い風が吹いても動じることなく仲間を見ている鳥がいたり、といったこともある。
仲介人さんが言う「彼」は前者らしい。
「犬の彼を、僕は大阪城公園で見つけたんです」
それほど強いものではないけれど、熱い感情がじわっと伝わってきた。「彼」と呼ぶことからして、仲介人さんは犬が好きな人なのかもしれない。
その幽霊の犬は大阪城公園で、飼い主と思しき生者の女性の傍にいるそうだ。大人しくしていることもあるし、気付いて欲しいのだろう、吠えていることもあった。
その女性はご高齢の方で、公園のベンチに腰掛けて寂しそうにしていた。仲介人さんが言うには「ペットを亡くして悲しんでいるのではないでしょうか?」とのこと。
「犬の彼は、悲しんでいる飼い主が心配で離れられないのだと思います」
「それは、うん、切ないですね……」
想像するだけで胸が苦しくなってしまうシチュエーションである。
私から話を聞いた翠川さんが質問する。
「ほんで、俺らにどうして欲しいんや?」
「当然、そのおばあちゃんを元気付けるんでしょう」
「ええ、もちろんそれもありますが、商店の仕事として、飼い主から亡くなったペットへお土産を御供えする手伝いもして頂きたいんですよ」
言わずもがな、犬は嗅覚の優れた動物である。匂いに安心することもあれば、臭いに対して敏感に危険を感じることもある。それは幽霊となってからも変わらない。
その犬は花やペットフードなどは供えてもらっているらしく、その身体に携えている。しかし、飼い主の匂いを嗅げるようなものは持っていないのだそう。
「大切な人のことを感じられる物を持たずに、あの世へ逝くのは心許ないでしょう」
「そうか、そうですね」
亡くなった犬が向こうでも安心して過ごせるように、飼い主の女性に身に着けている物などを御供えしてもらう。これが今回の仕事ということだ。会って話をして、元気になってもらう努力もしよう。
「よっしゃ。ほんなら大阪城公園に行こかー」
翠川さんはそう言ってから、思い出したように「ん、待てよ」と疑問を口にした。
「その犬が頼んできたわけやないのに、これは商店の業務として成立するもんなんか?」
「それは、えっと、どうなんでしょう……?」
「任せて下さい。この仕事も仕事の成果となるよう、なんとかします」
仲介人さんはきっぱりとこう答えた。
「僕は犬が好きなので」
あ、予想通りだった。
◇
大阪城公園とはその名の通り、大阪城を中心として広がる公園である。
天守閣があり本丸があり、数多くの重要文化財が点在するだけでなく、園内には音楽堂や野球場、大阪城ホールなどが設けられている。
広大なその敷地の周囲はオフィス街となっているため、翠川さん曰く、降りる駅によっては「ビルばっかしやん。大阪城どこやねん!」となるらしい。
私たちが降りたのは複数ある最寄り駅の中の一つ、公園の南東に位置する森ノ宮駅で、ビルばっかりではないかという事態にはならなかった。ただし、天守閣は見えなくて「あれ、お城はどこですか?」ということにはなった。
「まだ見えへんよ。大阪城公園は広いからなぁ」
「そうですよね。じゃあ、行きましょうかっ」
「しかし未涼ちゃん、城を見に来たんとちゃうで?」
「わ、判ってますよ」
翠川さんに「イシシ」と嫌らしく笑われてしまった。私は「あそこのコンビニで飲み物を買っておきましょう。暑いですから」と誤魔化しておいた。
遊びではなく仕事で来ているのは承知している。
でもテンションが上がってしまうでしょう。
だって大阪城なのだ。私は別に歴女とかそういうのではないけれど、ザ・大阪の観光名所と言えるような場所である。ワクワクしてしまう。
まだ梅雨明けはしていないけれど、本日は快晴でそれほど湿度は高くない。
「ええ天気やけど、暑いなっ」
「鯱が輝いているでしょうね」
お城があるだろう方へ目を向けてそう言うと、仲介人さんがお面をこちらに向けた。
「未涼さんって、けっこうミーハーなんですか?」
「うっ、すみません……!」
仲介人さんにまで「ははっ」と笑われた。
「謝らなくてもいいですよ。仕事さえちゃんとしてくれればね」
「もちろんですっ」
お面の少年は「お願いしますね」と頷いて、ふわふわと先へ進み始めた。
今回の依頼に関しては、仲介人さんが私たちに付き添ってくれて、飼い主と犬の幽霊がいる場所まで案内してくれることになった。すでに園内を飛んで、居場所を事前に確認してくれたのだ。犬のために頑張っている。
横断歩道を渡り、大阪城公園に入る。
緑の豊かな園内を歩きながら、翠川さんが私に質問する。
「大阪城は誰が建てたんか知っとるか?」
「それくらい知ってますよ。豊臣秀吉でしょう」
「そやそや。せやけど、大坂夏の陣で豊臣は滅びて、そんときに城も失くなってもうて、その後に徳川幕府が新しく築城したんは知っとる?」
「その辺りはまぁ、なんとなく……」
私の曖昧な返事を聞くと、翠川さんは「しゃあないなぁ」と嬉しそうに話し始めた。
大阪城は豊臣秀吉が最初に築いた城であるが、大坂冬の陣、大坂夏の陣により落城。秀吉の三男である秀頼が母親の淀殿らと自害し、豊臣家は滅亡した。
徳川は西日本での拠点として大阪城を再築。それに加えて盛大に盛り土を行い、かつての土地を覆い隠すようにしてしまった。だから、豊臣と徳川の時代とでは天守閣の位置が違うし、内堀の範囲も異なっていたり、石垣は全て江戸時代のものであったりする。
「今ちょうど、埋まっとる豊臣時代の石垣を掘り起こそういうプロジェクトをしとるで」
「へぇー」
徳川幕府が再築するも、落雷で天守が失くなってしまった。その後、昭和六年に復興されて現在の天守閣が建てられた。なので今ある大阪城天守閣は三代目になる。
「城についてざっくり説明すると、そういうことやな」
「三代目だったとは、知りませんでした。いや、勉強したけど忘れてるだけかな……」
木々に囲まれた道を歩いていくと、やがて深い外堀と、長く長く続く石垣が見えてきた。
それから、遠くに大阪城天守閣もようやく姿を現した。
金色の鯱と薄い緑色の屋根が見える。
私は心の中で「おぉ」と感嘆しながら、翠川さんに訊いてみる。
「なんで瓦が緑色なんです?」
翠川さんは「あれは……」と言って考えてから、こう言った。
「お洒落やろな」
前を行く仲介人さんがガクッとなった。
「違う違う。あれは錆ですよ。瓦が銅でできていますからね」
天守閣の正面に位置する桜門まで来た。前を見ると、ちょうどその門の枠が額縁のようになって、聳える大阪城がその中に綺麗に収まっている。私は思わず写真を撮った。
桜門を抜けると、目の前に巨石がデカデカと出現する。これは蛸石というもので、城内で最も大きな石なのだそう。意外と薄いらしい。
本丸に入った。
天守閣がもう目の前にある。
「こんなところまで無料で来れるんですね」
日本人も外国人も、多くの観光客の姿が見られる。大阪城の勇姿を撮影している人たち。衣装を借りて記念撮影をしている人たち。扇子を仰ぎながらお城を眺めている人たち。犬を連れて散歩をしている人もちらほら見受けられる。
「未涼さん、もうすぐですよ」
仲介人さんはさらに先へと進んでいく。
「は、はいっ」
大阪城を見上げていた私は慌ててその後に続く。翠川さんの解説を聞いて園内を歩いて、うっかり観光気分に浸ってしまっていた。駄目だ駄目だ。仕事だ仕事だ。
◇
大阪城天守閣の南側から、私たちはお城の西側に伸びる幅の広い道へと移動した。右手ががお城、左手が内堀となっている。
「あそこにいる女性と、隣にいる彼がそうです」
ベンチが数脚置かれており、その内の一つに、おばあさんがちょこんと腰掛けていた。足元に大きめのバッグを置いている。
そして傍らには、一匹の犬が狛犬座りをして、女性の横顔を見つめていた。
雪のように真っ白な、見るからにモフモフしていそうな被毛に包まれた大型犬である。その背中には小さな花束やペットフードが引っ付いている。
「か、可愛い……!」
私は抱き付いて顔を埋めたい一緒にごろんごろんしたい衝動に駆られた。
えっと、なんという犬種なのだったっけ……。
「彼は、サモエドですね」
「そうだ。サモエドだ」
私の視線を辿って、翠川さんも「あのおばあちゃんか」と、女性の方へ目を向ける。
「確かに、寂しそうにしとるなぁ」
「はい……」
七十代後半か八十代前半くらいだろうか。白い帽子を被り、膝の上でそっと両手を重ねているその女性は、慎ましやか様子でベンチの端っこに座っている。俯きがちの表情は暗くて、目は虚ろになっておりぼんやりとしている。女性の周りだけスウっと気温が下がっているのではと思えてくる。
明らかに意気消沈している。その姿を見るだけで私は心細さを覚えた。
その上、傍らにいるサモエドが、つぶらな瞳でじっと彼女を見つめている。
まだ少し距離があるけれど、犬の抱いている感情が胸に伝わってきた。
心がざわついて、私は目頭の奥が熱くなるのを感じる。
「未涼ちゃん、ちょっと休んでからにするか? 暑い中歩いて、疲れもあるやろし」
翠川さんが殊勝にも気遣ってくれたが、私は「いいえ」と応えた。
「すぐに話し掛けてみましょう」
飼い主の女性のことも、切ない気持ちを抱いて彼女を見守る犬のことも心配だ。お節介だと言われたら、まぁ、素直に謝ろう。
仲介人さんが「お願いしますね」と頭を下げる。
「はい。それでは……」
どういう風に声を掛けようか?
翠川さんが「そうやなぁ」と言う。
「夏ですねぇみたいなこと言ってから、犬の幽霊が心配しますよって伝えてみるか」
「いやいや、天候の話はいいとして、いきなり幽霊の話をしたら戸惑われるでしょう」
居候の探偵は「うーむ」と頭を掻いた。
それから、目を細めて、ベンチに座るおばあさんを見据える。
「あっ……」
ごくごく稀に見せる真剣な眼差しだ。私はちょっと期待する。
「なにか考えがあるんですか?」
翠川さんは「うむ」と顎を引く。
「あのおばあちゃん、信心深そうやし。なんとなく」
私は「ほほう」と流れで相槌を打ってから、驚いて声を上げる。
「そ、それだけ……!?」
「それだけとちゃうけどな。まぁ、大丈夫やって」
「どこが大丈夫なんですか。適当なことして、嫌な気分にさせたらどうするんですっ」
「未涼ちゃん、考えてみぃな」
「な、なにをですか?」
「年寄りが一人だけで、暑い中この公園までわざわざ来とるんやで? 判断材料としてはそれで充分とちゃうかな」
「そうなんですか……?」
言われてみれば、家ではなくここで気落ちしていることが不自然な気もする。篭っていたらさらに沈んでしまうから、ということなのかもしれないけれど……。
翠川さんの人を見るときの洞察力には実際、確かなものがあるのだ。
私は仲介人さんに意見を求めようとした。
お面を被った少年はいつの間にか、モフモフの犬の幽霊に抱き付いて遊んでいた。
犬の方は舌を出してフワフワの尻尾を振って、嬉しそうにしている。
「……!」
どうやら、今回の仕事に思い入れがあるのは仲良しになったかららしい。
羨ましい! じゃなくて、なにやってんですかっ!
まぁ、サモエドの悲しさが今は晴れているみたいだから、良しとしようか……。
そんなことを思っていると、翠川さんがおばあさんの許に歩み寄っていった。
「ほな、行こか」
「あ、待って下さいよっ」
私も急いで後に続く。
翠川さんは躊躇うことなく、ヒョイとおばあさんの隣に腰を下ろした。
「どうもこんにちは」
「……?」
おばあさんは顔を上げて、翠川さんを見てポカンとした。
私は「し、失礼します」と頭を下げて、翠川さんの横に腰を下ろす。
私もなにかしなければと思うのだけれど……。すぐ近くから一人と一匹の愉しそうな感情がダブルで伝わってくるせいで、場違いに笑顔になりそうであり……、内心それを堪えるのに必死であるため、迂闊に口を開けない有り様だった。
翠川さんは人懐っこい笑みを浮かべる。
「散歩日和ですねぇ」
「はぁ、そうですね……」
おばあさんは元気がないながらも、微笑んで応えてくれた。
「暑いのに、ここまで来るなんてお元気ですね」
「ははっ。他にすることもないですから……」
「この近所に住んではるんですか?」
「ええ」
「ほんなら、散歩にちょうどええですね」
おばあさんは頷いて、ゆっくりと息を吐いた。辛そうな横顔だ。
「ホンマに。ええ、ホンマに……」
「おばあちゃん、なんや、しんどそうやな」
翠川さんが気遣うと、おばあさんはまた頷いた。
「そうねぇ。そろそろ、帰ろうかしら。ありがとう」
そう言いつつも、おばあさんは動こうとはしなかった。再び顔を俯ける。
仲介人さんとサモエドの戯れは落ち着いていて、どちらも私たちを見つめている。
一分ほどの間を置いてから、翠川さんが口を開いた。
「犬を飼ってはったんですか?」
「えっ?」
おばあさんは驚いた。当惑している。
しかし、それよりも顔に嬉しさが滲んでいるように見えた。
「実は、幽霊が視えるんです。あ、俺やなくてこの子が」
「ふへっ?」
いきなり霊感体質を打ち明けられて、その場で一番私が当惑してしまった。
おばあさんが私へと目を向けて「そうなんですか?」と尋ねてくる。
翠川さんはベンチに凭れて、我関せずといった顔で空を見上げている。
丸投げしないで下さいよっ!
と思いつつ、私はおばあさんの問い掛けに「は、はい」と答える。
「なにかが視えているの……?」
迷っても仕方がない。もう、ありのままを伝えよう。
「すぐそこに犬がいるんです。真っ白な、とても気持ち良さそうな毛並みの、大きな犬。サモエドですよね。じっと、あなたを見つめています」
おばあさんは私の言葉を聞いてすぐは、ただただ呆然としていた。
しかし、それから目に微かな光が灯り、涙が滲んだ。
「あぁ、傍にいてくれたのね……」
おばあさんが涙を流すと、サモエドが「くぅん」と切なげな声を漏らした。
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