第4話 義賊遊戯

 路地裏から大通りに出た。

 いや、正確には無理矢理連れ出された。自ら義賊を語り、遠慮する僕を立派な義賊に育て上げてみせると一人熱血している女の子に。

 ジリジリと照りつける太陽同様に、まったくもって勘弁して欲しかった。

「ほら、行くよん」

 僕の背中を彼女が押す。

 一体どこに行くのかも分からずに、僕たちは歩き出した。


「私はカスミ。師匠と呼んでもいいし、ミス・カスミと呼んでもOKおk。ミスカスミ、逆から読んでもミスカスミ、ああ、ステキな響き、すばらしひ」

 ひとりうっとりする彼女に、僕は「はぁ」と気の抜けた返事を返す。ミスカスミに執着する意味が分からなかった。

「なんだよー。ノリが悪いなぁ。もっとしゃっきりしなよ、義賊でしょー?」

 義賊でしょーって、あんたが勝手に仕立てただけでしょーが。てか、それよりも

「えっとミスカスミとやら、ひとついい?」

「ふむ、なんだぬー?」

「あんた、義賊を語る割にはさっきから手癖が悪すぎです」

 そうなのだった。路地裏から連れ出され、歩き出したのはほんの数分前。しかし、その数分間の間に彼女が手を出したブツは軽く十を越えていた。

 例えばすれ違うサラリーマンの懐からハンカチを盗み出して、さっと自分の首もとの汗を拭くと、そんな事に気付きもせず立ち去るサラリーマンの尻ポケットにそっと戻してみたり。

 例えば八百屋の店先にあるオレンジの入った籠と、りんごの籠の位置をまばたきの瞬間で変えてみたり。

 駐輪禁止の場所に置かれてあった自転車を、一瞬で隣の有料パーキングに置き換えた時はさすがに目を疑った。うん、人間業じゃない。

「えへ。そんなぁ、人間業じゃないなんて褒めすぎだぉ。まぁ、『高度に熟達したスリは魔法と見分けがつかない』ってクラークさんも」

「言ってないし、褒めてない。とゆーか、人の心の中まで盗むのはやめてくれ、頼むから」

 万事こんな調子だった。路地裏でのスマホのやり取りから……いや、その前の痴漢騒ぎの時もそうだったけれど、どうにも彼女、カスミと名乗る自称・義賊に上手くあしらわれている。

 なんとか彼女を出し抜きたい。

 僕がなんだかんだであまり抵抗もせず、彼女に付き合っているのはそんな単純な理由だった。

 まぁ、夏休みという事もあってヒマだし、それに義賊を気取るプロのスリ師というのにも興味がないこともないというか……。

「あ、キミ、危ないよ!」

 どうすれば一泡吹かせれられるか。

 そんな事を考えていたら、いきなりカスミに体を引っ張られた。

 が、それもわずかに遅く、僕の体にどすんと衝撃が走る。

「なんだ、てめぇ! ちゃんと前を見て歩きやがれ!」

 頭の上から激昂した男の怒鳴り声。と同時に胸倉を掴まれ、ぐいっと上にねじ上げられる。見ればいかにもな格好の、いかにもな人相の男だった。

「あ、スミマセン」

 とりあえず謝る。

「謝って済めば警察はいらんのじゃ!」

 実にベタな男だった。

 僕は仕方ないなと財布に手を伸ばす。すると

「あ、おばーちゃーん、お財布、落としましたよー」

 と、カスミが絶賛トラブル中の僕を他所に、前を行く老婆に声をかけた。彼女の手には見知らぬ和風のがま口財布。おそらく老婆のものだろう。

 でも、老婆と僕たちとの接触はこれまでなかった。いくら人外な彼女とはいえ、接触してない相手から財布をスる事はできない。

「あ、てめぇ、いつの間に!?」

 僕に絡む男の狼狽振りが、全てを物語っていた。

「おばーちゃん、この辺りはスリが多いから気をつけてねー」

 カスミがわざとらしく「スリ」を強調する。どの口で言うかと思ったけど、ツッコミはしなかった。それよりもここは穏便に済ませたい。目の前の男よりもカスミの方がスリ師としての腕前ははるかに上なのは明白だけど、同じように腕力にものを言わせる展開になったらどっちが上なのかも明らかだった。

 財布の中身を手探りで確かめる。結構な額が入っていた。僕は無造作に紙幣全てを抜き取る。

「あの、ホントすみませんでした。どうか、これで勘弁してくれませんか?」

 カスミに怒りの目を向けていた男が、再び僕を睨みつける。が、僕の手に握られた現金を見るとニヤリと口元を歪ませた。

「なんやワレ、わかっとるやんけ。しゃーないの、今回はそれで勘弁してやらぁ。これからはちゃんと前を見て歩けよ」

 僕の胸元から手を離すと、慰謝料をふんだくった男はもう一度カスミを振り返り

「ふん!」

 と鼻息一つ立てて歩き去った。


「いやぁ、一日一善。いい事をしたぬー」

 何度もお礼を言う老婆を笑顔で見送ったカスミが、僕に向かって満足そうな笑顔を浮かべて戻ってくる。

「何がいい事だよ? 今度こそ僕を囮に使ったくせに」

「それはぼやーとしてたキミが悪いんだよ? この世界、使えるものは使わないとね」

 しれっと答えやがった。やっぱりか。やっぱり「危ないよ」とか言いながら、さっきのチンピラに僕をぶつけて隙を作りやがったな、コノヤロウ。

「まぁ、それにほら、キミがどれだけやれるのかも見たかったしね」

 カスミがにまーと僕の背中に隠した右手に視線をやる。僕は少し溜息をつくと、右手を彼女にも見えるように差し出した。金糸で龍が刺繍された財布が、そこにあった。

「うわ、趣味悪っ!」

「まるで僕の趣味が悪いみたいに言うなよ、誰の財布か知ってるくせに」

 僕は財布の中身を確認する。紙幣は先ほどすべて本人に返してしまった。だから残りは小銭の三百円程度。

「弟子よ! 私は喉が渇きました。チェリオが飲みたいです!」

 師匠を謳うカスミが元気に手を上げた。

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