第55話

 パトリシアは折り畳み式の携帯を切ると、真新しいワンピース仕様の看護師の制服のポケットに携帯をしまい、首を捻った。こう忙しいと頭がおかしくなっちゃうわ、なぜ今頃なのよ。

 そして、ふうーと深いため息をついた。それよりもこの件を片付ける方が先よ。

 それから、テーブルの上に置いていたペットボトルを手に取り、キャップを開けると、中の透明な液体をグイと一飲みし、再びキャップを閉めて元の位置へ戻した。


 ちょうどそのタイミングで、後ろの方から、男か女か区別がつかない特徴のあるハスキーな声が響いた


「誰からだい?」


 部屋の壁際に置かれたベンチシートに長い足を投げ出して、ゆったりと腰掛けた人物からだった。

 人物は白いTシャツの上からシワ一つない白衣をさっそうと羽織り、あごひげを生やした、いかにも医師といった感じの男で。パトリシアの大親友であるフロイスが男に変装した姿だった。


「かなり長電話だったようだが」


「ええ」


 パトリシアは振り返らずに薄い笑みを浮かべると、話の内容を具体的に説明した。するとフロイスは、にやにやしながら荒っぽい言葉遣いで言って来た。


「ふ~ん、お前に妹ねえ。あんなに世界中を巡っていたら、お前の死んだオヤジさんなら有り得るかもな。あの口の軽さなら、そりゃ行く先々の女に優しい声を掛けては擦り寄って、愛人の三人や四人、こしらえていたって不思議じゃない、隠し子だって五人や六人出て来たって全然おかしくないさ」


「何よ、それ。他人事だと思って良く言うわよ。いい加減なことは言わないでよ」


 フロイスの長身長では看護師の服のサイズが無いという簡単な理由から、代わって看護師の格好をしていたパトリシアは、そう一蹴すると、もうそれ以上聞きたくないと、すぐさま話題を変えた。


「で、どうだった、外は?」


 フロイスは、パトリシアが作った夕食のまかないを食べてから外へ見回りに行って、少し前に戻って来たところだった。


「地下一階から屋上まで見て回って来たが、どこも異常なしだ」


 フロイスから簡単な説明が返って来る。


「そう」


 ぼんやりとした目で、パトリシアは直ぐ手前のテーブルに頬杖を突くと、頷いた。

 相手もそう簡単には尻尾をみせないみたいね。


 平日の午後の六時半過ぎ。

 十階建てのテナントビルの九階部分にあたる一室にパトリシアとフロイスはいた。

 室内はほとんど何も無くて、がらんとしており。あるものと言えば、中央付近に人らしきものが包帯でぐるぐる巻きにされて載っている簡易ベッドが一台と点滴の器具のセットが一式。そして、呼吸数や血圧数を波形で表示してくれる医療モニター。他には折り畳みイスが数脚と長テーブル一脚とがその付近に置かれていた。

 あとあるものと言えば、ちょうど対極になった壁際に、ソファベッドと背もたれのない大型のベンチシートが、それぞれ一脚ずつ置かれているぐらいだった。

 そのような、いかにも殺風景な部屋に変装した二人がいるのには、はっきりとした理由があった。

 正体がはっきりしない敵をどうにかして捕えようと、部屋内で待ち伏せをしていたのだ。


 それは一昨日のことだった。

 十八時間営業のホームセンターにて言われた品を買い揃えて、人気のない広い駐車場の端の方に白のセダンの車を止めて待ち人を待っていると、約束の時間帯に、突然待ち人が姿を見せるや、「待たせたね」と一声かけて来て、いつものごとく車の後部座席へ乗り込んだ。

 途端に、乗って来たセダンの車体が空中高く浮き上がり、見る間に海を渡って母親の故国へと入り、目的の場所であった、ほとんど草木が生えていない小高い丘の周辺に十字架や様々な石板の墓標が整然と立ち並ぶ地元の霊園へ到着していた。

 その時間、およそ数十分。いつものことながら、その辺の超音速ジェット機より遥かに早く着いていた。

 無論到着するまでの間、パトリシアは相談した相手がどう考えているのか是非知りたかったので、積極的にその人物と意見交換をした。すると彼女は、問題の件について以下のような自身の意見とそれに対する対応策を、次々と単刀直入に述べていった。


「お前のメールから判断すると、シンをはめた奴等はその道のプロだろう。もはや海外へずらかっているに違いない。だから今から捜し出して依頼人の名を吐かせるのは残念だが無理だ。諦めた方が良い。

 ではどうするかと言う前に、自警団の秘密を売ったと疑われているシンの処遇が問題だ。あいつがいないと分かれば真っ先にズードが疑われる。直ぐに海外へ逃がしたのがばれてしまうだろう。そうなった場合、ズードの自警団の団長としての立場がなくなる。例え団長を辞めたとしても既に死者が出ているという話だから責任はそれでは終らない。シンとグルだと疑われて自警団の規律によって裁かれることになるかもな。

 と言って、シンをそのまま帰らせたんじゃ、直ぐに向こうで身柄を確保されてしまうだろうな。そうなった場合、捕えた相手がズードの息がかかった者達だったらまだ良いが間違っても良く思っていない急進的な奴等だった場合は違ってくる。即座にリンチを受けて、やっこさんの性格じゃあ、やってもいないのにやったと言わされるだろう。そうなった場合もズードはやはり危機に陥る。

 そう考えるとシンをどうにかしてやる必要がある。奴が潔白だったらズードは責任を取らなくて良いのだからな。

 それでなんだが、こういう案はどうだろうな。

 シンがあそこに留まっているという既成事実をでっち上げ、それと並行して、とにかく無茶でも良い、自警団の秘密を別のルートから仕入れたシンの偽者がいたことにして、そいつがシンをはめた奴等とグルになって今回の話を仕組んだとすれば良いんだ。無論、シン本人にやらせるつもりはない。しくじったら元もなくなるからな。奴はお前のところにいて貰う方が良い。その代役はロウシュとトリガに任せるんだ。あいつ等ならきっと何とかしてくれる。だが奴のことだ、何だかんだと言って断ってくるかも知れない。もしそうしてきたら、『やい、てめえ。十年来のダチが困っているというのにそれを見過ごすんじゃねえだろうな。散々何やかんだと世話になっておきながらいざとなったら義理も返せねえのか、てめえは。鬼畜にも劣るクズだな。それでも男か、この薄情者め、このおたんこなすめ! それでもきん○がついてんのか、この野郎!』とでも言ってやれば、奴だってまだ性根が腐ってねえからきっと応じてくれるよ。トリガの方は、旨そうな人間を一匹見つけて食わせてやると約束すればOKだ。

 後、全く手掛かりを残していない真犯人をどうやって捕まえるかだが、これは私とお前、そしてトリガを一匹加えたメンバーで一芝居打つというのはどうだ。こっちが動くより向こうがどうしても動かざるを得ない状況を作り出してやれば良いのさ。少し時間が掛かるかも知れないが、これは確実な方法だ」


 場慣れした策士の簡潔な説明と対策に、パトリシアはそう云ったきな臭い問題に直面したことがなかったので、その都度「ふ~ん、そう」と素直に受け止めていた。


 見渡す限り墓石がずらりと立ち並ぶ広い霊園内の一角に、周りと隔てるように高い鉄柵が周囲に張り巡らされたサッカーコートぐらいの空間があり、そこの奥まった辺りに、平らな石の台座の上に、高さ四十から五十フィートはあろうかと思われる、先端が剣のように尖った天然石の柱が三基と、それよりもやや小ぶりな御影石の柱が二基、天を衝くようにそびえ、それらから少し離れたあたりに、普通サイズの石板が十五個ばかり居並ぶように立つ光景が見えていた。立派なものはパトリシアの遠い先祖の、並みの大きさのものは彼女の母親と母親の父母、そして近い先祖が眠るお墓だった。

 何を隠そう霊園は、その伝説的な武勇伝から、後に王の中の王、大王と呼ばれた偉大な人物の流れをくむパトリシアの祖先、並びにその関係者が眠る丘陵地を後から造成してできたものだった。

 

 車はその裏手にあった、普段は駐車場として使っている空き地に着地していた。

 ひと気がなくひっそりと静まり返ったその空き地には、黒塗りのピックアップトラックが一台、先に止まっていた。ズードが待っていてくれていたのだった。

 ちょっと気分転換のために例のところへ行ってくると行先を告げて出て来たという話で。

 以前は霊柩車の運転手や墓守や商店・市場の用心棒といった、いかがわしいアルバイトを転々としていた、どこの馬の骨ともわからないよそ者のズードが自警団に難なく入れたのは、身元保証人となったパトリシアの信用度というよりは寧ろ、今現在は落ちぶれて古ぼけた時代物の屋敷と長く利用されずに放置されたことで荒れ果てた幾ばくかの土地と屋敷の敷地を取り囲むように連なる高い塀が過去の遺物として残るのみで見る影もなかったが、かつてはこの地を支配し、その名が歴史の教科書にも載るほどの超有名王侯貴族の末えいであったパトリシアの先祖、ミスティーク家の今尚地元に根強く残る名家としての名声が、自警団入団へ影響を及ぼしたと言っても過言でなく。そのことと何らかの関係があるのかないのか、それは本人しか分からないことであったが、自警団の上級幹部となってからというもの、何らかの困難な問題に直面したり、重大な決断を迫られたとき、決まって史跡となっていたパトリシアの先祖が眠る墓所まで足を運んでは、その傍らに置かれたベンチに腰を下ろし、日向ぼっこをしながらぼんやりとしている光景を誰もが見て知っていたので、すんなりと単独でやって来ることができていたのだった。


 ちなみに自警団の本部は、ズードの住まいから車で四十分ほど行ったところにあった。霊園からはたった十分の道のりだった。

 地上五階建て、地下非公表のコンクリート製の頑丈な建屋とドーム状をした建屋と半円筒形の倉庫三棟からなり。その昔、外国軍の航空基地であったものを、要塞化された広い敷地ごと払い下げて貰い、新たに改良を加えて本部として使っていた。それらの施設の中では総勢二万六千名の男女のスタッフが勤務していた。

  

 到着したとき、からっと晴れた空はどこまでも青く、のどかで。どう見ても午後の一コマだった。その理由として、時差の影響から時間が逆戻りしているのが明らかで。それで、真っ先に時間をズードに尋ねると、前日の午後五時とのことだった。

 それが分かったところで、腕時計をその時間に調整。久しぶりに戻って来た余韻に浸る暇もなく、持ってきた荷物をズードが運転してきた車にさっそく移し替え、乗って来た車を先祖のお墓の敷地まで移動して偽装化シートで被い隠してから、いよいよズードが用意したというアジトへ向かって出発した。


 四十分も走ると、家並みが密集した地域へやって来ていた。それまで閑散としていた道路は、道幅も倍以上となり、帰宅する車で混雑して騒がしくなっていた。そうは言っても人生を楽しむために働く国民性なのか、比較的のんびりとした風景がそこにあった。

 途中、ほんの暇つぶしのつもりで、今向かっているアジトはどんなところか訊くと、つい最近自警団が所有することになったいわくつきの物件ですとズードが応えて来た。

 更に詳しく訊くと、元々建物は中堅の某不動産会社の持ち物で、日々何事も無く普通に営業を続けていたが、約一年前に起こった殺人事件を境に様変わりした。

 その殺人事件というのは、その当日に応対に当たった不動産会社の従業員二人が刺殺されて、他にも二人が負傷し、犯人の男も不動産会社の屋上から飛び降りて死亡するという、どこにでも良く見られるそう珍しくもない事件で。

 その犯人の動機というのが、これまたよくある、犯人の単なる逆恨みによる犯行で。

 不動産会社からマンション投資を持ち掛けられて、高額の借金をしてマンションを買ったところまでは良かったが、まもなくしてマンションが不良債権化して、相当な負債を負ったらしく。そのため、不動産会社を度々訪れては、多額のローン返済について相談を持ち掛けていたのだが、従業員の態度がどうも冷たかったようで。とうとうその日、我慢の限界に達したのか、従業員に向かって凶器を見せながら詰め寄って、思い余って犯行に及んだらしかった。

 ただそれだけのことなら、不動産会社にとって痛くもかゆくもない出来事で、ものの一ヶ月も過ぎれば事の次第も自然と忘れられて、再び元の状態へ平穏無事に戻る筈だった。

 ところが、警察による捜査の過程で、不動産会社が他にも多数の顧客ともめていたり、更には裁判ざたになっていたりと、その不動産会社自体が明らかに悪徳業者であり、評判が良くないことが分かったこと。加えてオーナー一族と会社の役員が犯罪組織と何らかの関係があるらしいことも見えたことで、事態はすんなりと収束するどころか拡大する方向へ向かうこととなった。

 つまるところ、常日頃から犯罪組織を目の敵にしている自警団の目に留まるところとなったのである。

 そのことを、オーナーサイドは、不動産や銀行預金や債権の移動・譲渡を一時的にストップされたり制限されたりしたことなどからやがて知ることになると、このままでは我が身が破滅するとでも思ったのか、先手を打って自警団に裏取引を持ち掛けて来た。

 その内容は、国内に所有する全資産を自警団に寄付して自らは国から出て行く。その代り、もうこれ以上内情を探るのは止めて欲しいというもので。

 恐らく、このままでは経営が立ち行かなくなるどころか、海外に隠してある資産までむしり取られるのを恐れてそのような話を持ち掛けて来たと思われたが、無論こちらとしては、オーナーサイドの闇の部分はほとんど解明できずに終わるものの、それらを抜きにしても、そこまで行くまでの時間と労力を使わないで莫大な資産が簡単に手に入り、尚且つ犯罪組織の関係者を国内から一掃できるとして、異論なく承諾した。

 その後、一週間も経たない内に不動産会社とそのグループ企業は自主解散すると、オーナー一族は着の身着のままで慌てるように出奔した。淡々とそう話したズードに、後ろの座席で聞いていたパトリシアは「ふ~ん、そうなの」と普通に納得していた。

 国では自警団は第二の警察と認知されていながら、国から報酬を得ている警察官と違い、自警団はそもそも民間人が組織したといういきさつから、その団員は犯罪組織から取り上げた利権や資産を運用して上がった利益から報酬を得ていたことを思い出したからだった。


 アジトの建物は道路沿いに建っていた。

 地下一階、地上十階建ての比較的大きなビルで、濃いメタリックグレイ色をした外観に、どの窓にもミラーガラスが採用されていた。見たところ、建物自体はそれほど古くない、ごく一般的なテナントビルのようだった。

 建物の両隣と向かいと周辺には、三階から六階建ての別の建物が普通に密集して建っており。とりわけ変わったところのない街並みに見えていた。

 ともかくも中へ入って見ようとなり、建物横に見えた広い駐車場に車を止め、防犯シャッターによって厳重に閉め切られた出入り口の扉を開けて中へと足を踏み入れると、その内部は格式のあるホテルのエントランスのように広く、壁や天井がまるで金メッキがされているかのように黄金色にきらめいていたり、大理石調のタイルが敷かれたフロアには女神の彫像やアメジスト・水晶・ガーネットといった鉱物の原石が無造作に幾つも展示されていたりと中々豪華な内装が施され、四基のエレベーターと一基のプライベートエレベーターが標準で設置されていた。

 だが一旦上階に上がると、どの階も一直線に伸びた通路の両側に部屋が型通り配置され、各部屋も予想していた通り、大きさに大小の違いはあれ、設備と間取りはほとんど一緒で代わり映えせず。はっきり言って、どこを拠点にしても同じのように見えていた。

 よって、下から順番に見て来て九階部分まで上がった時、もうどこでも良いという雰囲気で、妥協した形で落ち着いていた。


 そのようにして拠点とする部屋を何とか決めると、直ちに下から荷物の運び入れを行い、それと同時進行で、レンタル会社に連絡して必要な備品を手配。全ての準備を整えたのが、ちょうど午後の六時半過ぎ。それから、顔が分からないようにメガネと白いマスクを着けると、いよいよ作戦に取りかかった。

 とある建物の一室で医師と看護師とが重症の患者を看護しているというシチュエーションで、写真と動画の撮影を携帯で行った。

 そのとき、場所をできるだけ特定できるようにと、素人っぽい撮り方をわざとした。

 それが済むと、携帯で撮影した写真と動画が入るメモリーカードを持って、ズードが部屋を後にした。

 その後は何もすることが無くなったことで、思い出したように睡眠を取り、何をするわけでもなく今に至っていたのだった。


「ねえ、フロー」


 少しの沈黙の後、思い出したようにパトリシアからひとり言が漏れていた。


「ロウシュったら上手くやっているかしら」


「あいつのことだ、抜かりはないさ」


「そうよねえ」


 今頃はシンのアリバイ作りのために、ズードと親しい関係にあった縁でロウシュが一役買ってくれている筈だった。


「ほんと、うまくいけば良いんだけれど」


 その瞬間、ズードのことがパトリシアの脳裏によぎった。

 フロイスの筋書き通りに事が運んでいるならば、今日の昼頃に行われた幹部会にて、部屋で撮った携帯の動画と写真とを見せながら、


「みんな、もう少し待って貰いたい。真相究明はもう直ぐだ。実は、俺のシンパから連絡があって、呼び出された場所へ行って見ると、大怪我を負った一人の私服の男が倒れていてな。そいつは相当やられたと見えて、一体誰なのか区別がつかないくらい顔がはれ上がっていたが、行方不明になったときの服装から団員の一人に間違いなかった。

 かなりな出血をしていて意識を失っていたが、まだ息があったので急いで俺の親しい医者のところへ運んで様態を見て貰った。すると運良く助かるという話で、今は秘密のアジトで、その医者と看護師に協力して貰って、二十四時間つきっきりで診て貰っている。そいつの意識が戻り次第、犯人と事件の概要が分かる筈だ。

 尚シンザブロウのことだが、あいつは今日旅行先から戻って来る。

 あれが白か黒かは、その者の意識が戻れば、直ちに分かることだ。それまでは疑わしい容疑者であるから、俺が直々に迎えに行って、しばらくの間警察署の留置場内に預けて様子を見ようと思っている」とでも言って一芝居打った筈だった。 それから、後をわざとつけられやすいように、良く目立つ車に乗って空港までシンに化けたロウシュを迎えに行き、その足で最寄りの警察署へ向かう予定だった。そうして最後に、こちらの方へわざと立ち寄ってから自宅へ戻ることになっていた。

 自警団内部、それも幹部クラスに内通者がいて、情報が洩れているのではないかと疑って、企んだことで。この案を出したフロイスの話では、三、四日待って見て効果がなかった場合は、別の線からアクションをかけてみるということだった。

 だがパトリシアはその言葉を半ば信じていなかった。一応戦略屋として理論武装はしているものの、いざとなれば決まって、後先を考えない行き当たりばったりの向こう見ずな行動を取るのが目に見えて分かっていたからだった。おそらくは先のことは想定していないと思っていた。

 とは言え、そのような思考・やり方で、幾多の困難な状況をこれまで切り抜けてきたのも確かなわけで。それを考慮して、たぶん大丈夫よ、彼女なら何とかしてくれるわ、と変に厚い信頼を寄せていた。


 そんな彼女の耳に、うっとおしそうな声が響いた。


「ふん、この私が描いたシナリオ通りにやれば何も心配いらないさ」


「そうよねえ」


 パトリシアは目を伏せたまま小さく頷いた。早く真犯人がワナに掛かりますようにと祈りながら。


 そのような当たり障りのない会話が二、三度、どちらかともなく続いた後、やがて話すことが無くなり、自然と会話が途切れていた。

 その後、深夜を回った頃だった。大きな体躯をしたズードが一人で姿を見せた。そのときだけ部屋内がパッと明るくなった。だが彼が用事を済ませて去ると、いつになくパトリシアの口数が少なくなり、変に明るい部屋が静かになった。

 それ以降、その日は何事も起こらずに、長い沈黙が降りていた。

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