[4]

 遺体が広場の石畳に横たわっている。黒い制服の背中が肩甲骨の間で深々と裂け、濡れた血で光っている。ヘルンデールの村人たちは家々の壁を背にして身を寄せ合い、怯えた様子で死体を見ている。噴水の近くに、いかめしい顔つきをした兵士たちがサブマシンガンを手に警備に立っている。

 灰色の空から小雨が降っている。広場にいる全員がぐっしょりと濡れそぼっていた。遠方の戦場から、煙が低い雲に向かって立ち上っている。ギデオンは村民のそばに立っていた。黒い聖職服の中で、関節が痛くなるほど拳を握りしめていた。

 ロルフ・ヘンケ特尉が兵士たちの前に進み出て、その場を行ったり来たりした。やつれた顔は年齢にふさわしくない皺が刻まれている。親衛隊の記章が襟に輝いている。ヘンケは出し抜けに死体を指差し、口を開いた。

「あれは私の部下だ。排水溝の中で死んでいた。背中にはナイフが刺さっていた。殺されたのだ、お前らの誰かにな」

 両手を後ろに組んで歩きながら、ヘンケは曇天を見上げた。

「知っての通り、我が軍は後退している。それで、お前らは希望を持っている。だが、そうはいかない。この事件が解決するまで、我々はここを動かない」

 村民たちは押し黙っている。

「さて、誰がやった?」

 答えはない。村民たちはヘンケや兵士たちに眼を合わせぬよう周囲を見回した。ヘンケはギデオンを見た。

「おい、神父。名は何という?」

「ローレンス神父です」

 声が震えた。

「こいつらは・・・貴様の信徒だな?それなら、告白を聞いたはずだ。さぁ、犯人の名を言え」

 ギデオンはさらに拳を固く握りしめた。誰が兵士を殺したのか。ギデオンは知らない。ただ、自分がこの村に派遣されている間に、殺された兵士が少なくとも四人の娘を強姦したことは知っていた。兵士の死を知った時、ギデオンは憐れみを全く抱かなかった。一応形ばかりの祈りは唱えたが、その後には感謝の祈りを付け足したほどだ。だが、今は祈りを捧げたことを後悔し始めていた。

「犯人はこの中にはいません、特尉」

 自分の確信が相手に伝わることを祈りながら、ギデオンはきっぱりと言った。

「そんなことを出来る人間は、ここには・・・」

「いたんだよ、神父。1人な」

 ヘンケはギデオンの言葉を遮った。女が1人、泣き始めた。周りの連中がなんとか黙らせようとしている。

「怖がらなくていい。大丈夫、心配するな」ギデオンは言った。

 ヘンケはギデオンの眼の前に立った。ギデオンは勇気をふるい、相手と対峙した。

「事件の解決には、あんたの協力が必要だ」

 ヘンケは静かに言った。

「どういう意味です?」

「犯人が要る。分かるな?こいつらの中には当然、妻や子ども、家族の誰かを殴っている奴がいるだろう。あるいは盗人とか、乞食でもいい。1人や2人は厄介者がいるものだ。こんなちっぽけな村でもな。そいつを指差せ。それで一件落着だ」

 刹那、ギデオンは本当にそうしようかと考えた。たしかにヘルンデールにも、ろくでなしはいる。1人や2人、誰が気にするものか。内なる声が囁いた。だが、ギデオンは頭を振った。この中に死ぬべき人間などいない。それを決めるのは神の仕事だ。

「この中に、人殺しなどいない。ぼくが保証する」

 ヘンケはギデオンの顔を眺め回した。ギデオンもひるまず見返す。背筋が冷たくなるような瞬間が過ぎた後、ヘンケは何か思いついたようだ。

「好きにしろ」

 ヘンケは口元に笑みをたたえ、村民たちを振り返った。

「いい知らせだぞ!お前らは全員、無罪だ!神父が保証してくれた」

 村民たちは不安そうに顔を見合わせた。ギデオンは息を吸い込んだ。

「どうやら犯人は今頃、どこかの田舎をほっつき歩いているらしい。そのうちまた1人、我が軍の兵士が殺されるかもしれない」

 ヘンケは村民とギデオンの顔を見回した。

「お前らの中の10人を銃殺刑に処する。犯人におかした罪の重さを思い知らせるためだ」

 ギデオンは悲鳴を上げる。サブマシンガンが一斉に火を噴いた。


 ギデオンは眼を覚ました。太陽はすでに地平高く昇っている。誰かがドアを激しくノックしている。ベッドから転がり出たギデオンは汗まみれの寝間着が身体に貼りつくのも構わず、慌ててドアを開いた。

 ドアの向こうに、シスター・アンが立っていた。すでに身支度を整えている。

「事件よ」

 ギデオンは急いで服を身につける。眠気でぼやけた眼をこすりながら、アンについて階段を降りていった。

「今朝、現場にモーガンの姿が見えなかったの。オラトゥンジに見てもらったんだけど、部屋にもいなくて。それで、パブに行ってみると・・・」

 2人はメインロビーからパブの入口に進む。アンはドアを開けた。

「この有様だったわ・・・」

 バールは荒らされていた。床には壊れたテーブルや椅子の破片が転がり、棚の酒瓶は全て叩き落とされている。この部屋だけ嵐に遭ったようだ。オラトゥンジとムティカが暗い顔でドアのそばに立っている。

 カウンターの上には蠅が群れて飛んでいる。ギデオンは思わず後ずさりした。アンも近づきたくないらしい。昨夜、地下の寺院で蠅の大群に襲われたことが脳裏によぎった。そのイメージを振り払い、ギデオンは勇気をふるってカウンターに歩み寄った。

 蠅が顔や腕にたかっては飛び去っていく。カウンターの表面に何本もの深い溝が彫られていた。溝は8本ある。それぞれに割れた爪が刺さっていた。何かに連れ去られようとするのに抵抗したような雰囲気を感じた。背中に冷たいものが流れる。

「夕べ生まれた族長の子どもは死産だったそうよ」アンは言った。「族長はあたしたちのせいだと言ってるわ」

 ギデオンはアンを見た。

「村の連中が復讐のためにモーガンをさらったとでも?」

「この村はもう暴動が起こる寸前まで来てるのよ。あたしはグレインジャー少佐を呼びました。午後には分遣隊が到着するはずです。エヴァソから飛行機で」

 脳裏にアンのひどく重そうなスーツケースを思い出した。ギデオンはあきれて首を振った。あの中にどうやら無線機が入っていたようだ。教皇府から支給された物に違いない。

「反対ですか?」

 アンはギデオンの顔色を見た。

「経験から言って、問題のあるところに軍隊を送るのは、決して賢明なやり方とは言えないな」

 ギデオンはパブを出ようとして立ち止まった。何かが視界の隅でキラリと光った。屈んで拾い上げる。それはモーガンがヘレーネに渡した聖ヨセフのメダルだった。幼い主が30年後の運命も知らず、無邪気に養父を見上げている。十字架はもともと恐ろしい拷問用の道具だった。最近、ギデオンは十字架を見ても心が休まらなくなっている。メダルをポケットに押し込み、ギデオンはパブから明るい日が射す外へ出た。

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