[2]
ギデオンは男たちの視線から逃れるように大股で歩き出した。現場からやや離れた小さな峡谷に降りる。今回の発掘について、少し頭を整理しなければならない。峡谷の岩壁はきつい日差しを遮り、ギデオンはほんの少し心が安らぐのを感じた。
ベルトにつけた水筒から、生温かくなった水を飲む。ギデオンは未だに、カーヘラで出会ったピジクスという男が何者なのかを知らない。ピジクスがなぜ東アファルの地中に埋まったニカイア教会にアッカドの偶像があると考えているのも知らない。なぜ教会が建てられ、埋められたのか。この場所がなぜ、現地の人々を不安させるのか。何もかも分からずじまいだった。
ギデオンは近くにあった大きな石に腰かけ、上着の懐に手を入れる。手に金属の冷たい感覚があり、それを握りしめる。眼を閉じ、讃美歌を静かに口づさむ。
乱れに乱れし、底なき淵をも覆いて、治めし御霊よ。路行く友を、守り給え。
頭上で砂利を踏む音がする。岩壁の上からバラバラと小石が落ちてきた。一瞬、心臓が凍りついた。さっきのハイエナだろうか。岩壁を見上げた先に、岩陰に隠れた子どもの姿がちらりと見えた。見覚えのある顔だ。
「ジョセフ?」
ギデオンは呼びかける。小石がバラバラと降ってくる。
「ジョセフ!」
背後の地面に落ちた人影がゆっくりとこちらに近づいてくる。その影を視界の隅に捉え、ギデオンは振り向いた。誰もいない。もう一度、頭上に眼を向ける。峡谷の岩壁の中程から突き出た岩にジョセフがいた。器用に岩に乗り、陽気に手を振っている。
「ギデオン!」
ジョセフは猿のような敏捷さで岩から飛び降りた。
「こんなところに1人で来たのかい?」
ジョセフはうなづいた。
「石を集めてるんだ」
指したズボンのポケットがでこぼこにふくらんでいた。
「すごい宝物だね。ズボンから落ちないように気をつけないと」
「サスペンダーがあるから大丈夫だよ、ほら」
ジョセフは得意そうにサスペンダーをパチンと指で弾いてみせた。ギデオンは微笑む。ベルトにつけた道具袋から小さな金槌を取り出した。
「本物のロックハンマーだよ。そろそろこれを使ってみたらいいだろう」
ギデオンは金槌をジョセフに手渡した。ジョセフは顔を輝かせた。
「ありがとう、ギデオン!これ、毎日使います」
「どういたしまして」
立ち去り際に、ジョセフが口を開いた。
「ぼく、秘密を知ってるよ」
その声がやけに甲高く響いた。ギデオンは思わず立ち止まった。
「ほんとかい?どんな秘密?」
ジョセフは身を乗り出して囁いた。
「なぜシスター・アンがここにいるのかってこと」
「なぜアンはここにいるんだい、ジョセフ?」
「ぼくらの魂を救うためさ」
ジョセフはニコリと笑って走り去った。ギデオンは肩をすくめ、その後を追った。別に秘密でもなんでもない。アンは発掘の仕事に加えて、オラトゥンジのホテルの空き部屋で学校を開くことになっている。シスターが教える以上は当然、読み書きだけが勉強の目的ではないはずだ。
現場に戻ると、状況はだいぶ落ち着きを取り戻していた。作業員たちはムティカとモーガンの指示の下、ややペースを落として再び作業を進めている。ヘレーネは診察所として建てられたテントの外に立ち、先ほど倒れた男を見送っていた。男は2人の仲間に担架で運ばれていった。ギデオンは男の容体を聞くため、テントに向かった。
目的はそれだけかい。心の声がした。もう、誓願なんて守らなくてもいいんだ。
「・・・うるさい」
「え?」
ヘレーネが顔を向けた。思ったより近くに顔があった。
「いえ、別に。ちょっと独り言で。さっきの作業員は?」
「発作は治まったの。しばらく入院させて様子を見たかったんだけど、それは嫌だって。どうも、ここの人たちは私の治療を信用してないみたい」
ヘレーネはテントの中に入る。ギデオンも後に続いた。中に入っても、暑さはほとんど変わらない。カンバス地を通して陽光が薄く差している。消毒剤の匂いが微かに漂っていた。ヘレーネは白衣の袖をまくり、水の入ったバケツで手を洗った。腕の内側に一列の青い番号が見える。ギデオンは思わず眼をそむけた。
ギデオンの様子に気づいたヘレーネは背を向けて手を拭き、急いで白衣の袖を下ろした。
「お水、飲む?」
「いただきます」
ヘレーネは大きなタンクからコップに水を注ぎ、ギデオンに手渡した。水は生温かった。
「で、あなたはここで何を探しているの?」
ヘレーネは自分のコップに水を注ぎ、折りたたみ式の椅子に品よく腰を下ろした。
「どうしてこの地にあるはずのない教会が建てられたのか。その謎の答えです」
ヘレーネに見つめられる。ギデオンは自分が裸にされたような気がした。
「あなたは以前、神父だったのでしょう?」
「・・・ええ」
「何があったの?」
唐突にテントの入口の幕が開いた。モーガンがずかずかと入ってくる。顔は微かに日焼けし、腫れ物も多少はマシに見える。
「野蛮人どもめ!教えてやらなきゃ、てめぇのケツも拭けねぇときやがる!」
ヘレーネは椅子から立ち上がった。
「町へ帰らなくちゃ」
ギデオンは何か言おうとしたが、モーガンが慌てて声をかける。
「ちょっと待ってくれよ、先生!」
ヘレーネは幕に手をかけたまま立ち止まる。モーガンは足をもじもじと動かし、恥ずかしそうな表情を浮かべた。ギデオンは顔をしかめた。これがジョセフなら可愛いかもしれないが、出来物だらけの顔ではグロテスクとしか言いようがない。
「これ、見つけたんだ」
モーガンは鎖につながれた古いメダルを持ち上げた。幼児を抱いた髭の男が刻まれ、2人はともに光輪をつけている。
「聖ヨセフだ。幸運のお守りさ」
モーガンはメダルをヘレーネの首にかけようと近づいた。ヘレーネは後ずさりした。
「頼むよ。いい子にしてただろ」
ヘレーネはうなづいた。モーガンが鎖を首にかけられるよう後ろを向いた。その眼はギデオンに注がれている。
「何してるんだ?」
モーガンが怒鳴った。刹那、ギデオンは自分に向けられた言葉かと思った。テントの入口に眼を向ける。ジョセフが立っている。
「さっさと消えろ、このガキ!」
モーガンは消毒用アルコールのビンを掴んで投げつけようとした。ギデオンはとっさにモーガンの手首を掴んだ。
「やめろ!」
その間にヘレーネはジョセフをうながし、テントの外に出て行った。ギデオンは腕をつかんだまま、モーガンと睨みあった。しばらくして、モーガンが力を抜いた。ギデオンも手を離してビンを取り上げた。
「わかったよ。あんたがクロンボ好きだと思わなかったぜ。あいつらときたら、何にでも・・・」
ギデオンは相手の言葉を遮った。
「あと、どれくらいかかるんだ?教会のドアを掘り起こすまで」
モーガンは眉根を寄せた。腫れ物がひとつにかたまって瘤のように隆起する。
「4、5日ってとこかな」
「その前に、中に入る方法はないか?」
「俺は入らねぇよ。ムティカが屋根から降ろしてくれるさ」
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