[2]

 ヘレーネはジョセフのベッドからあまり離れないよう気をつけながら、病室で雑用をこなしていた。外では、モーガンが窓からじっとその様子をうかがっている。夜闇がモーガンの姿を隠している。その眼は執拗にヘレーネの身体をねめ回していた。身体の曲線。丸い尻。豊かな胸。そのうち身を屈めたり、服を持ち上げて下着の中を掻いたりすることもあるだろう。

 1匹の蠅が顔にとまり、腫れ物の間をぬって這い回り始める。モーガンは気にとめなかった。呼吸が荒くなり、鼻息で窓ガラスが曇りそうだ。股間はすでに熱を持っている。経験上、いま手を触れれば暴発してしまうことは分かっていた。

 これまで何度、ヘレーネを視姦しながら窓辺の下に白い水たまりを作ってきたか。もう数えきれない。あの女は気づいてさえいないんだろう。口を開けば俺に嫌味を言い、いつも邪険に扱いやがって。役立たずだと見下しているつもりだろうが、どっこい俺は男なんだよ、お嬢ちゃん。気が向けば1日に3回はマスがかけるし、女相手なら一晩中突っ立ててやるって。

 問題はこの辺りにろくに女がいないってことだ。現地の女は勘定に入らない。黒んぼとヤるなんて、考えただけで虫酸が走る。ヘレーネは違う。あれこそ女だ。しかも調教済みときてる。腕の入れ墨がいい証拠だ。アメンドラの連中が収容所で女どもに何をしたかは聞いたことがある。簡単なことだ。あっと言う間にハメてガンガン突いてやる。ヘレーネは慣れっ子なんだから。こたえられねぇ。

 モーガンは股間を外壁に押し付ける。唸り声を押し殺した。玄関のドアが開き、オラトゥンジがそっと病院に入ってきた。入口に背を向けているヘレーネは気づかないようだ。モーガンはハァハァと息を切らし、声を上げないようにするのに必死だった。

 オラトゥンジの奴、ヘレーネに何をするつもりだ?後ろからヤッちまおうってのか?そりゃあすげぇ見物だぜ。

 蠅は相変わらず顔を這い回っている。くすぐったくなり、手を振って追い払った。ぶんぶんと飛び回る蠅が顔にたかった。モーガンはズボンのベルトを外しにかかる。

 モーガンの期待を裏切り、オラトゥンジはジョセフのベッドのそばで立ち止まった。ようやく物音に気づいたらしいヘレーネが驚いた様子で振り返る。相手がオラトゥンジだと分かり、すぐに落ち着きを取り戻して何やら話しかけた。モーガンは聞き耳を立てる。窓のわずかな隙間からはほとんど何も聞こえてこなかった。

「オラトゥンジ、できるだけの手は尽くしてるわ」

 オラトゥンジは無言のまま立ち去った。

 モーガンはこっそりと建物の角に回って表をうかがった。ちょうどオラトゥンジが病院から出てきたところだ。やつれ切っている。モーガンは訳が分からなかった。ここの女ときたら、雑種の犬もかなわないほど、ボロボロと子どもを産むじゃないか。ひとり亡くしたくらいで、なんであんなに落ち込むんだ。

 突然、顔に痒みが走る。掻いてみたが、治まらない。痒みは次第にひどくなり、爪で腫れ物がはじけて生温かい汁がとろとろと頬を伝う。すると、今度は燃えるような痛みが襲ってきた。ズボンで手を拭う。あの女め、俺を治療するどころか、ろくに診察しようとしない。しかも酒も無いときてる。クソッ、酒が欲しい。酒と女だ。あの女にしゃぶらせたい。

「雌ブタめ」

 モーガンはそう吐き捨た後、オラトゥンジの後をついてホテルに向かって歩いていった。オラトゥンジはホテルを通り過ぎ、どこかに行ってしまった。モーガンは相手の足音が聞こえなくなるまで待ち、パブのドアに手をかけた。どうせ鍵がかかっているだろうと思っていたが、ドアはするりと開いた。

 パブの中は暗い。当然、人けは無かった。明かりをつけようかと思ったが、止めておいた。奥のカウンターに向かう。顔の周りを飛び回っている蠅を手で追い払った。

 眼の前に影が立ちはだかった。モーガンは思わず飛び退いた。影は自分自身だった。カウンターの奥にある鏡にぼんやりと映っている。脅かしやがって。モーガンはカウンターの後ろに回って棚を見た。酒瓶は全部空だった。カウンターの下の棚も探ってみる。そこも空っぽだった。どうりでオラトゥンジが鍵をかけずにおくわけだ。

 カリカリと何か引っ掻くような音がした。モーガンはハッと上体を起こして再び鏡に映る自分と向き合った。小さな爪が硬い表面を叩くような音が次第に大きくなる。薄暗い室内は開いたドアとシャッターの隙間から月明かりがわずかに洩れているだけだ。モーガンは自分の顔をみはった。腫れ物の1つが膨れ上がって動いている。何かが頬の皮膚と肉の間でムズムズと蠢いている。

 泡立つような吐き気で胃が痙攣した。爪で腫れ物の薄皮を突いてみた。腫れ物が破れて膿や滲出液が飛び散った。途端に破れた傷から皮膚がモゾモゾとうごめき、大きな黒い蠅がぞろりと這い出した。

 ショックに凍りついたまま、モーガンは鏡を見つめた。蠅の羽根は湿っている。蠅は濡れた羽根を震わせて液体をまき散らし、軽やかに飛び立った。

 突然、さらに顔中がムズムズと動くのを感じた。顔にできた全ての腫れ物の中に小さな虫が蠢いている。

 ドアがバタンと閉まる。モーガンはついに悲鳴を上げた。

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