[8]
ローヴァーは曲がりくねった丘陵地帯を抜け、岩の多い平地に向かう。地平線の辺りでルドルフ湖の湖水が光り、塩水の金気くさい匂いが鼻先をかすめた。灌木が点々と地面にこびりついた岩地が見渡す限り広がっている。
モーガンは茶色い丘の間を通る、小さな谷に車を走らせる。近づくにつれ、ギデオンの眼に発掘現場が見えてきた。ちょうど丘の間の平地に位置している。周囲には低い杭が打たれ、白いロープが格子状に張り巡らされていた。近くにはテントがかたまってオフィスを作り、現地人の作業員たちがカゴや移植ごて、ブラシなどを持ってせわしなく働いている。
ギデオンは現場を見渡した。教会は現場の東端に位置していた。屋根の先端が地面から突き出している。軒と壁の上部も見えている。軒の下にドームが盛り上がっている。
モーガンは現場近くで停車させ、ローヴァーを降りた。後にギデオンとアンが続いた。ギデオンの心臓は高鳴るのを感じた。指先が一刻も早く遺跡に触れ、その秘密を掘り起こしたいと疼いていた。ギデオンよりも興奮した様子のアンがワンピースの裾を持ち上げ、もう数歩も先を駆けだしている。
ギデオンはわざとらしく大きな咳払いをした。アンは決まり悪そうに振り返った。頬を赤らめ、照れ隠しに小さく笑う。
「すいません、つい興奮しちゃって・・・さぁ、お先にどうぞ」
「では、一緒に見ましょう。モーガン、何人か呼んでトラックの資材を下ろさせてください。それと、君とムティカは現場を案内してほしい」
「了解しやした」
ギデオンとアンは教会に近づいた。壁の周囲には壕が掘られている。数人の現地人が小さなシャベルとこてを使い、作業を進めている。
端から端まで、10メートルほどの壁が掘り起こされている。壕の端はかろうじて建物の端に届いている。ギデオンはいても立ってもいられず、壕に飛び降りた。壕の中は日陰になり、少し涼しいようだ。ブーツの足元で砂と石がじゃりじゃりと音を立てた。
ギデオンはポケットから幅の広いブラシを取り出し、壁に積もった埃をそっと払った。壁は完璧に切り出された石材で組み立てられ、モルタルで固められている。
「ニカイア建築に似てますね。もっと異国風ですが」
アンが壕の上から言った。
「遺跡の印象はどうですか?」
ギデオンはブラシで塵を払い続けている。壁は白い。
「2000年前から1800年前といったところかな。ニカイア建築ではない。トラキア建築でしょう。隅のコーニスのデザインを見て下さい。様式化された木々の下の藪に、人々が集まっている。間違いなく、トラキアです」
トラキアはニカイアが滅亡させた一大帝国である。その進出範囲はアファルの西端まで及んでいる。
「なるほど。トラキア時代はちょっと専門外なんです」
「シスターも中に入ったらどうです。そこじゃあ、話がしずらいでしょう」
アンは壕の中に飛び降りる。ギデオンは石の細工を指し示した。
「見事な技術です。それぞれのブロックが完璧に彫刻され、磨かれている。ノミの跡も見えないくらいとは」
アンはうなづいた。それからふと怪訝そうな表情になった。
「初歩的な質問かもしれませんが、石ってこんなに新しく見えるものでしょうか?」
「そんなはずは・・・」
ギデオンはさらにブラシをかける。ブラシは隅の方に進む。アンの言う通りだった。埃の下から現れる壁はどこも光沢があり、輝いてさえいる。
「石壁は数千年も昔のものだ。風雨にさらされて、かなり傷んでいるはずだ。なのに・・・まるで、これは・・・」
「まるで、何です?」
ギデオンは大声で叫んだ。
「ムティカ、でかいブラシをくれ!」
「了解!」
しばらくして、壕の上に現れたムティカがブラシを手渡した。ギデオンは今度、土に埋もれた壁の角の埃を払い始めた。アンはまだ同じ質問をぶつけてみたが、ギデオンには聞こえないらしかった。ギデオンの確かな刷毛さばきで、くっきりと角の石が現れ始めた。ギデオンは長い間、じっと壁を見つめる。やがて壕の壁に背をもたれ、呆然とした様子で呟いた。
「まさか」
アンは頭上でムティカが何か言うのが聞こえた。壕を見上げる。ムティカの顔にも同じような驚愕の表情が浮かんでいる。
「どういうことなんです?」
アンが少しイライラして言った。
「もっと壁に近づいてみてください。何が見えますか?」
アンは石壁に顔を近づけた。
「見事な彫刻です。保存状態も素晴らしいわ」
「ほとんど真新しく見えると思いませんか?まったく風化してない」
アンはハッとした。
「でも、この風と日差しを考えると・・・本来なら、かなり傷んでいるはずよね」
「破損もあるはず。土砂崩れか地震のために、建築直後に地中に埋まった可能性を考えていたんですが、それでも長い年月の間に、多少の破損はあるはずなんだ」
「でも、ピカピカよ。まっさらに見えるわ」
「とすれば、今になって誰かが大昔の建築方式と材料を使ってこの教会を建てたか、最初から・・・つまり、建てた直後に埋められたかのどちらかになります」
「ここまで来て、埋めるために教会を建てた?そんなこと・・・」
「教会の場合は有り得ないでしょう。ただ、埋葬用に建物を建てる習慣はあちこちにあります・・・ミスル文明がその典型でしょう。しかし、ニカイア帝国にはそうした風習を採用しなかった」
「少なくとも、人の知る限りは」
ムティカが言葉を挟んだ。
「ひょっとして、ニカイアの人々は似たような教会をたくさん造った。でも、発見されたのはこれが最初だったってことはありませんか?」
「可能性はあるが、あまり高くはないでしょう。特に、この地がニカイア帝国の領土からかなり南に離れてることを考えるとね」
「実際に墓なのかも」
「まぁもう少し見てみないと、何とも言えない」
ギデオンは両手をこすりあわせた。
「ムティカ、二交代制で工程を組んでくれ。完全に掘り起こして、中に入りたい」
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