第58話

  周りがまるで昼間のような佇まいを見せる中、見覚えがあるような気がした港の波止場まで車ごと送って貰ったとき、うまい具合に、外には誰もいなかった。

 車中から周りを見渡しても、濃緑色をした穏やかな水面と、船をつなぎ止めるための鉄の杭と、ずらりと建ち並ぶ大型倉庫とその前に止められた大型貨物のトラックの車列が遠くの方で見られるだけで、だだっ広い港の波止場には誰一人として人影は見かけなかった。

 皆さん、お仕事中みたいね。

 パトリシアは、この場所へ突然現れたことを誰にも見られていなかったことに一安心すると、怪しまれないように車を移動させようと、さっそく車のエンジンをかけアクセルを踏み込んだ。そして数秒もしないうちにそこから遠ざかり、程なく高いコンクリートの壁が城壁のように連なっている防波堤のところまで、人目を避けるようにやって来たときにようやく車を止め、ひとまず日中の時刻を確認しようと車載の小型テレビをつけた。

 たくさんあったチャンネルを適当に選択しているうちに、時刻が午前十時三十分過ぎと分かり、すぐさま腕時計をその時間に合わせると、誰もいないことをもう一度確認してから車から下りた。

 そのとき、雲一つない澄んだ青空と広大な港の全貌が眩しく光り輝いたと思うと、パトリシアのブルーの瞳に飛び込んできて、思わず何度も目を瞬かせた。その瞬間、海の臭いがプンと鼻を突いてきた。

 さすが港って感じね。大きいわねぇ。

 風のないじりじりとした暑さが感じられる中、手で強い日差しを避けながら、静かな周辺を目を細めてふ~んと一べつすると、やがてぽかんとした顔で他人事のようにひとりごちていた。

 果たして、私って本当にここに来たことはあったかしら? 空から見た感じとこうして直に見るのとでは、どうも違うみたいだし。


 パトリシアは、この場所はピエト地区のはずれに位置していたというだけで、自分が見知っている港なのかはっきり言って自信がなかった。けれども、カーナビが何とかして目的地まで連れて行ってくれるものと信じて、それほど気にかけていなかった。

 早い話、出発地点がどこであれ、文明の利器カーナビケーションシステムが最終目的であるダイスの住まいまで連れて行ってくれるのであるから、どうということはなかったのだった。それより問題はもう一度海を渡る帰りと言えた。ここまでやって来る途中でも、そのことが話題となって話が及ぶと、例の方法を使って連絡してくれたら直ぐにでも迎えに行くよとフロイスが優しく言ってくれた。が、緊急でもないのに急に呼び出すのはこきつかうようで気の毒だと思い、直ぐに来れる距離でないこと、たとえ来れたとしても天候や時間帯に左右される上に入り組んだ道路や建て込んだ建物からピンポイントで捜し出すことは容易でないことを上げてやんわりと断った。それではどうすれば良いと訊いてきたフロイスに、「あの辺りで知っている場所がない?」と逆に訊き返していた。


 すると彼女はタブレットパソコンのマップ画像を見ながら少し考えて、そう言えばと口を切ると、


「あの辺りへは一度も行ったことがないのでさっぱり分からない。けれど、その周辺のジーロ地区かピエト地区ぐらいなら行ったことがあるので知っている」


 更には、


「ジーロ地区には、あそこにリンドンシアターという大きな劇場があって、過去五回ほど演劇を鑑賞しに訪れたことがあるな。

 ピエト地区にはついては、「ついこのあいだ行ったよ。コンベンションセンターで兵器博覧会が開かれていてね、ちょっと見に行ったんだ」と言って来た。


 それを聞いてパトリシアは自然と含み笑いをした。

 約二年前にピエト地区を債権回収の仕事でズードと一緒に訪れたことを思い出したからだった。

 ズードが自警団の団長に推挙される以前の、まだ自由が利く身であったときのことで。毎年債権回収の時節になり、付き添いを頼むと、快く了解してくれたというよりも、素人女が遊び半分でやれるものじゃありませんからと半ば強引に来てくれていたのだった。


 ちなみにパトリシアの場合、債権回収の業界に入って三年弱と日が浅く、まだまだ債権回収の素人であったことで、債権者仲間や債権回収のアドバイザーをしてくれる知人や後見人を持たなかったことと債務者の情報を知る手がかりとなる情報網を持っていなかったことなどから、借金を踏み倒して逃亡した債務者を見つけて回収することは不可能と言って良かった。

 従って彼女の顧客は、必然的というべきか、逃亡せずに厚かましく居座っている債務者ばかりで占められていた。

 大体そんな輩は、危険人物、犯罪者、ヤクザ者と云ったいつも命を失う危険を伴うやっかいな者達と相場が決まっており。そのときも行ってみると、当の本人はプールはおろかテニスコートやバスケットコートやゴルフ練習場やへリポートなどを完備した広い庭付きの豪邸で優雅な暮らしをしていた。しかも手下らしい大勢の男達と共に大型の猛犬を多数頭飼って。もうそのことからして、債務者は堅気でないことは明らかだった。


「実は私もピエト地区なら知ってるわ。ちょっと野暮用があってズードと一緒に出掛けたことがあるの」


  パトリシアはそう口を開くと、「ふ~ん」と興味深そうに耳を傾けてきたフロイスに、「あれは二年程前の、そう昼下がりのことだったと記憶しているわ」と、白い歯を見せながらそのいきさつを述べていった。


 パトリシアとズードの二人が債権回収のことで債務者の自宅があるという住所を訪問すると、高い石壁に囲まれた豪勢な邸宅が姿を見せた。見れば、中世ヨーロッパ貴族の屋敷そっくりな外観をしており、広い敷地内には絵本の世界にいるようなすばらしい庭園が見て取れた。

 そして、入口の余りに立派な門構えに、パトリシアはこの場合、普通に借金回収のことで押し掛けたなら門前払いされるのは疑いのないこととして、機転を働かせると、インターホンを通して、「どなたかいらしゃいませんか。警察の者です。実は追って来た犯人がそちら様の敷地へ逃げ込んだようなのです。至急外へ出てきて門を開けて頂けませんでしょうか」と口から出まかせの要件を丁寧に伝えた。果たして、二人ともきちんとしたスーツ姿の身なりに黒いサングラスをかけるという一般市民らしからぬ容姿をしていたので、効果てきめんで。


「あ、はい」 


 そう返事をして、幼顔をした三人の若い男が、中へと通じる見るからに重厚な木製の扉を開けて、外へ応対に出てきた。 

 そして門の錠を開けたところで、ようやく本当の用件を伝えると、三人は鋳物製の巨大な門扉を隔てて、口裏を合わせるように事務的な口調で言って来た。


「本人は留守です、いつ返って来るか分からないから帰ってくれますか」


「本人が不在でも居場所が分かるんでしょ」と食い下がると、不愛想に「もう帰って下さい」とすげなく言ってきた。


 そうして、「嘘おっしゃい、中にいるんでしょ」「いやいない、帰れ!」「貸したお金を返してもらうまでは帰るわけにはいきません」「出ていけ」「いやです」といった押し問答の末、若い男達の無礼な態度に業を煮やしたズードが、横から凄みを利かせた声で「なめんじゃねえぞ、小僧。お前達ではだめだ。もっと上の奴を出せ」と頭ごなしに凄むと、堂々とした体格のズードの余りの剣幕にたちまち三人は立ちすくみ、おどおどした態度ですごすごと扉の中へと消えて行った。

 そういうわけで、二人はずかずかと広大な建物の敷地内へ入っていった。するとタイミング良く、横の庭の方向から、始めの三人より年齢が十歳くらい上がったぐらいの若い男が、ドーベルマン似の人が楽に背中に乗れそうなくらい大きな犬を四頭、両脇に引き連れ現れた。

  犬達はさっそく二人を見つけると、リードを強く引っ張りながら、今にでも襲い掛かろうとする形相で、威嚇するようにうるさく吠えてきた。

 その距離、たったの四十フィート余りしか離れていなかったことに、襲われるかも知れない恐怖心からパトリシアは思わずギョッとすると、身を固くして、呆然と立ち尽くした。だが直ぐに、こんなやり方を使って今までにやって来た借金取りを撃退してきたわけねと読み取ると、気をできるだけ強く持ってそしらぬ顔を装い、冷徹な目で男をにらみつけた。ふん、そんな脅しに負けるものですか。


 そんな風にして何とか平静を保ったパトリシアに、男は平然と両脇にはべらした犬達に視線を向けて、


「おいこらっ、うるさい。止めろ」 


 と叫んで、犬達が吠えるのをなだめると、三人から連絡を受けたのか、パトリシアの方に向き直り、嫌味な口調で言って来た。


「腕に自信のある人を同伴しているみたいですが、悪いことは言いません。怪我をしたくなかったら速やかにお引き取り下さい」


 まさに、やくざ者が借金取りを追い返すときに使う常套文句に、馬鹿みたいとパトリシアはすかさずきつい調子で言い返した。


「それで、あーそうですかと大人しく帰ると思って」


 次の瞬間、犬達の頭を交互に優しく撫でながら、男は苦笑いをすると、


「お二人とも、何も知らないで来ているみたいですからご説明しますが、この住宅には六百名近いファミリーが百二十頭の犬と共同生活していましてね。犬は番犬目的で飼っているのでどれもどう猛で従順で、命令一つで自分達より図体のでかいクマであっても勇敢に立ち向かっていきます。これで判ったでしょう。お二人だけではもうどうにもならないということを。速やかに帰るほうが身のためかと思うのですが」


 そう言って二人の顔色をうかがってきた。それにパトリシアは、


「ああ、そうですか」と冷たく返すと、毅然と応えた。どうせ成り行き的にわざと大げさに言ったのだろうと思って。


「はっきり言って私達はそんな脅しには乗りません。貸したお金はきっちり回収させて頂こうとやって来た次第です」


 すると男はかなり短気だったと見えて、きっぱりと断言したパトリシアの言葉にカチンときたのか表情が一変すると、目を吊り上げて残忍な口調で言って来た。


「ふん、それじゃあ、仕方ありませんな。嘘じゃないことを見せて差し上げましょう。あとで後悔しても知りませんよ」


 そうしてやはりというべきか、犬達をつないでいた首輪のリードを外しにかかった。

 それを見たパトリシアはとっさに身構えると、条件反射的に肩に掛けたトートバッグの中をさぐり、隠し持った催涙スプレーに手をかけた。もし襲い掛かってきたら応戦するつもりだった。

 だがそれよりも早く、パトリシアを守るようにズードがその前に立ちはだかると、

 

「お嬢さんは下がって見ていて下さい。直ぐに片付けますので」


 そう言いながら、黒いグローブを落ちつき払って両手にはめた。


「おもしろい」男は興味深そうにズードをにらみつけると犬達の尻を叩いて叫んだ。


「行け、かみつけ!」


 その瞬間、リードが外れた四頭の犬達が野生の感情をむき出しにすると、いかつい体つきをしたズードに至近距離から次々と襲い掛かった。

 しかしズードはひるむどころか 襲い掛かって来た犬達にパンチを続けざまにくらわした。パンチは、跳びついて噛みついてくる犬が相手だったため、まともには当たったようにみえなかったが、あっという間にどの犬も短い悲鳴を上げると、宙を飛んだり地面に転がって後方へ吹き飛んでいた。

 そのとき犬をけしかけた当の男はというと、運の悪いことに、その際飛んできた一匹の犬の巨体にまともにぶつかり、その衝撃で地面に頭を思い切りぶつけて気を失って倒れていた。

 まさに瞬殺と言って良い、見事な勝利だった。だがその余韻も冷めぬまま、口から長い舌を出したまま泡を吹いて死んだように横たわった犬の下敷きとなって身動き一つしない男に向かってズードは無表情で、


「残念だったな」と低い声でささやくと、後ろを振り返り、「お嬢さん、行きましょう」と声を掛けて来た。


「そうね」パトリシアはにっこり笑って同意すると、呆気なく終わっていたことが当然のことのように辺りに転がる犬達の肢体を眺めながら、歩き出したズードの後ろに従った。

 どんな狂暴な獣だってあの一撃を受けたらたまんないわ。いちころよ。


 種明かしをすれば、ズードが拳法の達人である前に、両手にはめた黒いグローブがくせものだった。

 能力者や魔法使いでない一般の人間であっても訓練すれば使うことが可能な魔法アイテムの一つで、最高で一千万ボルトパワーのスタンガンに匹敵する衝撃を一瞬のうちに与えることができ、場合によっては命を簡単に奪うことさえできるのだった。また防護盾やナックルダスターの機能も有するという優れものだった。

 

 さっそく勝手に扉を開けて強引に中へと入ると、建物の外観通りの、一般的な高級ホテルと比べても何ら遜色のない全面大理石貼りの広い空間が現れた。

 天井が高いこと、めぼしいものが何も見られなかったことなどからエントランスホールと見て間違いなかった。

 入って直ぐに、室内の中程あたりに、二十名前後の男達が並んで立っているのにでくわした。どうやら連絡がいって待ち伏せしていたらしかった。

 二十代後半から四十代前後くらいの、いずれも見るからに荒くれ者といった腕っぷしの強そうな者達で占められており。そしてその何人かは手にゴルフクラブ、鉄パイプ、スタンガン、ハンドガンらしきものを持っていた。


 二人が更に歩を進めようとすると、その集団の中央寄りにいた、ズードと同様の黒いサングラスを掛けたやや年輩の男が二人に鋭い視線を向けてくると、荒っぽい口調で声を掛けてきた。


「おい、止まれ。止まりやがれ!」


 二人は言われるまま立ち止まると、更に語気を強めて言って来た。


「人のうちに勝手に上がり込んでくるとは良い度胸だな。どこのもんだ、どこから来た!」


 余りにもガラの悪い物言いに、これでは会話がかみあいそうにないと、二人が押し黙ったまま応えずにいると、男は尚も汚い言葉でののしって来た、


「おい、ここをどこだと思っていやがる。なめんじゃねえぞ、この野郎」


 余りにドラマのような展開に、パトリシアはズードの背後でちょっとほくそ笑んだ。この職業の人達って、どこでも全くぶれてないわねぇ。

 少しの沈黙の後、この場合何か話さないといけないのかしらと思って、あのう既に連絡がいっていると思いますがとでも遠慮がちに言おうかと思ったとき、いきなりズードが先に口を開いた。


「お前がボスか?」


 落ち着き払ったズードの声が広いホール内に響いた。


「いや、違う。ボスは、ここにはいねえ」すぐさま男は戸惑ったように否定した。その慌てぶりからみて本当のことらしかった。


「そうか。それなら早くボスに会わせて貰おうか。俺達はあんた等のボスと話し合いに来ただけだ。あんた等には用はない」


 すると、ちょうど中央付近で腕組みをしていた、立派なあごひげを生やした目つきの鋭い年輩の男が口を開いた。


「ボスは今日は気分がすぐれないので会いたくない、日を改めてきて欲しいとおっしゃられている。まあ、そういうことで、悪いが今日は引き取ってくれないか」


 先の相手と違って比較的穏やかな物腰で言って来た男に、ズードはふてぶてしく突っぱねた。


「ふ~ん、それで大人しく引き下がるとでも……」


 次の瞬間、居並んだ男達の表情が一斉にこわばり、直ぐにでも一戦交えそうな殺気だった雰囲気となった。

 その鬼気迫る臨場感に、分かっていたとは言えパトリシアも平静でおられず、思わず深呼吸をした。このまま行くと、一体どうなるのかしら。

 当の男を見ると、男もそれがひしひしと伝わってきていたのか、さも不愉快そうに顔をしかめると言って来た。 


「これだけ言っても話が通じないとは、身の程知らずというか困ったものだな。あとは力ずくで帰って貰うしかなくなるが……それでも良いのだな」


 その言葉を暗黙で了解したのか、ズードはすかさず尋ねた。


「それでどうするつもりだ。何でもありのオールラウンドのやり方か?」


「いや、それはお前の実力を見てからだ。それからでも遅くない。見掛け倒しの弱い奴をみんなで寄ってたかってぼこぼこにしては後々物笑いの種になるのでな」


「ふ~ん」


 わざとやる気がなさそうな生返事で返したズードに、男はいらついたのか語気を荒げて叫んできた。


「最初はこいつからだ」


 それから直ぐに横に振り向くと、「おいっ」と乱暴に声を掛けた。

 その声に、「へえ」と一人の男が短く返事をすると、ベッドカバーぐらいあるどでかいスーツを脱いですぐ隣の男に預け、自身は白のシャツに吊りズボンという身軽ないで立ちとなって、一歩前に進み出た。

 身の丈七フィートぐらいでビヤ樽のような体形をした大男で、同じような体形をしたズードと比べても身長が一回り、体形では三回りほどでかかった。


 そして大男は、そのまま後ろを見ずにゆったりと歩き出した。

 それを見たズードも、大男にならって上着を脱ぐと、すぐ後ろにいたパトリシアに、お願いしますと言って預け、同じくゆっくりと歩いて行った。

 やがて二人は、十フィートぐらいの間合いを置いて向かい合うと、どちらともなく足を止めた。

 そこで、「犬ころを四匹吹っとばしただけで好い気になるなよ」「ああ、そうかい」などと、どうでも良いような会話が一瞬だけ持たれた後、自然体の姿勢で握った両方の拳を胸の前に出して構えるという古式拳闘士スタイルの構えを大男は取り、一方ズードは、右足をやや前に出したサウスポースタイルの構えを取った。

 そしてそのままの状態でにらみ合いが続き、荒くれ者集団のリーダー格らしき立派なあごひげを生やした男の「やれ」の一言で戦いが開始された。

 だがしかし、大男はズードのたった一発のパンチを浴びただけで、歩いてきた元の位置まで吹き飛び、そこにぶっ倒れて、白目をむいて口から泡を吹いてと、外で倒れた犬同様の醜態を晒していた。その時間、一秒有るか無しかのあっという間の出来事だった。

 思いのほか呆気ない幕切れに、当然ながらそれを見ていた周りの男達にどよめきが起こった。

 さらにそれをたきつけるように、ズードがわざとらしく首を傾げると、「思ったより弱いな」と聞こえるように呟いたものだから、それだけでは終わらず。周りが再び一触触発の空気と化した。


 だが次の瞬間、リーダー格の男が「おい、がやがやと煩いぞ。静かにしろ」と凄みのある声で叫ぶと、すぐに鎮まっていた。

 そうして、ものの十秒もしないうちに全員をまとめあげた男は、矢庭にズードの方に向き直り、

 

「あんた、その道のプロみたいだな。これではまともにいっても勝ち目はない。ここはハンデを貰わないとな」


 そう勝手に告げてくると、黒い瞳と黄色の肌とやや小柄の体形からみて、どうやらアジア系らしい二人の若い男を、今度は指名してきた。

 二人は双子の兄弟と見られ、顔も体形もそっくりで、刺すような冷たい眼差しをしていた。

 二人は両方の手に短い鉄パイプのようなものを持ってズードの前に歩み出ると、さっそく二本の鉄パイプを継ぎ合わせて一振りした。すると鉄パイプはたちまち長さ五、六フィートの短槍と変わっていた。


 今度の対戦相手が二人となったことについて、ズードは何の異論も唱えなかった。沈黙したままだった。命を賭ける場合のみに限って、どのような策を弄しても最後に生き残った方が正義であって、負けた方は悪であるという、古の昔からとうとうと受け継がれてきた暗黙の掟を十分認識していたからに他ならなかった。同じ価値観を共有していたパトリシアも同様だった。ごく冷静に受け止めて、全員の目が三人に注がれている間に、片方の肩に下げたトートバッグから小さく折り畳まれた帽子と催涙スプレーの容器をさりげなく取り出し、代わりにズードの上着をバッグに収納するという、万が一に備えての伏線を整えていた。


 その内に、すんなりとプロセスは進み、やがて戦いが開始された。二人の男はやはり短槍使いだった。連携して息の合った攻撃を仕掛けてきた。

 その動きは俊敏で、決まったリズムで型らしい技を次々と繰り出してきたところを見ると、何らかの流派に属する者とみられた。

 だがしかし、小手先の武術より実戦経験の豊富なズードの優位は動かず。前と同様、息を飲む暇もなくズードの勝利で終わっていた。

 次はその三倍の六人が、対戦相手として指名された。

 くだんのズードがかけひきで挑発した言葉、「ふん、くだらない。弱すぎる。子供の遊びじゃないのだからな、もっとましな奴はいねえのかい」が元になっていた。

 出てきた六人は、義手の腕に物騒な刃物を仕込んでいたり、棒ムチの達人であったり、ダークダーツの使い手であったり、蹴り技のスペシャリストであったり、二刀剣使いであったりと、いずれも秘義や特殊能力を持っていた混成チームで。最初だけズードは彼等の裏技や能力に戸惑い、手こずっていたが、魔法アイテムのグローブと持ち前の拳法のコンボで、ものの見事に切り抜けていた。

 ちょうどそのとき、絶妙のタイミングで、奥の扉の方でドタドタと靴音が騒動しく響いたかと思うと、新たに百人を超える応援の者達が、殺気を伴って中へと乱入して来た。自宅内での使用は相当勇気がいるものであるが、もはやあれこれ言っていられない緊急事態というわけなのか、いずれも手に銃を持っていた。


 その様子をまざまざと見せつけられたパトリシアは、眉をひそめると、呆れたように深いため息をついた。いよいよ起こるべきことが起こりそうね。

 そしてその予想は見事的中したものとなった。

 異様な空気と化した室内に、ひとり立ち尽くすズードを狙ったと思われる銃声音が、突如として複数回響き渡ると、その後はなだれを打って銃の連射が始まっていた。

 だがその辺りは二人とも十分心得たもので、慌てず騒がず、最初の銃声音がしたのを機に、ズードはおもちゃのビニール人形に似せた閃光手りゅう弾をさく裂させて一時的に周りを視界が利かない世界へと変えると、自等はフロアに転がる男達の中から一番近い方を選んで、その陰に隠れるように頭からその方向へ跳び込み身を隠していた。一方パトリシアは、先にトートバッグから取り出し手に持っていた、つばが広く先端が尖がった、まるで魔法使いの帽子のような帽子をとっさに被っていた。魔法アイテムの一つで、被るとたちまち姿が見えなくなるという代物だった。

 それからざっと部屋を見まわして、隠れることができそうな辺りまで小走りで走って避難した。


 その後、白銀に包まれた空間に、大勢の怒鳴り声や叫び声やうめき声。ガラスが割れる音。ドスンと何かが倒れる音、壁に何かがぶつかった音、銃声音などが、入り混じるようにしてあちこちで響いた。そしてしばらくすると、収拾がついたのか静かになっていた。

 それから十分程経ち、霧が晴れたように辺りが元の世界に戻り、何もかもはっきりと見えるようになったとき、硝煙の臭いが微かに立ち込めるホール内には、男達が足の踏み場もないほど死ぬ目に遭わされて倒れていた。

 そして、それから更に二十分程待った頃、「何とか片が付きました」とズードが息を弾ませながら迎えに来た。

「分かったわ」と応じて、周囲を警戒しながら後ろへ付いて行くと、意図的に古めかしく造ってあった階段や通路や中途半端に開いた扉の向こう側に、不意を突かれたのだろうか、男と女が様々な格好で気を失って倒れていた。全てズードの仕業に違いなかった。 「ボスは三階の一室にいます。ただ今、身柄を確保してあります」とのことで、建物の三階に上がると、静まり返った通路には高級そうなエンジ色のじゅうたんが普通に敷かれ、両側の壁には、古い時代の鎧や甲冑や剣やアックスといった骨とう品類が、博物館でいるかのように多数陳列されていた。

 そして、いよいよ言われていた部屋の扉を開けて中に入ると、横に長く広がっていた室内には高級感が漂う花模様柄のじゅうたんが敷かれ。その上には、おそらくオーダーメイドと思われる、一度に百人が腰掛けられそうな規格外の大きさの総革張りのボックスソファと長さが五十フィートはあろうかと思われる天然木の一枚板で作られたテーブルがでんと据え置かれていた。

 他にも照明は間接照明。壁と天井は金色と白色で艶やかに彩られ、大きな窓には細かい刺しゅうがされたレースのカーテンが掛かっていたりと、一目で豪華と分かるものだった。


 歩きながらズードが話してくれたのには、ボスの男は四人の女の護衛に守られて、妻子と共に午後のティ―タイムとしゃれこんでいたということらしく。それを聞いたときパトリシアは思わずため息をついた。ほんと、良いご身分だこと。

 そのことを裏付けるように、二人の女が部屋の戸口付近に、後の残りはソファの付近とソファに寄りかかるようにして倒れていた、いずれも秘書のような身なりをして。

 そのとき周辺に目をやったが、ボスとその妻子の姿は見当たらなかった。

 ちょっと不思議に思って、前を行くズードに尋ねると、こちらですと彼は尚も奥の方へ歩いていった。

 すると、その方角にちょっとした広間があり、モダンな丸テーブルとイスのセットが全部で三組、一定の間隔を置いて並べられていた。その中の一つのほぼ真ん中に、色とりどりのバラが活けられた花瓶と色んなフルーツがのったカラフルなカップケーキらしきものが山積みに盛りつけられた大皿が置いてあり、その周囲にティーカップとポットと食べかけのケーキがのる小皿が数個放置されていた。

 そして、特大の長さのボックスソファの背後に隠れるようにしてまた別のソファがあり。 そのソファのシートの部分に頭を向けて、フロアに直に座り込む若い男女の姿があった。


「あれね」


「はい」


「そう」パトリシアは軽く頷いた。


 見たところ、二人は十フィートほど離されて拘束されていた。

 男はボスしか着ないだろうと思われる高級そうな白のスーツの上下をきちんと着こなし、派手な赤い水玉のネクタイに白のエナメルシューズと、見るからにおしゃれに気を使っているという風情で、手足を二個の手錠でクロスに連結された窮屈な姿勢で佇んでいた。

 女はシックな紺色のパーティドレス姿で足を投げ出し、その上に薄ピンクのドレス姿の小さな女の子を抱きかかえた姿勢でいた。女のか細い腕と子供の足が、それぞれ手錠で結ばれているのが見て取れ、余程の惨劇を目撃したのだろうか子供はおびえて泣くのも忘れて震えていた。

 その光景に、しょうがないわねとパトリシアはため息を一つついた。いきなりズードが現れたら誰だって怖がるわよ。

 ちなみに男並びに女を拘束していた手錠は、他にも複数の手錠が口かせやガムテープやロープの束と共にソファの上に載っていたことから、どこからかズードが見つけてきて使ったらしかった。


 女の方はパトリシア達がやって来たことに気付くと、ブロンドの長い髪を振り乱して恨めしそうな目を向けてきた。メイクがやや濃いめだったが、ファッション誌のモデルのような顔立ちで、かなりの美人だった。

 その流れで女が何かを訴えようと閉じていた口を開きかけたとき、その前に男の方が殺気だった目を向けてくると、荒い息をしながら言って来た。


「よ、よくもやりやがったな」


 男の顔が酷くはれ上がり、口の端から鮮血が垂れていた。ズードにやられたのに違いなかった。


「どう、ご気分はいかがかしら」歩み寄りながら涼しい顔でパトリシアは声を掛けた。


 すると、完全に頭に血が上った男は、ドスの利いた声を震わせながら吠えたててきた。


「お、覚えてろよ。この仕返しは必ずさせて貰うからな」


 だがパトリシアは男の正面で立ち止まると、男の顔をまじまじと見つめて一歩も引かずに言った。


「そんなことはどうでもいいの。成り行き的にこうなってしまったことだけのことよ。別に私達はあんた達の命を取りに来たんじゃないのだから」


 それからここへやって来た要件を、短い文面で書かれた借用書のコピーを見せて、簡単に説明した。

 すると男は、「さあな」「何のことだ」「知らないな」としらをきったり、「相手とはもうすでに話が付いている」「その証書は偽造されたものだ。よって払う義務はない」「今住んでいるこの家も土地も本来は自分の持ち物じゃない。例の大火があった後、無人になっていたことを良いことに住みついたものだ。前の持ち主のことは知らない。返してくれと言ってきたこともないからそのまま使っている」「生活費はいつも知らないうちにどこからか湧いてきて、知らないうちに消えている。従って今すぐに払えるような貯えの金はない」などと理屈の通らぬ言い訳を延々として、ふてぶてしくとぼけてきた。


 そのように開き直った男に、これじゃあ話にならない、といって痛めつけるのは趣味じゃないからとして、パトリシアはちょっと驚かすことに決めて、


「私等はプロの取り立て屋よ。従って手ぶらで帰るわけにはいかないの。普通こういう場合は相手の大事なものを代わりに貰い受けることにしているんだけど」


 そう言うと女の方へちょっと振り返り、女が抱きしめていた子供を後姿から三歳くらいかと判断すると「あの子供はあんたの娘なの?」と男に問い掛けた。


「ああ、そうだ。それがどうした?」


 そう不機嫌に答えた男の表情がいきなり険しく変わると、逆に訊いてきた。


「まさか、娘を借金のかたに!」


「ああ、そうよ。あんたの娘を代わりに貰って、別の金儲けの対象に使わせて貰おうかと考えてるの」


「それはまさか、人身売買組織に売ると言うんじゃないだろうな?」


「良くご存じで。まあそれもあるかもね。他にも、あと五、六年施設に預けて大きくしてから、裏のシンジケートを通して奴隷オークションに出品する手もあるわ。これだと幼女趣味の金持ちや性奴隷業者が転売目的できっと高く買ってくれるわ。この方法だと人身売買組織に売るより二、三倍の値がつくかもね」


 平然と言い放ったパトリシアに向かって、もの凄い形相で男がにらみつけてきた。

 しかしパトリシアはわざとにっこり笑って素っ気なく呟いた。


「あんたの奥方が美人で良かったわね。この分じゃ十五年も経つと、あんたの娘は有名な娼婦になっているかもね」


 すっかり悪女を演じたパトリシアに、後ろに立つズードからも思わず苦笑いが零れた。


「じゃあ、そういうことで契約は完了ね。あんたの娘はこの私が貰っていくことにするわ」


 ここに来てパトリシアは、別に相手が乗ってこなくても良いと考えるようになっていた。

 あのくらいの年齢なら直ぐになつくだろうから、こんな環境に置いておくより自分が引き取り養女にして育てるのも、ホーリーの例があるからおもしろいかも。よしんば自分の代で途絶えそうな名門ミスティーク家の跡取りとなってもらっても良いかもといった将来を見据えての願望も頭をかすめたりして、どちらに転んでも良い取引だと思うようになっていた。


 だが親の子に対する情愛とは罪深いもので。

 その瞬間、隣で二人の会話を当惑気味にじっと見守っていた女が、いたたまれなくなったのか血相を変えて、狂ったように絶叫した。


「この人でなし!」


 けたたましく室内にこだましたその声は、怒りと悲しみと絶望で完全に裏返っていた。

 声がした方にパトリシアが無表情で振り向くと、尚も女は強い調子で怒鳴り立てた。


「それでもあなたは人間ですか、 あなたには良心というものはないのですか! あなたは明らかに狂っています、正気ではありません」


 吠えるようにののしった女に、パトリシアは冷静に少し間をおいて「その言葉、そのままお返ししますわ」と敢えて丁寧な言葉でやり返すと、すまして続けた。


「人でなしはそちらでしょう。あんたの旦那はね、借りた金を踏み倒した挙句、取り立てに来た私達を殺そうとしたのよ。そちらこそ人でなし以外の何者でもないわ。ねえ、そうでしょ! それをかこつけて批判するのは本末転倒というものよ。こちらこそ心外だわ」


 その言葉に全く弁解ができなかったのか、女は男の方をきつい目つきでちらっとにらむと、首を振って黙って下を向いた。そして嗚咽を漏らしながら泣き出した。

 それを見たパトリシアは女をにらむと、切れた声で、


「もう、あきらめの悪い女ね、これは宿命よ、運命なのよ」


 そう言って、涙らしきものをひたすら流してすすり泣きする女に情け容赦なくとどめを刺した。


「恨むならあたしよりあんたの旦那をうんと恨むと良いわ」


 その直後、男が悔しさと無念さが入り混じったような表情をすると、


「分かった、分かった、払う、払ってやる。それで良いだろう」と、老人のような枯れたしわがれ声で横から声を上げた。


「だから娘を連れて行かないでくれ、頼む!」


 そうして、ようやく金庫の在りかを白状した。

 その後は、女と子供を人質にして、男に大型冷蔵庫ぐらいあった大きな金庫を速やかに開けさせた。すると金庫内にはダイヤの原石やら各種宝石と金銀とをちりばめたブレスレット、指輪、時計、ネックレス、カメオといった高価な装飾品やら現金の束やら金の延べ板やら金貨やら銀貨やら麻薬の袋やらがごっそり眠っていた。

 だがそれら全部を頂くと、まるっきり泥棒になるからと、本来の請求額にここまで労を煩わせた迷惑料とそれにかかった諸経費を合わせた額を見積もり、普通に現金で頂こうとした。

 だがそのときになって、「 犯罪者の現物は、往々にして偽札が混じっていたり、使えないお札が混じっていたりしますから注意が必要です。この場合は一番安全な金の延べ板が良ろしいかと思います」とズードが進言してきた。全幅の信頼を置いていた人物の忠告だけに、従わない手はなく。それを快く聞き入れて、現金には手を付けずに金の延べ板をごっそりちょうだいしてきた。


「……とまあ、そんなところでね」


 最後に朗らかにそう言って話を締めくくったパトリシアに、フロイスは呑気に笑うと「中々やるじゃないか。それじゃあ、そこで決まりだな」と決めつけてきた。

 そうして、コンベンションセンターについてちょっと調べることとなり。その結果、コンベンションセンターでは、食の祭典並びにアパレル関連・ファーニチャー関連を始め電化製品に至るまでのアウトレットセールの催しを、ここ一週間の間開催していたことが判明し、コンベンションセンターの広い駐車場で待ち合わせすることに決まっていた。



 遥か遠方で、コンクリートの地面と同じグレー色をしたテトラポットの壁が横一直線に走り、さしずめ港の境界線を表していた。

 その奥にはテトラポットよりややくすんだ色をしたスレートぶきの工場の建物がズラリと並んで見えていた。紅一点というわけか、その中にレンガ造りの赤い建物が一棟だけ見えていた。ただそれだけしか見えない、全く特徴に乏しいと言わざるを得ない景色をしばらく眺めて、まあ良いわと納得すると、不意に後ろを振り返った。

 ちょうどドア一枚くらいの大きさにぽっかりと空いた防波堤の隙間から、大型の貨物船とタンカーが遥か沖合を行きかう様子が見て取れた。

 ほんと、のどかね。

 現実逃避するように彼女はほっと吐息をつくと、顔をほころばせて車の後ろまで歩いて行った。そして車のトランクを開けた。

 中には段ボール箱やボストンバッグや黒いビニール袋に入った荷物がぎっしりと詰め込まれて入っていた。

 その中からボストンバッグの一つを選んで開けると、晴々しい表情で真新しいよそ行きのワンピースとストッキングとポーチに入ったアクセリーとパンプスを取り出し、辺りをきょろきょろとうかがって誰もいないことを確認すると、人目もはばからずに着ていた普段着をその場で脱ぎ捨て下着だけとなって、その衣装・装飾品・靴を身に着けた。何と、たった一分半の早業だった。

 それが済むと、脱いだ服を代わりにボストンバッグに入れ、すました顔で何事もなかったかのように、再び車に乗り込んだ。

 見る間に白いセダンは急発進すると、港の出口を目指していった。もちろん目指すところは、ダイスが暮らす地区だった。

 やがて彼女が運転する白のセダンは、入り組んだ街並みを突き抜けて公道へと出ると、途中で燃料補給のためにスタンドへ立ち寄り、ついでに自身の燃料補給もして再出発。しばらくそこを走り、程なく片側三車線の幹線道路へと入っていた。

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