Take-30 映画『スター・ウォーズ/最後のジェダイ(Star wars/the Last Jedi)』(2017)は面白かったのか?』

 ネタバレがあるよ(;´Д`)

 というより、その前提で書いてるよ(;´Д`)



 予備知識なく劇場で楽しみたい方は、本当に読まないでくださいね。私もミレニアム・ファルコンのごとく『ネタバレ』というアステロイドを迂回しながら劇場に足を運んだ一人であります。一応ここにマナーとして記させていただきますが以降は自己責任でよろしくお願いいたします──


 あれだけ避けていたネタバレ感想ですが、映画を見終わったら今度はむさぼるようにまとめて読み漁りました。まあ、そこらでハハァと思ったことや情報などもまとめて書ければと思ってます。


 このエッセイは基本、映画を観てない方にも楽しくお気楽に読んで頂けることを前提に書いてますが、今回はいつもと違った雰囲気でかなり濃い、オタッキー、いや、スタウォッキーなことになるのではと予想されます。なので『SW』なんて「興味ねーよ!」という方は早々に離脱されることもお薦めします。無理強いしません。ハイ。最初に言っておきますと今回は思わず10000文字を越えてしまいました。これまでの中で一番長いです。(『最後のジェダイ』だってシリーズ中最長の上映時間だし……いいよね、いいよねっ)なので本当に御興味のある方のみ読んでいただければと思っております。次回からはまたゆるーく、お気楽にやりますのでお許しください。

( ̄▽ ̄;)



 てなわけでオシサシブリです。ペイザンヌですのにゃ。


 早いもので気がつけば2017年も残すところあとほんのわずか。私にとって、これがまさに今年の『最後のシッピツ』となります。


 皆様、たいへん今年はお世話になりました。年越しそばの準備などはもう御済みでしょうか。


 蕎麦といえば、自身のTwitterでも呟いたのですがうちの目の前にあった立ち食いそばの『名代:富士そば』が最近閉店してしまいました。古くて狭いところでしたが都内最後の“立ち食い”オンリーのお店で愛用させて頂いてたのでとても残念であります。一ヶ月くらい経って同じところに『〇〇そば』(名誉のために名は伏せますが)というのができたのですが、これが、もうね、まずいんですよ。


 いや(自身のの名誉のためにも言いますが)、私は決してグルメなどではありません。そりゃまあ美味いにこしたことはありませんが、どちらかといえば普通でいいんです、本当に。口に合わなくても食べものを残すということはほぼありません。


 が……今回はあまりにもひどく、久しぶりに残してしまいましたね。定番『天ぷらそば』を頼んだわけですが……天ぷら以外をほとんど食うことができず、蕎麦にいたっては二口ほどすすったのみ。自分にしてみるとこれは本当に珍しいことであり──てゆーかですね……『蕎麦』ですよ?! 手打ちとかであれば技術なりいろいろあるんでしょうが(ほんとにグルメでないのでよくわかりません)茹でるだけの蕎麦をむしろ逆に“まずく”する方が難しいくらいじゃないかと思うくらいであり。


 そもそも蕎麦が三本くらいくっついとるがね! して、口に含むとねちゃっと食感がするぞね! 前歯の裏や奥歯にお粥……いや饅頭? 煮込み過ぎたなんだかそんな感じのがべちゃーとくっつく感じですかね。まるで生焼けのお好み焼きみたいなを食った後のように胃もたれのようななんともいえぬ感覚が続き、これはひょっとしたら体外から放出した方がええんちゃうかなという葛藤が続きます。


 タダでもいらないレベル。てか、食えません。私がもし『美味しんぼ』の山岡さんであれば間違いなく「一週間後にここに来てください。本物の蕎麦ってやつを食わせてやりますよ」と捨て台詞のひとつでも吐いて帰るところです。しかし……あの『細長くて蕎麦に似た何か』を金をとって人様に無理やり食わせようというのはいかがなものか。のちのちのためにも一言かけた方がよかったかもしれません。近所だし、そう、それは、これからも利用していきたいからこそなのであります。



 さて、そんな話はさておき、思い起こせばこのエッセイの第一回目は前作にあたる『エピソード7/フォースの覚醒』からスタートしました。あれからはや二年が過ぎたのかぁ……と思うと、あっという間とゆーか感慨深い気がしますやね。


 まあ映画を観る時も「エピソード8を見る前に前作をおさらいしておこう!」という気持ちが働くくらいですので、この本作の感想の前に前作の感想から読んでもらえれば(ねぇねぇ♪)私の『スターウォーズ感』が少しおわかりいただけるのでは(読んで読んで♪)と思っております(番宣終わり──)。いわゆる、スターウォーズにおける、最初のタイトルロールみたいな感覚で。

( ̄▽ ̄;)


 その辺りを少しなぞりながら始めることにしようと、自分でも読み返してみたところ…………


 ぐ…………ぐぐ……うぐ…………

(゜д゜)


 な、なんだろう、この『エピソード7』の時とあまり変わりばえしない気持ちは。これでは前回と同じような感想になってしまうよーな気がする

(-_-;)


 では二年前のペイザンヌさん、どうぞ。


●『──エピソード7にあたる本作『フォースの覚醒』は昔から見ている思い入れのあるファン層がいれば今回が初見というという方もいるということですでに賛否両論が分かれてしまっている様子──』(前回より)



 なるほどなるほど、二年前のキミはそんなことを書いていたわけやんね。大丈夫、今回の『エピソード8』も「歴代でもっとも賛否両論分かれる作品!」などと謳われているよ。記録というのは冷静なものあります。やっぱ前回も同じこと言われてるわけね。まあ、『SW』シリーズにおいてこれは毎回避けられぬ運命というわけなのであります。



●『──だからこそでもあると思うんだけど、私も見終わった後に首を傾げてしまったのですね』



 ギク。ぐ、偶然ですね。二年後の私も同じ意見であります。



●『嫌な予感がするぜ……(I have a bad feeling about this)」といった今まで全作に出てくるお馴染みの台詞までもがなんだかまるで笑点での林家こん平のお決まりの台詞「え~私の鞄にはまだ空きがございます」のように聞こえてきたり──』


 これについては今回どこで言ったのか全っ然わからなかったですわ! うちに帰りついてから「あれ?! そーいえばこの台詞どこで使ってたんだっけ?」と思わず考え込んでしまったほど。実は意外なところで、そう、前半の宇宙空間でのバトルでBB-8が『パイパブァパッフィーピンパバーピス』と言うとるらしいです。「んなモン気付くかい!」と突っ込みたくなるトコロでちゃ~んと使用されておりました。どうやら監督のライアン・ジョンソンは私のこのエッセイを読んでいろいろ参考にしてるらしいですね、ふふ(ねーし)。てゆーか、私のような一ファンと同じで、この台詞のあからさまな使い方に少し食傷気味だったのかもしれんですな。この監督さん、とかく奇をてらうとか、裏をかくことが好きっぽいですね。ルークがライトセイバーを雑に投げ捨てる冒頭にしろ、まさに観客が思ってない、ルークが一番やらなそうな行動をとらせたのは少し「おお」と思っちゃいました。




●『わずか三十年ぽっちで惑星並の宇宙要塞を作り上げる技術があるくせに、相も変わらず遠隔シールドみたいなのを外されては簡単にやられてしまう水戸黄門ばりの展開にややヘキエキしたり…… なぜだ? どうしてキミらはそこを学ばない? 何度同じ手口でやられる? などと、本来であれば新卒一年目の若手社員にかけるべき言葉を何故ファースト・オーダーなる武装軍団に対して思わねばならないのだろうとやや目を細めている自分がいたり──』



 うん、これは前回とは打って変わり、今回は実に強かった。よくやったファーストオーダー! 今回は見事けちょんけちょんに反乱軍を蹴散らしてやりましたな。やっぱり監督はこのエッセイをこっそり読んで参考にして……(ねーってのに)。まあ、その代わり今回は反乱軍の方がキミらはいったい何をやりたいのかね? というところがかなりあったのだが…………。三部作の真ん中はこれまでも主人公側が徹底的に追いつめられるのがお決まりだったんでまあこれもセオリーっちゃセオリーですね。


 ちなみに今回レイアたち反乱軍を追いつめた『ハイパースペース・トラッキング』なる作戦、実は今年アタマに公開されたSWのスピンオフ映画『ローグ・ワン』でもちらりと出ていたらしいです。確信犯的なものでしょうが、つまりこの作戦、エピソード4以前に帝国軍によってすでに開発中だったわけですねー。すごいですね~。




●『なんだか観賞後の夜は虚脱感と共に苛立ちに包まれてしまいました。が、翌朝になるとやはり無性にもう一度見たくなるわけで(笑)──』



 うーーーーーん。


 これなんだよなぁ、一番の問題はココなんだよなぁ。正直にはっきりと言っちゃいましょう。私は『SW』シリーズが好きであります。こよなく愛しております。だからこそ本当のことが言いたい! てか、ここに繋げたいがために冒頭に蕎麦屋のことを書いたようなものでありまして。

( ̄▽ ̄;)


 映画開始一秒で思わず涙が出そうになったのもどこへやら、今回の『最後のジェダイ』──


 見終わった後にあまり


 さらには、なんというか……


 


 ぶっちゃけ次回のエピソード9が見たいのか見たくないのか、よくわからなくなったんですね。(いや、もちろん見ますよ。見るんですけど……)


 観賞してしばらくたってもうまく感想が書けなかったのはそのせいでもあります。


【ここでもう一度言いますが今回このエッセイは完全ネタバレです。自己責任でお読みくださいませ──】




 前作でハン・ソロが死んで、今回ではルークが逝っちゃった。そして撮影中にレイア役のキャリー・フィッシャーが本当に天に召されてしまった。次回はCGを使ってレイアを出すことはしないと製作側は公言してますから、旧三部作の三人はもうエピソード9には出演することはないでしょう(まあ霊体くらいは出るかもですが……)。


 う~ん、はたしてそんなスターウォーズが見たいか、というと『yes』とは言い難いんですよね。せめてルークくらいは『9』まで引っ張ってくれるかと信じてたんですが、まさか実際にお亡くなりになったレイアの方が映画では生き残ってしまうという、むしろここはある意味意外な展開。


 ただまあそれはいいんです。ある程度そうなるだろうなーみたいな覚悟はありましたから。問題は──『新しい世代を担うはずの新キャラたちにいまだ愛着がわかない!』──トコロなんすよね。まあ、もちろん私だけかもしれませんが、どうしても彼らが好きになれない。嫌いではない、けれど、なぜか魅力を感じられない……。


 今回のヒロインであるレイは今風、まさにラノベ的なチートみたいな感じで最初からフォースが使えたり敵の御大将であるカイロ・レンを簡単にボコボコにしちゃったりで、あまり心配にならない──なのでハラハラしないんですやね。守ってやりたい感に至っては皆無ではなかろーかと。エピソード5から6にかけてのルーク、もしくはエピソード2から3にかけてのアナキンのように「うおっ!」と鳥肌の立つような成長感をはたして味わえるのだろうか……ここは次回に期待ですね。


 ポー・ダメロンもあの顔の濃さ、そして眉毛の濃さとは裏腹に、ハン・ソロのユーモアやふてぶてしさを越えるところがいまだに見当たらない。主要キャラというよりただの凄腕パイロット──エピソード4でいうデス・スター壊滅作戦に参加しているレッド小隊の一人といったくらいにしかどうしても見えない……。


 黒人のフィンにおいてはもう「ワーオ!」だの「フォ~ウ!」だの「スゲエ、パイロット!」「オレ、この場所嫌い!」なんていちいち騒いでるだけの鬱陶うっとうしいコメディリリーフにしか見えない……。あの役はジャージャービンクスでもよかったんちゃうかと思うほどであり。


 しかも、レイとポーにおいては今回のラストでようやく顔を合わせて会話(というより挨拶程度?)を交わしたという驚きの事実。「あれ、そういえばそうだったっけ?」と、その辺はさほど気にもならなかったことも不思議。なんとなくバラバラ感があるこのトリオ。


 考えてみると旧三部作では主人公たちのちょっとした三角関係みたいなものが物語を引っ張っていっていた気がするんですやね。


 初っぱなのエピソード4ではルークはお姫様にほのかに恋心を抱いており、ハン・ソロがルークの顔色を伺いながらレイアについてこう語ります。「気の強い女だが嫌いじゃない、あれは俺に気があるな……」

 そう言おうとしたところルークは言葉を被せるように「No!」と叫ぶ。その反応を見ながらニヤニヤしているソロ。


 また、エピソード5では「本当は俺に惚れてるんだろ」とせまるソロに対し「女の気持ちがわかってないのね」とこれみよがしにルークにキスをしてみせるレイア。そして勝ち誇るように頭の後ろで手を組みながら口笛を吹いているルーク。


──などといったユーモアを含め、あれ、ハン・ソロとくっついちゃうの? みたいな、そこら辺りの恋の行方もまた先が気になる一因でもあったはず。彼ら三人は作品を追うごとにちゃんと関係性を積み上げていってるわけですね。


 三部作において二部のラストで主要人物レイとポーが初めて口を交わすというのはちと遅すぎやしないか──というのはこういうことに照らし合わせてのことであります。旧三部作の真ん中『帝国の逆襲』のラストではソロとレイアのあの有名な台詞「I Love you」「I know」という関係にまで二人は発展してるというのに「ハイ、私はレイよ」「ポーだ。よろしく」ですからねぇ……。


 そういう一体感があの三人にはほとんどない。フィンとレイについてもなんだかよくわからない。フィンはやたらレイに関心を抱いており「助けなきゃ助けなきゃ」みたいになってるけどそこまで愛を育むエピソードがあったか? というと別にそうでもない。


 今回『最後のジェダイ』でも新キャラの日系人ローズ(こちら読者であるアンヘル様により、ローズはベトナム系のアメリカ人だと御指摘いただきました。不勉強、申し訳ございません。戒めのためこのまま残しておきます!)がクライマックスでフィンに対して愛を打ち明けキスをしますが、それも同じ感じ。そこまで関係性を深めるエピソードがはたしてあったかいな? というハテナハテナハテナが。おまえらこないだ会ったばかりやんか! というか。感情でストーリーが動くというより、ストーリーに乗っけるために人物が動いてる、または台詞を言ってるみたい、そんなことが新三部作にはとても多い。


 カイロ・レンがレイの出生を語るところでも「え、今? なんでトートツにそんなこと喋り始めたん?」みたいなぎこちなさというかムリヤリさがありましたし……。


 そういやフィンの突撃場面のことですが、「あれ? フィンもこのエピソード8で死んでしまうんちゃうかな」と思ってしまったところがありましたね。あまりに今回主要と思われていたキャラがバッサバッサと死んでいったため、それでもおかしくはないなと(笑)。なんせ公開までほとんど内容がシークレットでサプライズもあると言われてましたからねぇ。「ああ、フィン役のジョン・ボイエガもプロテューサーのキャスリーン・ケネディに嫌われたんかも?」ということが一瞬頭に浮かんだのは内緒。次回、エピソード9の監督予定だったコリン・トレボロウ(『ジュラシック・ワールド』シリーズの監督)やハン・ソロの若い時代を描いたスピンオフ映画『SOLO』の監督も交代させておりますからね。まあ、『SOLO』に至っては名匠ロン・ハワードに交代ということでむしろ期待が増しましたが。私は大好きな監督であります(『コクーン』や『アポロ13』の監督ですね)。


 ちなみに今回一番納得のいかなかったレイアの宇宙空間での復活シーン、あそこはまさにキャスリーン・ケネディたっての御支持だったようで。後に製作されるエピソード10~12の総指揮に大抜擢された本作の監督ライアン・ジョンソン。レイア復活のシーンにおいてはああだこうだと言い訳──いや、説明もしておりますが、ハタシテ……それだけなんでしょうかねぇ(( ̄ー ̄)ニヤリ)。


 やたら今回、主要キャラがバッサバッサと死んでいったという点でありますが、銀色の女性トルーパー、キャプテン・ファズマあたりは少々もったいない気もしないでもないです。が、まあこんなもんかなと(笑)まあ旧作におけるボバ・フェットみたいな感覚でいいんでしょうね。演じてる方にしてみれば最後に目だけの出演というのは納得いかないかもしれませんが、メットをとった女性トルーパーの姿も見てみたかったなという気も少しします。まあしれっと次回で登場することもないとは言えませんけどね。『死の間際で急にフォースが芽生えたの!』などと言って復活してても私はもう驚きません(笑)


 ローズといえばてっきりあのまま死んでしまったのかと思ったけれど生きてたんですね(^_^;)次回はフィンとレイとの三角関係に発展していくという話でありますが……? う~ん……。嫌いじゃないんです。嫌いじゃないんですが、実をいうとあの日系(再三申し訳ありません……アジア系アメリカ人です! 猛省)の女優さん昔の知り合いにクリソツなんです。小川さんという主婦のバイトさんで二人の子供がいるんですが……一度頭に浮かぶともう小川さんにしか見えなくて。せっかくのSWが彼女が出てるシーンだけ急に日常に引き戻されてしまい、キスシーンなど笑いを堪えるので大変でした……と、ただの個人的意見であります(笑)


 てっきり旧作の銀河皇帝のパルパティーンのような立ち位置になると思っていたスノークに至っては今回であっさりやられちゃいましたね。びっくりでしたわ。いまいち物語に絡まない、いまいちインパクトに欠けるキャラはそそくさと排除された感がないでもないですが、確かにまあそこで時間をとっても……という気はします。てゆーか出す前にもう少し考えてはいかがなもんか、とも思いましたが。

( ̄▽ ̄;)


 どうして今回の三部作はこんなに錯綜しているのかと考えれば、やはりその辺なんですね。もともとこの世界の創始者であるのはやはりジョージ・ルーカスであり頭の中には最初から9部作のストーリーがあったようです。


 最初の『スター・ウォーズ』、つまり1971年版が公開された時、大抵の方はこれがエピソード4であることに気付いてなかったといいます。ネットどころかビデオすらない時代。しかも当時公開された劇場版のオープニング・ロールにはサブタイトルや『エピソードⅣ』の文字もカットされてました。オリジナル版の映像はマニアの中ではレア物となっております。オリジナルのラストではちゃんとチューバッカも勲章をもらってるそうですしね。といっても今はYouTubeで簡単に見ることができますが。


 閑話休題──しかも、当時のジョージ・ルーカスといえばまだ売れるかどうかもわからぬ新人監督。続編なんか作れるかどうかもわからないのに、そんな仕掛けをしていた若きジョージ・ルーカスの何というよ(笑)。


 しかも映画においてシリーズという概念がまだあまりない時代です。これってホントに凄いことなんですよ。『帝国の逆襲』のラスト、あの物語が途中で急に終わっちゃった時のインパクトを肌で伝えたいくらいです。


 このエピソード7~9にあたる今回の新三部作、おそらくはもともとルーカスの頭の中にあった構想から離れ、まったく新しいものとして作り始めたと思われます。しかも一本一本違う監督が「俺はこうやったぜ、次の方どうぞ!」てな感じで手渡す感じで作られてるような様子がありありと伺えます(まあ、結局『エピソード9』は7と同じJ.J.エイブラムスになってしまいましたが……)


 所謂いわゆるリレー小説のような形というんですかね、軸だけ決めて今作ってる映画がどうなるのかは誰もまだ知らない。そんな感じで最初から俯瞰ふかんで全体像が見えているわけではないことがヒシヒシ伝わってきますやね。良く言えば「前作までのことをぶっ壊してでも観客をびっくりさせてやれ」という意味では効果的だと思います。ただ「どうにもまとまりがない」という欠点も当然ついてくるわけで。新キャラが唐突に出たり入ったりと落ち着きがないのはその辺りが間違いなく関係してるはず。


 とにかく脚本がよくない。素人目でもそれははっきり見てとれます。このエッセイでも以前取り上げたことのある『インターステラー』などはもちろん、脚本の出来映えでいえば新しい『スタートレック』シリーズの方が私はうまいと正直感じております。


 ただですね──いいんです、それでも。


『スター・ウォーズ』に関してだけは完全に贔屓ひいき目で見てることを自覚してますから(笑)


 さんざん文句を垂れたように思えるでしょうが、ぶっちゃけ言うとあのオープニングがバーンと出て、ロールがヒョヒョーンと飛んでって、今までになかったようなカッコイイ何かがヒュンヒュンキュンキュンいって、懐かしい何かがピキーン、シャキーン、シュバババーンとなって、変な生物がウモモーンとわめいてくれりゃそれだけでもう十分なのです。私的には。


 いまや『SW』はイベントなのです。

 二年に一度やってくる、私にとってはクリスマスよりも大きなイベントなのであります。

( ̄ー ̄)


 面白さでいえば『エピソード7・8』よりも『ローグ・ワン』の方が頭ひとつ抜けてましたね。あれは非常に面白かった! なぜこのエッセイに書かなかったのか不思議なくらい。いずれ機会があれば書きたいですね~。



●『ストーリー的には単なるリメイクだとか焼き直しだとか言われてたりもしますが、そもそもこれは少年の頃にスターウォーズで胸踊らせたお父さんが、今度は自分の息子や娘と一緒にあの時の冒険をするための映画であると思えばよいのではないか、と。お父さんにとっては二度目だけど子供にとっては初めての冒険。その“繰り返し”をそっと見つめていること、それこそが『スターウォーズ』のテーマであり、本来のエピソードであり、きっと大きな醍醐味なのであるのだと私は思う──』


 二年前のペイザンヌさんはこう言ってますが、『最後のジェダイ』の中盤で唯一うるっときたのがヨーダとルークのシーンでしたね。まさにお子さんなどのいる、ちょっと疲れてしまったお父さんたちにとっては涙の出そうなシーンだったのではないかと思います。私といえばそんなお父さんたちをさらに想像してしまい、思わず二次災害的に泣けてしまいました(笑)ここはぜひとも本編で感じ取ってほしいのでこれ以上は触れませんが。


 撮影時、ルーク役のマーク・ハミルも思わず感極まり、スタッフたちに『悪いが少し一人にしてほしい』と言ってしまったというミレニアム・ファルコン内でのシーンは本当に良かった。R2のも反則的にぐっときましたね。うん、あれはルークの台詞とまさにかぶります。『R2、ずるいぞ』──と。旧凸凹コンビが最近おとなしいのは寂しいですがね。3POなんかもすっかり口が少なくなったように思えます。ロボットも年をとるんですかね(笑)


 前作でのハリソン・フォードの扱い方がちょっと不満ではありましたが今回のもとヒーロー、そしてもとヒロインの場面はつくづく頷けることが多く、満足でありました。『髪型を変えたのよ──』という台詞はレイア役、キャリー・フィッシャーのアドリブらしいですが、まさに他に説明のいらぬ、いろんな思いを一言に詰めた言葉でした。きっと彼女は『好きです』を『月が綺麗ですね』と訳した芥川のワビサビがわかることでしょう。『I Know』に劣らぬSWの歴史に残る台詞を最後に美しく、残していかれたと思います。安らかにお眠りください。


 ルークの最後については観賞後、どうも納得いかなかったのを覚えております。あのシーンでは「うがーっ、カッコええ~っ!」と私はぶわわわ~っと鳥肌が立ちましたが、正直、もっとルークの華麗なバトルが見たかったというのがありまして(絶対に用意されてると信じてたもので)。それが、だった──というのが、少し肩透かしに感じたのは正直なところ。

 が、こうやって時間を置いてみると今さらながらじわじわ胸にキてる気がしないでもないです。


 今回の今までとちょっと違う変則的なラストシーンは、まさにエピソード10~12のための下準備、といった様子も見え、ある意味本作が『旧スター・ウォーズ』との決別、分岐点のように感じました。ポスターで『STARWARS』のふち取りを往来と違う『赤』にしたのも何となく頷けるところですね。あの少年が次期主役となっていくことを示唆しているのか……それとも……?



 とにかくエンタメ性にかけてはやはり『スターウォーズ』! って感じがたっぷりあります。私は目が疲れるし、画面の暗いのがどうにも嫌だったんで通常版の2Dで見ましたが4Dの方で見るとまた違った面白さが楽しめそうです。レイたちの動きに合わせた『ライト・サイド』版とカイロ・レンたちの動きに合わせた『ダーク・サイド』版と二種類の上映が選べるようです。いや~、すごい時代ですね~。


 皆様もお正月、ご家族友人と劇場に足を運んでみてはいかがでしょうか?




 さて、これをいつ読まれるかはわかりませんが、現時刻、いよいよ2017年もあと一時間足らずとなりました。皆様、よいお年をお過ごしください。



 このエッセイも何気に多くの方に読んでいただいてるようでありまして、本当に感謝の言葉もありません。こちらから見てるとなぜか映画『第三の男』の回が群を抜いてとてもアクセスが多いのが本当に不思議です(笑)。意外と年配の方にも読んでいただけてるのかな? と思わず考えてしまいます。


 そんな古い映画から最新作まで、来年はもっと多く、さらなる面白い映画を探して、ゆる~く書いていこうと思っておりますので今後とも何卒よろしくお願いいたします。m(__)m





(申し訳ありませんが今回の【本作からの枝分かれ映画、勝手に三選】は来年にでも付け足しておきますのでまた気が向いたらお立ち寄りください! 間に合いませんでしたっ! 年が明けるまでに本編をなんとしてもアップしておきたかったもので! (^_^;))

(追記:年が明け、現在は載せております。明けましておめでとうございます! 2018.1.3)



 2017:大晦日、感謝の気持ちを込めまして。

 よいお年を。

 年越し蕎麦はお蕎麦を食べましょうね。

( ̄▽ ̄;)


     ── ペイザンヌ ──




【本作からの枝分かれ映画、勝手に三選】


★『チェ/28歳の革命』『チェ/39歳 別れの手紙』(2008)

 ……エッセイ本編では触れることができませんでしたが今回一番いい味を出していたといってもいい“D.J”(Don‘t join─参加しない─の意味らしいですね)役を演じたベニチオ・デル・トロが名匠スティーブン・ソダーバーグのもとで御存知革命の父チェ・ゲバラを演じた二部作。まったくカラーの違うこの人物たちを演じ分けできるすごさが、また……。しかもどっちも役にハマってるから人間の『演技』ってやっぱ凄いなと思います。『最後のジェダイ』は主要キャラが皆マジメなため、こういう雰囲気のキャラが出ていてくれると逆にホッとします。まさにちょっとした若きハン・ソロみたいでしたね。

二本合わせて四時間半ですが、歴史の勉強だと思えば短いもの。ドキュメンタリー色が強いですが“ゲバラ”という人物とは何だったのかを知るにはめちゃめちゃ安い買い物です。併せて革命前のゲバラを描いた『モーターサイクル・ダイアリー』(2004)を観れば完璧だと思います。


★『ローグ・ワン』(2017)

 ……本編でも触れましたが、ごめんなさい、私、そこまで期待してませんでした。その反動が大きかったのかもしれませんが、少々寝ぼけ眼で見始めたにも関わらず、いつの間にか食い入るように見ちゃってましたね(笑)キャラクターが良い、サスペンスフルなのは新三部作より良い、そして……一番脂の乗ったダース・ベイダーのパワフルさを見ることができるのは本作だけ! みたいな超オマケつき。ラスト10分は何度見ても飽きないなぁ……。


★『羅生門』(1950)

 ……言わずと知れた黒澤明の名作ですね。私にとってもずいぶん昔の映画ですが初めて見た時の衝撃といったらなかったですね。スクリーンで見ることができたのがラッキーでした。


 ジョージ・ルーカスが旧三部作でやはりクロサワの『隠し砦の三悪人』をオマージュにしていたのは有名ですが(こちらもめちゃめちゃ面白いです!)、むしろ、そのことに影響を受けたのか(影響の影響?)ライアン・ジョンソンも今回『最後のジェダイ』で『羅生門』を手本にした場面を入れたと言っております。つまり“嘘の(というか本当かどうかわからない)キャラそれぞれの回想シーンですやね)”。確かに今回カイロ・レン側から見た回想シーンの中のルークは血走った目で鬼のような形相をしてましたからね。ルーク側の回想の時とは明らかに違う顔をしております。……まあ、ぶっちゃけ効果的だったかどうかは微妙ですが、これまで『スター・ウォーズ』の中ではタブー化されていた『回想シーン』を今回新三部作ではバンバン使ってきてますやね( ̄▽ ̄;)


ただ、回想シーンは夢落ちと一緒で素人が脚本の中でやたら使うのはあまり良しとされていません。火曜サスペンスみたいに“楽”なんですがそれをいかに使わないかの工夫の方こそが上手さ、斬新さとされてます。使い方に気を付けなけりゃですね(^_^;)


ちなみに、“嘘の回想シーン”を映像としてトリックに使ったヒッチコックの『舞台恐怖症』(1950)はで斬新ながらも“有名な”失敗例とされていて本人も認めています。しかもそれが『羅生門』と同じ年の製作というのがまた面白いですね。若き名匠たちがいかに表現について貪欲だったかわかるような気がします。逆に言えば“失敗を恐れぬくらい”誰もやったことのない新しいことをもっともっとやらなければならない。そういうことなのかもしれませんけどね♪

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