[7]

 ムティカは板張りの歩道から、ある建物に入った。ドアの真上に木製の看板が下がっている。下手な手書き文字で「オラトゥンジ・パブ&ホテル」と書かれていた。

 建物に入った瞬間、眼がくらんだ。強烈な日差しの下を歩いた後で、室内は洞窟の中のようだ。気の抜けたビールの匂いがたちこめているが、空気はだいぶ涼しい。次第に眼が慣れてくると、木製のテーブルやカウンターに座っている客がちらほらと見え始めた。ギデオンは帽子を取った。

 カウンターでは、大柄な黒人がグラスを洗っている。12歳ぐらいの少年が床を箒で掃いている。バーテンダーは顔を上げて、店に入ってきた3人に愛想良く笑った。少年が掃除の手を止め、新しい客をじっと見た。

「ムティカ、そしてみなさん!ようこそ、我がホテルへ。お部屋をお探しで?」

「その前に、ディック・モーガンさんを探しているんですが?」ギデオンは言った。

「後ろの、その隅にいますよ」

 ギデオンは背後を振り向いた。独りの男がうずくまっていた。ギデオンはドアのそばにスーツケースを置き、男に歩み寄って手を差し出した。

「ギデオン・ローレンスといいます。新任の考古学者です」

 モーガンは身を乗り出し、ギデオンの手を握った。相手の顔に光が当たる。ギデオンはぎょっとして身を強張らせた。

 モーガンの顔は一面、ブドウの粒ほどもある赤い大きな腫れ物に覆われていた。膿んでいるものもある。一瞬、腐った肉の臭いが鼻をかすめた。胃がゆっくりと痙攣し、吐き気がこみ上げる。モーガンはスコッチをひと口飲んでから言った。

「まだ、ガキじゃねぇか。いくつだ?」

「18歳です」

 ギデオンは平静を装って手をひっこめた。

「座ってもいいですか?」

「別にかまわねぇよ」

 ギデオンは帽子を椅子の背にかけ、腰を下ろした。相手の顔をじろじろと見ないように気をつかった。テーブルには、スコッチのボトルとグラスが1つ置かれている。

「教会のドームを掘り出した後、多少時間がかかっているようだが」

「そんなとこだな」

 モーガンはギデオンの背後に視線を投げた。

「ねぇ、ドクター?」

 パブの入口でアンと話していたヘレーネはモーガンに顔を向けた。

「何の話?」

 モーガンはボトルを持ち上げた。

「先生、おれの部屋にちっとも寄ってくれないじゃねえか。夜になると、顔が腫れるんだよ。何か顔につける薬はないかね?」

「くつわなんか、どう?それとも、切開しましょうか?」

 モーガンは大声で笑った。再びスコッチをあおる。ギデオンは咳払いした。

「で、内部の発掘はどんな様子ですか?」

「まだやってない」

「やってない?建物が崩れたんですか?」

「いや、教会は今のところ完璧さ。だが、誰も中に入ろうとしねぇ。少なくとも現場に今残ってる連中はね」

 ボトルに残ったスコッチをぐいと飲み干した後、モーガンはげっぷをした。

「これからすぐ現場に出かけるが、一緒に行ってみるかね。車ですぐのところさ」

 モーガンは立ち上がった。ヘレーネに視線を送った後、ふらふらとした足取りでドアから出て行った。入れ替わりに、ギデオンの前にヘレーネが腰を下ろした。

「モーガンのあの顔は、どうしたんですか?」

「そもそも、あの顔が首にくっついてるのが間違いね」

 ヘレーネは不愉快そうに言った。

「正直、何が原因は分かりません。ただ、検査に来る度にヘラヘラして、服は脱がなくていいのかとか聞いてくるから、まだちゃんと診察してないの」

「何かのアレルギーか、局所的な感染症のようだが」

 ヘレーネは一瞬、眼を丸くしてから微笑んだ。

「あなたは嘘をつくのが下手ね」

 その微笑みに思わずドキリとしてしまう。ギデオンは気を取り直した。

「それで・・・どうして現地の人たちは、教会の中に入らないんでしょう?」

 ヘレーネは肩をすくめた。

「悪魔がいるから。あの人たちの言葉を信じるなら」

「信じますか?」

「いいえ、医者ですから」

 ヘレーネは笑い声を立てる。

「でも神父さんは、もちろんそういう存在を信じてるのでしょう?」

「ぼくは考古学者です。神父じゃない」

 ヘレーネは首をかしげた。

「あら、変ね。シスター・アンから、そう伺ったばかりなのに」

 ギデオンはさっきまでの苛立ちがまたぶり返してくるのを感じた。その時、まじめな顔つきをしたジョセフが駆け込んできた。

「ノイマン先生!箱は診察室に運びました」

「ありがとう、ジョセフ。助かるわ」

 身を翻して駆け出そうとしたジョセフはこちらへ向かって歩いてきたアンとバーデンダーにぶつかりそうになった。バーテンダーはジョセフの肩に手を置いた。

「気を付けて。店の中では走っちゃいけないよ」

 アンがバーテンダーを指し示した。

「こちらは、オラトゥンジ。ミッション・スクールのために、ホテルの部屋を提供して下さるんです」

 オラトゥンジはギデオンに手を熱心に握った。

「みなさんが来てくれて、本当に嬉しい。オラトゥンジといいます。このパブとホテルを経営してまして、これが息子のジョセフ。もう1人・・・」

 オラトゥンジは床を掃除している少年を指し示した。

「あれがルイスです。2人には、儀典書を勉強させます」

 オラトゥンジは身を乗り出し、白い歯を剥き出してにっこり笑った。

「うちの家族は全員、洗礼は受けました」

「それは、シスター・アンも嬉しいでしょう」

 ギデオンは曖昧に答えた。

 その時、外でクラクションがやかましく鳴った。小さなアカゲザルが店内に飛び込んでくる。眼にも止まらぬ速さで床を走り抜け、猿はジェームズの肩によじ登った。

「モーガンだわ」ヘレーネは言った。

「あの猿が?」

 ヘレーネはギデオンの肩を叩く真似をした。

「外で待ってるジープよ。オラトゥンジ、ギデオンとシスター・アンは出かけなくちゃならないわ。荷物、見ててあげてくれる?」

「もちろんです」

 再びクラクションが苛立たしげに鳴った。ギデオンは立ち上がった。

「ではまた、ドクター・ノイマン。シスター・アン、行きますか?」

 ギデオンはアンには眼もくれずに言うと、帽子を手に取り、大股でパブから外へ出た。強烈な午後の日差しが照りつけ、慌てて帽子を被る。外はまだ灼熱地獄だ。

 モーガンはかなり苛立った様子で、パブの前に止めたローヴァーで待っていた。その後ろに発掘用の資材を積んだトラックが止まっている。運転席にムティカが座っていた。

「出発しますぜ」

 モーガンが叫んだ。日なたで見る顔はいっそう恐ろしく見える。

「行こう」

 ギデオンは助手席に乗り込んだ。後からついてきたアンが後部座席に座った。

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