第4話 大阪梅田の書店巡りとストーカー その1
とある庶民的な定食屋の一角の座敷席に陣取り、テーブルの上に小説やらノンフィクションやら、化学やら哲学やらの多種多様な書籍を山積みにしている。どうして定食屋に居座っているのかは知らない。
典型的な本の虫だ。漫画も読む。
探偵を自称する
記憶力が図抜けていて、大変な情報通だ。知らない情報に対してはインターネットを活用してなんでもかんでも容赦なく調べてくれる。個人的な人間関係までネット検索しようとする人である。それでしかも結果を出したりする。
情報屋の安藤さんは、おみおくり商店の冥途の土産を探し出す業務を手助けしてくれる、心強い存在である。
ただし、だいぶナルシストだ。翠川さんは「むっつりすけべやな」と言っていた。
性格にやや難はあるものの、蓄えている情報量と迅速な情報収集能力はとても頼りになる。幽霊の存在については「興味ない」ときっぱりした考え方で、私たちの業務については深く追及せず、疑いを持つこともなく手を貸してくれる。
今日も一つ仕事を手伝ってもらったところだ。知らぬ間に友人に捨てられてしまった、思い出のTシャツを探して供えて欲しいという依頼。私と翠川さんではお手上げ状態だったのだけれど、ものの数分で、オーストラリア在住の若者が該当の品物を着用している画像を発見してくれた(ちなみにその後の調査で、捨てた友人がTシャツをオーストラリアまで行って取り返していた事実が判明し、依頼人に御供えしてもらうことに成功)。
他にお客さんのいない定食屋の座敷席で、私は安藤さんにお礼を言う。
「いつもありがとうございます。助かりました」
情報屋さんは無表情で軽く顎を引く。
「こんなのは朝ご飯前だよ。安藤は優秀だからね。そして、容姿端麗でもある」
「容姿云々の部分には助けられてないですが……」
「遠慮しなくても良いよ、君。もっと安藤を褒めてもらっても構わないよ」
「あ、いえ、大丈夫です」
安藤さんは表情を変えることなく「ふふっ」と小さく笑った。
縁のない眼鏡を掛けている顔は確かに精悍としている。甘いマスクという表現をしてもいいかもしれない。清潔感のある短髪。ピンと背筋の伸びている姿勢。きっちりとアイロンのあてられた真っ白なシャツを着ている。エリートっぽい雰囲気を醸し出している。
しかし、ポーカーフェイスでありながら自分が大好きというのは……。
まぁ、変わっているけれど、けっこう良い人である。
「それでは、私はこれで」
用が済んだのでお暇しようとすると。
「
安藤さんが身体を揺らして、私を呼び止めた。少し慌てているが顔は無表情。
「どうしました?」
情報屋さんはコホンと咳払いして座り直し、私に質問した。
「翠川は、変わりないかい? 体調とか」
「あぁ、翠川さんですか」
私は肩を竦めてみせた。
「今日も元気ですよ。ダラダラし過ぎで運動不足なのは間違いないでしょうけど」
「うん、そうか。それはなにより」
安藤さんは微かに口元を緩めた、ような気がした。
安藤さんは昔馴染である翠川さんのことが好きなのである。以前、「翠川は大事な友達なんだよ」と恥ずかしげもなく言っていた。その好きのレベルは非常に高い様子で、どうやら尊敬の念さえ抱いているらしい。だからこそ、友人のためにという想いもあって、私たちの仕事を疑うことなく手助けしてくれるのだ。
それなのに。
翠川さんの方はというと、酷いことに安藤さんのことを避けたがる傾向にある。
困ったら「ほな安藤を頼ろか!」と提案するくせに、自分はこの定食屋まで来ずに私に行かせる。本気で嫌い、というわけではないと思う。ただ苦手なのだろう。性格とかが……。
安藤さんは今日も、翠川さんが姿を見せてくれなくて寂しがっているのであった。
私はそんな情報屋さんに訊いてみた。
「おみおくり商店に来たら良いじゃないですか。翠川さんゴロゴロしてますよ?」
安藤さんは首を左右に振った。
「それはズルいよ」
「いや別にズルくはないでしょ」
「安藤は翠川が来るのをここで待っている。あ、でもこの店の定休日にはいないよ」
「そうですか。頑張って下さい……」
私は励ましの言葉を掛けておいた。この定食屋の定休日については、そう言えば把握していなかったな。そりゃあ、休みの日くらいあるだろう。
「でも、そうだな、翠川を誘ってどこかへ遊びに行ったりしたいなぁ……」
安藤さんは独り言のように言った。
◇
六月中旬の日曜日、私と翠川さんは商店の居間で素麺を食べていた。
首を振る扇風機の風を受けて、テレビのニュースを眺めながら、素麺をすする。氷の入った麦茶を飲む。玉子焼きを食べる。おにぎりを頬張る。
翠川さんが、お箸で掴んでいる素麺を眺めて言った。
「なんでなんやろな」
「はい?」
「なんで、俺の髪の毛はこんな風に真っ直ぐやないんやろ」
「知りませんよ。捻くれてるからじゃないですか」
翠川さんはズズズッと素麺をすすって、もぐもぐとお握りを食べた。
梅雨の時期になって湿度が高くなると、この人は毎日のように髪の毛のことを気にして、ぶつぶつと文句を言っている。
「終日、エアコンをドライで点けたいねんけど」
「居候の身でなに贅沢を言ってるんですか。今日は晴れてて、湿気もマシでしょ」
私はうんざりしながら言う。
「縮毛矯正するんじゃなかったんですか?」
「考えてたんやけどなぁ」
翠川さんは指先で髪の毛をいじりながら溜息を吐く。
「シャンプーの泡立ちのことを考えたらなぁ」
「そ、そこですか……」
「俺のアイデンティティにも関わってくるしなぁ。困ったもんやで」
「じゃあもうそのままで我慢するしかないでしょ」
「それはそうと、最近、素麺が多い気がするんやけど?」
「な、夏はそういうもんです」
「まだ六月やけど、そういうもんかぁ」
というような話をしながら、ちょうどお昼ご飯を食べ終わったとき。
店舗の方から女性の声がした。
「ごめんくださませー」
「あ。はーい」
「ん?」
私は店舗のある方へ顔を向けて、翠川さんは顔を上げて私の方を見た。
女性の声は私にしか聞こえていなかったようである。
「なん?」
「お客さんが来たみたいです。幽霊の方の」
◇
「初めまして。
「私は、
「まいどどうも、探偵の翠川です。よろしゅーお願いします」
テーブルの上をササッと片付けてから、私たちは居間に腰を下ろした。
今日は仲介人さんは来ていない。幽霊の堀籠さんは一人だけで来られたそうだ。
「バルーンを見て来たのです」
「あぁ、あれですか……」
バルーンとは、デパートの開業時やイベントごとが開催されるときによく浮かんでいるアドバルーンのことだ。
実は、おみおくり商店の上空にも、そのバルーンが浮いている。
どうにも恥ずかしいので、私はあまり気にしないようにしていた……。
幽霊に向けた宣伝文句がデカデカと書かれており、その気球と垂れ幕は幽霊と、私のような霊感の強い人間にしか視えないもの。だから翠川さんにも視えない。
店主なのにずっと不在の母親が言うには、御供え物と同じ原理の代物らしい。ただし、この家の何処かに死者がいるというわけではない。というか、アドバルーンを供えられる幽霊なんて多分いないと思う。
屋根から空へ向かって、ずっと浮かんでいる。
あれを見ての幽霊の来客が、本当にあるのだろうかと疑問だったのだけれど、たまには役に立ってくれるようだ。
「それでは、仕事の話をしましょうか」
「はい、お願い致します」
堀籠さんは胸の当たりに手を添えて頷いた。
上品な雰囲気のご婦人である。四十代後半くらい。淡い紫色のセーターを着て、ベージュ色のスカートを履いている。首元にはさり気ない感じでスカーフが巻かれている。髪の毛は後ろで丸くまとめられている。着物を纏えばそのまま時代劇に出られそうな美人だ。
背負っている多くの御供え物が、華やかな背景となっている。
「未涼ちゃん、今回の依頼人はどんな人や?」
「女性ですね。えっと、すごく美人の方です」
「ふむ、そうか。ほんなら、絵を描いてみてくれ」
「描きませんよっ。残念そうな顔しないで下さい……」
堀籠さんは「おほほ」と笑った。そんなお上品な笑い方をテレビ以外で初めて見た。
気を取り直して、依頼内容を聴く。
「このお店では、死者に供える御供え物を探してくれるのですよね?」
「はい。その通りです」
「わたくしの依頼は探すというよりも、あるお方に会って頂き、そのお方に御供えをしてもらいたい。そんな頼みごとなのですが、構いませんでしょうか?」
「もちろん、お受けしますよ」
私たちは物を捜索するだけではなくて、依頼人の遺族などを説得して御供え物をしてもらうようにする、というような形で働きもする。
「その、会って欲しい人というのは?」
「そのお方は……」
堀籠さんはそっと顔を俯けた。
と同時に私はドキッとした。
なんだろう? そう思っている内にじわじわと心臓の鼓動が高まってくる。
え、え、なに?
「未涼ちゃん、顔が赤くなっとるけど、大丈夫か?」
「あ、いや、私じゃなくてっ……」
堀籠さんがドキドキしているのである。
「あぁ、困ったわ」
堀籠さんは「すみません、少々お待ちを……」と断って、畳を指差して「ひぃ、ふぅ、みぃ」と呟き始めた。畳の目を数えて心を落ち着けようとしているらしい。
私も鼓動を沈めたいので、真似て畳の目を数え始めた。
翠川さんが「な、なにしてんねん……」と戸惑った。
しばらくして堀籠さんも私もいくらか平常心を取り戻すことができた。が、伝わってくる感情にはまだ少なからず緊張があって、油断はできない。
「会って頂きたいそのお方は、とある一人の男性です」
堀越さんはようやくそれだけ言って、ふぅと息を吐いた。
訊かずとも表情と感情で、依頼人はその人物に恋焦がれているらしいことが判る。
私は翠川さんに、「堀籠さんはが会ってほしいのはとある男性だそうです」と言い、それから小声で「特別な感情を抱いてるみたいです」とも伝えた。
「ふぅん。それは一体、どこの誰やねん?」
翠川さんが質問を投げた。話がなかなか進まないのでじれったく思っている様子。
依頼人はやや言いにくそうに答えた。
「申し訳ございません。名前も、住んでいる場所なども存じていないのです……」
「えっ? 名前も知らないって、どういうことですか?」
私は驚いて訊き返した。翠川さんは「名前を知らん?」と眉間に皺を寄せている。
「そのお方の存在を知ったのは、わたくしが死者となってからなのです」
その男性は大阪の中心街、梅田に現れるらしい。生きている人間だ。
幽霊となった堀籠さんは、特にあてもなく大阪の街をゆらりと漂っていた。あの世へ逝く前に、よく出掛けていた風景を見て回ろうと考えたのだ。
発展した駅周辺の景色、百貨店、ファッションビル、レストラン、カフェテリアなど。街並みと、道行く人々の姿を、切なさを感じながら眺めていった。
そんなときに「あのお方」と出逢ったそうだ。
「とても美しい男性なのです……」
堀籠さんはうっとりとした表情を浮かべた。私もうっとりしそうになったが、そんな表情を翠川さんに見られたくないので、「ふんぬ」と頬を膨らませた。どないしたんと言われた。
正確に言えば、相手には幽霊の姿は視えていないので、出逢ったとは言えないのだろうけれど、とにかく、堀籠さんはその人に強く惹かれた。
「射抜かれたのです。心を」
「かなり強く射抜かれたみたいですね……」
一体どんな人物なのか、すごく気になってきた。
その美しい男性は、梅田に現れるといつも近辺の書店巡りをするらしい。
「マーケット調査か?」
翠川さんが現実的なことを言うと、堀籠さんは「いいえ」とすぐに否定した。
「あのお方は、純粋な本好きだと思います。ただ本を手にとって、じっくりと目を通して、気に入ったものはレジへ持っていくだけで、メモを取ったりはしませんし」
その美しい人物が梅田に現れるのは決まって毎週の日曜日。
ちょうど今日も日曜日だ。
「どうして日曜日なんでしょう?」
「さぁ……」
「普通に考えたら、仕事が休みやからとちゃうかな」
名前も住所も判らないと言っていたが、それほど惹かれているのなら、なぜ梅田から帰宅するまで追い掛けたりしなかったのか?
という問い掛けに対しては、「そこまでしたら、ストーカーになってしまいます。毎週日曜日に待ち伏せして、その日はずっと、後を追って一緒に書店を巡る、それだけに留めているのです」と依頼人は答えた。それもそこそこストーカーなのではと思ったけれど、口に出すのはやめておいた。
「その立ち読み男のことはよぅ判ったわ」
「立ち読みするだけじゃないですよ。ちゃんと買うそうですよっ」
「ほんで、供えて欲しい土産はなんや?」
「本好きのそのお方に、わたくしのために本を選んで頂きたいのです。そして、その本を、そのお方に御供えしてもらいたいのです」
「なるほど。判りました」
私は翠川さんにお土産のことを伝えた。
居候の探偵は「なんや、簡単な仕事やん」と笑った。
「ほんなら、今から梅田へ行って、その男に会って、ちゃちゃっと本を選んでもらおか」
「そうですね。早速行きましょう」
「ありがとうございます。何卒、よろしくお願い致します」
幽霊でしかも面識のない堀籠さんのことを、その男性にどうやって伝えるかは考えなければならないけれど、この二ヶ月でこなしてきた仕事に比べれば、そう難しいものではないだろう。目的の人物はすぐに見つかるみたいだし。
私たちは準備を整えて、梅田へと出発した。
◇
大阪の梅田は西日本最大の繁華街である。
梅田という名称が町名として付いているのは、JR大阪駅のある地点とそれより南側の地域なるのだが、人々が「梅田」と口にするときは大抵の場合、駅周辺に広がる一帯のことを指している。阪急梅田駅は梅田ではなくて、芝田という町に位置していたりする。
数多くの百貨店やファッションビルなどが林立し、近年には「うめきた」と命名された地帯の再開発が急速に進み、まだまだ発展が続いている。
地上だけでなく地下街も日本最大級で、翠川さんによると「地下の構造を完璧に把握できて、潜ってどこにでも行けるようになったら一人前」らしい。個人的見解だと思う。
大阪駅から少し歩くと活気のある商店街に辿り着ける。お初天神(正式名称は露天神社)から伸びるお初天神通り商店街、阪急東通商店街、さらに先へ行くと全長二・六キロメートルの長さを誇る日本一長い商店街の天神橋筋商店街が伸びている。ちなみに、この天神橋筋商店街は一から七丁目まであるのだけれど、この内の三丁目は古本、古書の販売店が多く建ち並ぶ場所として知られる。
どんなところなのか興味があるけれど、残念ながら本日はその辺りまでは行かない。
堀籠さんの見惚れた男性は、JR大阪駅、もしくは阪急梅田駅の周辺にある大型書店を中心に巡るらしいからである。
堀籠さんは「常に最先端を行かれるお方なのでしょう」と持ち上げた。翠川さんは「新しかったらええというもんでもないやろぉ」と言った。
「とりあえず、会ってみましょう」
私は内心、このお出掛けにワクワクしていた。
件の男性がどんな人なのか気になるというのもありつつ、梅田にある書店を巡るというのも愉しそうだなぁと思っているのだ。
私は読書家というわけではないが、本は好きな方だ。小説や漫画をたまに読む。
書籍を買いに行くとなると、いつも決まった店になりがちである。なので、色んな書店を巡ってみるということは今までしたことがない。想像してみると、なんだか新鮮な気分になる。梅田にはどのような書店が点在しているのだろうか?
西日本最大の繁華街なのだから、広い店内にものすごい種類の本が並んでいたりするのだろう。地方には絶対にないようなお洒落な書店があるのだろう。
梅田をまともに歩くのも初めてなので、それも愉しみだ。
◇
愉しみだなぁ愉しみだなぁ、とばかり考えていたのでうっかりしていた。
今日は日曜日である。
大阪の中心街梅田は、とんでもない数の人、人、人でごった返していた。
到着した大阪駅のホームは乗り降りする人々で溢れており、エスカレーターの前には長い行列ができてしまっている。いくつもあるホーム、すごく高い位置にある屋根、などの景色を眺めている余裕はない。
「うわー……」
四月に高速バスで梅田に着いたときも、同じように「うわー」と言っていたような気がする。が、あの日は平日だった。
「未涼ちゃん、はぐれたらあかんでー」
「は、はい」
はしゃいでいる女子グループ、前衛的な髪型の男性、ベビーカーを押して進む家族、バックパックを背負ってズンズン進んでいく外国人、といった人たちが行き交う駅構内を、翠川さんと一緒に歩いていく。
エスカレーターの右側に乗る。思ったよりも左側を歩いていく人が少ない。
改札口の混雑もまた激しい。前に進もうと思ったら右から左から、そして後ろから次々に歩行者が出現。翠川さんはそんな中を、「ほいほい」と平気な顔で歩いていく。
なんとかかんとか改札を抜けてから、私は翠川さんに尋ねた。
「この人混みを上手く進むコツとかって、あるんですか……?」
翠川さんは振り返り、私の目を見据えて言った。
「遠慮をせんことや」
「私には無理そうです……!」
まぁ、人混みの中を歩くのも都会を歩く醍醐味だと考えよう。
改札を出たところの正面はガラス張りになっており、そこから広いホームが見下ろせるようになっている。ぜんぜん気付かなかったがここは三階らしい。
右に曲がり、先にあるエスカレーターで二階へ。下りた場所は開けたスペースになっているのだけれど、ここも大勢の人々が行き交っている。
右手にはルクア、左手にはルクア1100という姉妹のようなファッションビルが向い合って聳えている。後者の中にも書店が設けられているそうなのだが。
「お二人とも、こちらです」
堀籠さんの案内を受けて、私と翠川さんはとりあえず真っ直ぐ歩いて広場を抜け、屋根付きの通路を進んでいく。その通路からは下に設けられている広場や、なにやら芸術的な感じの建物などが見渡せる。水の流れる池のような地帯もある。
まず入ったのはグランフロント大阪だ。北館と南館の二つのエリアがあり、複数の高層ビルで構成。アパレル店舗や飲食店だけではなく、最先端の技術を発信するスペース、演劇などの行われる劇場、オフィス、ホテルとマンションまで存在する。
「いきなりラスボスという感じですね……」
「未涼ちゃん、ラスボスて」
お洒落であったり高級感のある店舗が色々とあるけれど、用があるのは書店だけだ。
エスカレーターで上へ。今日は一体、何回エスカレーターに乗るのだろうか。
目的の人物は今くらいの時間から書店巡りを始める。最初に訪れるのがこのグランフロント大阪にある、大型書店なのだそう。
堀籠さんはお腹の前で、両手を握り合わせている。書店の方向を見上げて、胸の辺りを上下させている。
ドキドキが伝わってくる。私の中でも期待が高まる。緊張してしまう。
「その素敵な男性っちゅうのは、どんなヤツなんやろなぁ」
「王子様みたいな人だったらどうしましょう……」
「王子様ぁ? バナナボートが似合いそうな感じか?」
「それただのお坊ちゃんとかじゃないですかね」
「あのお方なら、白馬でもバナナボートでも、優雅に乗りこなしてしまうでしょう」
「…………」
エスカレーターを下りたところがすぐ書店の入り口になっている。
広く、ゆったりとした空間だ。それぞれの本棚があまり高くないので、その分より広々として感じられる。このフロアには文房具店とカフェも設けられているらしい。
「どこにおる?」
「ええっと……」
堀籠さんはふわりと浮かび上がり、天井付近から店内を見渡した。
そして、「あっ」と声を漏らし、両手で頬を押さえた。
私はギクリというレベルでドキリとした。
「いらっしゃいます。あそこにっ」
「見つかったか?」
「そ、そのようですぅ」
私は声が裏返るのをなんとか抑えなければならなかった。かなり胸が苦しい。破裂しちゃったらどうしようと心配になる。
「未涼ちゃん、エラいしんどそうやけど、大丈夫か……?」
「わ、私のことは気にしないで、早く、行きましょう……!」
私は手を握り締めて踏ん張る。
堀籠さんは「あぁ、今日も今日とて素敵だわー」と歌うように声を上げている。
依頼人をここまで夢中にさせる男性とは、一体どんな人物なのか?
気になるっ……!
私たちは店舗の奥へと進んで行った。
文庫本、雑誌、それから単行本が並んでいるコーナーを通り過ぎる。
「あの、お方です」
堀籠さんが腕を上げて、真っ直ぐに誰かを指差した。
私は堪らず胸を押さえる。
そこは旅行関係の書籍が置かれている本棚だ。
翠川さんが「……え」と当惑したような声を出した。
「ど、どうしましたか、翠川さん?」
居候の探偵を見上げると、呆然とした表情になっている。
この人を呆然とさせるほどの美男子なのか。
私は固唾を呑み、そして件の人物へと目を向けた。
そして、立ち読みをするその男性の顔を見た私は、こう口にした。
「あれ、安藤さんだ……」
「安藤やな、あれ……」
縁のない眼鏡。精悍とした顔立ち。清潔感のある短髪。ピンと綺麗に伸びている背筋。淡いピンク色の皺のないシャツを着ており、グレーのチノパンを履いている。
紛れもなく、情報屋さんの安藤さんだった。
そういえば、定休日って日曜日なのだっけ。
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