[5]
《エメリア領東アファル・トゥルカナ》
2台の車がゆっくりと東アファルの大地を進む。白い雪を頂くモンヴァサ山の周辺は豊かな緑と赤土に覆われている。北に向かうにつれ、地形は次第に荒削りな黒土の丘陵に変化していった。やがて丘は低くなり、いつしか荒れ地のなかに起伏がすっかり埋没してしまうと、眼の前にはトゥルカナの広漠たる砂地が広がっている。
トゥルカナは砂漠地帯であるが、低木の茂った岩場や峡谷の谷間にアカシアの木が点在している。2台の車は干上がった川床を駆ける。川岸に沿って椰子の大木が並んでいる。
2台目の車はローヴァー。前を行く1台目の車はトラック。資材や食料の他に道中で拾ったヒッチハイカーを満載していた。
ローヴァーに載ったアンは最初、イライラしていた。トラックが人を載せる度にちょくちょく止まり、そのために移動が遅くなる。とにかく早くデラチに着いて、あるはずのない教会を見たくてうずうずしていた。
ローヴァーを運転するムティカがアンを手短にたしなめた。ムティカは長身の屈強な現地人だが、エメリア語はほぼ完璧だった。小さな眼とあけっぴろげな表情をしている。彼によれば、車の少ないこの地で交通手段を必要としている人を無視するのは、この上ない非礼に当たるという。
ギデオンは移動中、ほとんど口をきかなかった。アンはいささか落胆した。神学生の時にギデオンの著作は全て読み、彼の発掘に関する論文を2本も書いた。今回、会えるのをどんなに楽しみにしていたことか。そのギデオンがいま眼の前に座っているのに、ほとんど相手にしてもらえないのだ。
ローヴァーが川床のこぶにガツンと乗り上げる。3人は頭を天井に打ち付けそうになった。顔をしかめながら、アンは窓の外を指し、ムティカに言った。
「昔、この地に鉱山があるって聞いたんだけど、あの丘のあたりかしら?」
「以前はね。今は全部、閉鎖されてます。デラチも昔はずいぶんにぎやかでしたよ。金を求めて、エメリア人がどっと押し寄せてきましたから」
「あなたは金鉱で親方だったんですって?」
ムティカはうなづいた。
「そこで、エメリア語を覚えました」
「今回の現場では、どのくらい働いているの?」
「発掘が始まった時から。エメリア側に通訳として雇われたので」
「今のデラチはどんな様子なの?収入源とか、商売はあるの?」
「ヤギと牛とラクダを飼ってます。それと、井戸。金が発見される前は、商人たちは水を求めてデラチにやって来たもんです。今まで来ますが、井戸の何本かが採掘で汚染されてしまったので、昔ほど多くありません」
アンは驚いて尋ねた。
「水は湖から引いてるんじゃないの?」
「湖は塩水なんです。生活は苦しいけど、みんななんとかやってますよ」
それから1時間後、2台の車はデラチの郊外にたどり着いた。ギデオン、アン、ムティカの3人はローヴァーを降り、長旅で疲れた手足を伸ばした。頭上では太陽が空を焦がし、空気はまるで息を詰めたように静止している。前方ではヒッチハイカーたちがトラックを降りてくる。アンは周囲を見渡した。強烈な日差しに眼を細めている。
「どうしてここに止まったのかしら?まだ街に着いてないわよね」
ギデオンがヒッチハイカーたちを指さした。皆が道の脇の何かを見つめている。
「みんな、あれを見物したいらしい」
突然、荒々しい唸り声が響いた。みなの注目を集めている物がアンの眼に飛び込んできた。
赤いサロンを身に着けたトゥルカナの部族民が草地に集まっている。その輪の中央に、杭につながれた黒い雄牛がいた。雄牛の尻に何やら赤いマークが描かれ、角の先端は金色に塗られている。
男たちは色とりどりに塗られたビーズや羽根飾りつきの長槍を手に、雄牛の周りで儀式に則って踊っていた。突然、男の1人が雄牛の脇腹にぐさりと槍を突き立てた。雄牛は怒りと痛みに鋭い咆哮を上げ、激しく頭を振って角を突き立てようとする。男はすでに踊りながら脇に飛びのいている。雄牛が大人しくなったところで、別の男がまた忍び寄って2本目の槍を突き立てる。
雄牛は悲鳴を上げ、口から泡を吹く。アンはショックで青ざめた。
「なぜ、あんなひどいことを?」
「あれは生贄です。族長のセビトゥアナの妻の出産が近づいているので、神々に生贄を捧げるんです。男子の誕生を祈るんですよ」
ムティカは踊っている男たちの傍らに立つ、やや長身の男を指さした。族長なのだろう。孔雀の羽根のような被り物を頭に着け、裸の胸に両腕を組んで立っている。
「なんて野蛮だなんて、思ってるでしょう」ギデオンは言った。
アンは注意深く言葉を選んだ。
「善良な人々が道に迷ってるだけでしょう」
ギデオンはやれやれといった感じで首を横に振った。
「それが宣教師の困ったところです。文化の相違と無知を混同してしまう」
「残虐行為は常に無知の成せる業です、ローレンス神父。よりによって、あなたがそれを知らないはずがないでしょう」
アンは抑えきれずに思わず言い返してしまった。相手の反論に身構えたが、ギデオンはアンの顔を見つめただけで、何も言わなかった。
さらに槍が突き刺さった。雄牛はまた咆哮を上げ、がっくりと前足を折った。途端に長身の男が1人、雄牛の背に飛び乗った。男が眼にも止まらぬ早業で手にした半月刀を雄牛の喉に振り下ろし、あっという間に飛びのいた。雄牛はどうと地面と倒れた。族長が満足そうにうなづいた。2人の男が土器の桶を手に駆け寄り、雄牛の傷口から噴き出す血を受ける。吐き気を覚えたアンはムティカに言った。
「まさか、あなたはこの迷信を信じてるわけじゃないわよね?」
「私は、白人から学ぶことは多いと思ってます」
ムティカは礼儀正しく言った。
「で、あの人たちはどうなの?」
アンは雄牛の血を採っている男たちを指さした。
「連中は白人が災いを運んでくると思ってます」
「何だ、あれは?」
ギデオンは大股でその場を離れた。アンが慌てて後を追い、ムティカも続いた。ギデオンの眼は地面の上に釘つけになっている。
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