スリすぎ注意!

タカテン

第1話 スリにご注意

 十五歳、欲しいものはいっぱいある。

 お金とか、名誉とか、権力とか。僕だけの特別な力なんてのもいい。

 カワイイ彼女は言うまでもなく、一緒にいて楽しい友達も、尊敬して思わず目指しちゃいたくなるような大人だって欲しい。

 勉強とストレスがない毎日もいいな。それでいて日常が刺激に満ちていて、平凡とは無縁の生活が送れたらコレ最高。

 ……とは言っても、そんなの、なかなか満足するレベルで手に入るわけもなく。おまけに追い求めようと思ったら、努力とか勇気とか運とかが必要なわけで。

 そのどれも持ち合わせていない根性なしの僕は、だから今日も他人の財布に手を伸ばし、ちょっとしたスリルで自己満足にひたっていた。


(うはぁ。このおじさん、儲かってるなぁ)

 まるでコンビーフの缶詰のように、人間が押し込まれた朝の通勤電車。乗車口近くで身動きひとつ満足に取れない中、誰にも悟られず横に立つおじさんの鞄から抜き取った財布はずしりと重かった。

 揉むと音もなく良い感じに弾力が返ってくる。うん、これは小銭では出せない、札束ならではの反応。

 久々の大物に思わず顔が綻んだ。大学生や若いサラリーマンもいいけれど、やっぱりこういう「立派な大人」を「教育」してあげるのは気分がいい。

 僕はしばし感触を楽しむと、予め右手に仕込んでいたシールを財布の表面に貼り付けた。

 シールの盤面には『スリにご注意』。

 ちなみに剥がすと『男性はコスリすぎにも注意』という銀文字が残るという、ちょっと洒落た僕お手製ご自慢の一品だ。

 かくしてシールを貼った財布を再びおじさんの鞄の中へと戻す。その間もおじさんは全く気付かず、ぼんやりとした目つきで車内の釣り広告を眺めていた。

 よし、ミッションコンプリート。

 我ながら完璧だ。

 財布に貼られたシールを見つけた時の、おじさんの顔面蒼白な様子が目に浮かぶ。

 同時に慌てて中身を確認し、何もスられていない事に安堵する表情も。

 正直、財布の中身に興味がない、と言えばウソになる。でも、そこに手を出せば、僕は犯罪者に成り下がってしまう。それは嫌だった。

 だって僕はスリルを楽しみつつ、スリへの注意を喚起する義賊の気分をも味わいたいのだから――。


 電車が少しスピードを落とし始めた。停車駅に近付いてきた徴だ。

 僕はさっきまでの緊張を解いて成功の喜びに浸りながら、前に立つ女性がスマートフォンを弄っているのをぼんやりと見つめていた。

 癖のないロングの黒髪に加えて、俯いているから顔はよく見えない。だけど真夏にも関わらず、黒いスーツを涼しげに着こなしている。いかにもやり手の営業員って感じ。そんな女性が上部にウサギの耳を模したスマホカバーを愛用している。そのギャップが面白いなと思った。

 電車がさらにスピードを落とす。窓の向こうの景色が、駅前ならではの賑やかな街並みに変わってきた。

 もうすぐ電車は大きく揺れる。線路の分岐点があるからだ。それは毎日この路線を使っている人間ならば誰もが知っている。吊り革に手を伸ばせれば万全だけど、あいにく全て埋まっていたので、僕はその場に踏ん張る事にした。足腰には自信があるからこれで問題ない。

 ただ、目の前のお姉さんがいまだスマホに夢中で、何の警戒もしていないように見えるのは気になった。もしかしたらこの路線は初めてなのかもしれない。だとしたら、もうすぐ大きく揺れる事を知ることもなく……。

「きゃっ!」

 ああ、やっぱり。

 電車の揺れに抵抗出来ず、お姉さんの体が前のめりになる。

 予想通りだった。でも、僕に一体何が出来たと言うのだろう。「そろそろ揺れるから踏ん張った方がいいですよ」と話しかけろとでも? うん、無理。見知らぬ女性に話しかけるなんてレベルの高いスキルは持ち合わせていない。

 だから、せめてお姉さんが倒れてきても大丈夫のように、僕はいつも以上に踏ん張っていたわけで。

 そしてそれは見事に功を奏していた(ナイスジェントルマン!)

「大丈夫ですか?」

 僕は少しドキドキしながらも余裕をかまして、よろめいて抱きついてきたお姉さんにそっと一声かける。

 僕の鼻先で揺れる彼女の髪からは、とても心地の良い香りがした。おまけに胸元に押し付けられる弾力は、期待以上に豊かで柔らかかった。

 まさにラッキースケベ。神様、ありがとう!

「あ、うん。大丈夫。ありがと」

 僕から感謝を神様に受け取ってもらえたかどうかは分からないけれど、彼女から僕へのお礼の言葉はしっかり僕の耳に届いた。

 思っていたよりも声が若々しい。けど、それも彼女が顔を上げるのを見て納得した。

 スーツ姿だからもっと年上だと想像していたけど、僕を少し見上げる、はにかんだ笑顔はどうみても僕とほとんど変わらない。大きな瞳は茶目っ気に溢れ、ニコッと膨れ上がる頬は押し付けられる胸以上にぷにぷにとしてて。唇には薄くルージュがひかれているものの、化粧はほんの申し訳程度。でも、それで似合っていた。

「えっと……その、あの……どういたしまして」

 すっかり年上のお姉さんだとばかり思っていた僕は、予想外な展開でちょっと歯切れが悪くなる。うう、我ながら情けない。アクシデントに弱いというか。同年代の子に、こんな至近距離でマジマジと見られるのは気恥ずかしいというか。そんな僕の様子を、可笑しそうに目尻を下げて微笑む彼女がむっちゃカワイイっていうか。

 さっきまでの余裕が引っ込んで、僕はすっかりドギマギしていた。


 だから、彼女が体を離す間際に言った「ごめんね」の言葉の意味もよく分からず。

 ただ、開いた扉からホームに降り立つ彼女をぼんやりと眺めていて。

 そんな彼女が最後にもう一度僕を振り向いてくれた事に、どこか心がときめくのを感じたものの。

 それ故に彼女が放った言葉に、僕は耳を疑った。


「この人、痴漢です!」

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