第5話 大阪梅田の書店巡りとストーカー その2

 堀籠ほりごめさんに恋い焦がれられている男性こと安藤あんどうさんは、旅行関係の書籍が置かれているコーナーで静かに立ち読みをしている。

 九州の本を手に取りパラパラと捲って棚に戻し、次にグアムの本を手に取ってパラパラ捲って戻し、今度は名古屋の本を取ってパラパラして戻し、そのまた次はカナダの本に目を通し始める。


「ワイルドワイドやな」

「それ、ワールドワイドの間違いですね」


 どこかへ旅行する予定でもあるのかと思ったが、どうもそんな様子ではない。行き先を決めようとしているのかもしれないけれど、候補にバラつきがあり過ぎる。それに、いつも定食屋に居座っている安藤さんが、旅に出る姿が上手く想像できない。

 堀籠さん曰く、安藤さんは書店を巡り、本であるならジャンルを問わず、なんでもかんでも目を通すのだそう。

 興味のある本をただ読みたい。という欲求を満たしたいだけなのだろう。

 安藤さんは十数冊の本をサクッと読み終えて呟いた。


「うん。面白かった」


 そうして、気に入ったらしい旅行ガイドを持ち、歩き始めた。


 なぜかキャリーバッグを転がしている。


「あれ? やっぱり旅行でも行くんですかね?」

「出発の日に旅行誌を買うんかぁ?」

「あり得なくはないと思いますけど……」


 ところで。

 私と翠川みどりかわさんは、安藤さんから離れたところで、本棚の陰に隠れている。

 最初は隠れるつもりなんてなかった。翠川さんは「目的の男が安藤なんは驚きやけど、あいつやったら話は早いで。事情を話したら土産の本を選んでくれるやろ」と言っていた。私も同じ考えである。翠川さんが頼んだりすれば、話はもっと早いだろう。

 けれど、堀籠さんは「すみませんが……」と、すぐに話し掛けることを拒んだ。


「書店を巡られるあのお方を、もうしばらく端から眺めさせて下さい」


 私たちの姿を見られたら、安藤さん一人のいつもの書店巡りが中断されてしまうかもしれないので、とりあえず様子を伺っている次第だ。

 それにしても、この状況。


「尾行ってことになりますね……!」


 尾行という行為はもちろん始めてなので、ちょっと緊張している私である。

 翠川さんは不満げである。


「なんで俺が安藤を尾けなあかんねん。気になっとるみたいやないかっ」

「まぁまぁ」


 依頼人の堀籠さんはというと。

 私たちとは違う理由で、距離を置いた地点にいる。

 こちらはどうして離れているのかと言うと、私が平静を保つためである。

 あまりにも依頼人の感情の昂ぶりが激しいので、申し訳ないのだが距離を取ってもらうことにした。多少は興奮が伝わってくるものの、さっきまでより断然楽だ。

 会話するのにちょっと声を張る必要があるけれど、仕方ない。ドキドキしてたら仕事ができない。


 安藤さんは四輪のキャリーバッグを後ろ手に引くのではなく、身体のすぐ横で転がしている。書店内も日曜で人が多い。ぶつからないように気を付けているようだ。

 文庫本コーナーでSF小説に目を通して二冊ほど持って移動。企画コーナーをぐるりと見渡して立ち読みしてここでも数冊を確保。そこからライトノベルと漫画のコーナー。ビジネス書、新書といった書籍もチェックしていき、また数冊を選んだ。


 私たちは本棚から本棚へとコソコソ動いて後を尾けていく。


「すごい、たくさん買うみたいですね……」

「このときにようさん本を仕入れてるんやなぁ。よっぽど暇人なんやなぁ」

「翠川さんに言われたくないでしょうね」


 安藤さんは全部で十五冊ほどの本をキャリーバッグに乗せて、それを上から押さえてレジへ向かっていた。やや間抜けにも見える格好なのだが……。


「あの丁寧な手の添え方、絶妙な腰の折り方、なにより堂々とした姿が、素敵だわぁ」


 依頼人は褒め称えていた。そこそこ大きな声だったので聞こえた。


「堀籠さんが、安藤さんの姿を見て喜んでいるようです」

「あれにかぁ? 障害物競走で採用されそうな運び方やで」

「採用されますかねぇ……」


 安藤さんは苦労した様子もなくレジに辿り着き、本をすべて購入。

 書店を出ると、人のいないスペースに移動して、キャリーバッグを寝かせて素早く開き、その中に買った書籍を仕舞い込んだ。すぐさま閉じて、バッグを立てる。


「やっぱ旅行ちゃうやん。買い物用のバッグやん」

「キャリーバッグを持ち歩いて買い物するなんて、何冊買うつもりなんでしょう……」


 安藤さんはキャリーバッグを傍らに引き連れて、移動を始めた。

 堀籠さんがふわふわと動きながら、私たちに声を掛ける。


「見失わないように、お気を付けて!」



        ◇



 グランフロント大阪を出て、次はさっき通り過ぎたルクア1100に入った。

 大阪駅の北側に位置するルクア1100は、前身の百貨店が生まれ変わる形で一年前に開業したばかりのファッションビルだ。向い合って建つルクアとは途中の階でのいくつかの通路と、上方のフロアが繋がっている。


 混雑の具合はまったく変わっておらず、安藤さんの姿が何度か見えなくなってしまった。

 でも、翠川さんはひょいと首を伸ばすだけで「あぁ、あそこや」と簡単に見つけてくれる。

 それに、堀籠さんが少し高いところに浮かんで安藤さんをじいっと見つめているので、見失うことはなさそうだった。


 ルクア1100ではエスカレーターが四列も並んでいるのに、多くの人が乗っていて隙間がほとんどない。だから動きにくくはあるものの、尾行するのにはありがたい。

 可愛らしい雑貨屋やアパレルショップなどの店舗を目にして、ふらっと立ち寄りたい衝動に駆られたが、我慢する。

 上の段に立っている翠川さんが大きく欠伸して、ゴシゴシと目元を拭いながら言った。


「どんなヤツなんかと思っとったけど、まさか安藤やったとはな」

「意外過ぎますよね」


 私は深く頷いて同意した。本当にまさかの展開だ。

 堀籠さんも驚いていて、「お知り合いなのですかっ?」と言った後で、「これは運命的なものを感じます……!」と喜んでもいた。

 翠川さんが「せやけど」と言いながら頬を掻く。


「なにがええんやろなー。理解できん。あいつケッタイな男やで?」

「ちょっと変わってはいますが、まぁ見た目はモテそうですし、変わってるからこそ周りから際立つ、とかですかね」

「バナナボート似合うんやろか?」

「それは……」


 私は、安藤さんが南国の青い海で黄色いライフジャケットを身に着けて、激しく飛沫を上げながら水上を走るバナナボートに跨っている姿を想像した。


「……。愉しそうには見えないでしょうね」


 どうでもいい話をしながら九階に到着。

 やや明るさの抑えられたシックな空間が広がっている。

 ここはワンフロアが書店になっているようだ。

 ただし、メインは書店ではあるのだけれど、購入前の書籍がその場で読めるカフェがあったり、モバイルショップがあったり、サロンまであったりする。Appleのお店があるからか、書籍を検索する機器がiPadである。


「お洒落過ぎるやろ。ここはホンマに本屋か?」

「進化してますねー」


 店員さんもお客さんも全員お洒落に見えてしまう。

 そんな店内を安藤さんはスイスイと進んでいく。新刊コーナーをチェックして、雑誌が充実しまくっているコーナーに寄り、芸術関係の書籍がズラリと並んでいるコーナーでしきりに頷いて、文房具コーナーを少し覗くなどしていた。


 安藤さんが立ち止まるたびに、私たちも離れたところに立つか、ちょうど椅子があれば腰掛けた。早くもちょっと疲れている。

 書店では大体、安藤さんが書籍を選ぶのを待っているだけなので、この時間はどうにも退屈だ。「本を読むときの、瞳と睫毛の微かな動きが良いのです……!」などと言う堀籠さんにとっては、横顔なんかをじっと眺められて好都合なのだろうけれども。

 もっとハラハラするのかと思いきや、安藤さんに背後を気にするような素振りは見られなくて、危なげ場面は今のところない。というか、絶対に見つかってはならないというわけではないので、そもそも危機感があまりないのだった。

 翠川さんもそれほど尾行に本気ではない様子。


 が、なるべく今は見つからない方が良いのは確かなわけで。


「翠川さんって、背が高くて遠目から見ても目立つ髪型ですよね」

「なんや、急に持ち上げて。なんも出ぇへんで?」

「大丈夫です。持ち上げてないので。軽く変装とかしなくても良いのかなぁ、と思って」

「あぁ、変装な。サングラス掛けたり、帽子被ったりかいな?」

「そう、そうです。なにかしないんですか?」

「大丈夫やろー。湿気のせいでいつもより髪がクネクネしとるし。判らへんで」

「翠川さんが思ってるより普段通りなので、ぜんぜん判ると思いますよ」


 そうこうしている内に、安藤さんがここでも十数冊の本を購入。キャリーバッグに入れて、さっさと下りのエスカレーターに乗っていった。私たちも遅れて書店を後にする。



        ◇



 堀籠さんは、なかなか安藤さんに声を掛けさせてくれなかった。


「そろそろお土産を頼みましょうか?」

「あ、あと少しだけ、もう少し眺めさせて下さいっ」


 安藤さんを見つけたときに比べれば随分と落ち着いていて、ある程度近付いても普通に話ができるようにはなっている。しかし、憧れの人の書店巡りを端から見守ることについては、まだ満足はしていないらしい。


 大阪駅から少し離れたところに建つ、ヒルトンプラザ大阪というビルに入った。見るからに高級そうなホテルと併設されている商業施設で、入り口はガラス張りの回転扉がある。

 そこに入っている大型書店へ。

 立ち並んでいる本棚と本棚の間を、安藤さんはキャリーバッグを転がしつつ見て回った。児童書コーナーで絵本を熟読するその姿に、堀籠さんは色っぽい溜め息を吐いた。



 それから来た道を引き返して、大阪駅を突っ切り、阪急の駅がある方面へと移動。

 阪急梅田駅の駅構内、もしくはすぐ近くにも書店が点在している。

 安藤さんは、巡ってきた書店に比べると小型の店舗に足を踏み入れた。阪急の駅からJRの駅へと繋がる通路の途中にあり、店の外側には売れ筋の書籍を並べて通行人の目に留まるようにしている。通勤途中の方々などに重宝されるのだろう。



 道なりに先へ進んでいき、阪急の改札前で曲がって下の階へ。

 大きな柱が並ぶそこは広場のようになっており、ビッグマンという大きなモニターが設置されている。待ち合わせの定番として知られている場所だ。非常に多くの人々が、お喋りしながら、携帯電話を眺めながら、ぼんやりしながら誰かを待っている。

 次に入った本屋さんはビッグマンのすぐ傍にある。ここもまた大型書店だ。


 安藤さんはここでも新刊コーナーをチェックし、そして話題作コーナーを見て、経済や政治関連の書籍を読み、参考書の置かれている棚では辞書に目を通したりしていた。

 歩みは依然として軽やかである。うろうろし続けている上に、キャリーバッグの重量も増えているはずなのに、疲れ知らずなのかな。


 ……いや、よく見ると。


「シャツの背中に微妙に汗が滲んでいますね」


 堀籠さんが笑顔で言う。


「どこまでもクールなように見えて、実は熱くなっている。そんな姿も良いのです」


 翠川さんは不平を漏らす。


「流石にもうええやろぉ。尾行、飽きてきたで……」

「そ、そんなこと言わないで下さいよっ」


 しかしながら、もうかれこれ二時間近く安藤さんの後を尾けている。


「そうですね。すみません、我儘に付き合って頂いて……」


 堀籠さんは名残惜しそうに安藤さんの後ろ姿を見つめてから、私たちに言った。


「では、お声掛けをお願い致します」

「オッケーですか?」


 ようやく許可が下りたことに安堵しつつ、堀籠さんの感情を受けて私は切なくもなる。この尾行もこれで終わりかぁ。初めてにしては上出来だったかなぁ。

 翠川さんは依頼人から声を掛ける許しが出たのを聞くと、待ってましたと喜んだ。


「ほな、さっさと本を選んでもらおか」


 安藤さんは五回目の書籍の購入を終えたところだ。店を出てキャリーバッグに本を仕舞う。もう五、六十冊は入っているのではないだろうか。

 それはさておき、私たちは安藤さんに話し掛けようと後ろから近付いて行く。


 安藤さんは書店を出てから、服屋や雑貨屋の並ぶ通りを抜けて、タクシーがゆっくり走るところで横断歩道を渡った。屋内から屋外へと出る。

 そこには片側一車線の道路があり、交差点の信号がちょうど青になっている。

 人々が一斉に道路を横切っていた。

 と思っていたら歩行者用の青信号が明滅を始めた。


「あっ」


 安藤さんはキャリーバッグを引き連れながら、早足で道路を横断しようとしている。


「むっ、行ってまうぞ」


 翠川さんがそう言いながら、大股になって自分も横断歩道を渡ろうと急いだ。


「危ないですよっ」


 私が声を上げたそのとき、翠川さんが誰かの鞄にぶつかってしまった。

 その鞄を肩から下げていたのは、いかにも大阪人っぽいおばちゃんだった。


「あだっ。どこ見て歩いとんねん!」

「す、すんません」


 翠川さんが素直に謝ると、その態度に感心したのかおばちゃんは「ふん」と息を吐いて、「ホンマ気ぃつけてや」とだけ言って、手を振って去っていった。

 私も「すみません」と謝ってから、前方に視線を戻す。


「あれ、安藤さんは?」

「しもたっ」


 信号は赤に変わって歩行者たちが立ち止まり、車が走り始める。道路を挟んだ向こう側の歩道には多くの人たちが歩いているのだけれど、キャリーバッグを引いている安藤さんの姿が見当たらない。

 私は浮かんでいる堀籠さんを見上げて居場所を尋ねようとした。が、依頼人も見失ってしまったらしく、きょろきょろとしている。三人ともおばちゃんに気を取られていたらしい。


「どこ行ったんや?」

「もうずっと先まで行ってしまったとかでしょうか……」

「あぁ、なんということ……!」


 と。

 交差点を前に不甲斐なくも慌てていたら、すぐ傍から声がした。


「なにをやっているのかな」

「うわっ」


 私と翠川さんはびっくりしてそちらを振り返り、そしてさらにギョッとした。

 キャリーバッグを身体に寄り添わせて、安藤さんが静かに立っていた。

 安藤さんは後を尾けてきた私たちの顔を交互に見て、無表情で言った。


「安藤をストーカーするのは愉しかったかい?」


 翠川さんはボリボリと頭を掻いた。私は「これには理由が……」と言う。

 堀籠さんは「良かったぁ」と胸を撫で下ろした。



        ◇



 私たちはとあるカフェに場所を移し、テーブル席に三人で座った。

 安藤さんから逆に話し掛けられた交差点から歩いて五分ほどのところにNU茶屋町、NU茶屋町プラスという、洒落た外観のファッションビルがある。

 今いるのは後者の建物に入っている店舗。書店であり雑貨屋でありカフェでもあるというお店だ。新刊や世間で話題になっている本を押し出すのではなくて、独自の目線でチョイスした品揃えが特徴的。木の温もりが感じられる店内はとても居心地が良い。書店とカフェって相性が良いなぁと思う。


 堀籠さんは、安藤さんの周りをゆらゆらと浮遊して、「立ち姿も素敵だけれど、座っている姿もまた!」などと言いながら、色んな角度から憧れの人を眺めている。

 その感情が伝わってきて内心ソワソワしてしまう。もう少し離れて欲しい……!

 早く話を進めてしまおう。


 安藤さんは幽霊の存在に興味がなくて信じてもいないので、死者からの頼みであるという部分は適当に誤魔化しつつ、私は事の次第を説明した。

 安藤さんに憧れている方がいるんです。その人はもう亡くなっているんですが、安藤さんに本を選んでもらい、御供えして欲しがっているんです。それをお願いするために私たちは安藤さんを追っていたんです。尾行していたのは、あれです、なんとなくの流れです――


 我ながら本当に適当な説明だなぁと思ったが、安藤さんは疑いを持つことはなく、それよりも非常に残念がっていた。


「てっきり、翠川が安藤と遊びたがっているのかと思ったよ……」


 顔はいつもの無表情である。

 翠川さんは「ちゃ、ちゃうわい」と言って咳込んだ。


「照れてしまって、どう誘えば良いか判らず困っていたのではないのかい?」

「いんや、むしろ俺はさっさと声を掛けて仕事を終わらせたかったで」

未涼みすずくんを巻き込んでの言い訳をしているとかでは……?」

「そんな面倒なこと、せぇへんわっ」

「そうなのかい……」

「翠川さん、露骨に嫌そうな顔しなくてもいいでしょうに……」


 安藤さんを気の毒に思いながら、私は「ところで」と質問をする。


「いつ頃から私たちに気付いてたんですか?」


 情報屋さんはポーカーフェイスで事もなげに答えた。


「グランフロントにいたときからだね」

「さ、最初からかいな?」


 翠川さんは信じられへんという表情を浮かべた。探偵やのにと悔しがっているらしい。

 安藤さんは珈琲に口を付けて、視線を逸らせてから言った。


「翠川の香りがしたから」


 私はチョコレートミルクを吹き出しそうになった。

 翠川さんは慌てて自分の身体を嗅ぎまくった。

 安藤さんは「冗談だよ」と静かに言った。


「見覚えのある天然無造作ヘアーが視界の隅に入ったから、すぐに気付いたんだ」

「……変装した方が良かったんじゃないですか」

「バレとったんかぁー。悔しいでぇ」


 私たちに気付いたのだけれど、すぐに話し掛けようとは思わなかったとのこと。尾行されている状況を愉しんでいたようである。安藤さん、やっぱり変わってる。


 本題に入るとしよう。


「堀籠珠未たまみさんという女性のために、本を選んでもらいたいのですが……」


 依頼人が私の言葉を聞いて、安藤さんの隣に移動し、両手を合わせて拝み始めた。

 緊張が伝わってきて私はちょっと身を乗り出す。

 翠川さんはお腹が空いたらしくてサンドウィッチを食べている。

 安藤さんは面倒そうな素振りを見せることもなく、あっさりと了承してくれた――


「あぁ、別にかまわ、な」


 かと思いきや。

 なにを思ったのかピタッと言葉を区切り、一旦口を閉じた。


「どうかしましたか?」

「……ふむ」


 安藤さんはサンドウィッチを頬張る翠川さんを数秒見つめてから、スッと顎を上げた。


「嫌だね」

「……え、え?」


 私は若干前のめりになってしまった。

 堀籠さんは呆気にとられてから、「ど、どうしてなのですっ?」と声を上げた。

 翠川さんはモグモグしている。


「もう一度言おうか。嫌だね」


 気丈な態度で繰り返す安藤さんに、私は「あれ?」と首を傾げる。


「今、別に構わないって言い掛けましたよね?」

「いいや、言ってないよ」

「言いましたよっ。別にかまわな、って」

「構わないとは言っていない。安藤は、別にかまわなと口にしただけだ。了承とは異なる意味の言葉を口にしただけで了承はしていないよ」

「…………」


 よく判らないけれど、とりあえず素直に頼みを聴くつもりはないらしい。

 が、一旦は承諾し掛けたこともあって、どうも断固拒否という雰囲気ではない。なにかを閃き、企んでいるような気配がする。

 背筋を真っ直ぐ伸ばしている安藤さんは、視線だけ動かして翠川さんをチラ見している。

 居候の探偵はサンドウィッチを早くも食べ終えて、ミックスジュースを飲んだ。


「どや、終わったか?」

「終わってませんよ……。ていうか、聞いてなかったんですかっ」


 悪びれることなく「聞いてんかった」と言う翠川さんにうんざりしつつ、私は安藤さんがお土産の本選びを断ってきたことを話した。


「なんでやねん? ちゃちゃっと選んだったらええやんか」


 翠川さんが訝しげに尋ねると、安藤さんはポーカーフェイスで答える。


「見ず知らずの女性のために、無条件で本を選ぶというのが嫌なのだよ」


 堀籠さんが「うあぁ……」と項垂れる。

 私は気落ちする感情を受けて自分も落ち込みながら、安藤さんに質問する。


「無条件で選ぶのは嫌って言いましたね?」

「それは言ったね。無条件では嫌だ」


 やっぱりなにか企んでいるなと警戒しながら、確認する。


「条件があるということですか……?」


 安藤さんはサッと首を上下に振った。

 翠川さんが飲み干したミックスジュースのグラスを置いた。


「なんやその条件いうのは。ギフト券とかか」

「なんでギフト券なんですか……」

「うん。ギフト券ではないよ」

「ほんなら、なんやっちゅうねん?」

「翠川が安藤と勝負をしてくれたら、真剣に本を選んであげよう」


 堀籠さんは「勝負?」と呟いて、ぱちぱちと瞬きしている。

 私と翠川さんは顔を見合わせてから、安藤さんの方へと向き直った。


「なにを勝負するねん?」


 クールな情報屋さんは無表情で答えた。


「翠川と安藤はこれから、ボウリングで勝負をする」


 無表情なのだけれど、微妙に頬の色が橙色になっており、どこか満足そうに見えた。

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