空と鏡界の守護者(エフィラー)/小椋春歌

ビーズログ文庫

序章

序章


 べつに来たくて来たわけじゃない。

 ただ、精霊王の祝福が与えられ、欲しくもない力に目覚めさせられてしまったから来ただけ。


 不可視の精霊達と心を通わせられるようになった人間は、どんな身分だろうと、どんな場所にいようと、全てを捨てて一人の精霊術士せいれいじゅつしとして聖地パンディアに来なくてはいけない。


 それがこの大陸に生きる人間の絶対の掟であり、行けないというなら死ぬだけだ。

 パンディアに行かない精霊術士を国は生かしておかない。それはリトの故国オルティスだけでなく、他の三大国でも同じこと。

 なぜなら、パンディアの意向に逆らうことは国の滅亡を意味しているからだ。


「リト、お前もうちょっと愛想よくしろよ」


 だから仕方なく来ただけだというのに、唯一仲良くしている友人は呆れたように言った。


 春とは思えないほど冷ややかな風が吹く、白い山の麓。

 そこには、古代の城塞のような石造りの建物が置かれている。

 山を背にした扇状の台地は二段から成り、上段に建つのが主塔を頂くパンディアの中枢、官人達の集まる〈精霊庁〉。

 

 そして、下段で精霊庁を守るように半円形に広がる五つの棟が、大陸中から集められた精霊術士のための学園だった。


 学園の西側は裾野の村へ通じており、蛇行する坂道は馬車が通れるよう敷石で舗装されている。

 そんな曲がりくねった道の柵沿いを歩き、リトは紺碧の瞳を伏せて虚ろにつぶやいた。


「……だって、鬱陶しいよ」


 リトは自分が黙っていれば、無愛想な少年を通り越し、冷たそうな青年と見られることをよく知っている。

 それでも、どうしてもにこやかに同級生と話す気になれない。


「なんで用もないのにこんなに近づいてくるんだろう……。もう放っておいてほしい。俺は誰とも関わらず、静かに卒業まで過ごしたいだけなのに」


「そりゃ無理に決まってる。お前はとにかく目立つんだから」

「…………」


 黙り込むと、二歳年上の友人は深々とため息をついた。


「なんでお前がそこまでやさぐれるのか分からんが、このままじゃお前の印象は『無愛想で冷たい』になってしまうぞ? 入学早々誤解されたら腹が立つだろ?」


「別に立たないよ。それで周りが離れるならその方がいいと思う」


「お前なぁ……。まあとにかく、これから五年間はこの二十七人で一緒に過ごすんだ。無駄に敵を作るな。ここでの交友関係は卒業後の仕事にも響いてくる」


 最後の方は、ほぼ独り言のようなささやき声だった。

 入学前からの付き合いであるこの友人は正しいことを言うが、とても打算的だと思う。

 不貞腐れてそっぽを向いたとき、前を歩く同級生が振り返った。


「クローウェル君」


 珍しいものでも見つけたかのように忙しなく手招きし、リトを呼ぶ。

 特に行きたくもなかったが進行方向なので近づけば、何がおかしいのか、薄ら笑いを浮かべながら柵の下を指差した。


「クローウェル君、君は天才だからあの上級生に気をつけた方がいいよ」

「上級生?」


 名前もさっぱり覚えていない級友が示す下の道には、二人の女子生徒が仲良く長椅子に腰かけ昼食を取っている。小さな村に続く石畳の道は見晴らしがよく、ところどころに憩いのための腰掛けが置かれているのだ。


 上にいるリトから見えるのは頭と背中だけだったが、一人はほっそりとした身体つきに長い黒髪、もう一人は小柄で金髪の少女だった。


 陽光のように淡い色の髪を肩辺りで二つに結い、黒髪の女友達と楽しそうに笑っている。その明るい声に、リトは無意識に耳を澄ませた。


 思わず聞き入ってしまうほど高く澄んだ、女の子らしい声だ。精霊術士として学園に入学する年齢は人それぞれのため、上級生といっても年下かもしれない。


 級友達は少女を見下ろすリトの周りに集まり、次々に口を開いた。


「ああ、あの金髪の。三年のエリル・レヴィスだろう? 俺も先輩から聞いたよ」

「私も寮で噂を聞いたわ。四属性のどの術も馬鹿みたいに弱いって」

連禱れんとうの練習相手になってくれって頼みに来るんだろ? 弱すぎて誰にも相手にされてないのにな」


 そう言って、示し合わせたように声を上げて笑いだす。

 聞こえるような距離で声高に話す内容ではない。不快さにリトが注意しようとしたとき、上級生の少女、エリル・レヴィスがふいに腰掛けから立ち上がった。


 聞こえてしまった! と焦ったリトだが、すぐに別の意味でドキリとした。

 エリルが、くるりと軽やかな足取りでこちらを振り仰いだからだ。


(――!)


 瞬間、リトの胸がどくんと大きく鳴った。

 焦りや驚きとは違う動きで心臓が跳ね、鼓動が急速に強さと速さを増していく。


 それは、こちらを見上げたエリル・レヴィスが予想以上に可愛らしかったせいかもしれない。

 突然騒ぎだした体内に途惑うリトに向けられたのは、怒りとは無縁の綺麗な青空色の瞳だった。

 小作りな顔に印象的な大きな瞳。幼いと言ってもいいほど愛らしい顔で、エリルは緊張に強張ったリト達一年生を見上げ――――。


 にっこり、と屈託なく笑って右手を振ったのだ。


(――――――――――――――っっ!?)


 驚いたのはリトだけではない。

 

 その場にいた新入生全員が慌てて柵から手を離し、一斉に後ずさった。

 下から見えない位置まで退がり、誰もがおどおどと顔を見合わせ口ごもる。聞こえることぐらい分かっていたはずなのに、いざ反応されると気まずいことこの上ない。


 だが、つられて隠れてしまったリトはあることに気づき愕然とした。


(ちょっと待った……! 俺も皆と一緒に馬鹿にするようなこと言ったと思われたんじゃ……!?)


 状況を鑑みれば当然だろう。というよりそれ以外にありえない。

 あの先輩に誤解された、と思うと心臓が攀じれたように痛み、おかしなほど動揺してしまった。今すぐ駆け下りていって「俺が言ったんじゃありません!」と釈明したい。


(い、今なら間に合うかも!)


 まだ下にいるはずだ。

 衝動のまま走りだそうとリトが身じろいだとき、近くから忌々しそうな声が聞こえた。


「……さすがに堂々としてるな、前代未聞の落ちこぼれさんは。一応精霊術士だから退学させることはできないらしいけど、どうせ連術士の資格はもらえないんだ。在籍してても意味ないだろう」


 内容に引っかかり足を止めたリトの目に、不愉快そうな級友の姿が映る。

 格下の相手に驚かされたことを恥じるような、悔しさに歪んだ顔だった。

 しかし、他の一年生達が「どういうこと?」「何か知ってるの?」と群がれば、その顔は一転して得意げになる。


「君達はまだ知らないのか? エリル・レヴィスが誰からも相手にされないのは、力が弱すぎるからじゃないよ」


 眉をひそめ言葉を待つリトに、級友は唇の端を吊り上げる。

 そして、勝ち誇ったように言い放った。


「――――あの先輩は、誰とも連禱れんとうすることができないんだよ!」



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