この世の土産さがしもの帖/森川秀樹

富士見L文庫

第1話 太陽の塔のひみつ その1

 五月半ば、心地よい晴天に恵まれたある日のこと。

 私と翠川みどりかわさんは、幽霊の依頼人とともに、三人で大阪モノレールに乗っていた。

 私たち生者の二人は座席に座っていて、依頼人さんはふわふわと浮かんでいる。


 カーブを通るたびに車両がくねくねと動く。地上よりも高い位置を走っていて、窓から覗くと眼下には高速道路が見える。多くの車両が行き交っていた。


 ところで、私はドキドキしている。

 モノレールに乗るのは初めてのことなので、子供でも男子でもないけれど新鮮な気分だし、あの巨大な芸術作品をもうすぐ生で見られると思うと、期待が高まるからだ。

 それに、傍らにいる依頼人の幽霊からひしひしと伝わってくる興奮のせいで、その影響を受けて余計に気分が昂ぶってもいる。気を抜いたら鼻息が荒くなりそうなくらい。


「あっ」


 唐突に窓の外の景色が変わった。

 住宅街などがなくなって、森林が現れた。かなり広い森だ。澄み切った青空の下で、陽光を受けて緑が鮮やかに際立っている。

 モノレールの路線と森林は高い位置にあって、下方に伸びる高速道路を挟む形になっている。

 隣に座っている翠川さんが、身体を捻って車窓から外を見やった。


未涼みすずちゃん、もうすぐ見えるんちゃうかな」

「え、ほんとですか? どの辺に?」

「あっちやで」

「あっちですわ」


 翠川さんと依頼人が、同時に右斜め前の方向を指差した。

 依頼人は「ぬっ」と不満そうな表情を浮かべる。

 霊感のない翠川さんは「ふふん」と得意げな顔で長い腕を伸ばしている。

 私は「あぁ、あっちですね」と適当に答えて窓の外を見やる。


「……見えたっ」


 青々と茂る森の中から、存在感のありまくる白い塔がにょきっと突き出ている。

 車窓から見えるのはその側面だ。次第に近付いていく。

 あれが太陽の塔かぁ。黄金の顔が輝いている。

 まともな観光ではなくあくまで仕事の一環で来ているのだが、嬉しいことには変わりない。特にファンというわけではないけれど、すごいなぁと思う。

 仕事というのは、私と翠川さんで行っている、幽霊のために働く業務である。

 一緒にモノレールに乗っている幽霊が依頼人さんで、今日は彼のためにここまでやって来たのであって、遊びでお出掛けしているわけではない。

 とは言っても、今回の依頼は難しいものではなくて、実はもう、現時点で半分くらいは達成できている。

 依頼人が私たちの許を訪ねてきたのは午前中のこと。

 彼はまず、「懐中電灯を供えて欲しい」と頼んできた。



        ◇



 本日の午前中、私と翠川さんは務めている雑貨屋にて、バックギャモンで遊んでいた。

 あらかじめ断っておくと、これは依頼にはまったく関係ない。

 バックギャモンとは西洋双六のことで、二つのサイコロを振って、十五個ある自分の駒を全て、対戦相手よりも先に自分の陣地へ到達させることを目指すアナログゲームである。

 まだ一時間くらいしかプレイしていないが、大体のルールと、大きな数字のゾロ目が出たらテンションが異常に上がるということは判った。

 思った以上に面白い。


 私と翠川さんは、レジの机に盤を置いて丸椅子に座り、お客さんのいない店内でアナログゲームに興じている。


「ゾロ目や、ゾロ目が出るはずや。俺には判る……! 出えへんやとぉ!」

「翠川さん、弱いですねぇ。私が強いんですかね?」


 小鳥が棲んでいそうなボサボサ頭の翠川さんは、「なにを言うてんねん」と口元を曲げた。

 皺の寄ったヨレヨレの黒いジャケットを羽織っている。ノーネクタイ。そんなスタイリッシュというより大雑把なだけの格好が、なぜだか似合ってしまう人である。顔面だけは凛々しく男前なのだ。

 だが、一八〇センチくらいあるひょろ長い身体を屈めて、心の底から悔しそうにするその姿は、ただの大きな子供のようでもある。実年齢は、二十五歳の私よりも年上で、二十代後半くらいのはず。


「未涼ちゃん、ドラマはこれからやで。ぺっぺっ!」

「ちょ、手に唾を吐かないで下さいよっ。その手でサイコロ触らないで下さいよ!」


 どうしてバックギャモンで遊んでいるかというと、翠川さんに「ちょっとやってみぃひん?」と誘われたから。ゲーム一式は雑貨屋の店内に商品として並んでいた。

 それから、お店が暇だから。


「未涼ちゃん、俺が手を洗いに行っとる隙に、駒を勝手に」

「動かしてないですから。そんなことしなくても勝てますし」

「その余裕が羨ましいで……!」


 私と翠川さんは、大阪府の堺市にある、おみおくり商店という雑貨屋で働いている。

 雑貨屋であるおみおくり商店は、一言で表現すると混沌した品揃えを誇るお店だ。

 色んな品物が狭い店内に、押し込められるようにして雑多に陳列されている。

 生活用品や装飾雑貨。石鹸やカーテン。多種多様な福助の置き物や古本。孫の手やスコップ。食器類や工具や旗。日替わり定食五百万円と印刷されたエプロン。喋るオウムの玩具。謎の石像など。

 品揃えの基準は、本来の店主である母親の趣味だろうと思う。その母親は現在、娘である私に無理やり店を任せて行方知れずになっている。多分どこかで気ままに過ごしているのだろう。

 商店は営業中で、入り口は開放している。

 しかしいつも閑古鳥が鳴いている。

 だからアナログゲームに白熱したりできるわけだ。


「これ、もう勝負決まってますね」

「ところで、今日はホンマにええ天気やなぁ。昼寝しよかな」

「まだ午前中ですからね」


 ちなみに、商店は住居も兼ねていて、私たちはここに住んでもいる。

 二人とも。本来の店主で家主でもある私の母親は不在なので、二人だけで暮らしている、ということになってしまっている。

 好き好んで同居しているわけではない。

 翠川さんは探偵と自称しつつ、自分の事務所も住む場所もないから居候している。

 私はというと、ひと月前の四月中旬にここへ来て、母親に無理やり臨時店主を任命されてしまい、住み込みで働くことになっている。

 翠川さんはごろごろと居座っており出ていく気配が一向に伺えない。ここは母の家なのだから私が出て行くのは納得がいかない。

 そんな感じで今日まで一ヶ月間、なんだかんだで一緒に暮らしている。

 商店の同僚以上の関係は絶対にないと明言しておく。念のため。


「未涼ちゃん、もう一度言うわ」

「なんですか?」

「俺は昼寝をする」

「負けたんですからゲーム片付けて下さい」


 バックギャモンの勝負が終了し、「ほんなら片付けてから昼」「どんだけ昼寝したいんですか」「ぽかぽかしとるからしゃあないやん!」「ぽかぽかしてなくても昼寝したいんでしょ!」「そうやで!」「素直ですね!」というようなやり取りをしていると。

 聞き慣れた男の子の声がした。


「こんにちはー」


 私は慌てて椅子から立ち上がり、店舗の入り口の方を振り返った。

 二人の人物がふわりとお店に入ってきた。

 お面を被った小学校高学年くらいの少年と、三十代くらいの男性。

 少年は皺のないポロシャツとハーフパンツを着ており、育ちが良さそうな雰囲気。だけれどお面とのギャップがやや激しい。そのお面は関西人から贔屓にされているプロ野球チームのシンボルである虎を模したものだ。

 少年とはもう何度か会っている。趣味で被っているらしいお面も見慣れた。

 もう一人の男性とは初めて会う。

 マッシュルームというのか、キノコヘアーというのか、そういった類の髪型をしている。見るからにサラサラそうな髪質であり羨ましい。生真面目そう、もしくは神経質そうな表情を浮かべている。キツネに似ているかもしれない。濃い色合いのジーンズを履いており、上に着ているギンガムチェックのシャツの裾は、綺麗にズボンに入れている。

 来店した二人の背中にはそれぞれ、色鮮やかな花々と、果物や飲料、お菓子や玩具など多くの品々が携えられている。例えて言うなら、サンバのダンサーが背中に着けているあれが、数倍豪華になった、というような感じである。

 比喩ではなく引っ付いているそれらは全て、御供え物だ。

 二人は幽霊なのだ。


「こんにちは。いらっしゃいませ」


 私が挨拶すると、お面の少年はお辞儀してくれた。

 サラサラヘアーの男性も、両手を太腿に添えて、丁寧に頭を下げてくれた。


「初めまして。どうぞ、よろしゅうお願いします」

「あ、こちらこそ。よろしくお願いします」


 翠川さんが私の顔と、それから私の視線の先とを交互に見てから言った。


「幽霊のお客さんが来たんか?」

「はい、来られました。えっと……」


 翠川さんに答えてから、私は幽霊の少年に尋ねた。


「お土産探しの、依頼人ですよね?」


 お面を被った少年は、こくりと頷いた。それから愉しそうに言った。


「そうです、依頼人です。今回のは面白そうですよー」

「……?」


 神経質そうな依頼人さんの顔を見る限り、そんな印象は受けないのだけれど。



        ◇



 私、鳩本はともと未涼は幽霊の姿が視えて会話のできる人間である。それから、近くにいる幽霊の感情の変化に大きく影響される、という特徴も持っている。

 生まれ付き死者が視えてしまうせいで、幼稚園や学校やらで周囲から気味悪がられてしまい、友達も恋人もできずに辛い思いをしてきたことは思い出すと大変苦しくなるので今はやめておく……。

 漂う幽霊たちを無視して普通に暮らすという選択肢もあったのだろうが、未練を残して成仏できずに困っている幽霊たちを放っておけるはずがない。抱える想いがひしひしと伝わってくることもあって。

 辛かったとはいえ、二十五歳となった今ではなんとか宿命を受け入れて落ち着けている。

 それに、周りからなんと言われようと死者のために行動してきたことは間違ってなかったはずだ。

 幼い日に出会ったあの男の子との思い出を大切にしながら――


 ……さて。


 おみおくり商店は表向きは閑古鳥の鳴いている雑貨屋だが、この世を彷徨う幽霊から依頼を受けて、彼らの求める品物を探し出す、という業務も行っている。欲しいと頼まれた御供え物を見つけ出すということである。冥途の土産とも言える。


 お墓や仏壇に御供えされた品物は全て、供えられた死者の許へちゃんと届く。

 献花や果物、お菓子、生前にお気に入りだった品々といったもの。

 供えられたそれらは死者たちの身体に引っ付いて、当人が捨てようと思わない限りは離れないようになっている。


 私は霊感体質を買われて、同じく強い霊感を持つ母に代わって商店で働いているのだ。

 翠川さんは唯一の同僚だけれど、霊感はない。

 事務所はないが翠川さんは探偵を自称しており、土産を探し出す業務を遂行するために雇われている。基本的にズボラで億劫がりな性格の人なのだけれど、仕事に対する責任感は非常に強くてまれに別人じゃないかと思うくらい活躍してくれる。

 しかし大抵ゴロゴロしている。



        ◇



 商店の住居部分の居間にて、幽霊の依頼人から話を伺う。店舗が無人になってしまうのだけれど、もしお客さんが来ても「鳩本さーん」と呼んでくれるから大丈夫だ。

 店舗部分から珠の暖簾をくぐって、三和土で靴を脱いで板張りの廊下に上がり、数歩進んで障子を開けたところが畳敷きの居間になっている。翠川さんのせいで春になっても炬燵が居座っていたけれど、もう流石に片付けてある。

 座布団を二人の幽霊の分と、私と翠川さんの分と、低いテーブルの周りに置き、腰を落ち着ける。

 お面を被った少年は依頼人ではない。商店に仕事を斡旋してくれる役目を担っている、仲介人さんだ。依頼が受領されるまで一緒に話を聴くのが常となっている。ちなみに、見た目は少年だが、言動は大人びており、おそらく中身は子供ではないだろうなと私は予測している。本名も年齢も教えてもらっていない。

 私は翠川さんに、「ここに依頼人、こっちに仲介人さんがいます」と説明する。

 翠川さんは「おおきに」と言って、依頼人のいる方へ頷きかけた。


「探偵の翠川です。よろしゅー。幽霊は視えへんけど優秀やで」

「私は、鳩本未涼です」

「ぼくは、渥美文貴あつみふみたかといいます」


 依頼人はイントネーションからして関西人のようだ。

 私は教えてもらった名前を翠川さんにも伝える。居候の探偵は「賢そうな名前やなー」と適当なことを言った。

 霊感のない翠川さんにとっては、依頼人と仲介人さんは視えていないし、声も聞くことができないので、手間だが幽霊からの話は逐一知らせなければならない。 

 渥美さんは「どうも」と頭を下げてから、私を見る。


「ぼくが供えて欲しい物は、ありふれた物なんで、探偵さんの出番はないと思います」


 きっぱりとそう言われて、私は首を捻った。


「ありふれた物ですか?」

「そうです。コンビニとか百均でも売ってるはずですわ」

「へぇ……」


 私は仲介人さんを見やる。少年はお面の内側で微笑んだようだ。

 商店では、その死者の成仏に関わるような土産を探す仕事をメインで行っているが、生活用品や食べ物を供えてもらいたい、といった頼みごとをされることもある。ついでに言うと、そのような簡単に手に入るものであれば、電話一本で御供え代行してくれる業者も存在したりする。

 が、仲介人さんがわざわざ斡旋してくれた依頼であるし、「面白そう」な仕事ということだから、そう単純な話ではないのだろうと思う。


「その、ありふれた物というのは、なんですか?」

「懐中電灯です」

「……え?」

「懐中電灯を供えて欲しいんです」

「……は、はい」


 聞き間違えかなと思ったがそうではないらしい。懐中電灯? 御供え物に?


「翠川さん、懐中電灯を御供えして欲しいそうです」


 翠川さんは「はぁー?」と馬鹿にしたように言う。


「そんなもん、イズミヤとかホームセンター行ったら買えるやん。探す必要ないやん」


 渥美さんは「ぬっ」と軽く翠川さんを睨んだ。

 その小さな怒りがこちらに伝わってきて、私も居候の探偵を睨んだ。


「失礼なんで笑わないで下さい……。詳しく話を聞きましょう」

「怒らんといてぇな……」


 依頼人もありふれた物だと言っているのだから、翠川さんの言う通り探す必要がないのは確かなのだろう。しかし、きっとなにか事情があるはずだ。


「どうして懐中電灯なんですか?」

「見たい光景があるんです」

「というと……?」

「ぼくは、実は」


 渥美さんはそこで言葉を区切り、おもむろにギンガムチェック柄のシャツのボタンを上からゆっくりと外し始めた。


「え、あの、なにやってるんですか……!」

「どないした、未涼ちゃん?」

「や、その、依頼人さんが急に、服を……」

「福を?」

「服を!」


 仲介人さんは動じることなくちょこんと座ったままである。

 渥美さんは奇行に走ったりすることはなく、ただシャツのボタンを外して、「これです」と中に着ていたTシャツを指し示しただけだった。


「ぼくはこれが大好きなんですわ」

「これ……?」


 そのTシャツには、見覚えのあるシルエットが描かれている。細長いなにかがあって、その真ん中あたりに三日月のような形が重なっていて。


「太陽の塔です」

「あぁ、これ太陽の塔ですね」

「太陽の塔やて?」


 渥美さんは頷くと、太陽の塔のシルエットに手を添えて言った。


「ぼくは、あの世へ逝く前に、太陽の塔の内側をひと目でも見たいんです」



        ◇



 吹田市の万博記念公園にある太陽の塔は、実際に目にしたことはないけれど私も知っている。芸術家の岡本太郎氏がデザインし、何年も前に開催された大阪万博のために建造された、異様な存在感を放つあの塔だ。

 せっかく大阪にいるのだから間近に見てみたいと前から思っていた。しかし、興味を持ってはいてもそれほど詳しいわけではない。


「太陽の塔って、内側があるんですかっ?」

「未涼ちゃん知らんかったん?」

「そう、あれは中が空洞になってるんです」

「知りませんでした……」


 翠川さんが「そうか知らんのかぁ」と言って、ニヤリとした。


「ほんなら、太陽の塔が今回の仕事には関わっとるみたいやし、ちょっと解説したらなあかんようやなぁ。よっしゃ」

「まぁ、そうですかね……」


 謎めいた芸術作品についての話には興味があるけれど、翠川さんの説明したい欲求が丸見えで、素直に教えて下さいと言いかねるなぁ。

 なんて思っていたら。


「ちょっと待って下さい」


 依頼人の渥美さんが声を上げた。髪の毛がサラッと揺れた。


「太陽の塔の解説なら、ぼくがしますわ」

「え」


 渥美さんは、翠川さんへ挑戦的な目を向けていた。ちょっと胸を張ってTシャツにプリントされた太陽の塔をアピールしている。翠川さんは変わらず微笑んでいる。

 渥美さんの焦りと、それから喜びの感情が伝わってくる。私はそのせいでそわそわしてしまう。内心「どうでもいいことで焦らさないで下さいよ……!」と思う。


「未涼ちゃん、依頼人がなんか言うたん?」

「太陽の塔の解説は自分がやりたい、だそうです」


 翠川さんは「むっ」と渥美さんがいる方へ不満げな顔を向けた。


「それはあかん。なぜなら、幽霊が解説しても俺は聞けへんからや。そうなると、未涼ちゃんに通訳の手間を掛けることになる。面倒やろっ」

 私は「確かにそうかも」と言い掛けた。

 しかし渥美さんが冷静に反論した。


「探偵さんは知識があるようですから、いちいち伝達する必要はないのでは? もしかして、実は説明を受けたいんですか?」


 私は依頼人が言った内容をそのまま翠川さんに伝えた。

 すると居候の探偵は「な、なんやてっ」と畳に手をついた。それから「むむっ」と声を出して身体を前に出し、挑み掛かるように言った。


「俺は事務所はあらへんけど探偵や。せやから、太陽の塔にも詳しい。そういうわけで、知識が豊富な方が説明する、それでどやっ?」

「翠川さん、言い分が雑ですよ……」


 仲介人さんはふわふわと浮かんで御供え物の漫画を読んでいる。飽きたのだろう。

 渥美さんは「ええでしょう」と頷いた。

 という流れで、それから約三十分ほど、翠川さんと依頼人とで、太陽の塔および大阪万博に関する知識比べが行われた。片方が問題を出して、相手が答えた。


 その結果。

 渥美さんは本当に太陽の塔が大好きであること。

 そして、翠川さんは大した知識を持っていないことが判明した。

 自称太陽の塔に詳しい探偵は畳の上に寝転んだ。


「未涼ちゃん。負けてもうたから昼寝するわ」

「不貞寝でしょうが」


 翠川さんは「ちくしょう!」と嘆いた。

 渥美さんは「はははっ」と勝ち誇ってサラサラの髪を撫でた。


「それでは、鳩本未涼さん。ぼくがこれから太陽の塔の解説を」

「あ、いえ」


 私はやんわりと制止した。


「今の二人のやりとりでだいぶ情報入ってきたんで、大丈夫です」



        ◇



 日本万国博覧会、もしくは大阪万博が大阪府吹田市で開催されたのは一九七〇年。「人類の進歩と調和」とテーマとしたこの万博は、約六千四百万人もの入場者数を記録した。

 かつて会場だった広大な敷地は現在、緑豊かな万博記念公園となっており、年間を通して季節ごとの花々が咲き誇る。園内には当時の建物を活用し万博の記憶を辿ることのできる記念館や、国立民族学博物館といった施設が存在する。渥美さん曰く、日本庭園ゾーンがのんびり散歩できてお勧めらしい。スニーカーで訪れるべきなのだそう。


 万博記念公園の魅力は多いが、やはり一番の見所は太陽の塔。

 大阪万博のシンボルとして建造された太陽の塔は、万物のエネルギーの象徴である。

 天辺にある「黄金の顔」は未来、腹にある「太陽の顔」は現在、背中の「黒い太陽」は過去を表しているという。

 また、それらに加えて太陽の塔にはもう一つ、第四の顔が存在したそうだ。「地底の太陽」と呼ばれていたその顔は、地下に設けられていた展示場に飾られていた。しかし、万博が閉幕した後でどういうわけか失くなってしまったらしく、現在は行方不明なのだとか。うーむ、謎である。


 さて、今回の依頼で関係があるのは太陽の塔の内部。

 地下には展示場があり、そこが太陽の塔へと繋がっていた。塔内部にはエスカレーターが設置されており、さらに腕の中を通り抜けることができて、空中展示へと通じていた。

 太陽の塔の中には「生命の樹」なるものが聳えており、そこには二百九十二体の多種多様な生物の模型が飾られていたそうだ。

 その当時には生まれていない私にとっては、未知の世界である。


 渥美さんは太陽の塔の存在感に憧憬を抱き、その内側に秘められた光景には言葉にできないほど強く惹かれていると言う。

 だが現在、この塔の内部は公開されていない。老朽化が進み、耐震工事を行わなければならないといった事情があるそうだ。近々公開されるという話があったのだけれど、色々とあって延期になっている。

 十数年前に公募があり、当選者限定で太陽の塔の中に入れるという催しがあったそうなのだが、渥美さんは外れてしまったとのこと。


 渥美さんは拳を握り締め、吹田方面へと強い眼差しを向けて言う。


「せやからぼくは、あの世へ逝く前に塔の中の光景を、この目に焼き付けたいんです!」


 私はその熱意に影響されてしまい、一緒に吹田方面へと目を向けて声を上げた。


「幽霊だから擦り抜けて入れますものね。それは入ってみるしかないですよっ!」


 しかしながら、擦り抜けて入ったとしても、完全な暗闇ではなくとも薄暗いだろうから、念のために照明器具を持って行きたい。そういうわけで、懐中電灯を供えて欲しいと言ったのだった。


「ははぁ、なるほどなぁー」


 翠川さんがそのことに関しては感心している。

 しかしすぐに「いんや、待てよ……」と顎に手を当ててなにやら考え始めた。

 私は興奮しているので、翠川さんの考えごとなんて特に気にしない。


「それじゃあ早速、懐中電灯を買って御供えして万博記念公園へ向かいましょう!」


 渥美さんは懐中電灯だけでなくて、万博記念公園でお土産も買って欲しいらしい。なので私たちも行かなくてはならない。いや、別にお土産を頼まれてなくても行くつもりだった。だって普通に行きたいからっ。


「お願いしますわ!」

「どの懐中電灯にしますか? 大きいのにしときますか!?」


 私はグワッと立ち上がった。

 すると翠川さんが「ちょっと待てぃ!」と手を挙げた。


「なんですか翠川さん? 止めないで下さいよ」


 翠川さんはおそらく、知識勝負に負けて悔しいのだろう。だから渥美さんの計画が上手くいってしまうのが嫌なのだろう。まったく、情けないですよ。やれやれ。

 そんなことを思っていたのだけれど、居候の探偵の口から出たのは意外な指摘だった。


「未涼ちゃん、冷静に考えてみぃ」

「なにをですか」

「幽霊が懐中電灯を持っても意味ないやろ」

「はい……?」

「幽霊がライトで、この世のもんを照らせるか?」

「……あ」


 無理だ。

 渥美さんは翠川さんの指摘を聞いて驚き、それから腕を組んで考え込み、「あわあわ」と唇を震わせた。私も顎がガクガクと震えてしまった。

 実体のない幽霊は物に触れることはできない。現実に存在する物体に物理的な影響を与えることはできない。となると、懐中電灯で照らすこともできないはず。検証したことなんてないけれど、まず不可能だろう。


「じゃ、じゃあどうすれば……!」


 渥美さんは妥協して薄暗い中で太陽の塔の中を見るしかないのか?

 期待がへなへなと萎む。

 渥美さんはTシャツのシルエットを握り締めている。

 翠川さんが言った。


「いや、幽霊でも使えそうな道具あるやん」

「ぬっ……!?」


 渥美さんが身を乗り出す。


「な、なんですかっ?」

「まぁ、そんな綺麗には見えへんやろうけど、しゃあないやろな」


 翠川さんはその道具の名称を口にした。

 そして依頼人の中にパッと希望の火が灯った。

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