第68話

 それからおよそ十五分後。

 ロウシュが言った通り、不意に部屋の扉をノックする音が三度したかと思うと、「ロウシュ、フロイス、ホーリー。来ているか。入るぞ」と呼びかける声がして、ロウシュの「ああ、入れ、みんな揃ってるぜ」の返事に、鉄製の重い扉がゆっくりと開き、手荷物を持った中年男が三人、ぞろぞろと入って来た。

 その一番後ろには、三人の大柄な男達に隠れるようにして、大きな丸眼鏡を掛けた清純そうな少女の姿がちらりとのぞいていた。

 短めのグレイの髪をきちんと整え、濃紺の真新しいスーツでスタイリッシュに決めたゾーレに、カジュアルなベージュのセーターの上にくたびれたミリタリージャケットを羽織り、下はジーンズに軍隊仕様のブーツを履いたザンガーに、八フィートはあろうかと思われる長身に縞柄のシャツジャケットを優雅に着こなし、ワークパンツ、サンダル履きのサイレレに、ワンポイントのTシャツの上からデニムのシャツ、デニムの半パンツ、長靴下、ズック靴と、どこでも見られる婦女子の恰好をしたコーだった。

 ことザンガーに限って言えば、今先ほど長旅から戻ってきたかのように、ぼさぼさの黒髪にやせて落ち込んだ頬と目元、口とあごに無精ヒゲを伸ばし、掃き溜めの街を歩けばひんぱんに見かける無頼の者か浮浪者と変わらない薄汚れた姿格好をしていた。

 また三人の男達は手荷物としてそれぞれアタッシュケース、二十リットルポリタンク容器、段ボール箱を持っていた。

 もちろんそのとき、先頭側にいたのは、一人だけよそ行きの格好をしたゾーレで、お気楽な姿をした三人組を見つけると、ちょっと立ち止まり、気を遣うようにやや控えめな物言いで「すまん、待たしたか?」と声を掛けて来た。


「ああ、大迷惑だ。おい、どれだけ待たせりゃ気が済むんだ。余り遅いんで、もう来ねえかと思ってたんだぜ」


 ベンチの上に胡坐をかいてふんぞり返ったロウシュが横着にも顔だけを後ろに向け、すぐさまいつもの乱暴な調子でぶっきらぼうに返事を返すと、


「悪い悪い。みんなバラバラで集まるより一緒に来る方が効率的かと考えて、一人一人回っていたら逆に遅くなってしまってな」


 そんなことを言ってゾーレは軽く微笑んだ。そうして、


「その代わりと言ってなんだが、みやげを持って来たんだ」


 そう話して、みやげの詳しい説明をした。それに拠ると、サイレレから贈られた品だとのことで、二つのポリタンクの容器には、彼が共同経営する農場で生産した地ワインと地ビールが、同じく段ボール箱にはその場で食べられる品物がぎっしり入っているということで。三人は「ああ、あのことね」「ああ、あれのことか」と、得た賞金の分け前分をサイレレに配ったことを思い出して、何と義理堅い奴なのだろうと納得していた。

 サイレレは五番目にロザリオのメンバーに加わっていた。活躍した時代から長い年月を経て現代に蘇った人間。手っ取り早い話、今から百万年くらい前の、魔法が普通に広く浸透していた過去の世界からやって来た人間であった。

 性別は男、年齢は不詳。まるで彫像のごとくに、全てのパーツが骨太で壮観な顔立ちは若々しく。どうみても三十代前半としか見えなかったが、落ち着いた物言いと高度な教養と宮廷魔導師のトップに君臨していたという過去の経歴から見て、若くないことは確かだった。

 この世に蘇ったとき、すっかり周りが様変わりしていたことにショックを受けたのか、おいたちや境遇など、昔の話を余り語ることがなかったが、こうなったいきさつは何とか訊き出していた。それによると、――――

 次期指導者の指名を巡る企てに参画したのは良いが、強く推していた人物が指名争いに敗れたことで、昔からの伝統に乗っ取って、責任を取る形で自死するか、それとも全ての職を辞す形で出奔して生き延びるかの選択を迫られることとなり、結局のところ、職を棄てて行方をくらます方を選ぶことにした。

 ところが、異例と言わざるを得なかったが、追手を差し向けられた。しかも、よほど目障りと考えられたのか、追手は幾度返り討ちにしても、地の底から湧くように、しつこく次々と送られてきた。

 その度にちゅうちょなく血祭りに上げていたが、追われる身の辛さで心の安定を徐々に欠くようになり、更にそこへ持ってきて自らの友人や親族や教え子達までもが追手としてその中に加わるようになってからというもの、なお一層迷いが生じて実力を十分発揮できず、事態は一気に劣勢に転じて次第に追い詰められていった。

 そして半年も経たぬうちに、異国の最果ての地で遂に逃げ場がなくなったとき、最後のあがきとして、かねてから万が一の場合に備えて仕込んでおいた禁忌の魔法を使うと、自身の肉体と義体とを入れ替えて追手から逃げ延びようと試みた。

 魂の抜けた肉体を付近の目立つところに残し、毒をあおって自殺したとみせかけ、自らは容姿が別人の義体に乗り移り、今後、世を忍ぶようにして生きていくつもりだった。

 またそのとき、その状況を見とどけるつもりで、ふと目についた見上げるくらい巨大な岩石の中にとっさに潜んだ。

 そして上手く追手を欺くことに成功した。だが、どこに不手際があったのかそれは分からないが、義体の身体が岩石に同化したまま脱出できなくなってしまっていた。加えて、その内に意識が遠のき、長い年月の間、岩石の中で眠ることとなり、いずれは岩石の中で石化して終わる運命となっていた。そんなところに全く偶然のことであったがナイヒルのダウザーにより奇跡的に見つけ出され、ホーリー達の助力によって岩石から助け出して貰って、本来なら失っていた命を拾ったというのが事の始終であった。

 そのあとは、自然の流れでロザリオの仲間に加わり。そしてロザリオが一時休業状態になってからというもの、”人生が二度あれば”を地でいくように、それまでの魔導師という職業とは百八十度転換した農場経営を、気が合った仲間達と共同でやっていた。


 全員が揃ったのを機に、さっそくゾーレはロザリオのメンバーの中で一番年下のコーと手分けして、会議の準備に取りかかった。上着を脱いでシャツとネクタイ姿になると、コマネズミのように動いてテーブル上に置かれた二つのポリタンクの下部に付属のバルブアダプターを手際よく取り付け、バルブを捻ってトレーラーハウスから持ってきたステンレス製の特大のタンブラーにワインとビールをそれぞれ注ぎ、席に並べていった。

 その間にコーは段ボール箱を開け、中からトマト、リンゴ、オリーブの実といった果実や乾燥したドライフルーツや色々なナッツ類や即席で食べられる干し肉、チーズ、乾パンといった加工品をてきぱきと取り出すと、それぞれ編みかごに盛り、テーブルの中央付近に並べていった。

 昔から全員が揃って行う彼等ロザリオの会議は、余程のことがない限り、みんなこんな風だった。食事をしながらとか一杯やりながら肩肘張らずに行うのが通例であった。

 ところで残りの者達はというと、一連の作業を二人に任せて、久しぶりの再会に近況を報告し合ったり、世間話をしたりと、立ち話をして楽しんでいた。彼等の間で役割分担がきちんとなされていたに他ならなかった。

 しばらくして会議の準備が整った頃、改めて全員が席に就いた。そのときゾーレは便宜的にロウシュの横に腰掛け、フロイス達は元居た席に陣取ると残りの三人は彼女らの合い向かいに腰掛けた。そして真っ先に各々が、ビールかワインのどちらかに手を伸ばすと口を潤した。それからゾーレの方に向かって視線を向けて来た。

 ゾーレはテーブル席の顔ぶれをざっと見渡して、その場の空気を読むと、分かった、それでは始めるとするかと持って来たアタッシュケースから前もって取り出して目の前に置いておいた薄っぺらなファイルを開け、背筋を真っ直ぐに伸ばして口を切った。


「ええ、さてと、そろそろ始めようか」


 穏やかな雰囲気の中に少し硬い調子の声が響いた。

 先ずゾーレは形だけのあいさつから始めると、これまでに自らの周りに起こった出来事の簡単なあらまし(そのほとんどはパトリシアからもたされた情報で占められていた)を述べていった。そして、いよいよ本題へと入った。


「もはや無理だと思って諦めていたんだが、どうやらチームの活動再開の目途がたちそうなんだ」


 誰ともなく熱い吐息が漏れた。とはいえ、あらかじめ議題の趣旨が伝えられていた関係で、誰一人として驚いた様子はなく。無表情でいるか、黙って苦笑いを浮かべているかのどちらかだった。

 そういった反応を確かめてゾーレは尚も続けた。


「それについて、ここにいるロウシュに依頼して、神の血族の一つであるネピの都まで、ちょっと裏を取りに行って貰ったんだ。すると、思いがけなく良い結果が得られてな。初めは半信半疑だったが、確信に変わってな」


「まあ、そういうことだ」


 その横でロウシュがしたり顔でにやりと微笑んだ。

 途端にホーリーの細くて優美な眉がピクリと動いて、疑うような眼差しを二人に向けてくると、念を押すように尋ねてきた。


「ロウシュ、本当でしょうね」


「ああ、この目と耳で確かめたんだから間違いねえ。確かにあれはネピの都、ウエルキスだった」


「それは本当のことなの?」


「ああ」


「ロウシュ。あなたは知らないかも知れないけれど、それは凄いことなのよ。何て言ったって一流の魔術師を自認するものなら誰だって一生に一度は行きたいと憧れるところだもの。この私だってまだ一度しか行ったことがないところなのよ。

 それに、大体あそこは白魔法の発祥地で聖地でもある関係から個人で行くところじゃなくって、大勢でツアーを組んで行くところなのよ。それだけ滅多なことではいけないところなのよ。それなのにあなたはたった一人で行って来たってわけ?」


「ああ」


「それで、どのくらい?」


「そう、六日ぐらいかな」


「信じられない! 六日間も滞在してくるなんて普通は考えられないことなのよ。あそこは人間界との交流を絶っている関係で、どんなに長くたって三日間が限界なのよ。それなのにその倍だなんて……」


「だがよ、本当なんだからしょうがねえだろう」


「でもどうして? あそこへ行くにはかなりの力を持った聖獣か精霊の導きが、確か必要な筈なんだけれど。それに入国審査もあることだし。魔術師でもないあなたがそう易々と入れる筈はないんだけれど。一体どんなコネを使ったわけ?」


「ゾーレの言う通りにしただけだ。そしたら行けたのさ。俺だってびっくりしたくらいなんだ」


「その点に関してだが、俺が話そう」機を見てゾーレは口を挟んだ。


「実はパトリシアから預かった品物を使わせて貰ったんだ。

 今現在の当主がネピの都へ行った際に使った品だとかで、あいつが譲り受けて持って来たのを、果たして本当に行けるのかどうか確認しようと考えて、俺がちょっと拝借してだな、ロウシュに行けるかどうか試させたんだ。ああもちろん、安全かどうかは、この俺が前もってテストして確かめてのことだが」


「ああ、そういうこと。なるほどね」ホーリーが分かったという風に素直に頷くと、


「あそこはつい最近先代が亡くなれて代替わりしたと風の噂で聞いて知っていたんだけれど、誰がなったのか知らなかったからどうなっているのだろうと思っていたのだけれど。ふ~ん、そんなことがあったの」


 独り言を言うように一人呟いて、大人しく引き下がった。

 これにロウシュは目を細めてにやにやすると、


「ま、そういうことでだな、旅行がてらにちょいとスリルに富んだ経験をして来たぜ」


 などと、うそぶいた。

 ここからロウシュの独壇場といって良かった。余程喋りたくてうずうずしていたのか、


「まあ、手探りだったが行くことは行けたさ。最初、こいつから渡された品が女物のどこにでもある黒いストッキングと、これも女物の袖の長い日焼け防止用の手袋だったんだぜ。それを使って行けるか見てくれと言われてよう、気恥ずかしかったが付けてみたんだ。すると本当に驚いたぜ」


 そう前置きすると、口から言葉がせきを切ったように出た。


「靴下と手袋には二通りの使い方があって、一つは自分の思い通りに使って好きなところへ行く方法。そしてもう一つはオート機能という奴で、靴下と手袋には予め妖精が仕込んであるので、妖精に命令する鍵となる合言葉と行き先を言うと自動的にどこにでも連れて行ってくれると、こいつが言うので、俺はその通りにしてみたんだ。ええと、『親愛なるハクとビコウよ、聞いてくれ』と鍵となる文言を唱えて、要件である『すまないがネピの都まで案内してくれるか』と言ってみたんだ。

 すると、人が軽く入れるくらいのトンネルのような丸い影が部屋の壁に突然現れてよ。

 これがこの世界と背中合わせにある別の世界へ通じる通路なのかと思って、こいつの方に振り返ったんだ。 

 ところが、こいつには見えないらしく何食わぬ顔で別な方向を見ていたんで、見えるかと訊いたらやはり見えないと答えたので、こりゃ手袋の力だな、手袋が俺だけに道を示しているに違いないと、さっそく行ってみることにして、こいつに別れを告げ、その中へ入っていったんだ。もちろん、もしもの場合に備えて相棒を連れて、長旅になると思って酒と食料とを忘れずに十分用意してだ。

 中は真っ暗に見えたんだが、中を一歩も行かないうちに不思議な景色のところに立っていたんだ。本当にあっという間のほんの一瞬だった。

 一言でいえば、深い森に迷い込んだみたいだった。どの木も幅が三十から百フィートはありそうで、高さなんざどこまで伸びているかさっぱり見当がつかないバカでかさでよう。しかもだ、木というより石になった木と言った方があっていたかもな。どの木の枝にも葉はついていなかったし、幹に触った感じは明らかに冷たい石だったからな。そんなのが周りに一杯生えていてよう、俺はというと、そうさなあー、車一台が楽に通れるぐらいの道に立っていたんだ。その道も倒れた木が石化したもので、道は森の奥へずっと続いていた。

 これもみんな手袋の灯りで分かったことで。灯りがなかったら、辺りは真っ暗闇よ。その上、生き物はいないのか不気味なほど静かで、空気は重々しくて、まるで死んだ森と言ったところだった。

 その中で靴下の威力は最高でよ。駆けるより空中を飛んでいる感じで相当なスピードが出ていたな。しかも足が自然に動くという感じで疲れることは全く感じなかったな。

 だがよ、どこまで行っても同じような光景ばかりが続くもんだから、飽きてきてしまってな。ここらでちょいと楽をしてやろうと思って、空を飛んで一気に着いてやろうと考えたわけだ。

 それで、目をつけたひときわどでかい大木のてっぺんによじ登って様子を見てみたんだ。そうさなあー、幹の太さが三百(約90メートル)できかないくらいの信じられない大木だったから、それからいって、高さは三千(約900メートル)を軽く越えていたと思う。そのてっぺんから森と空を眺めたんだが、空はまるで深い地底の底にいるように真っ暗で、雲も月も星も見えなくて。つまり、方向が分かるものが皆目見当たらないときていたんだ。

 それで空から行くのは諦めて、再び森の中を駆けると、俺の足で丸一日かかったが、やっと森を抜けだすことに成功して、次に現れたのが同じ格好した岩しかないバカ広い原野でよう。

 それまでは前方に見えた道を、ただ行きさえすれば、それで良かったんだが、今度は手袋で幾ら照らしてもそれらしい道が見当たらないときていてな。途方に暮れそうになったんだ。空を行くにしても真っ暗で方角が分からないし、手袋が空間全てを照らしてくれる筈はないからな。

 あのときは、へたすりゃこりゃ迷子になるなと思って、この俺さえ心細くなってしまってな。そんなときはこの俺の直感もうまく働らかないときているから、それ以上行くのをためらって、そこでともかく一泊することにしたんだ。

 それが良かった。ひと眠りして目を覚ましてふと後ろの森を手袋の灯りで照らして見ると、来た道とは違う別の道が森の奥に続いているのを発見したのだからな。

 そのとき、もしや原野はフェイクで、森に入っていくのが正しい道なのかとピンと閃いてな。その判断は間違っちゃあいなかった。 

 あのとき、へたに原野へ踏み込んで見ろ。危うく迷子になっていたところだぜ。

 案の定、森の中へ続いていた道は、俺がにらんだ通り、う回路だったんだ。

 改めて振り返ると、よくもまあ、行けども行けども同じ景色が続くあんな薄気味悪いところを普通の若い女が一人で何日もかけて旅したもんだと思うぜ。大の大人の俺だって心細くて耐えられなくなったというのによう。 

 よほど度胸があるというか勇気があるというか肝っ玉が据わっているというか、普通じゃ考えられないことだぜ。

 並みの気性じゃとても耐え切れなかっただろうな。あんなところで長くいたら直ぐにでも正気を失っちまうものな。さすがネピのトップに選ばれることはあると思ったぜ。まるで誰かさんみたいに心臓に毛が生えていなけりゃ、とてもできない芸当だと思うぜ」


 そう言ってにやりと微笑んだロウシュに、一人を除く全員から一斉に笑みがこぼれ、場の空気が一層和んだ。

 だが暗に名指しされた本人にとってはおもしろいはずはなかった。その瞬間、フロイスが、ふんと鋭い視線を当たり前のように向けてきた。おい、言ってくれるじゃないか。

 まさに一歩間違えればといった険悪なムードになりそうに思われたが、そこはそれ、ロウシュはいい気なもので、もう慣れっこというかのように全く気に留める素振りもなく先を続けた。フロイスも同様で。もうそれ以上は何もしてこなかった。

 果たしてロウシュの笑いを含んだ明るい声が響いた。


「うっそうとした森を何とか抜けると、仄かに明るい場所に出たんだ。良く見ると、地面が光っていやがった。もっと詳しく言うと石の地面が砂地に変わっていて、それが光っていたんだ。それで、前方に砂漠のような地形があるのが分かり、加えて空が青白く光り輝いていて、雲まで浮かんでいるのが見えたんだ。

 そして砂漠の真ん中を横断するように一本の道らしいものも見えたわけだ。気が付くと、いつの間にか真っ暗だった辺りは朝がきたように明るく変わっていて、これでやっと来るところまで来たなと思ったんだが、間違ってはいなかった。

 一本道を通って砂漠の丘を越えた辺りにうっすらと雲をまとった巨大な山が連なって見えて来たんだ。余りに高いんで山頂には白い雪が積もっていたな。

 もうそこまで来ると、おそらく都を示す目印なんだろう道の所々に奇妙な文字が刻まれた石碑が建っているし、巨大な石を組み合わせて休憩場所みたいなものまで造ってあってそこにはオアシスみたいなのができていたな。

 そして、天にそびえるようにして立つ山のふもとに着くと、アーチ状をした都へ通じる通用門が見えて来たわけだ。

 通用門は特大・大・中・小・極小と幾つもあって、門の両側に監視人が数人立っていた。門の一番大きいのは千フィート(約300メートル)ぐらい、一番小さな奴は五フィート(1.5メートル)ぐらいの大きさがあったな。俺はもちろんそこでは小の部類の出入り口から入ったが。

 通用門の手前に見えた受付に、ネピの都に行きたいと伝えると、案の定、規則だとかいうことで性別、名前から始まって、魔法使いかどうか、パスポート・紹介人・保証人の有無、どこから来たか、どういう目的でやって来たかと色々質問されたんだ。

 その都度、ゾーレと相談して、怪しまれないようにと用意していた答えを言ったんだ。その間に荷物審査まできっちりされたな。

 そして最後の、来た目的を聞かれたときに、『自分は新しい当主様の姉にあたる人物と古くからの知り合いで、その人物が当主様にネピの都で一緒に暮らそうと勧められた件に関して、都の現地調査をして欲しいと頼まれてやって来た』と言ってやったんだ。話自体は別に嘘でも何でもないからな。ただちょいとパトリシアに気をきかしてやったまでだ。すると効果てきめんで、急に係員の横柄な態度ががらりと変わってよ、少し待たされたが、わざわざコリー犬みたいな顔をした獣人の若い衆が二人付いて、結局その二人、ええとデイクとリオンと確か言ったかな。そいつ等が俺の案内兼世話役担当となって最後まで面倒を見てくれることになったんだ。

 またあそこは、見るもの聞くもの全てが驚き桃の木の世界だったな。

 通用門はトンネルになっているようで、向こう側に出るまで相当な時間がどう見てもかかりそうだったんだ。ところが案内役の二人と暗闇の中に一歩踏み出すと、もう出口に出ていたんだ。まるで瞬間移動したみたいだった。

 そしてその内部をみたとき、何じゃこりゃと思ったぜ。辺りを幾ら見渡しても、飛行場の滑走路のようなバカ広い白っぽい道路が前方と左右の三方へ真っ直ぐに伸びているだけで、他に何もないのだからな。その周辺は草木も生えていねえし、まさに荒野よ。これがネピの都とか信じられずに、ひょっとして騙されたのかと思ってよう、若い衆の一人に訊いてみたんだ。

 そしたら、そいつが応えて言うには、この辺りは都の出入り口になっている関係で、地下に都市が広がっているというんだ。

 それで、ちょいと興味が出たんで、頼んで少し立ち寄らせて貰ったんだ。地下の広い迷路のようになった通路を行くと途中から急に天地が逆転したと思ったら、建物のてっぺんが地下の底を向いたビルがたくさん建ち並んでいてよ。それでどうなってるんだと訊いたんだ。

 案内役が言うには、ここはサンコワースと言う郊外の都市で、そこの住民のほとんどは聖霊ということだった。

 そこでの見学が一通り済んで地上に戻ると、でかさと豪華さから言って大型のリムジンバスにも引けを取らない銀色に光るオープンカーが運転手付きで用意してあってよう、何でも来客用ということで、それに乗ってだだっ広い路を真っ直ぐにしばらく行くと、ドーンと地響きみたいなのがしたので辺りを見回したんだ。そしたら路の両側にクレバスのような裂け目が一杯走っているのが分かってよう、割れ目から黒い煙が上がっていたり、赤い光が花火のように漏れ出ていたから、火山活動か何かが下で起きているのかと訊いたんだ。

 すると、いやそういうことではない。主に聖獣の方の住民だが、地面の奥底で日常の遊びをしていると返事が返ってきてな。それで、どんな遊びをしているのか気になって、少し見たいから立ち寄ってくれないかと頼んでみたんだが、危ないから行かない方が良いと言われてよう。と言って、そのとき俺は客分の身分だったから無理強いはできなくって、結局そのまま素通りしてまた行くと、何とまあ、ここら辺のモダンな建築物にも引けを取らない豪華な建物群が現れたんだ。

 どこもかしこも、色ガラスでできた斬新な建物が軒並み建っていたな。ラムゥーという都市で、聖霊の一派が暮らしているということだった。

 そこを通り過ぎると直に、はるか彼方の方向に背の高い建物と塔みたいのが見えて来てよう。その高さといったら、ありゃ俺達の世界の建物の高さを凌駕しているといって良かったな。なにせ、雲が軽く下に見えているんだ。どう見たって一万フィート(約3000メートル)はあったんじゃないかな。

 案内役の説明では、あそこは都の副都心であるクレーの都で、肝心のネピの都ウエルキスは多くの水路で囲まれた地で、あの都市とは対局の方角にあるとかで、そこへ向かわずに左に進路を取ったんだ。

 ところが、そこまで来るのに広い路を走っているのは俺が乗った車だけで、それ以外に一台の車も見かけなくってよう、ちょいと気になったから、今日は往来が少ないが特別な日なのかと訊いてみたんだ。

 すると向こうが言うのには、今何時だと思っているのですかときたもんだ。俺が日の明るさから昼ぐらいかなと答えると、そのようなことはありません、今の時刻は朝の一時ですと言ってきてな。

 それでこの辺りは陽が沈まないのかと訊いたら、もともとこの世界にはあなた様の世界の様に太陽なんてものはございません。そしてもう一人が、ここでは夜というものは存在しませんのでと言ってきやがってよう。

 それじゃあ何で今が朝の一時だと時間が分かるんだ、正確な体内時計でも持っているのかと訊いたら、時計があるからですと応えてきやがったんだ。

 そして、それぞれが手にしているデジタル時計とアナログの腕時計の現物を見せてくれたんだが、そいつ等の時計は俺達の世界ではほとんど見かけないデザインの時計でよう、デジタル時計は黒い文字盤上に数字が銀色に光って見え、昼はこれが逆転する二色表示になっているんだということで。アナログの方は上半分が昼の時間を、下半分が夜の時間を表していてな。二人はそのついでというわけか、光の波長の強弱の割合とか鉱物の振動周期何たらの原理とか難しいことをこぞって言って時間を計る仕組みの説明をしてくれたよ。俺にはちんぷんかんだったが。

 ま、そういうことで誰にも会わなかった疑問を無事解決して、どれくらい走ったかは知らねえが、ずっと続いていた荒野みたいな何もねえ景色が一変して、人家らしきものもちょくちょく見え始めたかと思うと、森や水路が至る所に見える、緑と水にあふれた一帯へさしかかったんだ。

 今まで見て来た都市に比べて、どちらかと言えば地方の都市に見えたんだが、どうやらその一帯が都の中心部だったらしく、『さあ、着きました。ここがネピの都ウエルキスです』と言って来たんだ。

 そう言われてよくよく見れば、路の彼方にひとかたまりになった街並みと一緒に巨大な切り立った岩山が見えてよう。

 その途端に案内役の一人が、あそこに見える幾重にも水路が張り巡らされた岩山がネピの宮殿となっていますと説明してくれて。実際近づくにつれてその通りの景色が現れて、とうとう着いたかという感じになったんだ」


 そこまで一気に喋るとロウシュは一旦言葉を切り、ビールが入った目の前のタンブラーに手を伸ばして、うまそうに半分ほど飲んだ。そうして、にこやかにほっと一息入れると、唯一ネピの国の事情を知るホーリーに向かって、にやけた顔で自信満々に尋ねた。


「どうだホーリー。ここまでの俺の話でおかしい点は何かあるか? もしあったら言ってくれ。何でも受け付けるぜ」


「そうねー」ホーリーの艶めかしい声がすぐさま響いた。


「私はあなたみたいに陸地から行ったわけじゃないからコメントはできないけれど、ネピの都の大体の感じはたぶん合っていてよ」


「そうか」ロウシュは満足そうに微笑むと、「それじゃあ先を続けるぜ」


 そう言って、更に都で見聞きしたことを逐一報告していった。


「俺が案内された建物は、湖みたいな巨大な水路を隔ててネピの宮殿を望む場所に建つ五階建ての、その辺りでは一際大きい部類に属する建物で、何でも外来客専用にあつらえた、何たら国際交流会館と言う長ったらしい名の宿泊所ということだった。

 見てくれは地味なベージュ色をしたコンクリ造りの建物でこちらのホテルと比べても何ら変わったところがなかったな。強いて言えば、建てられて何百年も経っているようなちょっと古臭い感じがしたぐらいだ。

 泊まった部屋は展望が良い五階のシャワー付きの広々とした個室で、テレビや冷蔵庫といった電化製品は何もなく。あったのはベッドとソファセットと壁に掛かったアナログ時計ぐらいで、至って質素だったな。

 ベッドは普通の据え付き式と天井から吊り下げる吊り下げ式と地べたに直に寝る三種類が選べるようになっていて。俺は地べたにそのまま寝る方が良かったからそれにしたが。

 寝るときは、外がどうしても明るいからと、窓のよろい戸を閉め切って寝るように言われてな。

 そんなだから、手で触れると点灯する水晶玉の形をした灯りが壁側に設置してあったっけ。

 その宿泊先には先客がいたんだ。ぱっと見ただけだったが五人ぐらいからなる中年男女のグループ客で全部で二組いたな。滞在中、お互いに顔を合わせる機会がなかったので、詳しいことは結局のところ分からず終いに終わったが、一組は全員が三角帽にマントと一目で魔女だと分かる服装をしていて、もう一方は地味なローブを揃って着込んでいたところを見ると、おそらくそいつ等も魔法使いの端くれだったのだろうと思う。一人で来た俺をそいつ等は無視するようにしていたな。

 それから街並みについては、見た感じは至って普通だったな。ここで聖獣と聖霊が仲良く暮らしていると言われてもピンとこないくらいにな。通りはどこも石畳が敷き詰められていて、どの家々も出入口と窓があるべき位置にしっかり付いていたもんな。

 ああそれと、都に滞在中の気候は暑くもなく寒くもなくずっと過ごしやすかったな。

 ようやく落ち着き先が決まったことで、いよいよ詳しい情報収集を始めようと思ってな、先ず手っ取り早く食習慣について観察してみたら、そこの仕組みは普通にテーブルとイスで食事を摂るみたいで、出てきたものも俺達よそ者の口に合わせたのか知らないが、どれも無難な俺達が知るものばかりだった。見たこともない珍しいものはほとんど出てこなかったな。

 主食はパンらしく。そのパンも普通に焼いた白パンと色んなものを練り込んだ練り込みパンの二種類があり。風合いも噛み応えのあるハードなものと、ケーキみたいに口の中でとろけるソフトなものの二種類が確認できたな。

 野菜はジャガイモにニンジンにカブにトマトにキャベツにキノコと一通りでてきた。生の場合もあったし煮たものや油でソテーしたものと色々だった。味付けは塩のみだったりやや薄味だったな。

 肉は出なかったがその代わりに焼き魚がいつも出てきたな。白身の魚で付け焼きや塩焼きや香草焼きにしてあった。みんな切り身になって出てきたので、魚の種類は分からなかった。

 果物はオレンジにリンゴにマンゴにイチゴにバナナと至って普通で、色が黄色か赤か青色で果実の風味がする酒か、緑色か赤色をした野菜ジュースか、ほとんど水の味しかしないミルクがいつも付いていた。

 他にもチーズはほの甘い味がしたし、キノコは肉のような感触があったし、ソースは俺達の世界と変わらない色んな種類があったし。

 あ、そうそう、食べ方の作法として、フォークとナイフとスプーンとは別に、鉄串と小型のトングを使って食べる習慣があるらしいと分かったよ。

 次は、いよいよ都の偵察へ行こうとなってな。もちろん案内役兼監視役兼通訳役の若い衆と一緒だったが。

 ところが、どこへ行って良いものやら分からなかったから、無難なところで観光客の見学コースになっている場所へ、手始めに案内して貰ったわけだ。

 さすが見学コースとなっているだけあって、まあ見るべきものは確かにあったな。

 次の朝の十一時、といっても時計だけの話だったが、約束通りに宿泊先の玄関前で待っていると、一台の車が目の前に現れたんだ。車といっても昨日のような豪華なオープンカーじゃない。シンプルな車、例えるなら、コンピューター管理された工場で良く見られるような扁平な台車に運転台が付いただけの乗り物だったな。

 昨日の二人の案内役が乗っていて、その片割れが運転していた。俺がこれで行くのかと尋ねると、狭い場所を通る場合は便利なのでと返事が返ってきてな、まあ仕方ないということになって乗り込んだんだ。

 運転していたデイクが『普段どこでもみられる都での光景をご覧にいれます』と低音ボイスで言って、先ず案内してくれたのは、木々が生い茂り所々噴水があったり、石造りのベンチがあったりと、見てくれは公園のような場所にあったすり鉢状をした集会場みたいなところでよう、遠目からだったがそこには薄着姿の老若男女が集って和やかに音楽を奏でていたり、ダンスみたいな踊りを優雅に踊っていたり、或いは賑やかに飲食をしながら酒盛りを楽しんでいたり、昼寝をしていたりと、まあそんな光景が普通に見られたんだ。

 で、こんなものが見る価値があるものなのかと思ってな、あんな風なものはどこでも日常的に見られるのかと訊いてみたんだ。

するとどうだ、『はい、ここウエルキスの都でなら普通に見られます』と返事をしてきてよう。

 どうみてもみんな働いていないように見えるが、この国ではあれで普通なのかとちょいと浮かんだ疑問を尋ねたんだ。すると何と言ったと思う。こちらへ来られた方は、異口同音に同じことを聞かれます。暇でああしているのでありません。あのように遊んでいるように見えて、実は仕事をきっちりこなしているのです。彼等は対価を貰って働いているのです、との答えが返ってきたんだ。

 俺は何のことやら分からず、ちょっとの間ポカンとしていると、続けて、


『都に見学に来られる方々は、真実を知ると皆驚かれ感心されることなのですが、あそこに集う諸人は別の世界の人々と契約を結んでいる聖霊や聖獣の方々なのです。

 ここからでは見えないですが直ぐ近くまで寄ると、彼等の何人かの背後に細長い透明な管のようなものが宙に浮かんでいるのが分かると思います。それ自体の意味は、召喚という形でどこかの世界へ実体が行っていることを表わしています。つまり、今あそこに見える姿はもぬけの殻ということです。

 なぜあのような曲がりくどいやり方をするかと言いますと、何度もひんぱんに、或いはこちらが用事をしているときに急に呼ばれたのでは、たまったものではないからです。

 また加えて、命を落とすようなことが起こっては割が合わないからです。そのような場合になったとき、急いで戻って来られるようにと拠り所を都に置いているのです。

 国の外で相手方の望みを聞いてやることで対価を頂き、その一部を都に収める仕組みになっており。その代わりとして、都ではあのように何もしなくて良いようになっておるのです。全て遥か遠い昔に考え出された方法です。

 ではそれ以外の契約を結んでいない者達はどうしているかと言いますと、全員が普通に経済活動と社会活動に励んでおります』とまあ、この俺でも十分に納得することを言って来たんだ。

 もちろん俺は分かったと頷いたよ。

 そのような場所を三ヶ所ほど回って、今度は一番の観光名所だという、その昔、都が置かれていたクレーの都市に向かったんだ。その途中、聖霊と聖獣が仲良く暮らすという地区に立ち寄ったが、そこまで行くまでが大変で。坂とか段差とかが一杯あって、どでかい穴ぼこが至る所にあるわ、たまには途中で路が途切れていたりもして、まさに道なき道を走っているようだったぜ。

 そんな難儀をして行ったところが、これまた首をひねるところでよう。どういう訳なのか街並みなんてどこを探しても何も無くって、あったのは建物の残骸らしきコンクリが辺り一杯に転がっている景色ばかりで、ものの見事に破壊尽くされていたんだ。と言って、何があったのか尋ねようにも人っ子ひとりいないときていたから、一旦そこを離れてしばらく行ったんだが別の場所もこれまた似たようなものでよう。今度は大火にでもあったかのように辺りは黒焦げ状態となっていて、まさに廃墟といった感じだった。その次に見た光景はもっと酷くって。何もなかった。荒れた砂漠そのものだった。

 それらの様子から、都市が何者かの襲撃を受けてそうなったのかと思って、本当にここに聖霊と聖獣が暮らす都市があったのかと尋ねると、案内役の二人が現場をしばらく見てから平然と口を揃えて、『よくあることです。別に驚くことではありません』と訳が分からないことを言ってきやがってよう。

 それで一体全体どうなってるんだと問い詰めてやったんだ。

 その返ってきた応えは、驚くなかれ『たぶん若い連中の仕業なのでしょう。血気盛んで元気があって良いものです』といった意味不明の文言でよう。どういうことだと尋ねると、


『起源は定かでないのですが、遥か遠い昔から、各都市の中央部に置かれた広場において、志願してきた精霊達と聖獣達が互いに腕試しをする習慣が年に一度だけあるのです。その影響で、広場周辺に被害が及ぶことが良くあるのですが、ごくたまに周辺どころか街全体が破壊されることも無きにしも非ずなのです』と返して来たんだ。


 若い連中とは若い聖霊と聖獣をどうやら指しているらしく。それで俺はここまで無茶苦茶にやって誰もとがめないのか、この国に法律はないのか、もし怪我人が出たり死人が出たらどうするんだ、誰が責任を取るんだと、と言ってやったんだ。

 するとデイクとリオンが交互に、


『国の法律では時期と場所をわきまえて行っている限りは、処罰はされません』『これくらいのことで怪我をしたり死ぬような者は都にいません』と返して来てな。さらにリオンから、


『あなた様の世界で言うと、デモかスポーツ競技をするようなものです。さしずめ驚くことではありません』とまあ、住む世界が違うと考え方も違う、その典型的な答えが返ってきてよう。じゃあ、そのたびに街がそっくり無くなっても良いのかと訊くと、


『これは仕方がないことなのです。もし禁止などすれば、力を持て余した者達によって暴動が起きます。

 それに、今はこのようなありさまですが何も心配いりません。建設専門に秀でた聖霊と聖獣によって直に作業が始まります。数日もすれば元通りの街並みに戻ります。

 その間住民はと言うと、もはや慣れっこですから、野外に掘った仮の住居でのんびりと過ごしている筈です。腕試しをした者達を呑気に話のネタにしてね』と返されては、俺はぐうの音も出なかった。

 まあ、そんなこんなで丸一日潰れるというとんだ寄り道となったが、その後は順調でよう。

 あくる日、目的のクレーの都市へ入ったんだ。

 案の定、細長い塔みたいなものや近代的な高層のビルが想像通りに至る所で建っていたな。特徴として、どの建物にも窓にガラスがはまっていなくって、その代わりとして窓扉が付いていたな。

 一帯の街並みは、土地が広いせいで現代都市みたいに込み入っていなかったので、行き交う者達はぱらぱらとしか見かけることができなかったが、普通に人間の姿をしていて、完璧といって良いほど隙のない顔をしていたな。いわゆる冷たい感じがする美男美女揃いだったということだ。

 俺は、そこでも一際目立っていた、天を衝くような高さがあった赤い塔に案内されたんだ。何でも、かつて都全体を見渡す展望台として使われていたとかで、エレベーターが付いていなくって全て階段を昇って上まで行かなきゃならない難があったが、そこの屋上からの眺めの素晴らしかったこと、ネピの国は天然の山脈に周りを取り囲まれているのがはっきりと分かったし、その昔にネピの支配者も同じようにここから眺めたかと思うと最高な気分になれて、さすが観光客に人気があると思ったぜ。

 その日はそれで終わって、次の日は意外に人気があるという、ネピの国の食文化の見学に連れて行って貰ってよう。

 それも船頭付きの小船で水路を通って都の片隅まで行くというので、こりゃ良いものが見れると思ったが、間違っちゃあいなかった。

 途中、飛行機ぐらいあるどでかい鳥が列になって透き通るような青空の遥か上空を飛んでいたり、岸辺に色とりどりのパラソルが開いているのが見えて水着姿の女子供が寝そべったり水遊びをしている光景にお目にかかったり、荷物を積んだ船が何隻も水路を行ききするのを見たり、急な日照り雨に遇ったり、船に乗って漁をしている連中を見かけたり、かえりの付いた長い棒で水草を採っては船に揚げている場面にも出くわしたりと、都の普段の暮らしぶりが良く分かった気がして楽しめたしな。

 その間に、もうここいらで女の情報集めをする時期だろうと思って、手始めとして案内役の二人に、長い黒髪がきれいな女王様に会ったことがあるかと探りを入れてみたんだ。すると二人は会ったことがあると答えたので、女王様はどんな方だと尋ねたんだ。まあ、それほど期待はしていなかったが。

 果たして思った通り、『ネイピッド様は、見た目はおっとりした方ですが活動的な面がおありにあって、いつも散歩がてらに良く立ち寄られます』とか『まだ若いせいか子供っぽいところがあり、聖霊や聖獣の幼い子供の輪の中にいつも居られます。それから言って、子供たちには大変人気があります』と、良いことしか言わなかったな。

 ちなみにネイピッドというのは若女主人という意味の呼び名のことで、女は向こうではそう呼ばれているらしい。ネイピッドは、老けてくるとネピスと変わるらしい。そのついでに言うと、男の場合ばネピュド、ネピトスと変わっていくらしいな。

 その際にちょっとした思い付きで都の人口はどれくらいかも訊いてみたんだ。だが、その件は応えられませんと突っぱねてきてな。

 それはそうだろうな。よそ者にいえないこともあるだろうさ。こういった特殊な国の人口を知られること自体、国が栄えているのかそれとも衰退へ向かっているのかを知られることにもなり兼ねないからな。それは当然な受け答えだったと思う。

 ま、それはそれで置いておいてと。そしていよいよ辿り着いたのが非常に地味なところでよう。

 そうこうするうちに、水路の対岸に切り立った岩の壁が延々と続く一帯へとやって来ていたんだ。

 どうやらそこら一帯が石切り場みたいになっているらしく、綺麗に整形されて切り出された石のかたまりが整然と並べて置いてあったな。

 これが食文化とどういう関係があるのかと思ったが、船がそこの船着き場に止まったかと思うと、案内役が先に降りるものだから降りないわけにはいかなくてよう。しょうがねえから、後ろに付いて行ったんだ。

 だが降りたのは良いが、現場はまさに殺風景と言っても良いところで閑散としていて、目ぼしいものは何もなかった。おまけに人っ子ひとりいなかった。

 それで、ひょっとしたら断崖を越えた辺りに、見たことのない樹木や草花が一面生い茂る天国のような場所でも見られのかと想像していたんだが、さにあらず。

 二人とも、石切り場の前で立ち止まると、でんと置かれた巨石を指さして、こう言いやがったんだ。


『この辺りの地質は太古の昔に群生していた動物と植物に分かれる前の原始的な生き物が死に、長い年月をかけて層となったものです。栄養価が高く、私達の立派な主食となっております。

 それから周辺の色と同じ色をして石の柱そっくりに見えるものは、この都の固有種の植物でキノと言います。あれから採れる樹液が原料となって加工され、色んな食品ができます』とな。

 そのことは、聖霊や聖獣が雲や霞を食って生きているわけでないことを示すもんだった。

 それで奴らは何を食べているのかの謎はいっぺんに解けた。が、誰も人がいないことについての疑問がまだ残っていたので、どうして誰もいないのか訊いたんだ。


『作業にあたっている人達は夜行性だからです』と至極常識的な答えが返ってきやがった。


 一応どれも生で食べられるということで試食させて貰ったが、いずれも味はどう表現したら良いか分からない不思議な味がしたな。

 またそこから少し離れた場所で、石炭のような黒光りする石が山のように積んで幾つも置いてあったので、ついでにあれも食用かと訊いたら、『あれは食べ物ではありません、燃料用鉱石です』と返されてよう。向こうにも色々とあるもんだと感心させられたぜ。

 宮殿の方は、警備上の都合で見学コースに入っていないと言う理由で、遂に行くことができなかったが、その代わりとして、都の中で賑やかな場所へ案内してくれるというので どこへ連れて行って貰えるのかと期待していたら、何でもない市場だった。

 都随一の規模がありますというので、さぞかし賑やかだと想像していたが、そうでもなかったな。市場と言ったって、天井に荒目の天幕が張られただけで、あとは壁しか見あたらないだだっ広い倉庫みたいな建屋内に食料品とか日用雑貨とかが山のように集められてあって、客がカート車で乗り付けて欲しいものを片っ端から荷台に放り込み、最後に清算して帰るという味も糞もない仕組みになっていたからな。

 まあ特徴としては、一人当たりの買い物の量がべらぼうに多かったということと、みんな業者みたいに欲しいものを迷わず積み込んで去って行くもんだから買い物客の回転率が高くて、辺りは比較的閑散としていたことかな。

 だがその際、大変興味深いことが聞けてよう。何でも、都では原則として貨幣は発行していないと言うんだ。じゃあ何で取引をしているかというと、予め決められたレートによる物々交換で行われていると言うんだ。しかしながら長い年月を経てそれも様変わりして、今じゃ別の世界から持ち込まれた金や銀や宝石や宝玉を物々交換の代わりとして使う場合もあると言うんだ。

 どうだ、魔物達を召喚するのに使った対価がどのような用途に用いられるかこれで分かったろう。俺も知らなかったからすっかり勉強になったな。

 その日はあいにくと人通りが少なかったせいなのか、二人は気を使ってくれて、今度はもっと人が多く集まっている場所へ案内しますからと言うので、それに応じたんだ。

 次にやって来たのは、噴水や人工の滝や不思議な形をしたモニュメントがあったから、前に連れていかれた公園みたいなところと思われた。

 そこに着いた途端に、路を隔てて沢山のテーブル席がいやでも目についてな。そこには色んな格好をした男女が、開放的と言うか、飲み食いをしながら、にこやかにおしゃべりをしていたんだ。そう、百名は少なくともいたと思う。その中の女ときたら、どれもこれも目の保養になりそうな美形でよう。

 それで、あそこはどこで、あいつ等はいったい何者で、何をしているんだと訊いたら、見ての通り、ここは都民の社交の場、憩いの場となっているところで、地方出身の方々も混じっています。皆さんはいずれも聖霊と聖獣の方々です。都は精霊達だけが単独に暮らす地域、聖獣達が単独に暮らす地域、そして共に同居する地域と区域分けがはっきりとなされています。そして種族別にほぼ決まった服装をしています。それから見て色んな種族の聖霊や聖獣の皆さんがいるのが見て分かると思いますと言うんだ。じゃあ何をしているかというと、互いに意見交換をしながらネピ国内の情勢や外の世界で見聞きしてきた話をリアルタイムで共有し合ったり、議論をし合って交流を深め合ったり、またよろず相談の場でもあるので、私的な話だとか世間一般の話だとかをしているのでしょうと説明してくれたんだ。

 それで、それじゃあ婚活もやっているのかとちょいと冗談で訊いてみたんだ。するっていと、それも多少はいると思いますと答えが返ってきてな。

 ちょっと面白くなって俺でもお近づきになることができるのかと訊くと、冗談抜きであの中から雇用契約したい人材を得たいとお考えなのか、それともあの中に入っていけるくらいの知識か情報をお持ちなら止めは致しませんときたもんだ。

 そう言われちゃあ、こちらとしては残念だったが諦めるほか無くってよ。なにせ既に俺には相棒がいるし、それに元々教養なんてものは他人に自慢できるほど持って無いしな。

 おまけに、へたに不審な行動を取って何かあるとパトリシアに言い訳できなくなるからな。

 それで、いやいや冗談だ、ここへやって来た本来の目的はネピの国が住みやすいかどうかを見るためにやって来ただけだからと、やんわりと断って、そこはそれで収めたんだが、本当は一人だけぽつんとテーブル席に座っている若い女がふと目に止まってよう、友達になれるチャンスかもと思ったんだ。ただそれだけが俺としちゃあ、旅での唯一の心残りといえば心残りだったな。

 その後は、これと言った目ぼしい物がなかった町中を普通に観光してだな、最後に連れていかれたのは、宮殿近くの博物館と宝物館だった。

 なぜ最後の方に案内するかと言うと、来訪者が決まって足を止めて丸一日どころか滞在期間ぎりぎりまで居座って動かなくなってしまうので、そのあとの見学日程に支障が出るから後回しにしていると言っていたな。

 いずれの建物も、フランスパンを銀色に塗ったような細長のハイカラな外観をしていて、中は三階建ての建物を全部吹き抜けにしたくらい広くて、幅も奥行きもびっくりするくらいあったな。奥行きなんか端から端まで歩いて二時間ばかり掛かったから直線距離で三マイル以上はあったと思う。

 それでどんなものかと期待して先ず最初に入ったのは博物館で、俺達が着いたときは客は誰もいなくって閑散としていたな。案内役の説明だと夜の時間帯は混むが昼はこんなものだということだった。

 内部には、国周辺で自生しているという植物の実物やら棲息している生き物のはく製とか鉱石とかが並べて展示してあった。

 ま、見るものが見れば楽しいんだろうが、俺はそれほど興味がなかったので簡単にスルーして次に向かったのは宝物館でよう。

 中に入ると、目に付く至るところに、杖や帽子や鏡といった日用品みたいなものから、人や獣人の肖像や、その当時の衣装とか武具武器類や、お宝らしい玉やリングや金のメダルやらが展示してあった。

 説明では歴代の当主とその重臣が愛用した品々並びにその当時に収集して大事に保管していたお宝が収めてあるということだった。

 一つ一つはどれも素晴らしいもの何だろうが、だが俺にはどれも興味はなくってよう。

 とはいっても、そこだけは身分を白魔法使いと申告した手前、さすがに素通りはできなくってな。ちょっとだけ知っている単語を並べて付け焼刃の知識を披露し、いかにもこの手の知識があるように見せかけて何とか切り抜けようとしたんだが、向こうもさるもの担当の専門家を呼びやがってよ。

 仕方がないから、建物の外観から内装、展示品、はたまた中の雰囲気までほめてほめ殺しをするわ、ざっと見てあんまりにも多い展示量なので一体何点ぐらい展示されているんだとか、ネピの国はどのくらいの歴史があるのかとか、現在の当主様はこちらを訪れたことがあるのかとか、展示会場にイスとかベンチが見当たらないので尋ねるがこの辺りにゆっくりできそうな休憩所みたいな場所があるのかとか、展示品を紹介したパンフレットみたいなのはあるのかとか、知識の浅さを悟られないように、手当たり次第にどうでもいいことを訊いてやって、わざと話をずらして何とかけむに巻いてその場を切り抜けたんだが、あのときは本当に、いつ正体がばれるのかと思ってひやひやしたぜ。

 まあそういうことで無事に六日間が過ぎ、帰りは正規の道案内人が途中まで先導してくれたお陰で、最速で戻って来れて楽勝よ。とはいっても、それでも半日かかったが。

 ま、そういうことで、これで俺の旅行記はお終いだ。どうだ、楽しめてくれたか? それと何か質問はあるか?」

 

 そう言って、笑みを見せたロウシュに、う~んと唸る声が誰ともなしに漏れた。

 情報収集の正確さにかけては六人の中では誰も右に出る者がいなかったせいで、誰も次の言葉が継げなかったのだ。

 それでも少し間を置いて、ホーリーがぼそぼそと声を上げた。


「その旅行費用は一体幾ら掛かったの? タダと言うことはなかったわよね?」


「ああ、そのことか。俺もそれは真っ先に訊いたさ。するとネイピッド様の来賓ということで全てタダだと言われたな」


「ふ~ん」


 賑やかなノリでそれまで喋っていたロウシュが至ってまじめな受け答えをしたことで、場の雰囲気が何となく変わった。そこへ、その会話を身じろぎもせずにじっと聞いていたゾーレが五人を見渡すと、


「みんな、聞いての通りだ。パトリシアの妹と名乗った女が話したことはどうも嘘ではないらしい。それから言って、信じないわけにはいかないと思うんだが、みんなはどう思う?」


「どう思うと言われてもな……」


「そうよねえ……」


「ふ~む……」


 各人各様のつぶやきが漏れた。しかし誰もが難しい表情で首をひねるだけで、それ以後誰からも次の言葉が出てこなかった。


「それじゃあ、こう言えばどうだろう」別の言葉でゾーレは言い換えた「これは仕組まれたワナだろうか?」

 

「ロウシュが訪問したところは恐らくネピの都で間違いないと私は思うけどね」


 時を移さずホーリーの引き込まれるような艶やかな声が静かに響いた。


「なぜなら、そこまでリアルにネピの国を再現することは不可能な話だからよ。そしてその娘は明らかにネピの国を良く知っている、つまりネピの国の住民であることは間違いないと思うわ。もっとも聖霊若しくは聖獣が人間に化けたか、それとも人間の体を乗っ取っているとも考えられるけれど。

 でも本人が恐れ多くもネピの統治者である当主と発言した以上、ネピの国にそのことがばれればタダで済まないことを十分承知をしている筈だから、その可能性は低いわ」


「とすると、やはりパトリシアに会いに来た人物はネピの……」


「ああ、たぶん。確率で言うと限りなく百パーセントに近いんじゃないかしら」


「それじゃあ本物で間違いないということで良いんだな」


「ええ、たぶんね。それを調べる方法として私が知り得るのは、あそこの当主にはそれを守護する精霊と聖獣が必ず付いていると聞くわ。その娘に精霊か聖獣を召還して貰ってから、彼等に直接問い質せば直ぐ分かることなんだけれど。

 それにしても何だかほんと、にわかに信じ難い話ね。あのパティーの血縁がねえ……。神の直系血族の一つ、ネピの当主さんになっていただなんて、縁とは奇なるものとは、このことを言うのね。亡くなったナイヒルもとんだ縁を取り持ったものだわ。

 でも一つだけ腑に落ちないのは、なぜネピのトップが直接でないにしても私達の前に現れるようなことをしてきたかよ。先代はちょっと変わり者で例外と言うべきだったと聞いているけれど、あそこはどこにでも中立というか、外界との接触を長く絶って来たところで、他の神の一族に対しても仲裁に回ることがあっても争い事には一切首を突っ込んだことがないと聞いてたんだけど……」


 疑り深いホーリーから出た疑問に、ゾーレは慎重な口振りで、


「もちろん、その件はまだ突き詰めて調べなければならないが一先ず本物ということで」


 と即答を避けて話に区切りを付けると、すぐさま隣のロウシュへ向かって


「それで、もう一つの件はどうだった? もちろん行って来たんだろう?」と話を振った。


「ああ。昨日戻って来たところだ」「ああ、そうか」


 互いに顔を見合わせて、二人は簡単なやり取りをすると、ゾーレが改めて全員の前に振り返り、


「実はもう一つ確かめたいことがあって、帰って来たロウシュにもうひと手間かけて貰って、その娘が生まれた国まで行って貰っていたんだ、念のためにと思ってな」


 そう言って隣に座るロウシュに向かって視線を向けた。


「で、どうだった?」


「ああ、分かった」


 ロウシュは、嫌なものを見て来たという風な浮かない表情で返事を返すと、先ほどまで陽気に喋っていた人物とは思えない単調な口振りで語っていった。


「ゾーレから大体の場所を聞いたとき、もしやと思ったんだが、案の定、そこはシュルツの部下が手掛けた別の支援地の一つだった。いわゆる飛び地と言う奴だ。

 たった二日しかいなかったから全てを見て回れた訳じゃないが、思った通り、酷い有様になっていた。

 何もかもが俺達がいたところとほとんど変わらぬくらい破壊し尽くされていて、手付かずのまま放置されてあったな」


 ロウシュの言葉に、和やかだった雰囲気が一転曇った。


「行くと、そこへ直接通じている道路には検問所があって、その前にはバリケードが置かれてあって車の出入りを規制していたな。もう五年以上経っているというのによう。

 まあ、何をしようが俺には関係なかったが。

 何にもないありきたりの道路をしばらく行くと、ペシャンコになったり真っ黒に焼けて使いものにならなくなった車の残骸がそこら中に放置してあった。

 その辺りから道路は、爆弾が投下されたのか、至るところで陥没していたな。それから荒地に家の跡や石造りの壁やらがぼつぼつと見え始めて、更に行ったら、レンガとコンクリの破片とゴミくずの山一色の世界がどこまで行っても続いていやがった。

 その中で壊れずに残っていた壁には、決まって訳の分からない落書きがしてあるわ、蜂の巣になってはいたが形を留めていた建屋や地下の下水は、夜盗のアジトになっているか浮浪者のたまり場となっていたな。

 また、見掛けたどの空き地にも盛り土が不自然にしてあった。たぶん死んだ住民をひとまとめにして埋めたんだと思う。

 まあ、そんなとこでずっとそこら中をぶらぶらと歩き回っていてもらちが明かないんで、出会う人間から情報を訊き出そうとなって、近くで見かけた山のようになったがれきのてっぺんに適当に腰掛けながら、誰か来ねえかと待ち伏せしてたんだ。

 そう、三十分ほど待ったかな。すると、飛んで火に入るじゃないが、ちょうど旨い具合に車が一台、のこのことやって来たんだ。

 俺がおーいと叫ぶと、車が近くで止まって四人の男共が降りて来た。どいつもこいつもひげ面で、軍服に身を包んでいて、小銃を持っていた。車はピックアップトラックで、荷台に機関銃が積んであって軍用車両に改造してあった。

 それらのことからこの国の軍隊かと思ったが、後で分かったことによると、そいつ等はそこの一帯を支配する有力者が雇った民兵だった。

 まあともかく、俺はそのとき何でも良かった。辺りを見渡して誰もいないのを確認すると、俺に銃を向けて近付いてきたそいつ等に向かってわざと逃げる振りをしてワナに掛けると一網打尽にひっ捕まえてやって、車の運転席と荷台にいた二人もちょいと気絶させてやって。ひっ捕まえた四人からその一帯の事情を訊こうとしたんだが、どいつもこいつも何も知らないときていてな。気絶させた二人も同様で、何も分からず終いよ。

 で、どうにもならないから、事情を知っている奴を誰か知らないかと訊いたんだ。  

 するとそいつ等が上官ならたぶん知っていると言うもんだから、ワナと分かっていて、そいつ等のアジトへ向かうことになってな。そのあとちょいとドタバタがあって、どうにかこうにか訊き出すことに成功したんだが、結論から言うと、空振りに終わったと言って良いかもな。

 にらんだ通り、俺達がいたところが襲われた時を同じくしてそこも正体不明の攻撃を受け、建物は跡形もなく破壊され尽くされたんだそうだ。そして、そこで暮らしていた住民のほとんどは死んだか、どこかへ連れ去られたらしいんだ。だが、そのあとすぐに国が真っ二つに分裂する大きな内乱が起こったため、自分たちのことで目一杯となってよそのことに構っていられなくなった。よって、そこで何が起こったのか、今でも皆目見当がつかないとまあ、あやふやな答えしか返って来なくてな。

 そのあと、他のところからも訊こうとしたんだが、何分と俺の姿を見ると逃げるように姿を隠したり家に閉じこもるもんだから、何も得られなくてよう。

 まあ、その様子からして今なお平和とは程遠い雰囲気だったからな。どこでスパイが聞き耳をたたているのか分からないとよそ者の俺を警戒したんだと思う。

 それで俺も、それ以上は何もできなくってよう。手ぶらで帰って来た次第だ」


「ああ、分かった」


 初めから予想がついていたというかのように、ゾーレはあっさりと了解した。


「ま、そういうこともある。しかしあのニル(ナイヒル)さんがあの辺りに長くいたのは確認がとれているし、叔父の顔ききで先代のネピの当主と知り合いであったことも間違いないからな。それに、国の内情が不安定だったからネピの都を避難の場にしたのもうなずけるから、おそらくあそこの出身でほぼ間違いないだろうと思う」


 そんなとき、冷ややかな表情を向けるホーリーの横から、かすれ気味の野太い声が響いた。


「ロウシュ、そこまで調べれば上出来だ。肝心の私等といったら、いまだにシュルツ達の手がかりの一つもつかめていないのだからね。それに比べると良く調べた方だと思う。

 シュルツ達も連れ去られた可能性があることが分かっただけでも収穫があったよ。まあ、生きている可能性は限りなく低いけれどね」


 しばらくの間、無言を貫いて話を聞いていたフロイスからだった。

 そこへ、日頃からフロイスと仲が良いサイレレが落ち着いた口調で賛同した。


「そうだな」


 さらにそこに、フロイスに従順なコーが続くと、ロウシュは満足そうな笑みを浮かべた。

 六人の中で一番影響力のあるフロイスの一言がおそらく効いたらしく、それからほんの少し遅れて、サイレレの隣で目を閉じたまま聞いていたザンガーが深いため息をつくと同じく賛同した。


「ああ、そうだな」


 いつも聞き役に回って滅多に口を挟むことがなかった男の一言に、ホーリーが最後に、


「実際、会ってみないと何も分からなけれど、ゾーレ、あなたの考えで良いんじゃないかしら」 


 と締めくくり、あっという間に全員の意見が揃っていた。


 六人のリーダー役を務めていたザンガーと言う男、彼は第四番目に仲間となっていた。

 その性格はというと、無口で物静かで陰気で不愛想で人見知りで優柔不断でと、どうみても統率力があると思えず。それに加えて、いつでもどこでも自分の殻に閉じこもっていて完全に心を閉ざしていたので、必ずしもリーダーに向いているとは言えなかった。寧ろ他のメンバーの方が資質があると言えた。

 例を上げれば、サイレレはかつて五百名以上の神官を束ねる責任者の立場にいたし、フロイスは唯一軍事戦略の教育を受けていた上に賑やかなことが大好きで不思議と人をまとめるのが上手かったし、ホーリーは弁舌が巧みで思慮深く気配りも割とあったし、ロウシュとコーに至っては一昔前にリーダーを務めたことがあったしと、誰がなっても不思議でなかった。それにもかかわらず、ザンガーに決まったのは、六人を集めたB・J・シュルツの鶴の一声、「極端にやり過ぎる者より、中庸を持って旨とすべしの例えの通りに、手頃なところで止めておく者がリーダーに好ましい」と云った意見と、彼の男が秘めていた三つの特殊能力の内の一つがおもしろいと評価されたことに拠っていた。

 シュルツが関心を寄せた男の能力。それは大げさにいう訳でなかったが、神のみが使えると言われ、この世を破滅に導くという大いなる力、アポカリプスの一つに数えられるのではないかと想像でき、六人の中で最強と言って良い能力だった。

 だが残念なことに、致命的な欠陥が一つだけあった。それは、男ひとりだけの努力では到底発現させることができず、必ず一人か二人のそれ相当な能力者か魔法使いの手助けが必要とされる点だった。

 元々非力な人間の男が、突然降ってわいたように尋常ならざる能力を手に入れていたのだから、それくらいの障壁があるのは不自然でも何でもなく、至極当然と言えた。


 男は、今や名実ともに革命リーダーと宗教指導者の二大巨頭が独裁者として君臨する国の生まれだった。

 その国は、今から百二十年ほど前に、五百年近くに及んだ王制が後継者争いのごたごたの果てに崩壊し、数年間の無政府状態を経て軍による統治が始まり、軍は海外から新しい科学技術や学問を積極的に導入して国の近代化を押し進めた。そのことがやがて民衆の力を強めることとなり、体制は共和制に移管して、その後に民制、軍制、民制と、ころころ変わっていった。

 どの政権をとってみても似たり寄ったりで、職権の乱用と汚職と腐敗がはびこり、長く続かずにそうなったのだった。

 ところが再度復活した民制もやはり国民には何の恩恵も解決策も示さなかった。大多数の国民にはそっぽを向き、一握りの利権者に富を集中させて、貧富の二極化を推し進めただけだった。そのため不満を持った国民によって国内にデモが頻発し、とうとう政権が倒れて臨時の応急措置として再び軍の登場となり、軍は国民の不満を鎮めるために戒厳令を発動して憲法を停止。生産活動に悪い影響を及ぼすとして集会やデモの禁止、不正の取り締まりと称して前政権の政治家や役人の拘束と投獄、治安が悪いのを是正するとして刑罰の強化と厳格化、国の財政立て直しをするとして税の改正と引き上げ、国民を扇動しているとして多くの国民の心の拠り所だった宗教の弾圧を行ったりと長く圧制を敷いた。

 それらの行為は、国の機能をマヒさせ、国内に失業者をあふれさせ、国民の暮らし向きを益々酷いものとしていき。ある意味、国民の生活を置き去りにしていて、行き過ぎとも受け取れた。

 結果、次第に国民の不信と反発を招き、世が太平であった頃に憧れる風潮を抱かせるとともに王制復古の気風が高まることとなり。

 やがて軍内部に権力争いが勃発したのを機に、軍事クーデターが起きると、懐古主義者で親宗教派とみなされる若手の人物が実権を握っていた。

 そのようにしてできた新しい政権は、当初の目論見通り、宗教を基盤とした体制へと移行。それまでの近代的な憲法並びに法律が廃止されて、宗教の教えがそれに取って代わることとなった。

 正義・正論が抑圧された時代が終わり、それに代わって、必ずしも正しいとは言えない規則・論法が理不尽にもまかり通り、何でもかんでも強制される時代が到来したのである。

 それを物語るがごとく、かつての王制がそうだったように、最高権力者を神格化する目的のために二つのポストが最高権威の象徴として新たに作られ、そこへクーデターを指導した人物と宗教界で一番規模が大きい会派の中から保守系の宗教指導者が就いていた。

 そして国は、二人の強力な指導下の元で様々な改革がなされていった。

 忘れ去られていた祈祷とか呪術とかいった古い習慣や荘園制度や奴隷制度や残虐な刑罰や身分制度が復活。代わって宇宙論とか地球論とか進化論とかいった一部の自然科学と人が生まれながら持つ平等とか自由とかいった人権は完全否定されることとなった。

 ほどなく社会主義国家や共産主義国家に見られるように、どの町中においても、二人の肖像画と彫像とが、他にも宗教の教えと政治スローガンを記した看板が、良いか悪いかそれは別にして、一番目立つところに飾られるようになった。

 また時を同じくして、政権を支持する親衛隊と秘密警察が、それぞれ軍と警察とは別に改めて正式に組織されると、各地区に駐屯するようになり。地区の民兵と協力して宗教の教えに違反している者がいないか監視したり、違反者を取り締まるようになった。

 更に、真の神はこの世にただ一つであり、それ以外の神は邪神であって異端であるとの宗教の理念から、政府は最終兵器の開発を密かに押し進めた。例え人類の歴史が終わりを告げても、正しいことを神に代わって行うのだと固い信念を持って。

 それらは現実的な観点からみて、明らかに時代に逆行したような行為と思えた。が、多くの国民が、それまでの劣悪な環境が改められ、平穏で豊かで失業者と物乞いがいなかった時代が再び訪れるとかたく信じたため支持されていた。

 果たして、暮らし向きは前の政権とそれほど変わらないが、犯罪はめっぽう減り治安が良くなったとして、国内は表向き平穏に見えていた。

 だがそんな中、そのあおりを受けた格好で男を始めとするインテリ層の多くが改革に支障が出るとして目を付けられ、公職や職場から追放されていた。


 クーデター革命が起きた当時、男は普通に男女共学の初等学校の教師をしていた。そのとき彼は結婚して家族もおり、ごく平凡な生活を送っていた。

 しかる後に宗教が教育に深く介入し学校が宗教一色に染まると、男女は別々に隔離され、服装は政府が決めた宗教色の強い服へ、二人の指導者が教科書となり彼等をほめたたえることを中心とする教育が常に行われるようになっていった。

 その結果、リベラルな思想を持つ多くの教師が職を失うはめとなり、社会の落後者として人生のどん底を味わうこととなった。その中の一人が男だった。


 後になって、お互いに同じ境遇、人生の落伍者として落ちるところまで落ちたことがあったことから、妙に馬が合い仲が比較的良かったゾーレに、少しずつであったが語った本人の回想によると、――――

 教職から追放された後、友人や親せきを頼るようにして職捜しをした。そして仕事はすぐに見つかった。が、考えていた待遇とは程遠く。これでは家族を養えないからと、仕事を自発的に辞めると、今度は知り合いを頼らずに探そうとした。

 けれども一度政府ににらまれた者に対して世間の風は冷たく。どこへ行こうがどんなに条件を下げようが、とうとう職にありつくことができなかった。

 そのような失業状態が約一年以上続くと、しまいには外に出るのも口を開くのもおっくうとなり、自宅のアパートに閉じこもっては気を紛らわせるために、ネットを見たり、音楽を大音響で流してみたり、酒を飲んだり、薬に手を染めたりした。

 そうなると夫婦仲がうまくいく筈はなかった。顔を合わせる度に無視し合ったりケンカをするという具合に、仲が完全に冷え込み。ある日、妻は子供を連れてどこかへ出掛けたまま戻って来ることはなかった。どうやら愛想をつかされたらしかった。

 その頃を境として、一人残された孤独感を紛らわせるために、ますます酒と薬に頼るようになっていき。人好きで誰とでも気楽に接することができたそれまでの性格もひょう変して、自分の殻に閉じこもるようになり。ついには無口になって人見知りするようになって、すっかり変わり者になり果てていた。

 そうして気が付くと、家賃を滞納したことで借りていたアパートを追い出されていた。  

 その後は友人や親せきの家に泊まらせて貰ったり借金をして食いつないだ。だがそれも半年もやっていると徐々に自己嫌悪感に陥り、やがて自ら身を引く形で行くあてもなくさ迷う身となった。

 浮浪者のように食べ物や日用品をタダで日々調達しながら、橋の下やら建物の軒下やら廃屋やら森の中と、住み家を転々と変えて各地を放浪する生活を始めた。

 本当はできれば定住したかったけれど、同じような境遇の住人がどこにでも縄張りを持って暮らしていて、彼等はお互いに棲み分けをしていたため、気兼ねしてそうしたまでのことだった。


 あれは七月か八月ごろだったか、穏やかに晴れた昼下がりだった。その日も次の町へ移動するために郊外の幹線道路を一人とぼとぼと歩いていると、思いがけない不運に見舞われた。

 通り越していった車が三台、いきなり前方を塞ぐようにして止まったかと思うと、五人の若い男達が続々と降りて来た。男達は見た限り若く、二十代くらいに見えた。そいつ等は軍とも警察とも民兵とも違う立派な制服を着て銃を持っていた。それから言って、親衛隊か秘密警察の者達と見て間違いなかった。

 犯罪の取り締まりでもしているのかと思ったが、いきなり銃を突きつけられた。一体何のことか分からずに呆然としていると、周りから乱暴にがっしりとつかまれ、手を後ろに組まされて縛られそうになったので、もしやこのまま駐屯地まで連れて行かれるのかと思い、びっくりして身震いがした。

 警察や民兵なら例え捕まっても、事情を話して何もなかったなら直ぐに開放してくれるが、親衛隊と秘密警察はそういうわけにはいかない。捕まって連行されたなら最後、厳しい取り調べを受けて、身に覚えのないないことでもやったと言わされて、二度と戻って来れなくなると聞いていたからだ。

 それで、大人しくして連れていかれる振りをしながら、中途で気を失ったかのように地面にわざと倒れる芝居をすると、隙を見てそのまま走って幹線道路の横に広がっていた大きな森を目指して逃げ出した。後ろで大声で叫ぶ声と銃声が聞こえたが、捕まりたくない一心から無我夢中で逃げた。

 そして、どこをどう逃げたのかさっぱり覚えていないが、気が付くと深い森の中にいた。どうやらうまく逃げおおせたらしく、もうその頃には追っ手の声も銃声もしなくなっていて、森の中はシーンと静まり返っていた。

 そのとき、辺りは真っ暗になろうとしていたので、一晩森の中で夜を明かすことに決めて、いつものように寝床になりそうな適当な場所を探していたところ、少し離れたところに車のライトくらいの明るい灯りがついているのが目に止まった。

 奥の方に道路でもあるのかと思いながら音を立てずに警戒しながら近づくと、道路はなく。その代わりに開けた比較的広い場所があり、そこに不思議な光景が見えた。

 周辺を小さな発光体が幾つもぐるぐると回っていて、その中心辺りに全身が白く光っていて、どうみても人ではないようなものが三人立っているのが見えたのだ。しかもその一人は人間の赤ん坊を大事そうに抱いていた。どうやら、どこからかさらって来たらしかった。

 そのすぐ後ろの方に、銀色をした丸い物体があるのが見えたので、これは宇宙人に出くわしたかもなと思って、急に恐ろしくなってそこでじっと身を潜めていたところ、また不思議なことが起こっていた。

 ふと気が付くと、夜が明けかけていて、かつて学校に勤めていた頃に住んでいた町の付近になぜか立っていた。明け方近くの通りは薄暗くて誰も見掛けなかった。

 そのことから見て、宇宙人に見つかり何かをされた。そしてここまで連れて来られた挙句に置き去りにされた。そう考えて、体に異変が何か起こっていないか調べてみた。しかし何かを埋め込まれた傷跡もアザもついていなかった、ただ一つの異変を除いては。それは片方の手に小型のアタッシュケースが握られていたことだ。

 だがそのときは身体のことばかりに気がいっていて、そのことにちっとも気付かずにいた。

 しばらく身体検査をして何も異常がないことを確認したあと、これからどうするべきか考えたが、はっきりした答えが出なくて。ともかく腹が減っていたので一先ず集会場を捜して立ち寄った。

 政治と宗教が一体化した宗教国家の唯一良いところは、例え偽善であっても神に祈りを奉げさえすれば飢えを凌げることだ。

 いくところに行って、同じようなみすぼらしい格好をした連中と一緒に入口の門が開くのを待って中に入ると、直ぐに早朝のお祈りが始まった。それが一時間半ばかり続いてお開きとなって、死なない程度の施しを貰って食べてから、数年ぶりに戻って来た町並みがどう変わったのか見ようとなって、いよいよ周辺の散策を開始した。当然のことながら、ぶらぶらと歩くうちに、足が自然と以前に勤めていた学校へ向かっていた。

 学校のある場所まで行くと、校舎は昔と変わっていなかった。が、学校の周囲は昔と違って高いフェンスで取り囲まれていて、中に入ることができなくなっていた。

 本当はもっと近くまでいってどうなっているのか見てみたい気もしたが、物騒な世の中だし、厳重に警護するのも仕方がないことかと一応納得して、それ以上かかわることは止めて、次の目的地だった昔住んでいた自宅が今どうなっているのか見に行こうとした。

 そうして、さあ戻ろうとしたときだった。不意に後ろから老人に声を掛けられた。服装から見て学校の警備人らしかった。

 事情を簡単に説明してそこを立ち去ろうとすると、もうしばらく待って欲しいと言われて、何のことやら分からずにそれに応じて待っていると、直ぐに車が五台やってきて警官と親衛隊の面々が十人ばかり降りて来た。どうやら警備人が通報したらしく、いきなり銃を向けてくると、ホールドアップ、手を挙げろと命令してきた。それに大人しく従うと、手に持っていたアタッシュケースを取り上げられて、こいつは何だと訊いてきた。そこで初めて手にアタッシュケースを持っていたのに気が付いて、分からない知らないと答えると、更にしつこく嘘をつけと言ってきた。

 そのあと銃を突き付けられた状態で簡単な身体検査をしてくると、そいつ等はケースを慎重に開けにかかった。その様子は爆弾でも扱うようだった。

 あとから考えると、みすぼらしい浮浪者ごときが真新しいジュラルミン製のアタッシュケースを手に持っているのを見て、どこかで盗んで来たのかそれとも学校でテロでもやるのかと警備人が怪しんだのももっともなことだった。それだけアタッシュケースはハンドガンや爆弾や貴金属を入れるのにちょうど手頃な大きさだった。

 そのとき、こちらとしても何が入っているのか知らなかったので、それをじっと見ていると、ケースに鍵が掛かっていなかったと見えて、口がスムーズに開いた。

 すると、黒い煙がもうもうと出てきて、途端に現場が騒然として、ケースを放り出して全員が地面に身を伏せたり走って逃げ出そうとした。

 一瞬だけだったが辺りが煙幕に包まれたように真っ暗闇になって、煙は跡形もなく消えて見えなくなった。そのあとにはすっかり変わり果てた男達の姿があった。そいつ等は着ていた制服ごと灰の塊と化して下の地面に積もっていた。どいつもこいつもほとんど人の形を留めずにだ。それはまるで一瞬にして高温で焼かれて燃え尽きたようだった。

 そしてこちらはというと、驚いたことに何も異常がなかった。変わっていなかった。ただしその代わり、まるでSFアクションにでも出てきそうな、ある意味奇抜な黒の皮のつなぎとブーツを身に着けていた。

 だがあのときは本当にびっくりしてしまって自分の身なりに構う暇もなく、呆然と立ち尽くしていた。

 そこへ銃声が連続して聞こえた。その音に何だと我に返ると、生き残った奴等がこちらを遠巻きにするようにして銃を乱射していた。

 普通なら即死の筈だった。が、銃弾が幾ら当たっても、こちらは痛くもかゆくもなかった。平気だった。そこで初めて奇妙な恰好をしていると分かった次第だ。

 そのあとどうなったか記憶がないが、気が付いたとき、辺りは静かになっていて、車はめちゃくちゃに壊れていて、そこにいたと思われる者達も同じように、全員が血を流して死んでいた。全てこちらが殺ったらしく、熟れた果実が地面に落ちてぺちゃっと潰れたかのように酷いありさまとなって転がっていた。

 その後どうなったかと言うと、何の努力もせずに、手に余る力をいきなり手に入れた者が辿る転落の人生だ。

 少し本気を出しただけで、パチンと手を叩いて蚊を殺すより簡単に人を殺せることが分かったことで、それからというもの傲慢とおごりと思い上がりの塊となって、最初は自分をないがしろにした者達を気がすむまで追い回して仕返しをしてやった。それが済むと、今度はまるで超人にでもなった気分でこの世界をどうにでもできると勘違いして、自分がここまで苦労することに至ったのは全て今の社会のせいだ、体制が悪いからだと決めつけると、警察署や親衛隊の駐屯地や聖職者の住まいを襲っては皆殺しにして回った。

 すると、お決まり通りにそう上手くいかないもので。有頂天になって好き放題にした報いだろう、テロ組織の仕業だろうとなって本格的に軍と警察が捜査を開始した頃辺りに身体に異変が起こっていた。 

 原因不明のめまいと幻覚と疲労感と倦怠感に襲われ、身体を動かすのもままならぬようになるわ、自分で自分が分からなくなってしまうわと生活に支障をきたすこととなっていた。

 だが、自分ではどうすることもできず。結局、専門家の世話になろうと決め、身分を隠して医者に診て貰ったところ、出た結果はうつ病更年期障害、薬を毎日忘れずに飲んで、ゆっくり休んで休養を十分とれば治ると言われたな。

 今思えば全く的外れな見立てだったが、その時はそれを信じた、信じるほかなかった。

 その見立てを受けて、以前立ち寄ったことがあった片田舎でふと目に留まって記憶に残っていた、どう見ても人が住んでいなそうだったはげ山に向かうと、そこに掘った洞窟を隠れ家として、ともかく身を潜めていた。

 そのあとは皆が知るところだ。

 ある日そこへホーリー、フロイス、ロウシュの三人連れが現れて、その中からホーリーが『別に命を取りにきたわけでない。頼まれて力を試させて貰いに来た』と無理やりサシで勝負を挑んできた。もちろん、隠れ家を知られたからには誰だって生かしておくわけにはいかないと無条件で受けた。だが実力の差が大きく、散々な目に遭った。

 やがてホーリーは、倒れたまま動けずにいた俺を見下ろすと、


『ちょっと見ない風変わりな能力の持ち主みたいね。だが戦い方がなっていないわ。あんたはまるでド素人よ。その実力で良く世間に名をはせていられるものね。ほんと、話にならないわ。そんなんじゃあっという間に一巻の終わりよ』


 他の二人も異口同音に、『その実力では幾ら上等な能力を持ち合わせていようとも宝の持ち腐れと言うほかない。私等みたいな経験豊かな者にかかると直ぐに殺られてしまうよ』『ああ、だめりゃこりゃ』などと言って俺をあざ笑った。

 そして三人は、


『ところでこちらの要件だが、私等は今人手が足りなくて人集めをしているところだ。

 といっても何でも良いと単に数集めをしている訳ではない。素質のある者を捜している。それから言うと、お前は何とか合格だ。どうだ、無条件に私等に付いてくる気がないか。そうすればもっと強くなること請け合いだが、どうだ来る気がないか。それともここで惨めな野垂れ死ぬ方を選ぶかだが……』そんなことを言って答えを訊いて来た。もちろんどうしたか分かると思うが。

 あのときほどの悔しさといったらなかった。それまでのおごり高ぶりをいっぺんに吹き飛ばされて、実力がないことをはっきり分からされたのだからな。

 もちろん付いて行く方を選んだわけだ。――――とのことだった。


 そのようないきさつがあったため、その後しばらくして仲間へ加わってからも男は三人に対してはどうしても頭が上がらず、何でも言いなりとなっていた。それはシュルツからリーダーに任命された後もそれほど変わらなかった。

 一般にリーダーを任された人間がそのような遠慮する態度を取ると、通常なら全員が好き放題にしてまとまりがなくなってしまい、集団で物事を行う際に団結した行動がほとんど不可能になる筈であったが、こと彼等に関しては、一人一人が大人で節度をわきまえていたということか、 不思議と無縁と言って良く、そうならなかった。

 却ってこれら弱腰ともとれる寛容さが、各々が個性の塊で一見してまとまらなさそうに見えた顔ぶれの彼等に上下関係の無い仲間意識を持たせ、一つにまとまることになっていたというのだから、世の中わからないものである。


 ちなみに、男のザンガーという名前(人によってはザンアーとも発音されて呼ばれる)は、本名ではなく通り名だった。それも全く偶然に生まれた。

 男にはラウル・キースという立派な名前があった。にもかかわらず、誰もがその名前で呼ぶことはなかった。

 名付け親は初期メンバーのロウシュ、フロイス、ホーリーの三人で。男が三人と最初に出会ったときに何度も口走った言葉が、男の母国語の方言で「いいたくはない」と言う意味のザ・アン・ガーで。それが名前だと解釈されて、その後意味が分かり誤解が解けてからも、この世に何の未練もないと言っているくせに昔の名前を名乗るのは野暮と言うもの、それは過去を引きずっていることに過ぎず決別したとはいえない、過去を棄てて新しくやり直すのなら名前を一新すべしとのごり押しを受けて、結局大人しく従っていたのだった。

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