第46話

 そう云った風に三人が話し合いに夢中になっている頃、ホーリーとロウシュもまた、同じように話に花を咲かせていた。

 二人は最初の内だけ目の端で傍らの三人の動向を追い、男女をけん制していたが、その中の男の独演会のような話が始まった途端に、話し合いはゾーレの仕事だから任せておけば良い、自分達には関係ないことだ、と勝手に決めつけると、テーブル席において、ウサギの被り物を付けたお互いの顔を至近距離まで近付け、周りを気にする様子もなく、ひそひそ話を呑気に始めていた。

 その光景は、まさに隙だらけの、随分と不用心のように見えなくもなかった。が、そこの辺りは用心深い二人らしく、抜かりのないものだった。

 先ずロウシュの相棒である、最後に一匹残った魔物がゾーレの目の前のテーブルに同化していて、いつ何時不測の事態が起こっても対応できるようになっていた。

 次に、これだけ余裕を見せるということは、何かしらの対応がされてあると相手に思い込ませるのに十分だった。

 そして一番圧巻だったのが、来客が部屋へ足を踏み入れた時を見計らって、ホーリーがフロアに剣を突き立てると、奥義『月影迷界』を発動。部屋全体を結界の中に取り込んで、外部からの侵入を防ぐとともに、来客を中へ閉じ込めて、逃げ出せなくしていたことによっていた。


 そのとき、ホーリーのしなやかな白い両手の中には、黒い布袋が大事そうに握られていた。

 「大丈夫、私に任せておいて。悪いようにはしないから」とゾーレとロウシュに無理を言って、当初受け取る予定であったキャッシュカードを、真空管のような形をする黒っぽい容器に変更して芸術家風の男から受け取っていたのだった。


 当然ながらロウシュは、席に着くなり、容器とその中身を指さしながら「おい、そいつは一体なんだ? そんなものに何の値打ちがあるんだ?」と文句をつけた。

 対してホーリーは何食わぬ様子で、「ああ、これのことね」と応じると、


「話せば長くなるけど、敢えて言うとしたら、この器はね、カリレットというの。世間一般に、魔法の素とか魔法の粉とも呼ばれている秘薬の元になる原石、レアジュエルがこの特殊な容器の中に入っているの」


 と、容器の中身のことを得意になって逐次語った。

 それによると、その品は秘科学協会の上級幹部だけに年一度支給されるもので、中には光る物質が一個入っている。その本来の色は深青色もしくは深紫色をしていて、見た目の形は水晶の結晶に似た六角柱状をする。

 物質は、自然界で発光することからりん光物質の仲間らしいと見られているが、まだ詳しいことは良く分っていない。

 それというのも、一般的にりん光物質というものは、光を吸収したり、物理的な力が加わったり、水分とか空気などと接触したり、熱が加わったりすると光エネルギーを放出する性質を持つのに対して、その物質はある特殊な条件下において、光エネルギーだけでなく、電気エネルギー、熱エネルギー、磁気エネルギー、振動エネルギー、他にも数々の物理エネルギーを放出することが分かっているからである。しかもどのエネルギーも、有害物質を一切出さないクリーンエネルギーであることが分かっている。

 それ以外にも、重さがほとんどない、生き物の感覚へ何らかの影響を及ぼす、怪我や病気の治りを早める、老化を遅らせる、などの性質があることが分かっている。

 そのような不思議な性質を持つため、その昔は賢者の石と間違われたこともあった。ところが、物を黄金に変えたり、人の病気を治したり、不老不死にしたりすることができないことが分かり、似てはいるが違うものと見なされた。

 そして、それなら何だとなったとき、魔力の性質と良く似通っていることが分かり、やがて魔力の代用品として使われ始めて今日に至っている。

 ちなみにその使い方であるが、器の下に付いた電極のような突起の部分を直接身体に押し当てて使う。

 またこの容器一つで、一般に五百から千回分くらい魔力を補充することができる、等々。


 現代における一般論としての魔力とは、魔法を使うために必要な媒体であると定義付けされていた。また魔法の定義は、魔力を媒介として非現実的・非科学的な自然現象・事象を引き起こす技術・方法のことを指すとなっていた。

 即ち、魔法と魔力には相互依存関係があり、どちらが欠けても成立しないことを意味していた。

 ところで魔法に似た能力に超能力があった。どちらも有限の能力で、どちらも超自然的な力を操ることができるのであったが、その違いとして、前者は多種多様なことが実現できる。その代り、一旦力を使い切ると自然に元に戻るまでには相当な時間を要す。但し、その間に、別なところから補充してやればその限りでない。一方後者は単体のことしかできない。だが一旦力を使い切っても、力は体力の回復と共に自然に元に戻る。しかし、別なところから補充することはできないと認識されていた。

 また、遥か昔より魔法並びに超能力が科学的に解析されてきた結果、魔法の根本であるところの魔力は、液体と気体の中間物の形を取る物質で、光の性質を一部持ち、生き物の遺伝子に宿る性質があるらしいと推定されていた。もう少し詳しく補足すると、魔力は魂の中か魂のすぐ傍か、或いは脳内に、スプリッツと名付けられた分子構造モデルのような複雑な形状をする受け皿に蓄えられて存在すると考えられていた。

 それに対して超能力とは、物質作用ではなく精神作用であると考えられていた。また、魂にその根源を持つという説(魂因果説)が有力視されていた。脳内の物質やその働きからでは説明がつかないことが多いところから来たものだった。

 それによると、本来は意識と記憶の媒体であり思考や命令の回路を持たないとされる魂が、何らかの環境の変化によって、その一部分が突然変容。その拍子に脳への命令系統の回路が全く偶然につながり、未使用の脳領域を刺激して、その一部を活性化。活性化された部分から発生した特殊な電磁波が、外部の物質が持つ固有の周波数に影響を及ぼして物理的、化学的な作用を行うと考えられていた。

 その説で言うと、魔力は遺伝に由来し、誰しもが先天的に持っているわけではないこと。また超能力は環境変異によって引き起こされることを示していた。


 それらのことを踏まえた上で、ホーリーは理論派らしく、学術的に明らかになっていることとして、更に深い知識を、こういった話には全く無関心のロウシュへ得意げに披露した後、


「このままじゃあ私一人が得しているように思うかも知れないけれど、そうじゃないの。実はこの品をしかるべきところに持って行って売ればもっとお金になると思ったの。そう、倍は無理でも一倍半ぐらいにはなる筈よ」と本来の意図を明かした。


 そこでようやく、それまで沈黙していたロウシュがほっと息をつくと、歯切れの悪い口振りで口を開いた。


「ふ~ん、千二百か……。そんなうまい金儲けがあるのか?」


「ええ、大ありよ。ただそれにはほんのちょっと工夫が必要でね」


「そりゃなんだ?」


「実はこのままの状態ではまずくって、そう高く売れないの。前もって細かく砕いて上げる必要があるのよ。ダイヤやルビーみたいな宝石は大きい方が好まれるけど、この場合は小さいほうが好まれるの」


「ふ~ん」


「つまり向こうには、へたに砕くと質がいっぺんに落ちる可能性のあるこの品を加工する技術が無いの。そこを逆手に取って儲けようと言うのよ。

 どうせ向こうも商売だから、大金を支払っても、きっちり利益を出している筈よ。細かく砕いた品に、安定剤や分散剤や乳化剤といった色んな添加物を加えて付加価値を付けて、丸薬、ドリンク剤、ばんそうこう、シート状の健康食品として、宅配や通販で不特定多数の顧客に良い値段で売りつけているんだから。

 なにしろこの世には、老齢や病気がちで魔力が衰えた魔術師がごろごろいるんだから、需要は山ほどある筈よ。売れない筈はなくてよ」


 そう言って薄く笑ったホーリーに、ようやく理由が呑み込めたのか、ロウシュが思い出したように「ところで」と次の疑問を切り出した。


「奴の正体は一体何だったんだ。お前、さっぱり分からねえ外国語で喋っていたみたいだが」


「ああ、そのことね」ホーリーはにんまりすると、こともなげに言ってのけた。


「そう、あいつはヘルムダイム。といっても別人のヘルムダイムだったけどね。死んだあいつの名跡を、容姿が似ているという理由で無理やり継がされたと言ってたわ。ま、想像するに、ホワイト・レーベルに属する戦略担当のスパイと言ったところかしらね。たぶん、国民の振りをしてその国家の情勢を監視しているんじゃないかしら。でないと政府の役人を引き連れて歩いたり、堂々と基地内をうろつくことができない筈だもの。

 それにしても、ゴールド・レーベルが関与していると見てたのに、とんだお門違いだったみたいね。

 しかし驚いたわ。あいつは私と一対一で話がしたいがために、ホワイト・レーベルでしか使われていないコーマ語を使って来たのよ。上手くやられたわ。でもね、賞金も手に入ったことだし結果オーライってところかもね」


 それからロウシュを、どう、これで謎が解けたかしら、とのぞき込んだ。

 途端にロウシュは少し戸惑ったような口調で、「ああ、ところでよう」とまた話題を変え、また思い出したようにそれまで丸めていた背中を急に真っ直ぐに伸ばすと、周りを警戒するように目を配った。それから改めてホーリーの方へ向き直ると、首を傾げて言ってきた。


「お前が戦った野郎は確かにゴールド・レーベルの人間だったんだろう? それなら、あいつ等はなぜ襲って来ねえんだろうな。まだ仲間が残っていた筈だぜ」


 本当のところ、被り物を付けているとはいえ、色っぽい美女の顔が直ぐ目の前にきたのだから、雑念が生じない筈はなく。ロウシュはわざと警戒する振りをしてひとまず一呼吸入れると、照れ臭い気持ちを誤魔化していた。だが、そのような事情を知る由もなかったホーリーは、ロウシュがちょっと目を離した隙に、同じように抜かりなく反応して、組んだ両手の中にそれまで大事そうに持っていた品をあっという間に空中へ消すと、目の端でさっと周囲を一べつ。話に夢中になっていた男女の後ろ姿とゾーレの様子、棒立ちになったままぼんやりと室内を眺めているように見える芸術家風の男、ロウシュの電光石火の早業によって足元をやられてフロアに倒れ込んだまま呆然と事態を見守る男達をそれぞれ確認して安心すると、落ち着いた様子で応えていた。


「たぶん住み分けができているからじゃないかしら。昔から二つのレーベルはお互いに争い事を避ける不問律のようなところがあってね、今この基地は恐らくホワイト・レーベルの管理下に入っているみたいだから…… それじゃないかしら」


「なるほどな」


「問題は帰りだけよ。そのときだけ気を付ければ良いんじゃない」


「そうだな」


「それよりあなたとゾーレに大事な頼みがあるのだけど」


「なんだ?」


「実はね、私がレアジュエルを加工するから、それを持って私が指定したところへ出掛けて行って売って来て欲しいのよ」


「なぜだ。ネットを使ったオークションという手もあるぜ。あれならわざわざ出向くこともなしに、高く売れる気もするが?」


 ロウシュが言及したネットオークションとは、無論、ただのオークションを言っているわけではなかった。その筋の者達によるオークションのことだった。

 魔術師を始めとする能力者の世界は、いつの頃からなのかははっきりしなかったが、力を背景とする時代はいつの間にかほぼ終わりを告げ、時世は人間社会に合わすように、ごく普通の生活を送りながら、平和で穏やかに生きることを好むようになっていた。つまり、既に世の中は、武闘が幅を利かせる時代ではなくなっており、彼等の多くは能力を隠したり上手く利用したりする形で、世間一般の職業と何ら変わらない職に就くのが通常化していた。そしてその中のある者は、人の社会と共存しながら生活をしていたし、またある者は、人の社会の間近にいながら同じ境遇の者達と一緒に一つの共同体を作り住み分けをしていた。そしてそれ以外の者は、共存はせずにある程度の距離をおいて生活をしていた。

 従って、どんなときであっても、何の変哲もない大自然や辺境地や都市の近郊や街角から特殊なルートを辿ったところには、住民が特殊なこと以外どこでも普通に見られるありふれた光景が広がり、見られるのだった。

 そのような社会の仕組みを念頭に置きながら、軽い気持ちで言い放ったロウシュの提案に、すぐさまホーリーは呆れたように「ダメよ。分かっちゃあいないわねえ」と一蹴すると、強い口調で言い添えた。


「ド素人や二流三流の魔術師が参加するようなところではレアジュエルの本当の価値が分からないと思うし、第一、八百万以上の大金が動くとはまず思えないわ。とにかく私の言う通りにしてちょうだい」


「でもよう、それって言い出したお前が行けば良いだけのことじゃないのか?」


 不満げに疑うような眼差しを向けてきたロウシュに、ホーリーはキリッとした眼差しで即応した。


「それは私では売れないからよ」


「え!? どういうことだ」


「実はね、あなた達にわざわざ足を運んで欲しいのは、カノーラ・サドル・フットインク協同組合、通称KSFという名の、魔法アイテムを専門に取り扱う業者や錬金術師や魔術師、薬師連中が多く集まる取引場なのよ。買い手と売り手に分かれて、最低売り価格が付いた品物に買い手が次々と値段を付けて行き、最も高い購入価格を付けた買い手に売り手が売る競売所と言った方が分かり易いかしら。

 この世界で四つある卸し専門の取引場の一つでね、外部に門戸を開けようとする気がさらさらなくって、全くと言っても良い程世間には認知度が無いのだけれど、プロの魔術師にとってここを知らないともぐりと言われるところよ。

 行く行程は後で話すから良いとして、行けば分かると思うけれど、取引場のブースは大きく分けて二つに区分されていて、一つは魔術の道具とか薬品とかお酒だとか製品になった品物を売買しているわ。そしてもう一つは製品の原材料になる各種薬草に始まって古木や古鉄や動物のミイラやら、その他諸々の宝石類を未加工の原石のまま、或いは半製品にして売っているの。今回は物が物だけに原材料を売買するブースに行って貰いたくってね。

 私だって行けるものならあなた達に頼まないんだけどね。 実は、あそこだけは昔からの伝統と言うか、競りに参加できるのは売る方も買う方も男性だけに限定されているのよ。製品を売買するブースは別にそうじゃないんだけれどね。

 何でも、女性が未完成の素材に触れると良い製品ができないと云う古い伝統から来ているらしいんだけれど、今もそれが堅苦しいことに徹底していてね。これだけはどうにもならなくって、それで頼んでいる訳なのよ」


「ふ~ん、なるほどな」


「それにあなたの腕なら倍の千六百万ぐらいまで値を釣り上げる工作ぐらい造作もないことだと思うんだけどね。どうかしら」


「まあ、やろうと思えばできないことがないが。だがよう」


「そう。じゃあ決まりね」有無を言わせずホーリーは締めくくった。二人ならきっとうまく行くわ。


 一年にそう何度も出ない稀少なお宝に飛びついてくる買い手は数人程度ではない。二桁の十数人に膨れ上がるのは、ほぼ間違いない。そこへロウシュの能力が加われば、否応なく予想外の出来高となり、価格も大きくつり上がるだろう。そんな判断が働いてのことだった。


 ところがやはり、ロウシュがいつものように開き直って異議を唱えてきた。


「おい、ちょっと待て。まだ行くと言ってねえんだぜ」


 次の瞬間、いつもながらほんと血の巡りが悪いんだから、と心の中で悪態をつきながら、ホーリーは冷たい口調で応じていた。


「馬鹿。ここまで言ってもまだ分からないの」


 だがロウシュはまだ分らないという風に首を捻るばかりだった。これにはさすがのホーリーも困ったという表情をすると、ならこれではどうよと、淡々と言い添えた。


「あなたがちょっと能力を使っただけで千六百万が手に入るのよ。分かる、この意味が。つまり本来入る予定になっていた八百万の穴埋めができるということじゃない」


「ああ、そういうことか」ようやくロウシュが、分かったとうなった。「なるほどな」


「そうよ、そういうことよ」ホーリーはほっと安堵したように念を押すと、ごく自然に首をそっと伸ばして更に顔を近付け、媚びるような艶めかしい声でささやいた。


「どう、やってくれる? あなただって分け前は多いにこしたことがないでしょう?」


 瞬間、魔性の女の色香が、えも言われぬタイミングで妖しく香り立ち、大の男ならもはや拒否できそうもない雰囲気を作り出していた。そのようなどうしても受けざるを得ない状況にロウシュは、みんなとの慰安旅行のあとにゾーレとプライベートな遊びに行くことをどうしても言い出せずに苦り切った表情で、何かを考えるようにほんのしばらく間を措くと、やがてさばさばした物越しで口を開いた。


「しょうがねえな。やってやるよ。それで良いんだろう」


 それにホーリーは、ふんと鼻で笑うと「あらっ、そう」と案外素っ気なく応じた。だがすぐさま、うれしさを半分かみ殺したような声で、


「行ってくれるのね。ありがとう。恩に着るわ」


 と礼を言うと、気が変わらぬうちにと間をおかずに、「その場所についてもう少し詳しい話をするとね」と、切り出した。


「そこ(取引場)は天然の洞窟をそのまま利用したところで、入口は岩山の階段を上って行ったところに目立たないように一ヶ所あるだけなんだけれど、一旦入ると中は二十階建てぐらいのビルがすっぽり入るぐらいの高さと広さがあってね。奥行きもそうね…… 大昔に川が流れていた跡が空洞となってできたらしくって、細長く入り組んでいて、一マイルぐらいは続いているんじゃないかしら」


「ふ~ん。入口はそこだけか?」


「ええ、個人用はね。元々そこは、同業相手に商売をするためにできた取引場だって言う話だもの。だからそんなものよ。その代り、業者の車が出入りする立派な入口が別ルートで二つ、三つあった筈よ」


「なるほどな」


「取引は向こう側のカレンダーに添って週に一度開かれるの。確か金曜日だった筈よ。開いている時間はその日の午前零時から次の日の午前零時までの二十四時間。その間に一時間半の休憩時間を八時間ごとに三回挟んでね。

 一週間にたった一日、それも実質二十時間程度の開催だから、常連ばかりなんだけれど取引会場はいつも盛況で、売る側も買う側も目の色を変えて、物凄い勢いで入れ替わり立ち替わりにやって来るわ。そこへやって来るのはみんな遊びじゃないからよ。仕事だからよ。だから売り買いが済み、希望のものを仕入れたらさっさと帰って行くわ。何もしないでただぶらぶらと見て回る者なんてほとんどいないんじゃないかしら。

 ……後はそうね…… 洞窟の周辺は広い割に照明がそれ程無くてちょっと薄暗いかも知れないけれど、良く見るとそこら中にパレットに山積になった品物が並べてあって、買い手が一つ一つ値踏みをできるようになっているわ。尚、小さい品物の場合は特別なケースが用意されてあって、そこに入った状態でじっくりと見られる仕組みだったと思うわ」などと、次々にホーリーは自身の記憶の中にあった情景を思い出しながら述べた。

 その間にいつの間にか姿勢を崩したロウシュは、足を組み、テーブル上に片肘を付いた楽な格好で、「ふ~ん」と、聞いているのかさっぱり分からない素っ気ない返事を何度もよこした。

 だが彼女は、大して気にする様子もなく続けると、最後に一旦言葉を切り、視線を宙に彷徨わせるや、他に話しておくことはないかと記憶の中から探した。行き方もその行程も話したし。もうこれくらいかしら?


 そう頭の中で独り言ちて幾らもしない内に、そうだったわ、肝心なことを忘れてたわ、とホーリーは急いで視線を戻した。そしてじっと黙ったままのロウシュに突拍子もなく言い添えた。


「ごめんなさい、一番大事なことを言い忘れていたわ」


 そうして、「おい、まだ何かあるのか?」とさっそく不満らしきものを漏らしてきたロウシュに「ええ、もちろんよ」と、あっけからんとして応じると言った。


「実はあそこって業者専用の取引場だから、普段から会員だけを受け入れて一般人の立入りを堅く禁止しているの。また、昔、盗品を持ち込んで売買していたことが発覚して問題になったことがあって、今は持ち込んだ品にも審査が厳しくてね。そういう訳で、入口の受付で会員証を見せて合言葉みたいな言葉を伝えなければならないの。一応、これなんだけどね……」


 そう伝えるとホーリーは、その場で片方の指をパチンと鳴らし、たちどころにしなやかな白い指の隙間から、魔術師に付きもののタロットカードではなくて、何の変哲もないトランプのカードを一揃い取り出すと、笑いながら、


「安心して見てちょうだい。呪いなんかかかってないわ。どこから見ても普通のカードよ」


 と言い、テーブルの上に絵柄を表にして、鮮やかな手並みで並べて行った。そして、晒したそれらのカードの中からダイヤ、ハート、クラブ、スペードのエースを指先で弾いて選び出すと、「簡単な質問よ」と四枚のカードを指し示しながら機嫌よく切り出した。


「これら四枚のカードの意味を知っているか聞きたいの? もちろん絵柄が何を意味しているかよ」


 するとロウシュは、ふんと軽く笑うや、ふてぶてしく応えて来た。「そいつは俺には簡単過ぎる質問じゃねえのか?」


「ああ、それじゃあ答えてみてよ。そうそう、言い忘れていたけれど、あくまで私のようなプロの魔術師が訊いているのよ。そこを考えてちょうだいね」


「ふふん、この四枚の絵柄で良いんだろう、ダイヤとハートとクラブとスペードのエースの?」


「ええ、そうよ。あなたで分かるかしらねえ?」


「馬鹿にするなよな。俺だってよう……」と、さっそくロウシュは四枚のカードをじっと覗き込んだ。


「あ~あ、何を言うかと思えばこれかよ。カード遊びに掛けては、俺はズブの素人じゃないんだぜ。つまらないことを良く聞くもんだぜ」


 やがて十秒も経たない内に、カードの意味の見当が付いたのか、顔を上げて自慢げに応えていた。


「俺はこれ以上の難しいことは知らねえが、普通に考えてダイヤは金を表していて、ハートは心臓か聖杯で、クラブはこん棒で、スペードは剣か軍隊だろうな。

 だがよ、お前のことだ、そう易々と正解だと認めないと思うので。ああ言えばこう応えるということでダイヤなら商人か経済力を現し、ハートは僧侶か愛かな。クラブはそのまんまクローバーの葉っぱか農民か勇気というところか。スペードなら貴族か騎士と言うんじゃないのか」


 そう逆に尋ねて来たロウシュに、ホーリーはわざとじらすようにだんまりを決め込んだ。そしてロウシュも何も言わずに黙り込むと、自然と二人の間に沈黙が流れた。

 だが、ほんの束の間のことで。ホーリーが、笑みを含んだ愛嬌のある声で「はい、残念でした」と口を開くと、話は急展開した。


「通常ならそれが正解なのだろうけれど、プロの魔術師である私が尋ねているのだから、残念ながら全部外れよ。不正解になるのよ」


 そう言ってホーリーは、白磁のように白くてしなやかな人差し指の先端で四枚のカードを一枚ずつ上品に指し示しながら続けた。


「ねえ、ロウシュ。プロの魔術師の間ではね、ちょっと難しい表現だけど、こういうふうに解釈しているの。

 普通ダイヤのエースは宇宙の地図もしくは入れ物を。ハートのエースは陰陽、雄雌、表裏、正負のような対極にあるものの同化と分離を。クラブのエースは生命の樹もしくは知恵の樹を。そしてスペードのエースは魂の入れ物を象徴している、とね。

 そう答えてくれたら、間違いなく合格点を上げられたんだけれどね」


 ホーリーの適格な解説に、ロウシュは被り物の中で一瞬キョトンとした顔をした。だが直にそれは、苦笑いに変わっていた。


「ふん、なるほどなあ」


 和やかにホーリーは笑うと、その理由を説明した。


「なぜこんなことを訊いたのかというとね、中に入るにはこの知識が絶対必要だからよ。

 先ず入口の門の前へ立つと、中からどんな用事で来たか聞いて来るわ。その際、あなた達は四枚のトランプのカードを出して仕事で来たと言えば良いわ。つまり四枚のカードが会員証代わりなの。

 そうすると、お決まりのようにその一枚を指して、この意味は何かと問い掛けて来る筈よ。そうしたら、私が言った意味の説明をしてやれば良いの。どう、簡単でしょう! 直ぐに中に入れてくれるわ」


 すぐさま、分かったというようにロウシュはと相づちを打った。「なるほど」


 ホーリーは、まあこんなところかしら、と広げたカードを手際よく片付け始めると、見事な手さばきでシャッフルを繰り返して、あっという間に空中に消し去り、それから、「まあ、手続きなんて、売りたいと申告すればそれで良いだけだし、そんなに複雑なことはない筈よ。後は競りを見て、目標価格を超えさえすればそこで売れば良いだけだし、簡単に直ぐ済むと思うわ」と尚も言い足しながら、後残るのは今話し合い中のゾーレだけだと、奥の席でやり取りをする三人の方へ、思い出したように首だけで振り返った。

 すると三人は、まだ話し合いの真っ最中で。室内に良く通る声ではきはきと話す若い男と、時折口を挟むようにして喋る女性と、少し間をおいて慎重に応えるゾーレの姿がそこにあった。

 ほんと長いわね、とホーリーは呆れたようにため息をついた。

 馬鹿ねえ、のせられている場合じゃないわよ。

 早く片付けてしまって、直ぐにここからおさらばしないといけないというのに、ゾーレったら、相手に合わせ過ぎなんだから。役人風情が私達に何の用事があるっていうのよ。きつく言ってやって直ぐに終わらせちゃえば良いのにねえ。


 ちょうどそんなとき、角隣に腰掛けたロウシュがまだ煮え切らない様子で、数を数えるように指を折り、「いっぺんにそんなに多く覚えきれるかよ」と、吐き捨てるようにぼやく声がした。


「ああ、面倒くせい。よくもまあこんなふざけた合言葉を考えついたもんだぜ。いい加減にしろよな。迷惑な話だぜ」


 何のことはない、まだ先の話を引きずっているらしかった。それ自体は、ホーリーから見れば、他愛のない戯言と無視して別に構わないものだったが、次の瞬間、前方の情況を見ながら彼女は思わずくすりと笑うと、「そうでしょう」と、ほんの軽い気持ちで付け加えた。


「私も初めまさかと思ったもの。合言葉を思い付いた人物は余程の博識があるんじゃないかとね。

 みんな、その意味を知らないで普通に使っているみたいだけれど、そのことは理想主義者に国家の実権を委ねるようなもので、天地がひっくり返るほど大変なことなのよ。みんな、合言葉の真の意味を知ったら驚くこと間違い無しじゃないかしら」


「おい、それはちょっと大げさ過ぎるぜ」即座にロウシュから疑問の声が飛んだ。


「そんなの、ただのくだらない言葉遊びだろうがよ」


「まあ、見てくれはね」ホーリーは即効で応えると、視線を元に戻して言った。


「でも私のように分かる者だったらそうはいかないの。これってずっと昔からあるものでね。トランプのカードが誕生する前から既に存在していたのよ」


「へえー、そんなことは聞いたこともねえぜ」


「それはそうでしょうね。あなたには言っていなかったけれど、トランプの模様の意味はね、花言葉やタロットカードのように人が適当にこじつけた意味とは訳が違うのよ。

 ダイヤ、ハート、クラブ、スペードの模様の意味は一言で言うと、正式名エスパルワード、エスタブルワードと呼ばれているもので、世界中で色々な言葉に翻訳されているんだけれど、そうね……真理の鍵、覇道の言葉、叡智の言葉と言った方が分かり易いかもね」


 途端にロウシュから、全く意味が分からないという風な素っ気ない声が漏れた。


「何だそりゃ?」


 ホーリーはふんと鼻で笑うと、「まあ、聞いて」と語り始めた。


「それはもう昔々の話よ。といっても御伽噺や寓話や神話ではない話よ。現実の話よ。しかし時代も場所も人種も不確かで分からないときの話よ。

 そういった頃に、きっかけは何であったかは知らないけれど、精神や意識や身の回りの自然界。例えば心とは何か、考えるとは何か、生命とは何か、生きるとは何かとか、物はなぜ燃えるのか、空気があるのはなぜか、夜になるとなぜ暗くなるのか、周りに色があるのはなぜか。もっと興味深いことを例に挙げると、何も無い空間や時間から光や炎や風やカミナリのような力を生み出すことができないものか、そのような問題を異常な好奇心を持って深く真理を追求した人達がいたのよ。それぐらいはあなただってどこかで聞いて知っているでしょう!」 


「ああ。学者という職業の奴等だな?」


「ま、厳密には違うけれど、そういうことね。とにかく昔の人達は楽しみが無かったというか気が長いというか、それらの疑問を飽きもせずに長い年月を掛けて究明しようと試みたのよ。

 問題はここからで、彼等のほとんどは、真理はその存在理由に係わらず原因と結果から見て、ただ一つだけあるという考えで持って物事を究明して行ったの。ところがそのような中、ごく少数なんだけれど、物事には常に何かしらの存在理由があり、それは複数あるという想定をしておいて、その結果、真理が一つになるのは他の理由が優劣の関係で見えなくなっているからで、条件が整えば別の真理へ変わり得るといったひねくれた考えを持って物事を進めた人達がいたって訳。

 まあ理屈はどうであれ、とにかく彼等は、それはそれは恐ろしい時間と歳月をかけて疑問に答を見つけて行く作業を飽きもせずにやったらしいわ。そうして得られた成果の中には現代科学も真っ青の森羅万象の真理に近い発見もあったことが分かっているの。

 例えばトランプのカードで説明すると、スペードの意味だけど、魂の入れ物となっているでしょう。 実際、魂の核は単純な球体をしている訳ではなく、底の部分は肉体から離れないように、フック状の突起が付いた形状をしているのが分かっているんだけれど、それを具体的に説明するとギリシャ文字のオメガかトランプのスペードを立体にしたようなものになるというのよ。この発見すらその頃に見出されたらしいのよ。

 しかし成果のほとんどは戦火や長い年月の間に喪失してしまって後世へ伝わらず消えて行ったわ、比較的万人受けしたほんの一握りの自然科学と社会思想を除いてはね。

 ところが当時から同じようなことを探求していた複数の魔術師の目に止まったものだけは代々伝えられて来たの。その中でも特に一つの演題に複数の答えが用意されてあるひねくれた考えで物事の探求を進めた人達の成果が素晴らしかったらしく、伝わっているほとんどがそれなのよ。

 けれど、その内容というのがね、今もそうなのだけれど当時においても不特定多数の人に教えると我が身に害が及ぶほどのセンセーショナルなものだったらしく、魔術師同士間でもそう広く公開されたことがなく、本当に信用における者だけ、多くは親族だけに相伝で伝えられて来たのよ。それが時代を経るに従い簡略抽象化されたものがエスパルワードという訳。つまりエスパルワードを知っていることは、一流か由緒ある魔術師の家系の証という訳なのよ」


 と、最後に自慢したように見えなくもなかったが、ともかくも上手くまとめて話を締めくくった。対してロウシュは、そう言われてもと歯切れの悪い物言いで、


「それでよう、そのエスパル何とかという正体は一体何なんだ」と疑問を口にした。


「ああ、そのことね」ホーリーは応えた。


「強烈なものは人生が変わるぐらいのショックがあると云われているわ。と言ってもこういう私もそこまでのは未だ聞いたことも見たこともないのだけどね。まあ大方、そう云った世の中を驚かすようなエスパルワードは、厳重に封をした箱に入れられたまま誰の目にも触れずにどこか秘密の場所に隠されているものなのかも知れないけれどね」


「……」 


「まあ、ともかく、あなただって至急にお金が入り用なのでしょ。だから慰安旅行が終わったあと、直行して貰うというのはどうかしら。但し、その日を逃したらまた次の週まで待たないといけないから、その点は気を付けて貰わないといけないけれどね」


 そのようにロウシュとホーリーが話していた頃。

 もう一つの席では、熱気のこもった議論が、ゾーレと若い男とで交わされていた。一方女性は、熱弁を振るう若い男を補佐する立ち位置でいた。


 その中、イスへどっしりと座り、腕組みをしたゾーレは、内心複雑な思いだった。

 当初、政府かそれともどこかの国のスパイを押し付けられたのかと思ったが、スパイならわざわざこんな手を込んだ小細工はせずに直接交渉してくる筈だからと、その線は直ぐに消えていた。そうなると、何となく事務的でしかも流暢な喋りと、一応そう言った風の容貌をしている様子から見て、二人の正体は政府の役人であるのは嘘ではなさそうのように思えた。また、よくよく聞いて先読みすると、二人は正規の役職以外にNGO(非政府団体)かNPO(非営利団体)に関連した組織に属しているのが見て取れた。

 そのような団体が使者を送って、どうせ暗殺、破壊工作といった裏の仕事の話だろうが、依頼をしに来るとは実に不可解だった。しかも自分達を利用して、国家どころか世界の仕組みまでも変えようとしているように思えたことから、果たして信じて良いものか半信半疑だった。


 それを知ってか知らでか、若い男の話は尚も続いていた。


「無論、私達の機構は非営利な団体ですから個人が直接間接に係わらず利益を追求することがあってはなりません。もしそれが発覚すれば、得た収入は没収の上強制的に脱退させられる決まりです。こうした清廉潔白なことを知って頂いた上でお話するのですが、私達が草案の中に連ねた政策の中に世界中から貧困を失くすという項目があります、当然、平和を実現する一貫としてですが。

 しかし失くすと言っても、直接貧困の国へ援助しただけでは貧困は絶対に無くなりません。ご存知かと思いますが、援助物資は困っている人々のところへ届く前に権力者や利権者へ渡ってしまうのが常だからです。ではどうするかと言いますと、残念ながらこれと云った打開策がないのが現状です。

 しかしながらほんの僅かですが光が見える政策もあります。

 例えば、次世代へ貧困を引き継がせないために、貧困の両親に代わって国家が子どもの面倒を見ながら、各人の適性に応じた職業訓練を男女問わずに実施するのを補助するのです。

 そのことは、両親による子供への養育負担を減らすと共に、子供に親の貧困を背負わせずに済み、更には親の金儲けの手段に子供をさせないことで良いことです。

 ですが問題もあります。職業訓練以外にどのような教育を子供に施すかです。大抵ここで頓挫か妥協させられるのです。

 今貧困が深刻な地域をざっと上げれば、長きに渡って内戦が続いた地域、内戦によって出た難民が流入した地域。民族的、人種的、或いは身分的なことから、迫害や差別を受けて来た地域。あとは大規模災害が起こった地域。未開・不毛の地域が該当するかと思います。

 そのような地域を多く抱かえる国を見ると、政府が機能していない、過激な思想が国を支配する、まともな対話ができない秘密主義の国家が、くしくもどうやらあてはまるのです。

 私達は知っています。そのような国で育った子供達がやがて大人になると、権力者に盲従するシンパかテロリストの予備軍になるということを。

 しかしこれを止めさせようとしても当事国側はそれを内政干渉だ、国家や民族への侮辱だ、国家を転覆させる陰謀だと反発するばかりです。

 そして何よりも、こういった政策のみでは効果の薄い一手段でしかなく。問題の根本であるところの子ども達の家族の貧困は何一つも解決しません。

 貧困の一番大きな要因は失業です。つまりお金を稼ぐ手段がないことです。そこで人々は手っ取り早い方法として、売春・強盗・収賄・詐欺といった各種犯罪や麻薬の栽培・販売、更には人身売買に走ることとなるのです。

 ですが、世の中は広範囲に渡って、機械化、オートメーション化。果てはコンピュータ知能による無人化が進み、もはや人手がほぼいらなくなっています。また雇用者側のほとんどは、利益追求の余り、人材を使い捨ての労働力としか見なしておりません。従って、そのような状況下で失業を失くすことは非常にやっかいなことと言わざるを得ません。

 と言って、今から数十年前、幾つかの国で実際に行われた愚かな政策を取れと進言するわけではありません。

 その当時の指導者のひとりは、失業とは余剰の人員が存在するから起こるのだと単純に考え、余った人員を減らす策として、失業者とその家族を、未開発の鉱山やへき地の開拓へ送り込みました。そして、その場所を世間から分からないように隠した上で、次々と出て来る失業者に対応すべく、一切の文明の利器を使わせずに労働させました。まさに戦争捕虜収容所のような重労働をさせ、原始的な生活を強いたのです。その結果、表向きは失業が無くなりましたが、その代りに若い労働者がいなくなり、長時間労働・薄給の、まるで奴隷のような仕事ばかりが幅を利かすこととなり。やがてそれに抗議したデモが各地で起こると、終いには暴動に発展して国が混乱し、長く国の機能がマヒしました。

 また、長いこと政変が続いた後、実権を握った別の国の指導者は、人々が仕事もなく溢れているのを見て、階級社会、貨幣社会、知識社会が不平等・格差を生んでそうなっているのだと勝手に解釈し、それまで積み上げて来た知識や文明を一切放棄して、そのようなものがまだなかった未開の平等な社会へと戻そうとしました。彼は先ず鎖国した上で、そのような関連の人々をだまして連行して来て皆殺しにしました。その結果、その国の人口は一時的に当初の四分の一まで減少し、国自体が弱体化することとなりました。

 それ以外にも、こういうような嘘のような本当の話もありました。

 そこの指導者は、貧困とは人々が平等でないから起こり得るのだとの発想から、そうなった原因と責任はその当時の知識人・官僚の過ちにあるのだと責任転嫁して、失業を初めとする貧困問題を権力闘争にすり替え、何も知らない学生や無知な若者を利用、扇動し、自らに批判的だった者達を迫害しました。その結果、拷問、処刑がはびこり、数多くの死者と自殺者が出て、その国自体は若返ったけれど、しばらくの間国の運営が上手くいかなくなりました。

 結局のところ、どの政策も解決策になったと言えず。いずれにしても、却って国を混乱させただけでした。

 それでは私達のところはどうするかと言いますと、世界中のあらゆる失業の実態を精査した上で、一つの国だけでは解決は無理だが、各国がそれぞれ役割を分担し、連携を取り合いながら実施すればやがて解決できると言う結論に達して、元は世界全体の問題なのだからと、三百五十項目に渡る意見書を各国へ提出しています。

 けれどもどの国も、余りに革新過ぎる、体制を未来永劫修正することも改めることもない、法の改正は難しい、今のままで良い、自分達はそこまで望んでいないと、幾ら未来志向で考えて見てくださいと述べても、今のところはどの国も消極的で、はっきり応じようとはしていません。

 残念であるのですが、我々の改革は一国でも賛同しなければ進みません。

 これはあくまで私個人の私見ですが、そこであなた方の出番ということで。あなた方の御力をお借りして各国の足の乱れを正す役割をお願いしたいのです」


 次の瞬間、若い男の直ぐ横から「どうかご協力をお願いします」と女性が口を挟んだ。


「正しいことをやって居れば全て旨く行くと私達は思っていません」


 そういった二人の申し出に、ゾーレは「話はおおよそ分かりました」と引き取るや、指をテーブル上で組み二人をじろっと見て、素朴な疑問をぶつけた。


「しかしですね、私共が手を貸したところで、また同じような繰り返しだと思うのですが」


「はい、ごもっともです。しかし何もしなければ始まらないとも言えます」


 はっきりとした良く通る声で、若い男が素早く受け答えして来た。少し遅れて女性も声を揃えた。


「いいえ、そのようなことはありません。効果は必ず出て来る筈です」


 彼女の言葉に、すかさず若い男が、はきはきとした声で付け加えた。


「私達が注目したのはあなた方には融通性があると見たからです。実行行使目的だけならわざわざこのような煩わしいことは致しません。そう云った専門の人達を人選致します」


「ああ、そうですか」


 なるほどとゾーレは小さく頷くと、一瞬目を閉じた。

 先の中年男のときは、考えておきましょうと曖昧な返事で切り抜けていた。向こうも「私はただ伝言を預かって来ただけでして。あとで良く考えた上で連絡をして頂ければそれで結構です」と素直に引き下がり、案外呆気ない幕切れに終わっていた。

 そしてこの局面において、申し入れを断ることはいつでもできたが、どうしたものかと踏ん切りがつかずにいた。

 なぜか、ロザリオのメンバー六人の顔が脳裏に浮かんだからだった。

 よくもまあ、ここまで個性の強い者達が集まったものだ、というのが率直な思いだった。だがこれは、別の言い方をすれば、危なっかしい、放っておけば自己中心的に暴走し問題を起こしかねないという一面を含んでいた。

 また、お互いに腕に自信があることなどから、変なところでプライドが高くて、加えて気ままで、頑固で、風変わりで、変人で、素直でなくて、他人に頼らない、借りを作りたがらない、個人主義で自由人でと、おいそれと一筋縄ではいかない存在でもあった。

 そのせいか、活動を中止してから今まで、お互いにほとんど連絡も取り合わないでバラバラに暮らしていた。その中で平穏無事な生活を送っていると思われるのは今のところ二人のみで、あとの残りは、地に足が付かない放浪生活をしていたり、勝手気ままに何を考えているのか分からない生き方を送っているように思え。

 そういった困りものの彼等に、数年前に始めた事業が軌道に乗った今なら手を差し伸べることもできたが、互いに借金を申し込みに来たのではなく仕事の世話を求めて来たホーリーとロウシュの件をかんがみて、たぶん誰もそんなことは望んでいないだろうと予測できていた。

 そのことからして、例え目の前の者達が何を考えているのか分からないいかがわしい相手であっても、ここはひとまず妥協することで何らかのつながりを築いておく方が彼等のために後々得かもとの損得計算が頭の中で働いていた。

 とはいえ、役人風情が、暗殺・破壊工作以外にも俺達を利用する気かと考えたとき、俺達は便利屋じゃないという思いから何か馬鹿にされているようにも感じ。余り安易に応じると後々相手に見くびられかねなかった。

 なので、ここからがネゴシエーターとしての腕の見せどころだと、二人をじろりと見据えると、


「なるほどねえ。良く分かりました。ですが私共は今も昔も便利屋になったつもりは毛頭御座いませんのであしからず。また使い捨ての駒のように無茶なことを私共にさせようとお考えのおつもりなら、速やかにここから去って頂けるよう願います。さもなければ、お二人どころかここにいる全員に災いが降りかかるやも知れません。あなた方も怖い目はしたくないでしょう。私共もこの場を血で汚したくありませんので」


 などと丁寧な物言いながら、皮肉を込めて強気に出た。これに次の瞬間、面食らったように男女は黙り込むと、目を白黒させた。その表情には、何か間違ったことを言ったのかという風な戸惑いの色があふれていた。明らかに脅し文句が効いたらしかった。

 ゾーレは満足そうに薄ら笑いを浮かべると、硬い面持ちの二人に尚も強い調子で畳みかけた。


「全く聞いていられませんね。情に訴えれば何もかも上手くいくと考えてそうしたのでしょうが、あいにくと私共には通じませんな。私共はね、この世界がどうなろうと、どう変わろうと、一切関心はないのですよ。

 どうせ次に組織には金が余り無いのでと理由を付けて、タダ同然で引き受けさせる魂胆なのでしょうが。それは虫が良すぎるんじゃないでしょうかね。その手には乗りませんよ。私共の稼業はボランティアではありません。泥棒やテロリストと違って他人のものに手を出さない代りに、それに見合う対価をきっちり頂きませんとね」


 そこまで言うと、ゾーレは背筋を真っ直ぐに伸ばし、


「長いことお疲れさまでした。残念ですがお引き取り下さい。私共も忙しい身分なのでねえ。あなた方の理想論にはこれ以上つき合うつもりはありませんので」


 と、丁重に断りを入れ、わざと二人からつれなく目を逸らしてどう出て来るかを待った。

 もし、諦めずに良い条件を提示して来たなら、それはそれで良し。例え、諦める素振りを見せたとしても、そのときはそのときで「言い忘れていましたが、私共は色々と事情があって今はお尋ね者みたいな身分でして。あくまで誰にも知られずにいたいのです。ここへやって来たということもね」と応対して「そういうことで誠に申し訳ないことですが、ここから生きて返すわけにはいきません。私共と会ったことをうかつに口外されては困るのでね」と、脅しのようなものをかけ、相手の心変わりを促すという、どちらに転んでも良いように二股をかけていた。

 果たしてその誘いに、困り果てたような表情で、二人が一斉に呼び止めて来た。


「お待ち下さい」「ちょっと待って下さい」


 たちまち思い描いた通りになったことにゾーレは内心ニンマリすると、わざととぼけて訊き返した。


「どうかしましたか? まだ何か」


 途端に若い男の方が、上体を前のめりにしながら、


「これは失礼しました。あなた様の胸中を察せず、こちらの意見ばかり述べまして、誠に申し訳ございませんでした」


 と、慌てるように謝罪のようなものをやや早口で言い立てると、「これは止むを得ないことだったのです。実は、ただ御協力をお願いしたいといったところで先ず取り合って貰えないと考えまして。この上は私達の活動を手っ取り早く説明して理解を得てから、依頼の件をお頼みするしかないと思い、言ったまでのことでして。決して良心に訴えるとかそのような大それたことをしようとしたわけではありません。嘘ではありません。これは本当のことです」と申し開きをして来た。更に、「どうぞ御気を悪くしないで下さい」と女性もかしこまって詫びて来た。

 そのとき二人に、焦りの色が明らかに見えたが、ゾーレはテーブル上で指を組んだまま無言を貫くと、じっと聞き流した。すると若い男がごくりと唾を呑み込むと、おずおず言って来た。


「お察しのように私共の機構は、人材の豊富さに比べて資金力に問題が確かにあります。それは認めます。ですがもし御協力をして頂けるならば、裏社会の相場は私達にはあいにくと分かりませんが、その手付け金代わりとしてここでの賞金ぐらいは御用意することができます。また、それでもまだ不服というのでしたらそちらの御意見をお聞かせ下さい。筋の通らない要求はお受けすることができませんが、私達に呑めるものなら何でもお受けします。いかがでしょうか?」


「その話、嘘じゃないでしょうね」


「ええ、もちろんです」


「そうですか……」


 ほんの暫くの間ゾーレは黙り込むと、考えを巡らせた。そして切り出した。


「こういう仕事をしていますと疑い深いのが性分でしてね」


 そう言って、それまで組んでいた腕を解き、別のテーブル席で話をする男女のペアを軽く指差すと言った。


「実はですね、あそこで話をしている男の方なのですが、あれは私の言うことを良く聞くので、最も頼りにしているのですが、専門の殺し屋以外にマッドな天才外科医の一面も持っていましてね。と言っても医師免許なんてものはもちろん初めから持ってはいません。あれが勝手にメスを振るって麻酔無しで人体解剖のまね事をするだけのことなのですが。

 実はあれにはそれ以外にもう一つ、読心術という特技がありましてね。

 あれの理屈では、正直に応えているかどうかは幾つかの質問をすれば直ぐに見破ることができるということですので、後でここへ来て貰って指図を仰ごうかと考えています。

 もう少し言いますと、あれは性格にやや難がありましてね。柄が悪い、気が短い、手が早くて乱暴者。その上、人が苦しむのを見て快楽と感じるサディストときていて、注意が必要でして。

 もしそのとき正直に応えてくれていないと分かったときには、それ相応の覚悟をして貰うことになると思いますが。くれぐれもそうならないようにお願いします。宜しいかな?」


 僅かな沈黙の後、か細い声が二つ、戸惑い気味に響いた。「は、はい」「あ、はい」


 見れば、メガネを掛けた若い男の額に、玉のような汗がいつの間にか浮かんでいた。同じく両手にも汗がにじんでいた。一方女性はというと、目前に銃を突き付けられたような表情で固まっていた。顔色も血の気が失せ、青ざめていた。

 こういう場面では、はったりや脅迫はゾーレにとって珍しくもないことだった。今回は、その場しのぎで口から出まかせを言われても困るので、ロウシュには悪いと思いながら彼を出しに使い、比較的簡単な予防線を張っていた。


 一挙に主導権を取った感があったゾーレは、にやりと笑うと言った。


「では私の質問に受け答えして下さい」


 そうして、神妙に頷いた二人を尻目に尚も続けた。


「そこに立つ、あなた方を案内して来た男との関係は?」


「あ、はい。あの方はたまたま紹介して頂いただけです。今日、初めてお目に掛かりました」


 今度は先に女性の方が、言葉を選ぶようにして口を開いた。若い男も、「はい、その通りです」と追随した。

 それから二人は共に意味不明の笑みを見せたが、その目はどこか笑ってはいなかった。


「ふ~ん、そうですか。なるほど」


 中年男に尋ねた答えと同じものが返ってきたことに、ゾーレは淡々と言った。


「聞いていますと、私共に頼みたいという用事の件はそう単純なものでないとお見受けしましたが、もしそうなら私共の簡単な要求を聞き入れて貰えなければなりませんが、宜しいかな」


「は?」「と言いますと」


 若い男と女性がほぼ同時に訊き返して来た。そのとき二人の息が余りにもぴったり合っていたことに、ゾーレは思わず苦笑すると、


「安心してください。そんな無茶なことではありません」


 そう言って、悦に入ったようにゆったり足を組み、先を続けた。


「これはごく当たり前のことですが、私共と関係を持ったことをあなた方二人の秘密にして、決して誰にも口外しないと約束して頂きたいということです。これを厳守にして貰わなければなりません。宜しいかな。

 次に、仕事の依頼におけるメンバーの人選は我々の間で決定させて頂くということです。勝手にメンバーを指名しての依頼はできないと心得て頂きたい。

 また私共はやった結果に一切の責任を負いません。後のことは、そちらが責任を持って下さい。

 そして最後に、これは私共にとって一番重要な事といって良いのですが、私共に支払われる報酬の出所を詳しく話して頂きたい。例えば、名が何たらという億万長者が後援者となっているとか、世界的に有名な企業がバックに付いているとか、それともあなた方にそれ相応の預金や資産があるからと言う話でも何でも結構です。具体的にそれを説明して頂きたい」


「はあ……」「そう、……ですか」


 男女は揃って曖昧な返事を返すと、何かを相談するように直ちに顔を見合わせた。だがほんのわずかな間のことで、やがて話がまとまったのか、若い男が比較的落ち着いた口調で「分かりました。お話します」と切り出した。


「実のところ、ここまでやって来たのは私達の一存で決めたことで機構にはまだ話してはおりません。従って、あなた方へ支払う費用の出所も未定と言わざるを得ません。今のところは、はっきり言って私達の持ち出しという状況です。とは言え、八百万ドルは大金です。それだけの預金もありませんし、貸してくれそうな知人もいませんし、そう簡単に用意できるものではありません。資産を処分したり、銀行から借りるにしても、そう易々と行きません。おまけにこういうのは私達にとって初めての経験ですので、それ以外の費用も当然いることになるだろうということで。

 従って本当はやりたくなかったのですが、政府の公金を内々に用立てるという一計を案じてここへやって来ました」


 政府の公金を公ではなくて内々に用立てるということは、つまり流用するということ。もし発覚すれば身の破滅になりかねないことを意味していた。


「ほ~う」


 思わずゾーレは感嘆の声を漏らすと、大胆なことを考えるものだと二人をまじまじと見つめた。

 すると若い男は、「ここまで話す以上は、是非とも私達の意を汲んで頂きたい」と念を押して来ると、政府の公金を流用する方法を悪びれずに語っていった。

 その具体的な内容は、――

 自分は今、財務担当大臣の下に位置する総合情報集計局内、軍事部門監査課にて勤務している。そこでは主に、軍の予算管理全般並びに各基地へ毎年度の設備装備品費、消耗品費から年金に至るまでの振り分け配分を扱う業務を行っている。

 そういうわけで資金を捻出する方法としては、監査する自身の立場と、政府の予算が毎年度組まれ各部門へ按分されるまでの過程において額面の数字が比較的大きく尚且つ大まかな点を上手く利用するというのだった。

 また、そこから支出できない場合は、とある部門が財政交付金の繰越金を積み立て、かなりな額の裏金を作ってあるのを知っているので、内緒でそれを使わせて貰う。それもダメだった場合は、秘密工作費とでも仮の費用項目を一時的に作り、そこから出すというのだった。


 そのような若い男の話を聞きながらゾーレは、この世に絶対的な悪があっても絶対的な正義は無いといった認識によって、自身のみならず自身の交遊関係をも正当化していた関係で、例え非合法であったとしても政府から出るものなら健全な金だとして、別に依存はなく。自然の流れで「良くやるな」と心の中で呟いたのみで、それ以上何の感想も思いも出ず。その間一切口をさし挟むことはしなかった。


 そして話の最後に、居直るように、


「つまるところ、支払う費用は、全て国民からの税金ですが、これも将来の世界平和を見据えた微々たる投資と考えて貰えば税を負担してくれた国民の側もきっと納得してくれるものと思って居ります」


 などと言って締めくくった若い男に、ゾーレはわざと悪党笑いをすると、内心苦笑いしながら心にもないことを言って応えた。「私もそう思います」


 その後、互いに二、三の質疑応答を行うと、一時間余り要した話し合いは無事終了した。

 そこでようやく男女は、ほっとした表情で立ち上がると、握手の代わりに浅い会釈をして、他の三人と共に、仲良く部屋を立ち去った。その様子を見送りながら、ゾーレは何となく肩の荷が下りた気分だった。

 正式に彼等の要請に応じるかは、まだ解決しなければならないことも多々あり、そう易々とはいかなかったが、それまで敵対関係にあった秘科学協会と終戦協定が、どうやら結べそうなこと。ひょんなところから仕事の依頼が舞い込んだことについては、新規のビジネスとなるのではないかの期待感も無きにしも非ず。それらのことを考え合わせると、一応納得がいく有意義な話し合いといって良かったからだった。

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