[5]
ギデオンは堅い石にうつ伏せで横たわっていた。ヘレーネの姿をした悪魔はグルグルと喉を鳴らしながら、ギデオンに死が訪れる瞬間をじっと待っていた。
「気分はどう?」
悪魔は猫なで声で尋ねる。
「あんたは出来るだけのことをした。自分の命も投げ出した。それなのに結局、神様はみんな殺してしまった。あんたが選んだ10人だけじゃない。みんなだ。分かった?あんたの罪は消えたよ。もう自由なんだ」
「何の自由だ・・・?」
「胸を張って歩く自由さ。借りも罪もないんだから」
確かに悪魔の言う通りだった。自分がヘンケから拳銃を奪い取っても、あの村民たちは死ぬ運命にあった。関わる必要はない。気にすることはない。簡単なことだ。悪魔はそう囁いていた。
「安心しな、ギデオン。思い煩うことはない。どっちにしろ、神様は気にしてないんだ。神には神の計画があるのさ」
「ぼくも・・・その計画のなかに入ってたとしたら?」
「入ってないよ。なんで神は、あんたをこんな試練を与える?なぜ、これ程の苦痛をお与えになるんだ?気にしてないか、単に残酷なのかのどっちかだね」
ギデオンから返事が途絶えた。悪魔は震え立つ心を抑えようとした。ついにくたばりやがったか。この出来損ないの神父は。こんなか弱い男が使いにさせるのも、神の趣味が悪いってもんよ。そして、俺は新鮮な神の肉を頂戴しようというわけさ。
悪魔はそっとギデオンに近づいた。生きている気配は感じられない。悪魔は不敵に嗤った。ギデオンの身体を仰向けにひっくり返して両腕を掴み、地面を引きずり始めた。刹那、悪魔は訝しげに頭を振った。
ギデオンの身体が重い。腕を引っ張ろうとする度に身体が地面にずぶずぶと沈む。どうなっていやがる。様子がおかしい。困惑する悪魔は腕を手放した。ギデオンは眼を開ける。
ふらりと身体を起こした。左胸にぽっかりと口を開けた銃創が見る見るうちに塞がる。身体つきも女に変化する。眼元が隠れた表情は何も掴めない。悪魔は驚愕した。
「おいおい、どうなっていやがる!コンチクショウめ!」
ギデオンから力強いアルトの美声が発せされた。
「神の名において、お前と闘うために私は還って来た!悪魔よ、この地上にお前の居場所などない!人間こそ、神に選ばれた聖域なのだ!」
ギデオンは腰に差した細剣を抜き、悪魔にひと振りで突き出した。
「我らが主に代わり、その御力によって、汝を地獄へ追放する!」
悪魔は唸りを上げる。
「ゾフィ!弟を身代わりにして、この世に舞い戻って来たか!」
ゾフィは刺突を繰り出した。悪魔はステップを踏んで剣先を避けた刹那、ゾフィに体当たりした。胴体に脚を巻きつけ、太腿で上半身を押さえつける。ゾフィは必死に振り落そうとするが、相手は驚くほどに重い。悪魔はゾフィの頭を両手で掴み、堅い岩に叩きつけた。一瞬、息が詰まる。眼に星が飛び散る。
「どうした?せっかく甦ってきた割りに、動きが鈍いぜ!」
悪魔はゾフィの首をギリギリ締め上げる。
「お前の神様はどこにいるんだ、ギデオン?ゾフィ?教えてやろう。あいつはお前がせっせと祈ってる間、天の玉座で一人息子とヤッるんだよ」
「す、姿を現しなさい!この化け物!」
ゾフィはポケットから掴んだ聖水の瓶を悪魔の顔に叩きつけた。衝撃でガラスが粉々に砕ける。聖水は悪魔の顔を焼き焦がした。悪魔は激痛に悶える。ゾフィの身体から離れてずるずるとよろめいた。硫黄の煙を上げる顔を両手で押さえつける。
やっと自由になったゾフィはすかさず細剣で左肩に切りつける。
「神が自らの似姿に造りたまい、聖なる子羊の尊き血によって贖われし魂から、汝を追放する!」
悪魔のしわがれた声が洞窟に響き渡る。
「そうだ、これでいい!こっちの方が楽だ」
刹那、剣閃が交錯する。刃から散った火花が暗闇に輝いた。悪魔もいつの間にか抜いた細剣を眼の前に突き出している。人間の下から現れた悪魔の素顔はシュコドラだった。
「あんたは人殺しなんだ。ギデオン」
悪魔は笑った。
「あいつらの眼を見て、指さし、殺したんだ。あの連中はあんたのせいで死んだんだ。今日、神はここにいないよ。神父」
ゾフィは絡まった剣先を受け流した。今度は右腹に切りつける。この動きも悪魔は見切っていた。怒りにゾフィは呻いた。口角から赤い筋が流れる。口を切っていた。
「どうした?銃は撃たないのか?あんたの得意とすることじゃないか?」
「貴様をこの地から追放するには、この剣だけで十分だ。神の御言とともに、お前をひれ伏してみせる!」
ゾフィは首から取ったストーラを悪魔に投げる。悪魔は身を翻して飛び退いた。すかさずゾフィは刺突を繰り出した。空中で悪魔の左肩を切り裂いた。
「大天使ミカエルの名により、主と諸聖人たちの名により、汝を追放する!」
悪魔は大きな岩のそばに着地する。ゾフィは相手がよろめいたところに脚を狙って切り下げる。悪魔は剣先を柄頭で受け止める。そのままゾフィは身体を寄せ、剣先を受け流しながら頬を切り裂いた。洞窟の壁に悪魔の背を押しつける。
「天の高みから地獄の底へ追放する!」
悪魔は激しく身を震わせた。喉からは獣のような唸り声が絞り出される。
「汝を叩き落とした主の名において!立ち去れ、この・・・」
悪魔は剣を薙ぎ払い、柄頭でゾフィを殴りつける。衝撃で脳内に火花が散る。よろよろと後ずさったゾフィは頭に手を当てる。額が裂けた傷から血が流れる。
ゾフィは頭を振って眼を開ける。悪魔が片手でジョセフを抱えていた。指はジョセフの首に絡みつき、鋭い爪が肉に食い込んでいる。喉を詰まらせて嗚咽しているジョセフはすがるようにゾフィを見た。
「こいつが死ぬところを見せてやる」
ゾフィは細剣を構えて踏み出した。悪魔は首にかけた指に力を込める。首の骨がギシギシと軋む音が洞窟に響いた。
「あんたはこの子を見捨てるんだ。あの連中と同じように」
「神よ、この子を救い給え。穢れなく、御心の祝福にふさわしいが故に」
ゾフィはじりじりと脚を地面に滑らせる。
「大天使ミカエルの名により、主と諸聖人たちの名により、汝を追放する!」
悪魔は吠える。ゾフィはすかさず刺突を繰り出した。狙うべきは左胸。その奥に潜む悪魔の心臓。細剣はジョセフもろとも悪魔を衝いた。
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