Take‐18 映画『インター・ステラー(Inter stellar)』(2014)は面白かったのか?

(;´Д`)ネタバレだよ。注意だよ。


〈1:人の生死にかかわるイベントが起きたとき(葬儀、出産など)──〉

〈2:人生の大きな転換点(恋愛、事故、病気、失業など)──〉

〈3:旅行中──〉


 上に書きました1~3の項目ですが何のことだかわかりましたでしょうか? 

 いわゆる〈シンクロニシティ〉が起こりやすい状況だと言われております。


 ども、ペイザンヌでございまする。


 共時性シンクロニシティとは、いわゆる“意味のある偶然”。フロイトと並ぶユングが提言した有名なアレです。私、こういうの昔からとても好きなんですよ。なのでちょっと今回は短編以上に長くなりそうな予感(^_^;)


 なので、時間がある時にでも付き合ってやってください( ̄▽ ̄;)


 せっかくなんで共時性シンクロニシティの有名な例を二三あげてみようかなと。


(ケース1)

『トム・ソーヤの冒険』でお馴染みマーク・トゥウェインは二十歳くらいの頃、弟のヘンリーとミシシッピ川で水先案内人をしていた。ある時金属の中に弟の死体が横たわってる夢を見たマーク。弟、ヘンリーの胸には花束がたむけられ中央に赤いバラが置いてあった。悲しいことにそれは現実となる。弟が乗った船がボイラーの爆発事故を起こしたのである。その際、多くの人は粗末な木の棺に入れられたがヘンリーだけには彼の若すぎる死を悼みある婦人が“金属の棺”を寄贈してくれたのである。彼の遺体を茫然と見守っている時、ある女性が彼の棺に花束をたむける。その中央には赤いバラがあった。


(ケース2)

『羊たちの沈黙』のアンソニー・ホプキンスが若手俳優の階段をかけ上がっている頃、『ペトロフカから来た少女』という映画の主演が決まった。原作を読んでおこうとしたホプキンスはロンドン中の図書館を巡るがどこにも置いていなかったという。仕方なく帰ろうとした彼は、地下鉄のベンチで置き去りにされた本を見つける。まさにそれは『ペトロフカから来た少女』だった。しかも余白に何か書き込みがしてある。後にウィーンから撮影現場に遊びにきた原作者のフェイファーとホプキンスが話していたところ彼がが拾った本とはその原作者フェイファーが友達に貸してロンドンのどこかで紛失したらしいというその本だったという。


 また『マグノリア(1999)』というこちらも奇妙な偶然を扱った映画のオープニングで本編とは関係ないエピソードが三つあげられております。短いので抜粋。


 1つ目のエピソードは、3人の強盗殺人犯の名字、Green、Berry、Hill をつなげると被害者の住んでいた地名 "Greenberry Hill" になるという偶然。


 2つ目は、消防士が湖から消火用の水と共に引き上げてしまったダイバーは、その2日前に、消防士がカジノで喧嘩をしたディーラーだったというエピソード。


 3つ目は、飛び降り自殺を図った息子が建物から落ちていく途中で、その母親が偶然、窓から息子を射殺してしまったという信じられないような話。


 後にゆっくり述べますがこれを書いてる途中にも私自身にもちょっとばかり奇妙な偶然が起こったりしまして思ったよりも行数をとることになってしまいました。


 なお、もう一度【警告】させて頂きますと、今回に限っては後半に大きな【ネタバレ】があります。御了承の上お読みください

m(__)m


 んで、映画『インター・ステラー』。


 この映画もこの共時性シンクロニシティと密接な関連のある映画なわけでして、まさに冒頭にあげた三項目、しかもその地球規模ヴァージョンが当てはまるわけです。


 この映画は専門的に解析しているブログなんかも結構な数あるのですが、なんとか持ち合わせの格安家庭用調理器具を駆使し、ペイザンヌ風に調理してみたいなと思っております。それくらいメガ面白かったというか、非常に唸らされた映画でありました。

(;・ω・)

 久々に人生のマイ・ベスト10に新しく入れちゃいたいと思える大作でした。大げさですがSF映画の新しい歴史の到来すら感じてしまいました。

 デビュー作『フォロウイング(1998)』は未見ですが、監督は『メメント(2000)』以来ほぼハズレなしのヒットメーカー、クリストファー・ノーラン。


 近年のSF映画というとトム・クルーズの『オブリビオン(2013)』やR・スコットの『プロメテウス(2012)』など、やや肩透かしを喰らったものが多かったので何となく躊躇していたんですね。が、そんな心配もどこ吹く風。


 この『インター・ステラー』、ようやく……


 うぉっしゃ!キタよ!

 B(゜∀゜)


 キタよ!

 ヾ(゜∀゜ 三 ゜∀゜)ノシ


 キタよ!

 (;゜∀゜)Ο


とばかりにノーラン節を躍りながらの一人祭り開催決定。


♪ヤーレンノーランノーランノーランハイハイ

♪⊂(・∀・⊂*)⊂(・∀・⊂*)

♪⊂(・∀・⊂*)⊂(・∀・⊂*)


 そもそも、私、この映画観る前ちょっと忙しくて、36時間ほど寝てなかったんですね(*_*)

(あ~でも明日コレ返却日だしな~、やっべーな、うわ、この映画3時間もあんのかよ、ぜって~途中で寝るよな、うん、もったいないけど観ないで返却だよな、うん寝よ寝よ…… )


 そんなココロの声とは裏腹にナゼか体が勝手にディスクをうぃ~んガチャ。。(〃_ _)σ一∥

してしまう私。それがすでに夜中3時過ぎでしたかね?


 で、終わってみれば当然スズメがチュンチュン……。最終的に42時間眠らずという記録達成でした。まあジャック・バウアーなら軽く二回くらい世界を救っちゃう時間なんですがね。

 駄菓子菓子、

 ぜんっぜん、眠くならなかったんですよね……むしろ途中から逆に覚醒しちゃったくらいで、終わった後はしばらく放心状態。


 (*゜▽゜) (*゜▽゜) (*゜▽゜)お…………



 おっもしれぇ~~~~~~

 (|| ゜Д゜) ナンジャコリャ!


 難解な映画だと思って避けてるアナタ。(私もそう思ってました)間違いです。いや、小難しく考えればいくらでも考えられるんですが、それ以前にめっちゃエンターテイメント性が高いやおまへんか!

 時間が長いと思ってるアナタ。(私もそう思ってました)いやいや、途中でガン見になりますから!


「あなたは見られている」が宗教。

「見られていなくても」が道徳。

「どう見ているか」が哲学。

「見えているものは何か」が科学。

「見えるようにする」のが数学。

「見ることができたら」が文学。

「見えている事にする」のが統計学。

「見られると興奮する」のが変態。


 と、誰かが言ったらしい記事をTwitterのリツイートで見かけましたが(坂崎文明様、ありがとうございます。参考にさせて頂きました)、まあ一番最後のは置いとくとして(笑)、これ全てを引っくるめたのがまさに本作品といってよいでしょう。


 以前『シックス・センス』のM・ナイト・シャマランが撮った『サイン(2002)』という、やはり共時性シンクロニシティを扱った映画がありました。これがまた当時別の意味で”なんじゃこりゃ(°Д°)映画“と騒がれた作品だったんですね。


 ただ、個人的にこの『サイン』。みょーーに気になってて……

(え? 面白いじゃん? ねえ、面白くね? なんでそんなにコキ下ろされてんの? う~ん…… あぁっ、でも、なんだろう? このヒジョーに『おしいっ!』って感覚は?!)とモヤモヤしたのを覚えてます。


 で、この時のモヤモヤを数百倍のレベルで払拭ふっしょくしてくれたのもこの『インター・ステラー』なんですね。


 と、せっかく先駆けたにも関わらず、残念なことにうまく伝えきれなかった……というのがこの『サイン』、シャマランの敗因だと思います。(何度も言いますが個人的には買ってます)“早すぎた貴公子”とでも呼んでやりたいくらいです。


 ここで少し共時性シンクロニシティそのものについて一度考えてみます。


 この共時性シンクロニシティって、あくまでも“結果論“であって、それを起こすためにはどうしたらいいか? ということではないんですよね。


 起こった事象、結果がまず先にあり、それを帰納法によって読み解いていくというのが三次元に住む我々にできる唯一のこと(少なくともスピリチュアルの少ない普通の人にとっては)というのがコレの面白いところであり、逆に言うと共時性シンクロニシティを人為的に計算して作り出すことはできない、という歯がゆさもあるということ。


 大丈夫ですかね? ちゃんとついてこれてますか? 安心してください。書いてる私も何言ってんだかよくわかってませんので(笑)


 本作『インター・ステラー』には五次元という概念が非常に重要なポイントになってきます。


 五次元ですよ?

 笑っちゃいますやね。

 なに五次元て?(笑)


 私なんぞ『ウルトラマン』で“四次元怪獣ブルトン”が出てきてもよくわからんというのに、五次元までいっちゃうともうお手上げです! (ちなみにブルトンはサザエの壷焼きに似たシュールな怪獣です。フランスのシュルレアリスムの大家アンドレ・ブルトンからとっています。いらぬ豆知識でしたね)


 ただ、“アア、ナンカコンナコッチャナイノカナ?”という妙に安心できることをこの映画は言ってくるんですよ。

 “愛”というわけのわからないものこそ“五次元”なのである。と。

 愛はジェットコースターだとばかり思っていた私にとっては衝撃以外の何物でもありません。


 科学も物理も苦手な私としてはそれでもまだよくわからんのでM・メーテルリンクの童話『青い鳥』とかに例えてみることにします。

 まあ、この童話。結果論として、“青い鳥”はすぐ近くにいた。──ってとこだけは先走って有名ですよね。

 でも姉妹がそれを“探しに行こう”と思わなければそれがどんなに近くにいようと見つからなかったわけなんです。たぶん。


 探しに行こうと思わなければ“青い鳥”がどれだけ身近にいようと、姉妹がその場に何十年間いようと“見つからなかった”と思うんですね。

 ここで重要なのは姉妹がどちらを選択しようが“青い鳥”は“そこにいる”という事実なんですね。


 ただ、“状況として同じ“というのと”結果として同じ”というのは似ているようで天と地ほどの違いがあると思うのですね。ここにとてつもない隔たりと違いが生じるわけなんです。


 と、ここまで書いた時です。私自身もあれ『青い鳥』ってそもそもどんな話だっけ? と思ってちょっとググってみたんですね。


 てか、ストーリーもはっきり覚えてないのに例えになんか出してよいのか? と、思ったものですから。


  いいですか、皆さん。ここ大事です。

 この後に冒頭で述べた奇妙な偶然が起こりました。


 続きはCMの後で。


 ……などとは言いませんが、後々『おわかりいただけただろうか?』みたいなリプレイもしませんのであしからず。


 ホントにたまたまでした。


《そもそも、なんで数ある例えの中から私の頭にパッと童話の『青い鳥』が浮かんだのか? ストーリーすらまともに覚えてないのに?》


 そう思って私が『青い鳥』のあらすじをググってみた時の衝撃がちょっとでも伝わると幸いなんですが。(すでに映画を観た方だったらピンとくると思います)


〈Yahoo! 知恵袋:『青い鳥』のあらすじを教えてください〉より、そのまま抜粋。


   ××××××××


 人がたんに自分自身の幸福を求めるのであれば、地上のルールにしたがって現実的な努力をするだけでよいが、不幸な他者をも幸福にすることができるような、真に幸福な人間になることを求めるのであれば、それまでのものの見方(価値観)を変えて、夢の世界(心の内面の無意識の世界)での旅を通して精神的変容を達成することが必要である。


心理学者のユングは、錬金術の作業を通しての卑金属の貴金属への変化を、内面的な試練を通しての自己実現としてとらえています。

メーテルリンクには神秘主義的傾向があり、古代から現代に至る神秘思想(オカルト哲学)に関する著書「Le Grand Secret」 (1921)では、グノーシス主義やカバラや錬金術について語っています。「青い鳥」も例外ではありません。最初の国で捕まえた青い鳥は黒い鳥になって、最後の国で捕まえた鳥は赤い鳥になるというのがあったと思いますが、これは、それぞれ、錬金術の「大いなる業(Magnum opus)」の最初の過程である「黒化(Nigredo)」と最後の過程である「赤化(Rubedo)」に対応しているように思います。


 ×××××××××


 ここでまたユングが出てきたことにも正直ドキッとしたんですが……

( ; ゜Д゜)

 それ以上に……

 この解説って、めっちゃ似てるんですよ。映画『インター・ステラー』に……

!Σ( ̄□ ̄;)


 主人公マシュー・マコノヒーが人類を救うため(不幸な他者の幸福)なのか家族を救うため(自分の幸福)なのか葛藤する場面が全編通してあるわけですが、まさにコレなんですよね。


 ”価値観・精神的変容“とは『2001年宇宙の旅』でいうとモノリスやスターチャイルドを指し、(クラークの『幼年期の終わり』などでもそうですがSFにも時に人類が次のステップへいくための精神統合などの観念がよく登場したりしますやね)『インター・ステラー』においてはブラックホールのコアというか計算や人知では想像すらできない“何か”。そのくせそれが自分自身である可能性も含め物凄く身近にある”何か“に匹敵……する、のかな?


”錬金術“においてはまさにマイケル・ケインたちがどれだけ計算を重ねても解ききれなかった重力の法則や時間逆行の原理であり、頭で考えることのそのまた先に突如現れる“無から有への変化”。


 さらに人類が移住できると思った2つの惑星を探査することが無為に終わりどうしようもない袋小路に迷い混む(青い鳥を捕まえたと思ったのに色が変わって逃げていった)というのもこれに似ています。


 そして、最後の最後、土壇場ギリギリのところで主人公が偶然、たまたま見つけてしまったというものが、物語の”発端“となる”あの場所“または“あの時間”へと通ずる道。回帰。パラドクスがパラドクスでなくなる場所……


 頭がこんがらがります(@_@;)

 頭の中でループ現象が始まります(@_@;)

 考えます(@_@;)


 映画のファーストシーン。主人公は旅立っても旅立たなくてもよかったのでしょうか?

 違います。

 旅立たなくては”アレ“に気付けないんです。

 落ちた本、そして砂や、時計。

 “ただし”起こる現象は恐らく同じです。

 ただ、その”最も大事な”ことを伝えようとしている“とても些細な現象”に“気付くため”に、彼は莫大な時間と犠牲を払いつつ広大なブラックホールの果てまでも旅立たなければならない“必要”があったわけなんです。


 こんなテーマを書いているときにたまたま『青い鳥』が頭に浮かび、ググってみる。そしたらたまたまこんな回答にぶつかった。そのこと自体にちょっと、いや、本気でゾクリとしました。少しだけプチ・シンクロニシティを感じました。


 まあ、物語の構造など所詮は限られた黄金比率のどれかに当てはまってしまうのは知っているつもりでしたが、それにしてもこのエッセイを書くための要素にドンピシャだったもので。


 超常現象作家で有名なコリン・ウィルソンも『世界不思議百科』で、常に頭にあった“ジャンヌ・ダルクは処刑されなかったのではないか?”という疑問を書く際に、たまたま開いた歴史書の中にまさにドンピシャの記事を見つけたらしいというシンクロニシティもあるらしいのでこういうことはなかなか侮れないもんだなぁとか、妙に不思議な気持ちになった次第であります(ー_ー;)


 ちなみに冒頭にあげたマーク・トゥウェインが作家になるきっかけは“たまたま拾った”ジャンヌダルク物語の一部を読んだのがきっかけらしいです(笑)


 今、このエッセイを読んでくれた方の中にも「偶然、さっき『インター・ステラ―』見終わったばかりだった!」なんて人がいてくれるとそれはそれで面白いんですがね(笑)


 皆様の身にもよきシンクロニシティが起こらんことを……?  

(  ̄▽ ̄)





【本作からの枝分かれ映画、勝手に三選】


★『2001年宇宙の旅』(1968)

……本作の感想を書いているほとんどの方はこの作品に触れてました、というか、どうしてもこの作品に触れざるを得ないという一本。しかし50年前の映画ですからね(@_@) この映画史上不滅のモノリスに『インター・ステラー』はようやく触れた、というか、もう越えたと言ってもいいんじゃないのかな、くらい。


★『21g』(2003)

……突然起きたひき逃げ事故から交じり合うはずのなかった運命が重なり始める。前面に〈シンクロニシティ〉を押し出しているわけではないが、ああ、こういうことなのかな……と思ってしまいまう映画。どちらかというと悲哀の方の“偶然”。重そうですが見始めると引き込まれます。監督は2年連続アカデミー監督賞獲得の快挙を遂げてしまったイニャっち。まだの方はこの機会に観てみるのもいいかもですね。

『スターウォーズ』のエピソード8にも出演が決まったベニチオ・デル・トロ、ごつい顔だけど、いい役者ですね~♪


★『サイン』(2002)

……こちらも本編で触れてますが、近々見直してみたいと思ってます。てゆーか、後半あんな映画だとは微塵にも思ってなかったんでね(笑)そういう意味では“アイツら”が出てきた瞬間は本当に尻が浮きましたよ。びっくりした(笑)

 この、な~んか“おしい!”感を味わってみてはいかがでしょう(^_^;)

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