第54話

「あのう、どこまで話しましたでしょうか?」


「ええと、これによりますと、あなたが身の上話を始めたところで、どうやら中断したみたいです」


 ダイスはノートの紙面を見ながら答えた。女性はにっこり笑って、


「ああ、そうでした。分かりました」と素直に応じた。


 つい先ほどまでの、一見丁寧に見えて、どこか思い詰めたような攻撃的で冷たい口調は影をひそめ、親しい友人に話すような気安い話し振りに変わっていた。

 これも隣の席にちょこんと腰掛けるセキカの影響がそうさせていると予想がついていた。


 あのとき、「おい起きろ」と呼び掛ける声で目を開けると、目の前にセキカが静かに顔を向けて覗き込んでいた。

 一体何があったのか訳が分からず、「これは?」と思わずセキカに尋ねると、全く自覚がなく釈然としなかったが、いつの間にか気を失っていたということだった。

 話では、女性を見つめた結果そうなったということらしく。分かっていながら、誘惑に負けてやってしまったことで、自業自得と言って良かった。

 そう言ったって、しょうがないだろう。見るなと言われれば誰だってつい見たくなるもんさ、といったところだった。

 ともかくそれから、隣から更に言って来た「もう大丈夫だ。問題は解決した。何も起こらない」との生き物の言葉を信じて、恐る恐る女性をうかがうと、目の前の彼女は両目を閉じていた。なるほどな、だから何も起こらないんだ、と納得して、初めてじっくりと拝見した女性の姿は、若く澄んだ声から予想していた通りのこの世のものとは思えない綺麗さだった。

 年齢は二十ぐらいか。人形のようなすべすべした純白の白い肌に小さくて面長の顔、こじんまりとしてすっきりした目鼻立ち、腰まで達するストレートの黒髪。そして、白っぽいフォーマルの上着とスカートの姿格好と、まるで名家のお嬢様といった感じだった。

 その得も言えぬ雰囲気に、酔いもいつの間にかどこかへ吹き飛んでいた。加えて、近づき難いオーラを何となく感じて、どう見ても親子ぐらいの年齢差があったにもかかわらず、知らず知らずのうちに遠慮がちに敬語使いになって受け答えをしていた。あのお人の妹ならいい加減な対応をするわけにはいかないからな、と苦しい言いわけを自分にして。


 あれは、出張から帰った翌日のことだった。このまま、ぼおっーとしている訳にはいかない。三人が戻ってくるまでに仕事のスケジュールを作っておかなければと自分に気合いを入れると、部屋にこもって、一先ず懇意にしている同業者に連絡を入れて景気の具合を尋ね、その傍ら、仕事の世話をして貰おうと考えたが、あいにくとどこからもより良い返事が貰えず。

 それならばと、今日は自ら顧客開拓に当たってみたのだが、例え見つかったところでどれもパッとしないものばかりで。結局のところ、骨折り損に終わっていた。

 そうする内に夜の八時になった頃、中々思い通りにいかないもんだ、とぼやきつつ作業を切り上げて部屋を移動。冷たいビールとありあわせの物でささやかな夕食を摂り、ほろ酔い気分で、ぼんやりとテレビを見ていたときだった。

 玄関口で呼び掛ける声がしたような気がしたかと思うと、チャイムが鳴ったことから、誰かが外に来ているに違いなかった。

 そのとき、時計をちらりと見ると十時過ぎ。こんな夜分に珍しいこともあるもんだな、こんな時間帯に今までにうちへやってきた来訪者と言えば、警官が見回って来たときか、浮気がばれた隣のダンナが逃げ込んで来たぐらいだ、と薄笑いを浮かべながら、一体誰だろう、こんなちんけな家に深夜強盗とはとても考えられないし、主なところの借金は払い終わっているから借金の取り立てとも思えないし。あと考えられるのは小包の配達人ぐらいなものか、ともかく出てみれば分かるかと重い腰を上げかけたときだった。不意に下の方から聞き慣れたささやき声がした。セキカの声だった。


「出るのは構わないが顔を合わせないようにする方が賢明だ。強いて言えば目を合わせないことだ」


 普段から滅多に話し掛けて来ない生き物が今日に限って口を開いたことに、不思議なこともあるものだなと訝しく思って、その方向に視線を向けると、例の生き物がちょこんと座っていた。

 それで、「どうしてだ、セキカ」と問い質すと、謎めいた言葉を発した生き物は更に言って来た。


「実は少し前、この辺りを徘徊していた折、全く偶然に、今玄関先にいる者を見たのだ。その者は大勢の取り巻き連中を引き連れて通りを歩いていた。

 ただそれだけなら別にどうでも良かったのだが、ふと見れば、取り巻き連中の誰もが呆けたような顔つきで、足取りも様子がおかしく。明らかにその者に操られているようだった。

 それでよくよく見ると、その者のちょうど眼孔あたりから何らかの力が糸を引くように漏れ出し、それが煙状に拡散して周囲の者達を汚染し自由を奪っているのが見えたのだ。

 付近で倒れている者もあまた見えたので、このまま放置するとあの数からいって大きな被害が出るのは必定と見て何もしないで捨て置くわけにもいかず……」

 

 だがそのとき、良い感じに酔いが回っていた関係で、途中で能天気に、その人物はたぶん催眠術の達人なのだろうと勝手に解釈して、「ああ分かったよ」と言葉を遮り、「目を合わさないようにすれば良いんだな」と適当に合わせると、玄関口まで歩いて行った。


 自宅には監視カメラや防犯センサー、特殊なガラス、電子錠などの防犯設備は一切付いて無かった。あるのは家を購入したときドアに標準装備で付いていた、チェーンロックと中から外の様子が見られるドアスコープだけだった。

 従って、


「はい。しばらくお待ちを」


 愛想よくそう伝えながら、いつも訪問者があった場合にやっているように、ドアの前に少し屈んでドアに装備されたドアスコープで外を覗き、黄色っぽい玄関灯の下に佇む白い服装をした人影を一つ確認すると、ドアを半分ほど開け、そこから顔を出して問い掛けた。


「はい、何か御用で」


 すると、そこに立っていたのは女性だった、しかも、かなり若そうな。

 そのときはセキカの言い付けを守って、目を伏せ相手の顔を見ないようにして対応した。

 その女性の要件は何のことはない、行方不明になっている姉の居場所を聞きに来ただけのことだった。

 その姉というのが、どうやら基地で出合った例の赤毛の女性であるらしく。娘とジスとレソーが彼女に今世話になっていることもあり、いい加減な返事をして帰すわけにもいかないと、飲酒の影響からつい気が大きくなり、深く考えもせずに女性を自宅へ招き入れた。

 そこまではまだ良かった。だが後がいけなかった。席に就いてまもなく、ほんの出来心でセキカの忠告を忘れて目の前の女性をのぞき込んでしまったのだった。


 やにわに、透き通るような女性の美声が響いた。


「私には姉を十分説得できる証拠の品が有ります」


 そう言いながら彼女は、膝の上に置いていた白いバッグをテーブルの上に載せた。


「はあ、そうですか」ダイスは不思議そうに尋ねた。「それで、それは何ですか?」


「はい。私が父と撮った写真です、もちろん姉の父でもありますが。あと、肉声入りのビデオに父がくれたアクセサリーに手紙や書筒も持って来ております。それに加えて父の思い出があります。それがこのバッグに入っております」


「ふ~ん、そうですか」ダイスはうんうんと頷いた。「なるほど、そういうことですか」


 良くある話だと思った。すると唐突に女性は、何かを思い出したように「あ、そうそう」と呟くと言って来た。


「見ず知らずの人に述べても到底信じて貰えないと思い、申し遅れていましたが、わたくし、エリシオーネ・セント・ネイピッド・ネピ・九十八世と申します。神の直系血族である八家の一つ、ネピ家の代表、即ち当主を今現在任されております。

 住まいは、白魔法の聖地と称されるウエルキスの都に一応ありまして、そこで独りで暮らしております。

 都では、向こうの慣例で若女主人と言う意味のネイピッドという名称で呼ばれており、また対外的には九十八代目、白魔法の宗家、ネピ家の当主、ネピの女王、普通にネピとも呼ばれております。

 ですがここでは当主に就任する前の名であるエリシオーネ・セント、もっと簡単にエリシオーネとお呼び下さい。私も当主になってまだ日が浅くその方がしっくりといきますので。

 ここで少し補足させて頂きたいのですが、一応ネピ家は聖霊、聖獣達の生息地ウエルキスを長く治めている関係で、この世に多岐に渡って枝分かれした白魔法師の頂点、源流、宗家と云われていますが本当はそうではありません。ただ世間がそう云っているだけのことなのです。それには理由がありまして。

 遥か昔には、白魔法や黒魔法、妖術や呪術と云った用語は存在しませんでした。その代わり、全ての神秘的な力は、神から授かった知識や技の法典、集大成という意味のリーインカーネルト、リーインカーマ、レーインカルマ、神授法術と云った名称で統一されていたのです。

 ところが時代を経て、我々の祖先から派生した者達が密かに世界に力を及ぼし始めた頃です。その頃の著名な見識者や博学者が、彼等の不可思議な力を目の当たりにした国家の支援を受けて、その現象を解明しようとし始めたのです。もちろん平和目的でなく軍事利用目的のためにです。

 その過程で学者達は、神秘学、錬金学、数秘学、神霊学、神示学、不老不死学と云った学問を生み出しました。しかしその途上で、学問として成立させるのに必須な発祥の地、起源、成り立ちを解明する必要に迫られたのです。

 そこで古事や昔からの言い伝えを探し出して来て、そこから得られた知識から目ぼしいところを発祥の地とし、起源や成り立ちに関しては魔法使い、魔術師、導師、魔法、呪術、妖術、仙術、法術、霊術、召喚術と云った造語を作り、夜空の星々に神話の神や物語を当てはめたのと同じように想像だけでストーリーを作り上げて行ったのです。

 ところが後世になって、どこをどう巡ったのか知りませんが私共のところにその名がごく自然に当てられるようになったのです。例えば、ネピ家が白魔法の起源ならエリザベート家が黒魔法、ビッダ家が法術、キド家が妖術でファースト家が呪術の家系と云った風にです。

 しかし歴代のどの当主もこれに異議を唱えませんでした。寧ろ放置して世間へ浸透させて行ったのです。理由は二つ考えられます。その頃にはどこの家系も独自性を持ち得意とする分野、方向性が違ってきていたことが一つ。どうもどこも自意識過剰気味で気位が高く同じように見られるのが嫌だったようなのです。

 二つ目はどこの家系も共通した意見で、そうすることで別の姿になりきり実態を見えなくしようとしたようなのです。まあ、かつて自ら表舞台に登場して、余り良いことがなかった過去の苦い経験を踏まえて、その存在を隠したかったのだろうと推測されます。

 そういうことで今日へ至っておるのです」


「はあ、そうですか」


 女性が自分とその隣に鎮座する生き物の両方に話をしているとは露知らず、ダイスは長らく仕事の営業を続けるうちに身に付けた習性で、なるほどと事務的に頷く分かった振りをした。

 正直なところ、女性が話している間中、何言っているんだろうと、狐につままれたような顔で呆気に取られていた。唯一頭の中に入ったのは、女性の名前がエリシオーネということとウエルキスという名の都市に住んでいるということぐらいなもので、それ以外はかいもく意味不明だった。


「お名前と出身地は判りました」業務用ノートを見ながら、とにかくもダイスは訊いた。「ええと、ところでその御住所はどこで? まあ、大体で結構です。遥か南の孤島とか周りをジャングルに囲まれた辺ぴな場所にあるとか?」


 ダイスは女性が語った理解不能の内容に悪乗りしてジョークを交え尋ねたつもりだった。だがしかし、女性は目を閉じたまま、生真面目な表情で、はいと静かに頷くと切り出した。


「ウエルキスの都は地図も無く方角も無い場所に位置する関係で住所というものははっきり言って存在致しません」


「はあ、そうですか」ダイスはまた分かったように頷いた。「なるほどねえ……」


 だが、そう言われてもという心境だった。ノートへどう記入して良いのか分からず、一旦ペンを動かすのを止めると、困ったという風にペン先で紙面をトントンと軽く叩くまねをした。

 すると女性が直ぐにそれを察したのか、「では、こう言えば納得して頂けるかと思います」と助け舟を出すと、かように付け加えた。


「地図がないというのは未だかって都がある陸地の地図を作った者がいないせいなのです。というのも陸地の周辺はいつも視界がほとんど利かないほどの深い霧に覆われ、更には磁石や電波で方向を知ろうにも全く用を成さないからなのです。その影響で方角が一切つかめず、この私でさえ熟練した案内役がいなければ行き来するのが難しいくらいなのです」


 ダイスは分かったような分からないような複雑な顔で、ノートに住所として“人跡未踏の陸の孤島”と書き込みながら思った。

 あと何を聞けば良いかだが、今は男でも性転換すると女と見分けがつかない時代だからな。男か女かの性別をきちんとさせておくべきだろうな。それから常識的なことを二つ三つ聞いて、あともう一つ、この人が自信を持っている証拠の品だが、こればかりは俺より本人に確認して貰わないと本物か偽物か分からないんだよなぁ。

 それよりどうして俺があの人とつながりがあるのが分かったんだろうな。やはり不思議な力を使ってなのか? だがそれなら直接に向こうへ行けば良い筈だ。なぜそうしないでわざわざ俺のところへやって来たんだろうな。そこが分からないんだよなぁ。

 あ、そうそう。姉を探す気になった動機を聞いておかないとな。これをはっきりさせておかないと後で説明しようがないからな。


 そう考えて、性別、年齢、父母の名前と云った一通りの質問をその後訊いた。女性も事情が呑み込めたのか性別は女、年齢は二十五歳、両親の名はそれぞれマキシアム・セントとエレスーナ・セントとはっきりと答えて来た。そこには詰るところが全く無く、おかしい点はどこにもないように思えた。

 そのように確認が一段落すると、ほっと息を突き「これはどうでも良いことなんですが」と、断りを入れた上で、最後に残った疑問を、首を捻りながら口にした。


「あのう、どうして私があの人と知り合いだと分かったので。私もあの人とは一度しか会っていないのですが」


「ああ、そのことですか」


 すぐさま、目を閉じて澄ました女性から、うっすらと笑みが零れた。


「あらかじめ、あの周辺に雲の聖霊を放っておいたのです。ま、聖霊と言っても名ばかりで実際は生命体ではありません。監視装置のようなものです。後でそれらを回収して調べると、全く偶然でしたがあなた様と姉が会っているのが分かった次第です」


「ですが――」


 そう言いかけたダイスを女性は見透かしたように、


「はい、それは分かっております」と言葉を遮ると、


「確かに姉があそこで会ったのはあなた様だけではありませんでした。でも駄目だったのです。全員、姉と同様旨く逃げられてしまったのです、あなた様を除いて」


「ですが、どうして――」


「分かっております。どうして私があの基地に姉が来ていることを知ったかということでしょう?」


「あ、はい」


「あれは全くの偶然でした。私は確かに姉の行方を捜していましたが、まさか生きているとは思ってもいなかったのです。

 私が姉を捜そうと考えた直接のきっかけは父、ニハイルの死でした。私が都で修行中に父が亡くなったと父の友人であった前の当主様が教えて下さったのです。それまでは考えたこともなかったのですが、そのときからです、私が無性に姉のことが知りたくなったのは」


「あのう、すみません、エリシオーネさん。ニハイルって?」


 すかさずダイスは問い質した。  


「お父さんの御名前は確かマキシアムと伺っていましたが?」


 先に彼女から聞いていた父親の名はマキシアム・セントという名だったから訊いたまでのことだった。

 これに女性は、はっきりした言葉で、


「ええ、言いました」と素直に認めると、嘘を付いたつもりがなかったのだろう、一瞬だけ両目を閉じた状態で怪訝な表情を浮かべ、


「では、こう言えば分かるかと思います。私には父親が二人おるのです。最初の父の名はマキシアムといい私の実の父です。しかし私が幼い頃、死にました。そして二番目の父が姉の父でもあるニハイルなのです」


「はあ」


 生返事を返しながら、これはどうやらややこしい事情がありそうだな、とダイスは思った。確かにそれなら、二人は血のつながりが無い姉妹ってことになるな。


「するとお母さんはお姉さんのお父さんと再婚されたので?」


「はい」


「でもどうしてです。お父さんが亡くなって、なぜお姉さんを捜そうと思ったのです?」


「はい。これには深い事情がありまして。実は、亡くなられた前の当主様に紹介文を書いてくれて部外者だった私がネピの都へ入ることが許されたのも、このように当主に就任できたのも全てはニハイル父さんのお陰だと今でも思っています。

 ところが父さんが死んだと聞いても、その当時は、私は修行の身でしたのでどうすることもできませんでした。ネピのファミリーの中で、私は最下位の見習いの身分だったため都を出ることが許されなかったからです。そのとき、父以外にも大勢の人達が一緒に死んだと教えてくれましたので、姉も同じように死んだのかと思っていました。それでもやはり気になったものですから、後になって当主様のお知恵を拝借して裏世界の交遊ネットワークをしらみつぶしに探索して情報を得ようと試みたのですが、残念ながら一切手がかりらしいものが見つからず、死んだものときっぱり諦めていたのです。そのような矢先でした、数ヶ月前まで元気にしていた当主様が天寿を全うして逝かれたのは」


 話を聞き入っていたダイスは、その内容から、彼女の母が再婚した相手はどう見てもかたぎの人間でなさそうなこと、大勢の人が死んだということは大きな災害か何かに遭って死んだか殺されたんだな、と自然に感じていた。

 その間も穏やかな口調で彼女の身の上話は続いていた。


「以前から当主様は超世の風流人と世間に広く知られており、諸々の分野の方々と幅広いお付き合いをされていた関係で多方面から多くの弔問客があり、私は新任の当主としてその応対に忙しく父のことや姉のことは一切忘れてしまっておりました。

 その後、三月に及ぶ御礼のあいさつ回りや引継ぎ作業が終った頃でした。一段落ついたので先に寄せられた弔詞、弔電の整理をしていたとき、その一枚に目が止まったのです。

 それには死を悼む通常の文章と共にロザリオの絵柄が、何でもカラー時代のこの世には珍しく水墨画のようにモノクロで印刷されておりました。詳細はこれ以上申し上げられませんが、とにかくそれを見たときピンと来たのです。とにかくこの電報文を出してきた差出人に会うことができれば、死んだ父や消息不明の姉の安否が分かると考えたのです。

 それで、この話を前の当主様の守護者だった聖霊、聖獣さん達にすると彼等も揃って協力すると快く約束してくれました。彼等の力強い応援を受けて私は直ぐに行動に移しました。裏社会のネットワークを使って目的の人達の情報を集めて回り、それらしき場所へ彼等に確認に行って貰ったのです。ですが、そうそう旨く行きませんでした。どれもこれも偽の情報ばかりで、そういうのがしばらく続きました。でも最後に、例の二時間の間逃げ続けるだけで大金が手に入るという妙な求人情報を見つけ出し、そこに私が求めている人達が参加するという情報を得たという次第です。

 あとは参加者からそれらしき人物を捜して居場所を突き止めるだけと準備をしておいたところまでは良かったのですが、最後まで残った人達には全員逃げられてしまいました。

 そんなときです、死んだと思っていた姉が生きていて、あなた方と接触しているのが分かったのは。後はご覧の通りです」


「なるほど、そうでしたか」ダイスは、ようやく分かったと頷いた。「偶然だったという訳ですね?」


「はい」


「しかしですねえ、一つだけ腑に落ちないんです。なぜお姉さんと分かったんです、聞いているとお姉さんの髪の色はブロンドと言ってませんでしたか?」


 ノートを覗き込みながら、ダイスは首を傾げた。


「はい、そうです。姉はブロンドです」直ぐに女性は応じた。


「でも、私が会ったのは赤毛の女性でした。それも燃えるように鮮やかな赤毛の」


「ええ、分かっております。そのとき姉は赤っぽい服装をしていませんでしたか?」


「あ、はい、確かに全身が真っ赤で派手な服装をしていました。ああ、はいはい、そういうことですか!」


 分かったようにダイスは頷くと、女性はにっこりと微笑んだ。


「はい。服装に合わせて変装していたと思います」

 

「なるほどね、そうかも知れません。私も変だなと思いましたから。ですが、良く分かりましたね。どのようにしてあの変装を見破ることができたので?」


「これも父ニハイルのお陰なのです。ある事情があって、姉には小さい頃に迷子にならないようにと当主様に頼んで直々に施して貰った目印が付いておるのです。それが今回役に立ちました」


「最後の質問ですが、お姉さんに会ってどうする御つもりです?」


「はい。もし会って見て苦労している様子ならネピの都へ連れて帰ろうかと思っています。私個人としての考えなのですが、都で残る人生を二人で穏やかに暮らせたら良いなと思ったりしているのです」


「分かりました。できるだけご希望に応えられるようにやって見ましょう」


 そう言うと、ダイスは腕時計で時刻をちらっと確認した。いつの間にか時間が過ぎ、午前零時をとうに回っていた。こりゃ、ひょっとして出てくれないかも知れないな。まあ、だめもとで連絡してみるか。

 すぐさまダイスは、眉間にしわを寄せた困った顔を、女性に向かってすると、


「実は、向こうから連絡は夜の八時から十二時までの間で御願いしますと念を押されていましてね。もうその時間帯を過ぎているんです。

 ですから、時間が時間ですので出てくれるか分かりませんが、やるだけのことはやって見ます」


 そう話して要点を書き記した業務用ノートとペンを手に持つと、席から立ち上がり、「はあ」と失望とも取れるため息を微かに漏らし、どことなく浮かない表情を見せた女性に向かって「少し、お待ちを」と言い残すや、急いで部屋を出た。

 真っ直ぐに向かった先は二階にある自身の寝室で。ドアを乱暴に開けて部屋の中に入ると、壁際のパネルをさぐってスイッチを押し、部屋に明かりを点け、ベッド傍に置かれたチェストまで駆け寄った。

 チェストはメガネやアクセサリーや時計などの貴重品や小物を普段入れるために使っている品で。

 さっそく彼は引き出しを開け、お目当ての黒い色をした携帯を大事そうに取り出すと、ベッドの端に腰掛け、携帯のロックを解除して電源を入れた。

 この方法によって、直通で向こうへかかる筈だった。

 果たして、呼び出し音が十数秒間断続的に鳴ったかと思うと、受話口から女性の声が、少し不機嫌そうな低い調子で聞こえて来た。


『はーい、どなた様でしょう?』


 恐らく寝ようとしていたときにかかってきたので機嫌が悪いんだろうと、ダイスは気を回すと、遠慮がちに喋った。


「あ、はい、私です、ダイスです。ダイス・ロセです。夜分すみません、娘と社員がお世話になっています」


 すると、手のひらを返したように受話口が明るい声色に変わった。


『はいはい、ダイスさんね。先の出張の件ですけど、一人で面倒な作業をして貰ってすみませんでした。本当に助かりましたわ。ありがとう御座います。ところで今日はどうかしましたか? どういう御用件でしょう?』


「はあ。実はですねえ……」


『あ、はい。三人のことね。みんな非常に良くやってくれていますわ。とても喜んでいますのよ。二週間という予定でしたが、あと三週間ほど融通がつきませんか? もう少し手伝って頂きたい用事ができましてね』


 早口でそうまくしたてた女性に、ダイスは戸惑いを隠せぬ表情で「はあ。それは構いませんが」と受け答えすると続けた。


「実はですね、私のところへ是非あなたに会いたいという女の方が来ておりまして。あなたの妹ですと名乗っているのですが」


 やにわに、『え?』と一瞬きょとんとした声が返ってきたかと思うと、すぐさま素っ気ない返事が受話口で響いた。


『それはおかしいわ。何かの間違いじゃなくて。私には兄弟なんかいないもの。ダイスさん、あなただまされているんじゃなくて。きっとそうよ』


「あ、はい、私も初めそう思いました。ですが良く聞いていると、どうもあなたの妹さんらしいんです」


『何言ってるの?』


 怒ったような口振りで冷たく吐き捨てた女性に、ダイスは思わず目をぱちくりして息を呑み、返答に詰って口ごもった。でも、そうは言ってもな。


「……」


 だが一呼吸おき思い直すと、相手をなだめるような穏やかな口調で、「俄に信じられないと思いますが聞くだけ聞いて下さい」と前置きをした上で、エリシオーネという女性から直接聞いた内容のあらまし並びに、油断して我が身に降りかかった災難までも、作業ノートを見ながら包み隠さず話していった。

 その間女性はというと、半ば信じていないという様子で『ふ~ん』『ああ、そう』『それで』と受話口で生返事を繰り返すばかりだった。それでも話が終わると、矢継ぎ早に口を開き訊いて来た。


『その娘は今傍にいるの?』


「いいえ、別の部屋で待って貰っています」


『あらっ、そう』


 すると、何かを考え込んでいるのか、受話口の方で女性の息遣いが静かにしていたかと思うと、しばらくして意を決したように言って来た。


『少し待って下さらない。そう三十分くらい。今立て込んでいましてね、手が離せないの。こちらの用事が済み次第、今度は私からそちらへ掛けさせて貰いますわ』


「あ、はい。分かりました。お手数掛けます」


 ダイスがそう応える間もなく、女性は『じゃあ、そういうことで』と軽く言い残すと、あっという間に通話が切れていた。


「嗚呼、やれやれ、今日は色々とあるもんだな」


 ダイスはそう呟きながら何気なく大きなあくびを一つすると、携帯の電源を切り、ベッドから腰を上げた。

 普段ならとうに寝床に入っている時間帯だった。だが、俺もあいつらも世話になっている身だから、あの人の頼みは無下にはできないと、


「さてと、待つ間、コーヒーか紅茶を出してと。あと出すものは……。ええと、非常食にととってあったスナック類があったな。あれを出そうかな」等と呟きながら、女性が待つ部屋へすみやかに引き返した。

 そして、女性に事情を簡単に説明してから、小まめに動いてホットな飲み物とスナック類を運んで来ると、一緒に飲み食いながら待つことにした。

 そのときダイスは、表情の硬そうな女性に向かって、たわいのない自身の日常の話を軽い口調でしながら時間をつないだ。

 それが不思議と興味をそそったのか、女性はほとんど口を開くことはなかったものの、口元に笑みを浮かべると耳を傾けて聞いていた。

 その間生き物はと言うと、隣にいるにはいたが、いつもの通りに置き物のように一切身動きをしなくなると、完全に空気と化して存在感がなくなっていた。


 そうこうする間に時間が経ち、やがて約束の時間から数分過ぎた頃。テーブルの中央付近に置かれた例の携帯から電子音が鳴り響いた。

 ――ほうー、やっと来たな。

 そこでようやくダイスはほっと胸を撫で下ろすと、話を中断して、両まぶたを静かに閉じ口元に微笑みを浮かべた女性をちらりとのぞき込み、急いで携帯を取り上げた。


「はい、私ですが」


『お待たせしました、ダイスさん』


 お気楽に呼び掛ける声がしーんとした部屋内へ響いた。紛れもしない女性からだった。


『ええと、傍にその娘はいるかしら?』


「はい、おります」


『それじゃあ、すみませんが確かめたいことがあるので代わって貰って良いかしら』


「はい」


 ダイスは予めに目の前の女性と話し合っていた通りに、携帯のモードを個人間で会話するマナーモードから複数と話すスピーカーモードに切り替えて、元の場所へ戻した。

 途端に二人へ聞こえるように、携帯から女性の声が、穏やかに聞こえて来た。


『エリシオーネさんと言ったかしら。待たせてしまってごめんなさいね。先にダイスさんから事情を聞きました。何でも私の妹ということで、私に会いたいという話みたいだけれど』


「はい」


 ダイスが見守る中、両手を膝に置き、背筋を真っ直に伸ばした堅苦しい姿勢で、女性は返事をした。すかさず、いかにも丁寧な物言いで返事が返って来る。


『ダイスさんから大体のことを伺いましたのですが、聞いていると若干腑に落ちない点が出て来ましてね。直接訊いた方が手っ取り早いだろうと思い、こうしてお話することにしたんだけれど。

 もし良かったらもう少し詳しく聞かせて頂けないかしら』


「あ、はい、構いません。私が知っていることなら何でも包み隠さずお答えします」


『あらっ、そう。それじゃあ一つ目として、あなたの話では、例のあの陸軍基地で私とダイスさん達が会っていたところを見ていたっていうことだけど、どのようにして見ていたのか具体的に知りたいわ。その辺りがどうしても合点がいかなくてね』


「はい。あれは直接見ていたのでは有りません。前もって私が放った雲の聖霊が空から記録していたのです。ここで少し補足させて貰いますが、今私が言っている雲の聖霊という聖霊の言葉の意味合いは、この世で広く容認されている聖霊とは大きく違います。ここ人間世界での聖霊の意味は、宗教色が強く繁栄されている関係で、神を直接指すものとか神の属性のようなもの、或いは聖霊の意味を人の意識としてとらえて諭しだとか認識と云った概念を言うようです。つまりその全ては人が聖霊を人の因果に絡ませて論じようと創造したものであるのです。

 それに引き換え、私が言う聖霊は実体が有ります。少し概略を加えますと、聖霊という言葉は、私達の間ではブラナー、ブラナッハ、ビドゥを併せたものをいいます。この三つに共通して言えることは其々が特性を持った生命体と無機体との中間物であるということです。またこう言い換えることもできます。引力、時、炎、闇などから生を受け生命体となった存在が神、天使ならば、同じ道筋を辿りながら十分な生命体に進化し得なかった存在が聖霊なのだと。

 故に高位なブラナー及びブラナッハは私達が望むか向こうが判断すれば、人でも動物でも望む姿に変化できます。ブラナーとブラナッハとの違いは個であるか複数であるかの違いです。また、この二つとビドゥとの違いはそれ自体が感情や意志を持つか持たないかです。そして今回私が使用したのは感情も意志も持たないビドゥに当たります。私はそれを後から回収して確認していただけなのです」


『あらっ、そう。そう言うこと。じゃあね、次なんだけれど。あの二日間は、ずっと私は変装していた筈なんだけれど、どうして私だと分かったのか、それを詳しく聞いてみたいわ。ダイスさんの話じゃあ、私に目印が付いているからって言ったのだけど』


「はい、確かに付いております。その前にお姉さんのお母さんのことですが、とにかく引っ越しが大好きで、父に黙って何十、何百回と転居を繰り返してはいませんでしたか?」


『あなたって、私のママのことまで詳しく調べ上げているのね。ええ、そうよ。ママは私が物心付いたときから引っ越しが趣味か食事みたいなものだったわ。そうしないと落ち着かなかったみたい。これもママがタロット占いを職業としていたことが原因なんだけどね。暇な時にいつも自分を占っては、ああでもこうでもないとぶつぶつ言いながら幸運が訪れるという方角へ私を連れて居場所を移して行ったわ。ところでついでだから聞くけれど、パパの職業は何と聞いていたのかしら?』


「はい。確か、鉱山技師や発掘技師と呼ばれる極めて特殊な職業で、暇な時にはその経験を活かして失せもの相談のアルバイトをしていたと聞いております」


『ふ~ん、そんなことを言ってたの。ま、それは確かに当たっているかも知れないわね。ぶっちゃけて言うとパパの職業はプロのダウザーだったの。振り子やエル型にした針金を使って目的のものを探すあれよ。

 じゃあね、パパの趣味は何だったか知ってる? これは一番重要なことよ』


「趣味ですか……」


 返答に困ったのか、女性ははたと口をつぐんだ。結果、部屋内に沈黙が流れたかと思うと、すぐさま勝ち誇ったような口振りで催促する言葉が続いた。


『ええ、そうよ。パパの趣味よ、たった一つのね。あなた、知らないの? 聞いたことがないの?』


 その声に、それまで口元を堅く引き結び酷く悩んでいるようだった女性が、ようやく口を開いて、


「たった一つのですか……」


 ただそれだけ言うと、再び押し黙った。


 虫のいい話だったが、そのときダイスは、二人のやり取りを、この先どうなるんだろうと、他人事とは思えない心境でハラハラしながらじっと見守った。

 口には出さないものの、ひと目見だけで言葉を失って金縛り状態になるくらい容姿端麗な目の前の女性を、どちらかと言えば信じて応援したい気分だった。

 しかしながら当の女性は、少し間をおいて、とうとう沈んだ表情を見せると、深い溜息を一つ付き、消え入りそうなか細い声で、


「す、すみません。私には分かりません」


 と、放心したように呟いた。

 瞬間、室内がしーんと静まり返り、気まずい雰囲気と化した。これには戸惑いと苦渋の色をダイスは浮かべざるを得なかった。これはヤバいな。このままじゃあこの人は偽物ということになってしまう。

 成り行きからそう判断して、いよいよこれはダメみたいだなと諦めかけたとき、ダイスの切実な願望が通じたのか、うふふと明るい笑い声に続いてあっけらかんとした口調で救いの手が携帯から突然轟いた。

 

『馬鹿ねえ、そんなに難しく考え込む必要はないのよ。

 正直、あなたがどう答えるだろうか見てみたくって、ちょっと試させて貰ったの。

 それなのに、そう馬鹿正直に答えられるとね……。

 実際あの人がたった一つの趣味に没頭していたなんて、訊くだけ野暮っていうものよ。それは有り得ない話だもの』


 その言葉にほっとしたのか、たちまち女性の表情に晴れやかな色がさした。


『あの人はね、こう言っては何だけれど、生きていること自体が趣味そのものだと自分でも自負していたほどの人だったの、私とママにとってはいい迷惑だったんだけれどね。

 つまり、人生を楽しもうと何でもトライするのが趣味だったのよ。だから、在り来りの釣り、読書、映画鑑賞から登山、スキューバーダイビング、ギャンブル、女、酒、仕事。何を答えてくれても間違いじゃなかったって訳。それなのに良く考えて分かりませんと答えてくるあたり、あなたにしてはかなりな覚悟が要った筈よね。もし仮にでも答を返してくれたなら、次々と疑問をぶっつけて最後にあなたの化けの皮を剥がしてやろうと思っていたんだけれど、それはできなくなったわ。ま、分かりませんという答えは、予想はできなかったけれど的確だったかもね。

 そこだけみると、あなたは私の前で嘘を言ってないような気がするんだけれど』


 最後にそのようなことを告げた相手に、女性はしっかりした口調で答えた。


「はい、私は真実を申し上げているだけです。お姉さんを欺こうとは一切思っておりません」


 次の瞬間、その生真面目な話し振りがどことなくおかしかったのか、携帯の向こう側から品の良い笑い声が起こった。ダイスもついつられて、何がおかしいのか分からず、戸惑いむすっとする女性をちらっと見て苦笑いをした。この人は稀に見る凄く素直で純粋みたいだな。


 そうして、一転して和やかな雰囲気となった中、笑い声に続いて『ああ、そうそう』と思い出したような言い回しの声が携帯から響いた。


『私からの問い掛けはこれ位にしておいて。さて、どこまで話が行ったのかしら?』


 そう訊いて来た相手に、女性は「あ、はい」と返事をすると、はっきりした物言いで応えた。


「引っ越しを頻繁にしていたかを私が聞いて、していたと話してくれたところまでです」


『そう。それでそうだったらどうだって言うの。何かあるの?』


「あ、はい。そのことで父さんは移った先を見つけるのに苦労したようなのです」


『その辺は確かにそうだったかも知れないわね。ママは直ぐ思い付きで行動するタイプだった上に、立つ鳥跡を濁さずというか、後始末をしっかりとしていく几帳面な面もあって、引っ越しの度ごとに得意のタロットカードを使ったお呪いをして、住んでいた痕跡を消して行くということを忘れずにやっていたもの。

 あれじゃあ、幾らパパのダウジング技術を持ってしても捜すのは一苦労だったと思うわ』


「はい、その通りです。そういった訳で困った父さんは当主様に相談を持ち掛けまして。後は、いつも一緒にいたお姉さんの身体に、普段はごく程度の低い聖霊の認識に使う光の紋章と同じ物を貼り付けたという次第です。ですから夜や暗いところでは認識はできませんでしたが、日中や明るいところでははっきりと読めました。紋章の光の形を確認すると、お姉さんの愛称であるパットと分かりました」


『そう。そういうこと。全然知らなかったわ。それは今からでも消すことができるの?』


「はい、もちろんできます」


『そう。分かったわ。後は証拠の品があるということだけど』


「はい、ここに持って来ております。これを見て貰えれば直ぐに信じて貰えるかと思います」


『あら、そうなの。それなら直ぐに会ってみたくなったわ。と言っても、今、重要な用事があって海外に滞在中なの。その用事というのが、いつ終わるのか分からない厄介な代物でね。 

 それで、切りが良い所で一度戻ってからになるけれど、それでも構わないかしら?』


「はい構いません。それでいつぐらいに?」


『そう、じゃあ一週、いや十日後ではどうかしら?』


「はい、それで構いません。もう一度出直して参りますから」


『その代り、会う場所だけど、今いるダイスさんのお宅ではどうかしら。私が直接伺わせて貰うわ。

 実はね、近いうちにダイスさんのお宅へ伺おうかと思っていたの。これで手間が省けるというものよ』


「はい、それで構いません。ダイスさんが良ければ」


 女性の言葉を受けて、ダイスは行きがかり上、深く考えもせずに応えた。


「はい、私も別に構いません。むさくるしい所で良ければ、いつでも喜んでお迎えします」


『ありがとう、ダイスさん。感謝しますわ』


「いいえ、そんなことをおっしゃらなくても、こちらこそ色々とお世話になってすみません。非常に助かっております」


『じゃあ、会う期日は十日後。時間は、初めて行く場所なので、そう午後三時から四時頃ってところでどうかしら。場所はダイスさんのお宅でと。それでよろしい?』


「はい」


『何か都合が悪いことでもあれば先に言っておいてね。あとから何だかんだと言って来てももう遅いから』


「いいえ、全く心配いりません」


『そう。それならこれでお終いにしましょうか』


「あ、はい」


『じゃあ十日後に会いましょう。あのパパが内緒で再婚していたのが、死んでから分かるなんて初めて聞くことだし。私に妹ができていたなんて、何と言っていいか分からない、信じられない気分よ。会えるのを楽しみにしているわ』


 携帯の向こうから、社交辞令的な言葉を相手の女性が最後に言い残すと、パタンと何かを閉じた音がして、直ぐにテーブルの真ん中に置いた携帯から何も聞こえなくなった。

 どうやら向こうから先に携帯を切ったらしかった。


 これでようやく打ち合わせが終わったと、さっそくダイスはテーブルに置いた携帯を手に取ると、速やかに電源を切り、ちらりと時間を見た。

 壁に掛かったデジタル式の時計が二時十分を表示していた。弱ったな、朝の二時過ぎか。こんな時刻に追い出すように帰って貰うのはとてもできないな。

 そんな思いを一旦呑み込んで、ダイスはそれ相応の応対をした。目の前に腰掛けた女性に向かって、軽い調子でこう声を掛けた。


「良かったですね。私もほっとしました」


「はい」女性が、誤って両目を開けそうなくらい満面の笑顔で応えた。「色々と仲介して頂いて、本当にありがとうございました」


「どうです、もう遅いですから朝まで休憩していかれたら? なーに、心配いりません、私以外誰もいませんから」


 うちの三人が世話になっているあのお方の妹みたいだから大事に扱わないとな、と自分に言い訳しつつも、正直なところ、わびしい男一人の家がほんの一時であっても賑やかになるのではとの期待から、そう提案したダイスに、すぐさま女性が応じた。


「ありがとうございます。ではお言葉に甘えて、よろしくお願いします」


「それじゃあ、二階になるのですが部屋に案内しますが。ところで目を閉じて歩けますか?」


「そのところは心配して頂かなくても大丈夫です。心の眼で分かりますから」


「ああ、そうですか」


 ダイスは何気なく思った。この人は催眠術の達人であるばかりか透視もできるのか。凄い才能だな。


 その後ダイスは、あれこれとかいがいしく世話をやいた。


「疲れたでしょう。シャワーしかありませんがいかがでしょう?」「部屋は一番奥にあります。普段から来客用にと空けてあるんです、二段ベッドとイスしかありませんが」「どうぞ、ごゆっくりとお過ごしください」「朝食べていきませんか?」「昼までゆっくりしていって下さい」


 その都度、女性は両目を閉じた端正な顔に笑みを浮かべて、「すみません、面倒お掛けします」と感謝の言葉を述べた。

 だがそのとき、ダイスは知らなかった。密かに女性が、深いため息を何度もついていたのを。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る