睡れる羽

遊月

《砂の街》1


 秒針の音だけが淡々と響きわたる部屋で、睡羽スイハは今夜もう何度目かの寝返りを打った。色褪せ剥がれかけた壁紙を指でなぞってみる。しかしそれは、いつか小説だか映画だかで見たような別次元への入口でも何でもなく、ただかさついた音を微かに立てただけだった。


 朝は遠い。


 砂に埋もれた瓦礫だらけのこの《砂の街》は、夜に優しく夜が正しい、そんな街だ。


 睡羽が生まれる何十年、或いは一世紀近くも昔の話、数世代に渡ってこの地一帯で紛争が繰り広げられていたという。ひとつの島国がふたつに分かれて争いを始めたというのだ。その紛争におけるそもそもの発端が何だったか、という事に睡羽は興味がない。知るきっかけも調べる術もない。ただ昔の人も愚かしい事をしてくれたな、とは思っている。何故なら、疾うの昔に調停が結ばれ紛争などは終わった筈のこの街に、未だ混沌と静かな狂気が我が物顔で蔓延はびこっているのを睡羽は知っているからだ。あの紛争がこの街から奪い去った代償は決して小さくない。たった14の睡羽にも見てとれる程に。


 睡羽は再び寝返りを打った。ガラスのひび割れた窓の外から、錆びたような月と赤い星が今夜も睡羽を見下ろしていた。



 がちゃり、と鍵の開く重たい音が聞こえて睡羽は跳ね起きた。兄の叶哉カナヤが仕事から帰って来たのだ。


「おかえりなさい!」

「ただいま。まだ起きてたのか」

「ん、なんか眠れなくて」

「……おみやげ」


 言いながら叶哉が無造作に円卓に置いたのはパラフィン紙にくるまれたチョコレートだった。白銅貨一枚でその日を過ごすような兄妹の暮らしに、普段ならそんな物を買う余裕などない。睡羽は目を丸くして叶哉を見つめた。


「客がくれたんだ。妹さんにって」

「あたしに?」


 銀紙に向かっておずおずと手を伸ばす睡羽の頭を、叶哉がぽんと撫でた。


「いつか溺死するぐらい食わせてやる」


 口端で笑って言うと、叶哉は手をひらひらと振って自室へ引き上げた。


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