一歩ずつ、踏みしめる

 目を覚ますと、アーニャが傍にいた。

「よう…… どうなった?」

「戦闘は、終わった……」

「そうか…… どういう……」

「喋らないで、楽にしていて。キャンプまで、運んでいくから。私が」


 それからは、ぼんやりとアーニャの話を聞いていた。

 ジェーンは自分の死をトリガーにして、ユナイテッド・アビスの兵士たちに仕込んだプログラムを起動させたらしい。

 パニッシュド・ウロボロスの無効障壁を外し、一瞬だけ強烈な苦痛を生じさせる。

 それは、周りの者たちを巻き込み、水の波紋が広がるように伝播していき、全員が気を失った。

 唯一意識を保っていたアーニャが、私を発見して作戦成功の信号弾を打ち上げた。

 その後、ジャクリーンを起こして、他の兵士のことを頼んで、私の傍にヘリを着けてくれた。


 あいつは、自分が死んだ後の事まで考えていたんだな……

 世界を壊しつくすなんて嘘じゃないか……

 まったく……


 ヘリに乗せられて、キャンプに戻ってきた。

 アーニャによると、敵も味方も記憶が曖昧になっているようだ。ジェーンが何か仕込んだのか、それとも偶然の産物か……

 まあ、両方とも大人しくしているようだ。

 そして、私たちは、昨日寝ていた部屋に戻ってきた。


 デジタル・インフラは、ほぼ壊滅。それに依存していた世界経済、医療、ライフラインも深刻な打撃を受けた。回復するにしても相当な時間がかかるだろう。

 前と同じにはいかない。知恵が必要だな。それができるのは人間だけだろう。

 それなら、私も……




   死んでしまった時のことを考えたら

   今までとは違う機会が得られるかな……


   戻ってきて、再び生きる

   生まれ変わって、何度でもやってみるさ……


   何度も、何度も、何度も……




 眠っていたか……


 アーニャが見守ってくれていたようだ。

 生身で頑張ってきた奴は強いな。さすがだ。


 ジャクリーンは、もう平気みたいだ。

 一からやり直した奴は強いな。さすがだ。


 一時間くらいたった時、私は口を開いた。

 「なあ、アーニャ。このまま、家に帰りたい。この体じゃ一人では難しい。だから家まで送っていってくれないか? エッジとは、それから――」

 「うん。そう言うと思ったから、ヘリを出せるようにしておいたよ。いつでも行ける。私は、エメリアと一緒に行くから」

 「そうか…… ありがとうな……」

 そう言ってから、私は立ち上がって歩き出した。


 体が痛い。パニッシュド・ウロボロスは消えたはずだ。ジェーンが全部持っていった。でも、私たちにはまだ、サークレットがある。この先どうなるのか……


 でも、隣に居るこの二人が、人間と生命の底力を見せてくれた。

 だから、大丈夫だろう。きっとな……


  周りの連中は、良く分からないままに仲良くやっているようだ。不安な中、離れる者、寄り添う者、様々で、これからどうすれば良いのか考えたり、考えるのをやめたりしている。デジャヴか…… どこかで見たような気がする。

 他人の事を気遣っている場合じゃないな、自分のことに集中しないと転びそうだ。 右足を出し、地面に着き、踵からつま先へ力を移し、左足を出す……

「ちょっと待ってくれ!」

 エッジに呼び止められた。

「何だ? もう、私に用は無いだろう?」

「行かないでくれ! まだ、みんな……」

 私は首を振った。

「私は、もう関わるべきじゃない。あとはもう、こいつら自身がどうにかしなくちゃいけないんだ。世界中がこんな状態かもしれないが、それぞれのやり方で役割を果たしていくのが一番いいんだって」

 お前もな。アーニャの為にも、それを見つけてくれ。


「なら、みんなに話をしてやってくれ」

「話って、何をだよ?」

「俺にはどうすれば良いのか分からないんだ。頼むよ」

 そう言うと、エッジは兵士たちが大勢いる広場まで、私たちを連れて行った。

 兵士たちが私を見ている。マイクを渡されたから、これで喋れってことか。

 私は、ため息を一つついて、マイクに向かった。

「お前ら、私の指の先を見ろ」

 みんなが私の指差した方を見る。

「あれが、このキャンプの出口だ。そこまで歩いていけ。キャンプから出た後は自分で行き先を決めて歩け。私に言えるのは、それだけだ。じゃあな」

 歩き出そうとしたら、足がもつれた。

 あ、倒れる、と思ったら、誰かに支えられた。

 アーニャか……

「……今、偉そうなことを言ったばかりなのに、一人で歩けないとはな……」

「進む道が同じなら、支え合うのも悪くないよ」

 泣かせるなよ。

「……お前は、何より得難い宝だ……」



 私は、アーニャに支えられて歩いていった。周りの景色が後ろに流れていくのを、どこか冷静に眺め、私たちを見る人々の目や表情も見えた。だが、それだけだ。また、あの感覚。でも、今はちょっと違うな。

 足が感じる地面の感触と、一歩踏み出すごとに体に響く痛み。そして、アーニャの体温が私を前に進ませた。ただ、そうしていればどうにかなると思い、ヘリまで進む。

 あのヘリも、戦いの中を生き延びたんだな。どこかに、私たちの、私の痛みが残っているんだろうな。もしかしたら、もっと良い何かが。

 誰かが何かを見てくれたらいいな……


 後でアーニャに聞いた。その時、こんなことを考えていたそうだ。


  本のタイトルに Ground Tears を使おうと思っていたけど、

  今、もっと良いのを思いついた。今まで見てきたものを表す名前。

  エメリアの姿。鬼の目にも涙。そして、毒にも涙。色は赤。

  だから、Venom Cri(es)mson


 私はアーニャに支えられて、ヘリの中へ倒れ込んだ。

 よう。また、しばらく頼むぞ。よろしくな。

 緊張が一気にほぐれたようだ。体中の力が抜けて、動けそうにない。

「どっぷりと眠っちまいそうだ…… いい夢が見たいもんだが……」

 息を吐き出したところで、ジャクリーンがドアから顔を覗かせた。

「これから、どうするんだ?」

 何も考えていなかった。でも、まあ……

「しばらく、暴力沙汰は控えるよ。傷を治したら、絵でも描くか……」

「絵?」

「アーニャが書く本の、表紙か、挿絵かな。練習、しないとな……」

 コクトーが描いたものになりそうだ…… 

 まあ、あれも味があって良かったな。

「そうか……」

「お前は?」

「一つやり残したことがある。それをやったら、その先は、その時決める」

 ジャクリーンは微笑んだ。いい顔だ。酷いけど。

「そうか、じゃあな」

「ああ、お前たちも、元気で」

 ドアが閉められ、私たちは飛び立った。

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