海ゆかば

今の若い人たちには縁遠い歌かも知れないですね。でも、私はこの歌を昭和の名曲だと思っています。


 では、歌詞を詠んでみましょう。


 海ゆかば 水漬かばね

 山ゆかば 草むす屍

 大君のにこそ死なめ

 かへりみはせじ


 この歌は戦時中、出征兵士を送る歌として重用された歌です。何故今、この歌を私が引き合いに出したか。それは、中東で行われている自爆テロと、戦時中の特攻隊を同じ目で見る人が表れ始めたからなのです。


 ここで、はっきりさせておきたいことは神風特攻隊は、迫りくるアメリカの戦艦に体当たり攻撃を仕掛ける作戦であり、飽くまでも軍事作戦であったということ。自爆テロは無差別に人を殺傷するための作戦であり、これが軍事目的であるとしたならば、明らかに非戦闘員をも巻き添えにする国際法違反の行為であるということです。


 どちらにしても人を殺すことに変わりはないではないか。そう思うかもしれませんが……。もし、この二つを同等に扱うならば、私達は自分の祖父や叔父といった肉親の戦士を単なる無駄死、犬死にとしてしまうことになります。第二次大戦よりも前の日露戦争に於いて、我が国はロシアの要塞を撃破するために白襷隊しろたすきたいという決死隊で二百三号地を攻めた歴史が有りますが、日露戦争後、彼らは英雄として讃えられました。しかし、神風特攻隊を自爆テロと同じ目で見るのは何故でしょう。勝てば英雄。負ければ無駄死になのでしょうか。


 そこで、私が引き合いに出したのが、この海ゆかばの歌なのです。


「海にゆかば、水に漬かった屍となり、山にゆかば草の生す屍となって大君の辺にうずくまって死のう。後悔などすることはない」


 つまり、天皇陛下を守るための盾となる。国を国民を守るための盾となるためならば、この命を惜しむことなどしない。自分が敵からこの国を守る盾となれるのならば、喜んでこの命を捧げようと、先人たちが体を張ってくれたからこそ、今私たち日本人として生きていられるんです。だとすれば、決して特攻隊の方々を卑下するようなことはあってはならないと、おじさんは思うのです。


 しかし、私は決して戦争を肯定する人間ではありません。大切なことは歴史を色眼鏡を使わず、透明な眼鏡で直視するということなのだと思います。とはいえ、この様なことを書いていると、あの万里小路というオヤジは隠れネトウヨと陰で囁く人もいることでしょう。ハッキリ言います私は右翼でも左翼でもありません。そのような物事を偏った眼鏡で見ること自体、私は人間性を疑うのです。


 はっきり言いましょう。私は中翼です。右も左もなく同じ日本人として、みんな仲良くできることが真の国民の姿だと思っている一日本人です。

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