第2話 太陽の塔のひみつ その2

 仲介人さんに「行ってらっしゃーい」と見送られて、私と翠川みどりかわさんと依頼人の渥美あつみさんは、おみおくり商店の最寄り駅からJRの電車に乗り、ひとまず大阪駅へと移動した。

 平日にも関わらず大勢の人々が行き交う中を数分歩いて、駅からすぐ近くにある、端から見ると要塞みたいな外観のヨドバシ梅田に入る。

 そして大型家電量販店であるヨドバシカメラマルチメディア梅田にて、太陽の塔の薄暗いであろう内部を見るために、幽霊でも使用できるはずのツールを購入する。


 翠川さんは「すんません」と店員さんに声を掛けた。


「暗視スコープって、どこ売ってます?」


 店員さんはニッコリ笑顔で商品の売り場を教えてくれた。

 お礼を言って、その場所を目指して進む。


 翠川さんが提案した道具とは、暗視スコープ、もしくは暗視鏡と呼ばれるものだった。

 詳しい原理は知らないけれど、赤外線により完全な暗闇でもそのスコープを覗き込むことで、風景を目視できるようになるという。ジャングルの奥地とかで動物を観察するときなどに使うのだと思う。視界は限られてしまうし、色彩など見え方が随分と変わってしまうみたいだが、暗くてよく見えない箇所を確認するのに役立ってくれるだろう。


「暗視スコープなんて日常ではまず使わないのに、よく閃きましたね」

「俺はかつて、とある特殊部隊に所属しとったんや。そのときに使ってたんやな」

「わーお」


 実際はテレビゲームの中で登場したから思い付けたらしい。ただの現代っ子だった。

 それはそれとして。

 翠川さんの発案を聞いて、渥美さんは元気を取り戻すと同時に感心していた。


「そうかぁ、暗視スコープとは。気付かんかったですわ」


 感謝してますよと私が教えると、翠川さんはボリボリとボサボサ頭を掻いた。


「仕事やからなっ」


 それにしても、暗視スコープを売っているヨドバシカメラ、すごい。インターネットで調べたら普通に在庫があると表示されていて、「え、あるの?」と驚いた。

 暗視スコープを無事購入。用途を尋ねられたらどうしようかと少し心配していたのだけれど、なにも訊かれなくてホッとした。

 それなりにした代金は翠川さんが「俺が買うわー」と出してくれた。


「私、半分出しますよ」

「ええよ。いつも飯作ってくれとるからな」

「そ、そうですか」

「うむ。あ、領収書もらえます?」

「…………」


 そりゃあそうですよねぇ。ちょっと喜んでしまったではないですか。

 渥美さんが深々と頭を下げる。


「ぼくのために大きな出費を。すみません。ありがとうございます……!」

「大丈夫ですよ。経費でいけるはずですから」


 ……いけるのか?



        ◇



 渥美さんの案内で彼のお墓参りをして、暗視スコープを御供えするという非常にシュールなイベントを終えて、いよいよ私たちは万博記念公園へと向かう。

 万博記念公園への行き方は?

 という議題で居候の探偵と依頼人がまた、「阪急!」「北大阪急行!」「ほんでからモノレール!」「茨木からバスでも!」「じ、自転車!」などと言い争ってしまった。アクセス方法なら対抗できると翠川さんは考えたのだろう。面倒臭いので仲良くやってと思った。


 私たちは、大阪市営地下鉄の御堂筋線から、途中の江坂駅で北大阪急行電鉄へと切り替わる路線の電車に乗った。それで大阪モノレールに乗り換えられる千里中央駅を目指す。

 平日の車内は比較的空いている。

 大阪の北方面へと向かう電車の座席に余裕を持って座れた。

 翠川さんは「そういや昼飯まだやな。腹が減った……」とぼやいている。

 渥美さんは暗視スコープを大事そうに両手で持ち、にこにこと、いや、ニヤニヤとしている。

 依頼人の中で高まる期待を感じてワクワクしながら、私は質問してみた。


「渥美さんは、どうして太陽の塔が好きなんですか?」


 渥美さんは私の顔を見て、それから向かい側の車窓へと目を向けた。

 家屋の建ち並ぶ地上と、晴れ渡った青空の景色が広がっている。


「理由は、自分でもよぅ判らないんですわ」

「そうなんですか?」


 渥美さんは「ははっ」と笑って、鼻の下を指で軽く擦った。


「ぼくはそんな、芸術とかには疎い人間ですから、岡本太郎さんが発想したあの巨大な作品については、その由来は知識としては知っていても、言葉で上手く言い表せるようなことはありません。好きや好きやと言うてるんですが、まぁ、その程度で……。


 でも、なんか大いに感じるもんはあるんですわ。いつ見ても圧倒されるし、見れば見るほど不思議な雰囲気を放っとるし。


 初めて見たのは、小学生のときでした。想像してたんよりもずっとごっつくて、正直怖いなんやこれとビビったのを覚えてます。お腹にふてくされてるような顔があって、ピカーッと金色の顔があって、背中には不気味な黒い太陽が描かれてて。


 亡くなった親父に連れて行かれたんですけど、泣きながらはよ帰りたいーって喚いてしまいました。小学生にもなって……。


 後になって、よくよく考えたら、親父はそのとき残念そうな顔をしてたように思うんですよね。親父は、子供の頃に一九七〇年の大阪万博に行ってたそうなんです。そのとき自分はめっちゃ感動したから、ぼくにも喜んでもらおうと思ってたんでしょうね。

 実際はどうなんか、判りませんけど。


 ともかく、トラウマになってしもうてるけど、一人でもういっぺん見に行こうと思って、万博記念公園へ行ったんですわ。

 そしたら、なんか、ホンマよぅ判らんかったんですけど、じわっと来て……。最初に見たときとなんにも変わらんと、堂々と立っとるその姿を見上げてたら……。


 あー。

 なんであのとき、喜べへんかったんかなぁーって。後悔しました。


 そんなぼくの前でも、太陽の塔はデーンと立ったままでした。当たり前ですけど。

 そのときですね。あれですわ、勇気をもらったわけですわ。

 過去を背負いながら、今を進む、未来への希望を抱いて。それがちゃんとした解釈かどうかは知りません。でも、自分はそんな風に感じたんですわ。

 まぁ、ぼくは死んでしもうたわけですけどね……。


 すっかりファンになってから、ことあるごとに太陽の塔を眺めに行きました。センター試験で失敗したとき、女の子にフラれたとき、就職活動に悩んでたとき、女の子にフラれたとき、内定をもらえたとき、女の子にふら……。はい。


 太陽の塔の内側へ行きたいのは、親父がまた見たいなぁって言ってたから、でもあるんですわ。もちろん、ぼくが好奇心で見たいのもありますよ。

 親父も、幽霊になってから中に入ってみたと思うんですわ。

 そう考えたら、嬉しくなってくるんですわ。

 あの世で一緒に、意見を言い合えたらなぁ、って……」


 渥美さんは想いを語り終えると、柔らかな笑みを浮かべて息を吐いた。

 私はじんわりと伝わってきた気持ちに感動し、かなり泣きそうだった。鼻水を啜る。

 意外と盛大に啜ってしまったのか、翠川さんが「おぉう」と驚いた。


「どないしたんや。あれ、泣いとる?」

「渥美さんの、太陽の塔への想い入れが深くて……! 聞きます?」

「ええよ。話したら、未涼みすずちゃん本格的に泣いてまうやろ」

「そ、そうですね。やめときます」


 翠川さんは、私が幽霊の感情に影響されやすいことを知っている。それで気遣ってくれたのだろう。たまにさり気なく思いやってくるから、悔しいが憎めない。


鳩本はともとさん、長々と聞いて頂いて、ありがとうございます」

「いえいえ、良いお話でした」



 江坂駅を過ぎた。あと十分ほどで千里中央駅に到着する。


「依頼人も判っとることやろうけど」


 翠川さんが頬を擦りながら、口を開いた。


「太陽の塔の内側に期待しとるようやけど、今はどんな風になっとるか判らんで?」

「はい?」


 唐突になんの話をと思いながら、私は翠川さんを見た。


「十何年か前、一部の当選者に公開されたことはあったんやけど、それからけっこう年月が経っとる。老朽化しとって、修復はまだできてへん」

「あ……」


 私は翠川さんがなにを言うおうとしているのか、遅れて理解した。

 幽霊なら擦り抜けて中に入れる。暗視スコープを使えば見渡せる。

 しかし、かつてのような光景は広がってはいないのだろう。


「それでも、ええんか?」


 渥美さんは翠川さんの目を見つめて、頷いた。


「ええんです」


 私は胸に若干の苦しみを覚えた。


「修復が終わるのを待って彷徨うのは、もどかしいでしょうから」



        ◇



 翠川さんも言っていたけれど、確かにお腹が空いているので千里中央駅で降りて、手早く食事をすることにした。渥美さんには待ってもらうので、申し訳ないのだが。

 千里中央駅のすぐ傍には千里セルシーという、ショッピングモールと、コンサートなどのイベントが催される広場とが設けられている複合施設がある。初めて来るはずなのに、なんだか懐かしい気分にさせられる場所だ。翠川さん曰く、ここにはミニシアターの千里セルシーシアターもあったのだが、数年前に閉館してしまったらしい。


 渥美さんが「万博記念公園へ行くとき、必ず行くお店があるんですわ」と教えてくれたので、せっかくなのでその店に入ることにした。

 たこ焼き屋だ。そう言えば、粉もんでB級グルメの代名詞で大阪名物あるたこ焼きは、こっちに引っ越してきてまだ一度も食べていなかったので、とても嬉しい。しかも、かなり美味しいたこ焼きを食べることができた。生地が美味しい。


 翠川さんは「あふあふ、あー美味いわぁー」と顔を上げてわざとらしく言った。

 渥美さんが「羨ましいですわ……!」と、まんまと口惜しそうにしていた。

 それにしても、霊感なくて依頼人の姿が視えないのに、これだけ交流(?)できてしまっている翠川さん、ある意味すごい。



 腹ごしらえが完了して、大阪モノレールに乗車する。

 千里中央駅から二駅で万博記念公園駅へ。

 車両の窓からいよいよ太陽の塔の姿を目にすることができて、渥美さんは「晴天と森と太陽の塔ですわ!」と見たまんまのことを嬉しそうに言った。私はその喜びを受けて「早く行きましょう!」とソワソワした。翠川さんは「あれ、切符どこ行った……!」と慌てていた。切符は翠川さんの尻の下で見つかった。


「万博記念公園駅のリニューアルに伴って、切符は動くようになったんやな」

「そうですね。翠川さん、トイレ大丈夫ですか?」

「よっしゃ、行ってくるわ!」


 翠川さんはスラックスのポケットに両手を入れて、スタスタとお手洗いへ歩いて行った。

 そのひょろ長い後ろ姿を見ながら、渥美さんが呆れ顔で言った。


「マイペースな人ですね……」

「はははっ……」

「でも、幽霊であるぼくの存在を、当然のように受け入れてくれるのは、ありがたいな」

「そこは、まぁ、あの人の数少ない良いところではありますね」


 普通の、霊感の強くない人であれば彷徨う死者の存在について、いるかもしれないとは考えていても、現実にどこかにいるのだと心から信じている、という人は少数派だ。

 翠川さんは幽霊の存在を当たり前に認めている。仕事だからかもしれない。

 そうだとしても、幽霊のために一緒に働いてくれる同僚がいる、という事実は私にとってもありがたいことだ。

 翠川さんがお手洗いから出てきた。


「未涼ちゃん、ハンカチ貸してくれ!」

「…………」


 しっかりとした大人になってくれれば、よりありがたいのだけれど。



        ◇



 改札を抜けると、駐車場を挟んだ先にホテル阪急エキスポパークが見える。

 そこを左へ曲がっていくと緩やかな下りのスロープが伸びている。

 ここまで来るともう、遠目に太陽の塔のほぼ全景を眺めることができる。

 また、万博記念公園駅から歩いてすぐ、かつて遊園地のあった広大な施設には、昨年に開業したばかりの大型複合商業施設、エキスポシティが広がっている。

 ショッピングモールやシネコン、アメリカ体験ができる施設、動物に触れることのできるミュージアムなどが設けられており、一日で回り切るのは至難のわざらしい。


「平日やのに、けっこう人おるなぁ」

「これは、またのんびり買い物に来たいですね」

「お、あそこに白いモビルスーツと赤いモビルスーツがあるで……!」

「私はそれより、あの観覧車が気になりますっ」


 エキスポシティには超が付くほどの大観覧車が存在する。つい最近にオープンしたばかりで、ゴールデンウィークには長蛇の列ができたそうである。

 高さは一二〇メートルを超えているらしく、頂上付近のゴンドラが霞んで見える。観覧車なのにカフェバーを併設しており、お洒落である。


 翠川さんが観覧車を見上げて、渋い顔をした。


「あんなんに乗りたいんか? 高過ぎやろ……」

「景色が良いでしょうねぇ」

「ぐるっと回って戻ってくるだけやん。なにが愉しいねん」

「……翠川さんもしかして、高いところが苦手な人なんですか?」

「ひ、低いところが好きなだけやで」

「へぇ、探偵さん、背が高いのに」

「渥美さんが、背が高いのにって言ってますよ」

「関係ないわ!」


 ちょっと語尾が震えていた。高所が本当に苦手らしい。


「目的地はあっちと違うやろ。こっちやろっ」


 大股で歩く翠川さんに続いて、私と渥美さんもエキスポシティとは逆の方向へと進む。

 高速道路の真上に伸びる陸橋があり、その先に万博記念公園への入り口がある。

 長い橋を渡って行くと、徐々に徐々に太陽の塔に近付いていく。というより、向こうがこちらに近付いてくるような感じもする。

 悠々と聳え立ち、両腕を大きく広げて、どこか遠くを見据えている。

 渥美さんが言うように、見れば見るほど不思議な姿だ。

 そして、想像していたよりも迫力がある。デカい。

 他の来場者の姿はちらほらと見受けられるほどで、ゆっくり散歩できそうだ。

 入場券の券売機の前まで来て、料金表を見る。

 大人二五〇円。小中学生七〇円。


「入場料金、安いですねぇ」

「別に料金が掛かる園内の施設などがあるんですが、公園に入るだけならお安いですわ」


 太陽の塔の写真が印刷された入場券を持ち、入場口を通る。

 目の前には綺麗な芝生が広がっていて、その先に太陽の塔が建っている。

 園内に入ってすぐのこの地点は絶好の写真撮影スポットになっているようで、おばちゃんがピースしていたり、子供が勇ましいポーズを取っていたり、外国人が笑顔で両手を広げたりしている。


 私はウズウズした。

 私も太陽の塔を背景に記念撮影したい。だけど、ちょっと恥ずかしい……。

 その願望が顔に出ていたらしく、渥美さんが言った。


「どうぞ、鳩本さんも遠慮なさらずポーズを」

「私は、写真は別に……」

「未涼ちゃん、写真撮るんか? しゃあないな。ケータイ貸してみぃ」

「観光じゃなくて、仕事で来たんですから、撮りませんよ」

「そんな遠慮せんと。急ぐことはあらへんし」

「み、翠川さんこそ撮ってあげましょうか?」

「ホンマに? ほんならお願いしよかなぁー」


 太陽の塔を前にそんなやり取りをしていると。


「おばちゃんが撮ったるがな!」


 さっきピースしていたおばちゃんが声を上げて、ズンズンと近付いてきた。どうやら私たちの様子を見てじれったく思ったらしい。

 ちょっと怒ってるんじゃないかと感じられるくらいの勢いに気圧されて、スマートフォンをもぎ取られて、「あわわ」と言っているうちに「笑って、笑って! ポーズ取らな! ちゃうちゃう、そうやそれや! はいチーズ!」と写真を撮影してもらった。


 そして、太陽の塔をバックに、翠川さんと二人で両手を横に広げているというシュールな構図の写真が、私のスマホに保存されることとなった。

 おばちゃんは友人たちとともに「ほな!」と手を挙げて、颯爽と去っていった。


「おばちゃん、おおきにー」

「あれが大阪のおばちゃんですか……!」


 迫力満点だった。



 遠くから眺めていてもデカいなぁと思っていたけれど、太陽の塔は間近に見ると本当にデカい。見上げていたら自然と「うわー」と口にしてしまう。半世紀近くも前に創られたものなのに、新鮮な気持ちにもさせられる。


「ええ天気で良かったなー」

「はい、ほんとに」


 私は傍らにいる渥美さんの方へと顔を向けた。


「もう、中に入りますか?」

「そうですね……」


 渥美さんは供えてもらった暗視スコープを触りながら、ちょっと視線を落とした。

 どうしたのだろうか。

 万博記念公園駅に到着した時点では、ワクワクでいっぱいという感じだったのだけれど、駅を出て歩き、入場口を通ってここまで来るにつれて、少しずつ元気が失くなってきているようだ。

 影響されて私も内心しょんぼりし始めてしまう。


「まだ行かへんのか?」


 翠川さんの問い掛けに、渥美さんは微笑んで答えた。


「いきなりメインイベントを迎えるのはもったいない気がするので、まずは園内をぶらりと歩きませんか? ホンマに、ええ天気ですし」


 そして、暗視スコープを背中に携えている御供え物たちの中に添えた。

 どうも良くない気配がする。

 目標達成を前にして、ちょっとセンチメンタルになっているのだろうか。


「渥美さんが、とりあえず公園を散歩したいそうです」

「ふぅん。ほんなら俺は、芝生の上で寝とこうかな」

「服が汚れますよ……。翠川さんも来て下さい。迷子になられたら困るので」

「たまには迷ってみるんも、ええんちゃうかな」

「今日じゃなくてもいいですね」



        ◇



 万博記念公園の敷地は、そのほとんどが自然文化園となっており、花々が咲き誇る、目の覚めるような光景を目の当たりにすることができた。園内には広場や博物館が点在し、公園の北側には日本庭園が広がっている。

 渥美さんが言っていたように万博記念公園は広大で、エキスポシティと併せて遊びに来たらかなり充実した一日が過ごせそうである。


 花畑を通り、森を眺めて、竹林の傍を歩く。

 森の中に足湯があって翠川さんが眠りかけた。

 渥美さんのお勧めしていた日本庭園は、静かで心が落ち着いた。

 翠川さんはジャケットを脱いで袖を捲って、「歩くと暑いで……」と嘆いた。


 他にも色々と見て回りたいスポットがあるのだけれど、いつの間にやら随分と時間が経過していて、うっかりしていると閉園時間になってしまいそうだ。最後に渥美さんの希望するお土産も買わなければならない。


「そろそろ太陽の塔まで、引き返しましょうか?」

「あぁ、そうですね」


 渥美さんは頷いて、ゆらりと方向転換した。


「…………」


 散歩をすることでだいぶ気分が回復しているみたいだけれど、ワクワクしているなと言えるような感情は伝わってこない。そんな表情でもない。


「大丈夫ですか?」

「なにがです?」


 渥美さんは笑顔を浮かべた。


「愉しみですわ。ほら、浮足立ってます」


 そんなことを言いながら、ふわふわと浮き上がってみせた。

 が、取り繕っているのが私には判ってしまう。愉しそうな感情は一向に感じられない。

 私は居候の探偵に声を掛けた。


「翠川さん」

「うん?」

「渥美さん、ずっと元気がないんですけど……。どうしてでしょう?」

「へぇ、そうなんや」


 翠川さんはジャケットを持つ手を変えて、肩に掛け直し、頭を掻いた。


「なんで元気がないんか、判らんでもないなぁ」

「少しは検討が付いてるってことですか? じゃあ教えて下さいよ」

「説明するのは難しいなぁ。曖昧な気持ちやで」

「どうせ、教える気はないんでしょう……」

「依頼人は、怖がっとるんやろ」

「怖がってる?」

「そのことについて打ち明け始めたら、まぁ、ちゃんと聞いたってな」

「はぁ……」


 どういうことなのかまだ理解できなくて、私は首を傾げてしまう。

 だけれど、渥美さんがなにか不安を抱いているということだけは判っている。その気持ちについて話してくれるのなら、翠川さんに言われなくとも耳を傾けるつもりだ。


 太陽の塔の後ろ姿が見える。その背中には、大きな黒い太陽が描かれている。

 私たちは塔の手前にある、お祭り広場という場所に来た。様々なイベントが催されるスペース。今日はなにも催されてはいなくて、親子連れがサッカーボールを蹴り合ったり、凧揚げに挑戦したりしている。

 その一角に、骨組みだけの巨大な傘、みたいなものが設置されている。

 その手前で渥美さんが立ち止まった。


「これ、なんだと思います?」

「さぁ……」


 芸術作品だろうか。それにしてはやけに無骨な気もする。

 翠川さんが得意気に言った。


「未涼ちゃん、これは大阪万博んときの、大屋根の一部やで」

「大屋根ってなんです?」

「万博当時には、太陽の塔を囲むようにして、一帯を広々と屋根が覆っていたそうですわ。太陽の塔の内側を通って、腕を抜けた先にあった空中展示は、その大屋根に設けられてました」

「なるほど。その一部分が保存されてるってことですね」

「そういうことですね。あそこに説明が書かれてますよ」


 渥美さんが指差したところに、説明書きがある。

 私は渥美さんの横を通って、そちらへ歩いて行った。

 擦れ違うときに一瞬、また少しだけ苦しいような感情が伝わった。

 解説に目を落として、「ふむふむ」と呟きながら顔を上げると、依頼人の姿が消えていた。


「あ、あれ……!?」


 私は広場を見渡して、上空を見上げて渥美さんを探した。

 翠川さんが怪訝そうな顔をする。


「なにが起きたんや?」

「渥美さんがいなくなって――あ、あそこにっ」


 太陽の塔がある方向、その空中に花々などの御供え物を背負う後ろ姿を見つけた。

 塔の中に入るのか、と思いきや通り過ぎていった。


「渥美さん、どこかに飛んでいって……!」

「やれやれ。どっちや?」


 依頼人の飛び去っていく方向を指し示すと。


「ほんなら、さっさと追い駆けるるで」


 翠川さんは駆け出した。


「手ぇ握ったろか?」


 私は一瞬だけ呆けてから、すぐに我に返ってその後を追った。


「要らないですよっ。幽霊を視れるのは私なんですよ。私が先導しますから」

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