第1部 母なる大地はポリマーでいっぱい

第1話  兆候

一の章

  第一章


 エア・タクシーのドアが開くと同時に勢い良く飛び出したのは、勇だった。

 どんどんとアスファルトを足踏みし、しまいにぴょんぴょん跳ねだす。


「ああ! 大地はいいなあ!」

「お前、幾つだ?」


 その次に降りたチャーリィが、整った顔をしかめてうんざりする。

 近藤勇は、中等部から一緒で、仲良く学年をジャンプしてきた、がっしりした体格の黒髪の青年だ。アカデミー士官コースの三年次も終えた二十歳だというのに、まるでガキだ。宇宙士官スペース訓練用の銀色の制服が泣くというもの。

 カリフォルニア宙港ターミナルから無人自動コントロール仕様のエア・タクシーで真っ直ぐ来たので、火星訓練時の制服のままだった。襟を立ててヘルメットと密着させれば宇宙空間でも活動できる断熱素材のスペーススーツ仕様である。装着する面を黒色で縁取っている線が銀色の地に映える。当節の若者達の憧れの制服の一つであった。

 その同じ制服を、粋に着こなしたチャーリィ・オーエンは、風に吹かれた赤い髪を気障っぽく撫で、背筋を真っ直ぐに伸ばした。


 タクシーが停車したのは、スペースアカデミーの正面ロータリーだった。目の前には5階建ての瀟洒な白いアーチ型のアカデミーセンターがどっしりと構え、その左右に幾棟もの校舎が林立している。

 センター前にいた学生達が足を止める。女子達が歓声をあげ、後輩達は憧れのまなざしを二人に注いだ。


「お帰りなさい! チャーリィ!」


 黄色い声に目を向ければ、美女三人が女子達をかき分けて我先にと駆けてくる。その迫力に内心ちょっと引きながらも、にっと笑って見せるのは忘れない。

 

 その時、タクシーの最後の乗客、ライル・フォンベルトが落ち着いた物腰で降りてきた。

 ガールフレンド達が足を止めた。一瞬、場が静まる。

 チャーリィもライルに視線を向けた。その緑灰色の目を細めたのは陽光のせいばかりではなかった。

 栗色の髪を無造作に短くし前髪も額に落ちるままにしているが、非常に均整の取れた完璧な配列の造形で、無表情ゆえに人形のような印象だった。陶器を思わせる質感の白い肌には、照りつく八月の太陽も一片の染みさえ残せない。


 アメリカ合衆国カリフォルニア州。ネバダ州との州境にスペースアカデミーの広大なキャンパスはある。宇宙関連の専門家およびアメリカ宙軍の士官を養成する目的でNASAと軍の共同管轄として設立された。実際は士官養成訓練科の他に各専門学部も併設されており、4年制の総合大学としても機能している。ここの付属病院は、世界的にトップレベルとの評価を受けている。


「お帰りなさい! ライル!」


 チャーリィのガールフレンド達を押し退けて、輝くような金髪の美女が走ってきたと思うや、いきなりライルに飛びついた。華奢な彼は倒れないように踏み止まるので精一杯。


「俺も帰ってきたんだけれどもな」


 チャーリィが口を尖らせて不満を訴えると、アカデミー一の美女――ミーナ・ブルーは悪びれずに笑った。

 オフホワイトの開襟シャツにワインカラーのタイ、ワインカラーのタイトスカートという夏服が、彼女の素晴らしいプロポーションをさらに魅力的に見せてくれている。


「そうだったわね。お帰りなさい。チャーリィ」


 ミーナはライルから離れると、彼の頬に軽いキスをした。

 チャーリィは素早く彼女を抱き寄せると、ふっくらした唇にキスをする。

 途端に例の三人組から悲鳴のような声があがった。妬みの視線に射られて、ミーナは身を捩って離れた。

 ハーフアップさせても背まで届く豊かな金髪を振って、申し分のない顎をつんと反らす。


「もう! 止めて! 私は、あなたのガールフレンドじゃないわ」

 

 ミーナの信奉者らしい男達が険しい表情でチャーリィを睨んできたが、カミソリと仇名される鋭い目線を投げ返すと、ひるんで顔をそらし足早に立ち去った。それを鼻で笑い、改めてミーナに宣言する。


「そうとも、俺の恋人だ」

「冗談! 私は、彼女達に殺されたくはないわ」


 立ちすくんでいる三人組をちらっと見たミーナが肩をすくめる。

 三人の美女達はそろってミーナを睨み、お互いを牽制し合い、なかなかに忙しそうだった。少しはなんとかしたらどう? と、チャーリィに非難めいた捨て目をくれて、行儀良く立っているライルの腕を掴んで引っ張った。


「私は、ライルがいるから、いいのよ」

「そんな張り合いのない男は、止めとけよ。腕一つ、満足に組めないような男のどこがいいんだ? 俺のほうが楽しいぜ」

「ふーん? それならどうして、ライルとチームを組んでいるの? あなた、やけに彼に絡むのよねえ?」


 はっと赤くなったチャーリィを尻目に、この一件をにやにやしながら見ている勇のほうへ行った。


「チェシャ猫さん、顔中口になっているわよ。特別実習訓練は楽しかった?」

「ああ、最高だったよ。チャーリィは実習機を一つも壊さずに済んだし、ライルは久し振りに、シャフトナー博士に会えたしな」

「そう、良かったわね」


 ミーナはライルに青い瞳を向けると、まるで母親のような笑みを浮かべた。

 ライルの紫の眼が、ふっと柔らかくなる。

 すると、驚くほどの変化が現れた。今まで硬質の人形のような印象だった彼が、いきなり血肉を持った、ひどく魅力的な存在となったのである。


 チャーリィは彼に見惚れながら、今、自分が嫉妬しているのは、果たしてライルだろうか、それともミーナなのだろうかと思った。


 ***


 その頃、火星では異常な事態が発生していた。

 赤っぽいフォボスが浮かぶ夜のヘラス市で、NASAマリーナ基地で、ESAアレス基地で、NASDA有明基地で、静かなパニックが広がりつつあった。


 NASA長官オフィスから、国防長官ギアソンにTELが入ったのは、十六時頃だった。応じた画面に機密コード認証が現れ、薄い水色の眼をすがめる。てっぺんのはげた頭を無意識に撫でた。取り巻く黒髪に白いものが目立つ。

 暗証コードを入力すると、スレンダー長官の神経質そうな長い顔が画面に現れた。挨拶もそこそこに、顔と同じ神経質な声でギアソンに要求してきた。


『人払いを頼みます。盗聴の心配はありませんか?』


 ギアソンは目で、副官と秘書を下がらせた。


「大丈夫だ」


 だが、スレンダーはすぐには話を始めなかった。茶色い目が落ち着きなく動きまわっている。

 そのひどく緊張した様子を見て、彼は厳つい顔をしかめた。鳩尾に不快感を覚える。

 

『困ったことになりました』


 ギアソンのしびれが切れそうになった時、ようやくスレンダーは、声を潜めて囁いた。


『火星基地と連絡が取れないのです。どうやら、全滅したようです』

「何だって?」


 ギアソンのがっしりした身体が跳び上がった。

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