コンプライアンス

 誰でもこの言葉は耳にしたことがあるはずです。企業が存続していくために必要な条件の一つ。日本語に訳せば法令順守。


 しかし、ニュースを見ていると、全くコンプライアンスの欠片も無い企業が、ちょくちょく話題に上ります。廃棄処分するはずの冷凍食品を横流ししたり、通信制の高校がスクーリングで、USJに生徒を連れていき、お土産のお釣りの計算を数学と称してみたり。一体何を考えているんだと言いたくなるような事件が頻発してますよね。


 私が考えるコンプライアンスとは。道義的に許されざる行為をしないという事だと思っています。これは、企業に限らず個人の生きざまとしても、考えるべきことなのだと思っているのです。


 つい先日の事なのですが、信号が青に変わって車をスタートさせようとしたとき、いい年をしたサラリーマンが信号を無視して私の車の前を横切りました。年の頃なら四十半ばから五十歳くらいでしょうか。ビックリしてブレーキを踏み、「信号を見なさい信号を」と窓を開けて叫ぶと、彼は悪びれることなく信号を見て、知らん顔で横切っていったのです。


 もし、この人が何かを販売する会社に勤めてるとしたら、私は絶対に彼の会社の製品を買わないと思います。交通ルールも守れない人間が居る会社なんて信用が置けないからです。それも、彼の年齢からすれば、少なくとも課長とか係長クラスの役職は持っているはずです。その様な自分の立場も弁えず、平気で信号無視をする。注意されても、平然として何食わぬ顔。彼は人間としてのコンプライアンスが欠如しているとしか言いようがない。


 こんな父親を持った子供は可哀想だと思います。子供には約束を守れとか、人の迷惑になるようなことはしてはいけないとか、こういう輩に限って、いつも口うるさく言っているのではないかと思うからです。しかし、自分一人になったら、そんなことはお構いなし。本来この年齢の人の役割は、若い人たちの模範とならなければならないはずなのに。


 自分の父親がそんな人間だったら、あなたは父親を尊敬できますか?


 もし、自分の上司や先輩ならば、そんな先輩、上司を持った事を誇りに思えますか?


 絶対ブレないと言っていたのに、選挙が終わって過半数を得ると、舌の根も乾かないうちに反対していた政策の牽引車となって、その政策を推進する総理大臣。清廉潔白なような顔をして、陰で悪さする大臣。国会で悪事を指摘され議員辞職をしたのに、ほとぼりが冷めると再び立候補して、当選すると自分のどす黒い過去を忘れてしまう国会議員。


 国の発展の為に尽くすべき政治家にして、この様な体たらくなのだから、一民間人の行いは多少は目を瞑れという人もいるかも知れません。でも、目を瞑りたくないからこそ、今、ここに記しておこうと思ってます。

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