嘘つき女と心を読む男/山咲黒
ビーズログ文庫
1.心を読む男 僕は知っている。彼女の秘密。
もちろんモテモテ。
「あの、多岐さん、その。俺、ずっと多岐さんの事が好きで、それで、あの……」
こんな告白は日常茶飯事で、噂では多岐さんはモテすぎるがゆえに携帯を持っていないらしい。知らない人間からメールや友達申請がくることに
「あの、付き合ってもらえませんか!」
さて今回多岐佳奈子さんの告白の部屋。チャレンジャーは二年四組
多岐さんはにっこり笑う。
今日の彼女はその
化粧をしている女子が大多数を占める昨今、彼女のようなナチュラルな美貌は貴重だと言える。誰もがその透明感に驚き、心を奪われる。
そして女神はのたもうた。
「ごめんなさい、今、私誰とも付き合う気がないの」
秒殺!
多岐さんのその断り文句は、彼女の
「……あ、うん。そうだと思った。うん。でもほんと、言いたかっただけだからさ。うん。ありがとう」
後者か。
後者を選択した場合、あたりには沈黙が
じわり。
佐藤君はなんだか涙目だ。かわいそう。
「……う、ごめん!」
多岐さんは自分の背後の屋上の入り口をしばらく肩越しに振り返って見ていたが、やがて佐藤君の足音が完全にそこから離れた事を確信すると、風に揺れる艶やかなその黒髪をぱさりと払った。
そういう仕草一つ一つが、不思議と周囲の目を引く少女だった。
校内には信奉者とも呼べる者達がいて、多くの生徒達が
完璧なのだ。
多岐佳奈子という少女は。
その外見だけは。
《ふん。三足千円の靴下ですって? 私の恋人に納まるには資産が一億ほど足りないわね》
そう心の中で
……。
僕は、先ほど多岐さんがやっていたように聞き耳を立て、彼女の足音が完全に聞こえなくなるのを確認した。うん。大丈夫だ。屋上の給水塔の裏で大きく息をつく。ずっと見つからないように息をひそめていたのだ。
僕は両手を床につき身体をそらし、空を見上げた。
ぎらぎらとした太陽の熱がコンクリートをコンロの上のフライパンのように熱している。半袖の制服の下からじわりと汗が流れてきた。
危なかった。ここが給水塔の影でなければ、こうしてじっと聞き耳を立ててることはできなかっただろう。
夏の日差しは明らかに殺意を持って人類に降り注いでいる。しかし多岐さんは暑さによってその外見を乱れさせるようなことはなく、いつだって美しい。
その心の中を除けば、であるが。
「多岐さん、相変わらずえげつない思考回路だなぁ」
三足千円の靴下? なんで一目見ただけでそんな事がわかるんだろう。値札でもついていたとでもいうのだろうか。いや、彼女はもしかしたら、一目見ただけで物の値段を当てられるという特殊能力を持っているのかもしれない。
人の心の声が聞こえるという、この僕のように。
正確には、僕は、その時自分の興味が行っている相手の心の声を聞くことができる。いや、本当に。
でもこの能力。実際はそんなにいいもんじゃないんだ。だって心の中の声を聞いて
女の子って、表面で言ってることと心の中で思っている事が本当に違ったりする。純粋な僕としては、それがとてもショッキングだったりするわけだ。
そしてこの十七年という人生の中で、多岐佳奈子さんは、最も僕に衝撃を与えてくれた人だった。
忘れもしない一年前、僕は初めて彼女の隣の席になった。
そして彼女の横顔のあまりに美しいラインに恋をして、その心の声を初めて聞いたのは一年生の夏。
《あー世界征服したい》
おい。
休み時間、一人で静かに読書する彼女。手に持っているのはゲーテの詩集だったはずだ。そのはずなのに、世界征服って。おいおい。
それから彼女の心の声を聞くたびに、僕は自分の能力を疑う事となった。
スーパーのセールに学校から時速何キロで走ったら間に合うかとか、もう二日もまともな白い御飯を食べてないだとか、医者と合コンしたいなだとか。
あの、綺麗な顔で。可憐な様子で。
そんな事思わないでくれ頼むから。
なんど懇願しそうになった事か。
「ああ、多岐さんの野望が
僕は胸が痛くなるほど青い空を見上げながら呟いた。
僕は知っていた。
多岐さんが、実はゲーテの詩集よりも金持ちになる方法という本を愛読している事も。スーパーのセールの日には学校が見えなくなると足を振り上げて走り出す事も。好みのタイプはかっこよくて身長が百八十センチ以上あって金持ちの年上だという事も。
僕は知っていたのだ。
彼女が実は玉の
★ ★ ★
多岐佳奈子さんは貧乏だ。
それも普通の貧乏ではない。究極的に貧乏だ。
二年の初めの係決めの時、多岐さんは進んで給食係をかってでた。昼休みがつぶれてしまう上に重いものばかりを運ばされるため、皆が敬遠するあの係をだ。皆多岐さんのその優しさに感動したものだが、実際は違う。
《これで残り物は完全に私のものね》
彼女はそう、高笑いをした。心の中で。
どうやら多岐さんは給食の残り物で、一日の内の他の二食をほとんどまかなっているらしい。学生だからこそできる節約術だ。
家族は祖父一人。
しかも何だか、今彼女が住んでいる家はその祖父の愛人の家のようなのだ。彼女の祖父は働きもせず、愛人にお小遣いをもらって遊びほうけているらしい。
すごい境遇だ。
ヒモの祖父と、その愛人の家で生活する人生なんて想像できない。
というかすごいバイタリティだな祖父。
僕が仕入れた彼女についてのこれらの情報は、全て彼女の心の声によるものである。
《あのじじいいつか殺す》
とか。
《あといくら貯まったらあの家出れるかなぁ》
とか。
あの
多岐さんが学校で平素才色兼備のお嬢様のように振る舞っているのはもちろん、お金持ちの男をゲットするためだ。うちの近くには有名な私立校があり、ミス北高である彼女の名声はその私立校にまで轟いている。
以前、その私立校の生徒が彼女に交際を申し込んだ事があった。
その男子生徒は高額であることで有名なメーカーの腕時計をしていたが、多岐さんは交際を断った。
彼女の心の声によると、年下だったのがいけないらしい。
《やっぱ玉の輿にのったからには、相手は年上で、私よりずっと早く死んでもらわなきゃね。財産とか譲ってもらわなきゃなんないし》
その金への
彼女の心の声を聞き彼女の事を知るたび、僕は彼女に興味を持っていった。
今だかつて、こんなにも僕が興味を持った人はいないし、こんなにも表の表情と心の声が違う人はいないし、こんなにも強いポリシーを持ってこう叫んだ人はいなかった。
つまり、
《金が欲しい!》
と。
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