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 朝日が、ボロボロになったブラインドから私の顔を照らしてきた。私は眩しさに目を細め、朝日から逃れようとくたびれた毛布に顔を埋める。自慢じゃないが朝は苦手だ。頭が上手く働かないんだ。誰にともなくそんな言い訳を脳の中だけで並べ立てて、私は生温い眠りの中に再び落ちて行こうとした。


 しかし、腹にドスンと何かがのしかかり、私はぐえっと悲鳴を上げた。私の腹にのしかかった「何か」は私への攻撃を決して緩めず、そのままトランポリンをするように私の上で飛び跳ね続ける。


「分~、ぶん~、お・き・て~っ!」


「あ……天良! ごぅっ! ……やめ……頼む……やめてくれ……」


「や~! 分がおきるまでやめないの~っ!」


「わ……わかった……起きる、起きるよ……起きるから……」


 私の声を認めた少女は、きゃーっと歓声を上げながら私の上からぴょこんと降りた。私はトランポリン代わりにされた腹を押さえながら、消灯台に置いておいたフレームの丸い眼鏡を掛ける。ベッドから降り、ドアを開け、廊下を渡り、階段を降り、大して広くもない、どころか五人で生活するにはかなり狭苦しいリビングへと入っていけば、祥吾、清華、新太、天良、四人の共同生活者が揃って私のことを見つめていた。


「分、遅いよ。相変わらずお寝坊なんだから」


「おねぼう~、おねぼう~」


「まあまあ新太も天良も、分が朝に弱いのは今に始まった事じゃないんだし」


「朝食食べる前にまずは顔を洗ってきて。あとその眼鏡いい加減掛けるの止めちゃったら? ツル曲がってるし、似合ってないし、っていうか伊達だし、必要ないし」


 清華に怒涛のようにそう言われ、私は眼鏡に右手を伸ばした。確かにツルは曲がっているし、伊達だし、つまりは必要ないのだが、童顔でヒョロイ体格の私は威厳というものが全くないのだ。一応人々の悩みを聞く使父としては、威圧感まではいかないにしても威厳の欠片程度は欲しい。そう思って数年前から身につけるようにしているのだが、


「眼鏡がなければ大学生、眼鏡があればおマヌケさん、そういう顔なんだよ分は。それぐらいなら無い方がいいって俺だって思ってるんだけどさー」


「祥吾まで……もう、ちょっとは私の味方をしてくれようって子はいないのかい……」


「分は眼鏡を掛けない方がいいと思う人ー」


「はい」


「はい」


「はーい」


「悪あがきなんてせず、ありのままで頑張れ童顔使父」


「うう、これでももう二十八なのに……」


 とりあえず清華の言いつけ通り、顔ぐらいは洗って来なければ朝食は食べさせてもらえない。私は洗面所に顔を洗いに行き、皺でも出来てくれないかと眉間を指で何度も押す。だがそんな事で威厳が身につくはずもなく、何も変わりはしない自分の顔に溜め息しか出てこなかった。世間の人はいかに若返るかに心を砕いているらしいのに、私はいかに老けるかに全神経を注いでいる。傍から見れば実に下らない事をしているだろう事はわかっているが、相談に来た人々に「アンタに相談して大丈夫ですか」というような顔をされるのは流石にもう嫌だった。


 私が居間へと戻り、全員揃った所で「いただきます」と手を合わせ、清華の作ってくれたおいしい朝食を感謝を捧げながら口へと運ぶ。食べ終わったらそれぞれ流しに食器を置きに行き、歯磨きをし、身仕度まで終わった所で再度リビングに集合する。


「じゃあ新太は食器洗い、俺は風呂掃除、清華は洗濯、分は花の水やりな」


「あまらは、あまらは~?」


「天良はいつものように最終点検お願いします!」


「了解しました~」


 そう言って右手でピシッと敬礼する天良の姿に、天良以外の四人が揃って目を和ませる。天良は今年で十歳になるが脳に障害があるらしく、四歳か五歳程度の知能と精神しか持ってはいない。双子の兄である新太はそんな妹を庇って両親の虐待を受け続け、三年前に兄妹揃ってこの教会にやってきた。祥吾も清華も、それぞれ事情があって家族の元には居られなくなり、流れ流れてこの教会にやって来た子供達だった。けれど、彼らにどんな事情があろうとも、みんな私の大事な家族で、もはや私の人生になくてはならない存在だ。その理由の一つに「私が家事オンチだから」とあるのがひどく申し訳ないのだが、「だから分がいいんだ」と言ってくれる、彼らは本当に私にとって大切な存在だ。


「じゃあ分、弁当はそこに置いておいたから、食べ終わったらきちんと水につけておくように」


「はいはいわかったよ。じゃあ気をつけて行ってらっしゃい」


 四人を学校に送り出してから、隣に立つ教会へと赴いて使父としての勤めを果たす、それが私の日常だった。こんな、辺境の小さな町の使父など些細な事しか出来ないけれど、それでも、誰にも打ち明けられない悩みを抱え、自分を知る者などいない場所を求めて訪れる人間だっている。私に出来る事などちっぽけなものでしかなくっても、それでも、そんな誰かの役に立てるなら私はここにいたいと思う。


「今日も明日も明後日も、世界中の人々が、平穏に生きられますように……」


 聖母像に祈りを捧げた後、雑巾を持って祭壇や椅子を拭いていき、箒で身廊を掃き清め、入り口から玄関までの落ち葉なんかも掃き集める。庭に咲いている花に祈りを捧げてから数本手折り、花瓶に飾り、一通り掃除を終えてから使父の仕事に取り掛かる。使父が通常どんな仕事をしているのか、詳しく知っている人はそんなにいないと思うのだが、懺悔や相談を受けたり、結婚式を執り行ったりする以外にも、ミサの準備をしたり、学校に顔を出して子供達に授業を行ったり、神書の内容を研究したり、それをどうやって人々に伝えればいいのか考えたり、体が弱っている人がいればお見舞いに訪ねてみたり……やる事は探せばいくらでもあるし、むしろやってもやってもまだまだやれる事があるんじゃないか、そう感じるような毎日だ。際限がなくて辛い、と辞めてしまう人も多いのだが、少なくとも、私にとっては苦ではなかった。


「そうだな、今日は特にする事もなさそうだし、久しぶりに神書でも読んでいようかな。もしかしたら何か新しい発見があるかもしれないし……」


 誰にも届かない独り言を述べつつ、何度も読んですっかり草臥れてしまった神書を机の上で開いてみる。そうだ、今度の小学校の授業用に紙芝居なんて描いてみたらどうだろう。この前天良に「分の言ってること、よくわかんない」なんて言われてしまったばかりだし……今の子供に紙芝居は古過ぎるかな? でも私に裁縫なんて出来ないし、というか私には絵心もないし……

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