第60話

 パトリシアの運転する車は周囲の流れに乗り、低層及び中層ビルが密集して建ち並ぶ地区を通過していた。沿道には人影も緑もなく、何となく殺風景でうらぶれた感じがするのは否めなかった。

 しかしながらパトリシアはそのような街並みの様子など一々構っていられなかった。ともかく急がなくてはと、そればかり考えていた。

 つけっぱなしにしていた車載テレビから『ようこそいらっしゃいませ、未来からのプリンセス。私達はあなた様のご訪問を熱烈に歓迎いたします!』というタイトルのドラマ映像が流れていた。

 突然、あなた達の子孫ですと未来からやって来たお姫様が、未来の科学を使って現世で騒動を起こし、それに振り回される家族や周りの人々を描いたドタバタコメディもので。普通に頭を空っぽにして楽しめ、続編も期待できる良作だった。

 そういったシナリオの作品が世の中に受け入れられ易いのか、その前は、『どうせ一度きりの人生なら、悔いなく生きなくちゃね』というタイトルの、戦争が剣と弓矢と魔法で行われていた中世ヨーロッパ風の異世界に偶然転移した現代の五人の若者が、学校で学んだ知識と異世界で覚えた魔法をそれぞれ使って無双し、信頼できる友人や恋人を作りながら、やがて一人一人が一国の王となるストーリーの冒険ドラマをやっていたし。その前の前が、現世では何のとりえもなかった青年が、人以外にモンスターやドラゴンやゴブリンやエルフが普通に暮らす世界へ迷い込んだことで、その世界で生きるために仲間を作ったり仕事をしたり冒険したりと悪戦苦闘する姿を描いた、汗と友情と所々ギャグが混じるストーリーの物語で。その前の前の前は、世紀末世界を舞台に、神の力を手に入れた六人の男女がゾンビ軍団を操る謎の組織やヴァンパイアや吸血鬼や救世主と名乗る悪の組織と、人類の未来をかけてバトルを繰り広げる作品で。その前の前の前の前の作品はアニメで、ごく普通の女性の事務員が急な病で死んだと思ったら、見慣れぬ世界の立派なお屋敷にいて、そこでは次期王の十二名いる妃候補の一人となっていた。いわゆる転生をテーマにして、恋愛と策謀と友情が巡り巡る、ある意味ご都合展開の王道ファンタジーとなっていた。


 それらのどれもが現実逃避ができるという点で共通していた。けれども現実世界に重心をおくパトリシアにとってはどこ吹く風といったところだった。


「何言っているのかしら」「所詮はおざなりな作品ね」「馬鹿みたい」「世の中、そんなに甘くないのよ」「ふん、私だってお姫様よ」


 そのような呟きを、ドラマが切り替わる度に、見る間に遠ざかっていく街の風景を車の運転席から無表情に眺めながら、冷ややかに漏らしていた。


 気が付けばあっという間に時間が過ぎ、午後の三時をとうに回っていた。そして、いつの間にか天候は曇りがちとなっていた。

 本来なら、もうそろそろ目的地に到着しても良いところだった。だが、幾らナビの指示があるとはいえ、生まれて初めて通る路であったことが災いして、判断ミスや勘違いが幾度もあった。その度ごとに迂回をしたり途中でバックしたりで手間取り、余計な時間がかかって今に至っていた。

 

 そしてとうとう、これ以上待たせるわけにはいかないと決断して、車を通行量が少ない道路の端へ止めると、ダイスのところへ連絡を入れた。

 すると、携帯からダイスが『どうかしましたか?』と心配そうに様子を尋ねてきた。「道路が混んでいてね、遅れるかも知れないの」と手短に伝えると、悪いんだけどと妹と称する女性に言づてを依頼して、また連絡するわと言って携帯を切り、再び車を走らせた。

 それから四十分も経った頃、いつの間にか市外に出たと見えて、道幅が狭くなっていた。ひんぱんに十字路や丁字路が見られるようになり、ほとんどそっくりに見える低層住宅の家並みが、緑の樹木や空き地と共にひんぱんに出現した。

 ナビではどうやらこの辺りのようだったが、右も左も分からないところで、しかもそっくりな景色がずっと続いていたので、これじゃあまた道に迷いそうと、もう一度車を止め、再びダイスに連絡を入れた。


 すぐさまダイスが出ると、『今どこにおられるので』と訊いてきた。


 パトリシアは車内から辺りを見渡すと、


「近くに来ているのは確かなのだけれど、分からないわ」と正直に応えていた。


『ああ、そうですか、分かりました。それじゃあその辺りに何か目印になるようなものがありませんか。例えば、バス停か、頭のない少女の像が十体並んで見えているとか、煙突か電波塔のようなものが見えませんか?』


 そう言われてもう一度見渡すと、前方の木々の隙間から、グレー色をした細長い塔が一本、突き出ているのが分かった。


「そういえば、前方の方にアンテナのようなものが見えるわ」


『ああ、それです。電波塔です。分かりました。それではですね、今いるところから電波塔に向かって車を走らせて下さい。そうすると、道が二手に分かれた地点に出ると思います。そこを右手に曲がって下さい。そこからそう、三百ヤードも行けば私の家です。私が家の前で立っていますので直ぐに分かると思います』


「ありがとう、ダイスさん。気を使って貰ってすみません。直ぐに参りますわ」


 パトリシアはほっと安心した顔で丁寧に礼を言うと、携帯を切り、それまで大変な思いをして車を走らせていたことなどすっかり忘れて、その方向へ車を発進させた。

 さあ、いよいよだわ。

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