第38話

 もはやこの頃になると、周辺は目に見えて荒れ果てた状態と化していた。その中でも、特に場内を仕切る四方の壁の一部が酷い有り様といえた。壁自体がもろに半壊して、各所に大小の亀裂が鮮明に入り、あたかも石切り場のような情景を呈していた。最前の爆発の影響でそうなったのかと考えられた。だが、結果オーライというべきか、その前までは起伏が至る所に見られた地形が、どういう訳か偶然にも案外平坦な荒れ地と変わっていた。


 そのようなところへ、一足先に姿を見せたのは、最初の試合で対戦相手をなぶり殺しにしようとした男、ゴルチエだった。

 明らかに戦いが有利に運んでいたにもかかわらず、ほんのわずかな油断をした結果、最後の最後で対戦相手から思いがけない逆襲に遭い、引き分けに持ち込まれたものの、引き分けた側が次戦へ出ることができない身体になっていたことと、代役がいなかった関係で、自動的に勝利を手にしていたのだった。


 ゴルチエは初戦と変わりのない容ぼう、良く目立つど派手な服装だった。

 スキンヘッドの頭。赤ら顔。七フィート近い長身を、真っ赤な真新しいバトルスーツで包んでいた。

 そのとき彼は、銃身がやや長めのレボルバーを手にしていた。構内の隅で落ちていたのを、やって来る途中で目ざとく見つけて何の気まぐれなのか拾い上げ、弾丸の有無と作動するかを調べて満足したように頷くと、持って来ていたのだった。

 途中、ゴルチエは適当な方向へ銃の銃身を向けて撃つ真似をしたり、曲芸をしているかのようにクルクルと銃を回してみたりした。それから見て、かなりリラックスした様子のように見えていた。

 だがしかし、ほどなくして今度の対戦相手がやって来たとき、口許はニヤッと笑っていたが、覗き込んだ眼光は鋭かった。銃を弄びながらやって来たときの呑気な様子とは打って変わって、獲物を追う獣のごとくギラギラさせていた。

 それもそのはず。逆方向から現れたのは、ほんの三、四十分前、一つ間違えればこの広い構内を完全な廃墟にしかねない状況に陥れていた二人の中の一人に、まるっきりそっくりな身なりをしていたからだった。

 人影は頭を綺麗に剃髪していた。着ていた青い服は、先の老人と全く同じものだった。口ひげとあごひげを蓄えていたことと首飾りや指輪と云った装身具を身に着けていたことなどの違いはあれ、彼の老人の仲間に間違いないようだった。

 

 ほぼ中央付近で待つゴルチエの方に向かって、しっかりとした足取りで悠々と歩いて来た人影は、リュードという登録名の男だった。東洋系の顔立ちをする中肉中背の男で、それほど若くもないが年を取っているわけでもない、いわゆる壮年辺りの年恰好のように思われた。

 やはりという訳でもないが、先ほどの戦いで負傷したエスドの代わりに出て来たのだった。

 そのことは、勝者をはっきり決めたい意向が主催者側にはあるのなら再試合をするかどうかの確認が必ずある筈に違いないと読んだ、引き分けた二人の思惑通りに事が運んだことを示していた。


 見る間にリュードは、ゴルチエからおよそ百ヤードほど距離を取って立ち止まると、無表情の顔つきのまま自然体の構えを取った。そして、大型のレボルバーを両手でいじりながら何も言わずにじろじろと眺めて来たゴルチエに向かって隙の無い眼差しを向けると、あいさつ代わりに声を掛けて来た。


「サウラーの術を使う者よ、目の方はもう良くなったのか?」


 やや堅苦しい言い方であったが、堂々とした、低く静かな毅然とした声が響いた。

 ゴルチエはニヤッと微笑むと、俺の能力を見透かしたつもりかと例のしわがれた低い声で嫌味っぽく応じた。


「エヘヘヘ。心配してくれてありがとうと言いたいが、俺は他人に心配されるような軟な人間じゃないんでね。大きなお世話と言っておいてやるぜ」


「ああ、さようか」軽く頷いたリュードは、生真面目な顔で訊いてきた。「つかぬことを訊くが、お前は果たして人なのか」


「ふん、見ての通りだ」皮肉を言って挑発してきたのかとゴルチエは、今度は乱暴な物言いで応えた。


「お前はどっちの方が良いと思ってるんだ?」


「ああ、さようか」リュードは言葉を濁すと、さっさと話題を変えた。


「ほ~う、銃か? 銃を使うのか。それがお前の得物か」


 相手が今度は銃に関心を向けてきたことに、「そう来たか、一々面倒くさい奴だ」と内心呟いたゴルチエは、その一方で悪知恵を働かせると応えていた。


「今そこで拾ったものだ。前の奴の持ち物だったんだろうが、この俺が言うのも何だが、悪くない銃だぜ」


「ほ~う」


 ゴルチエの言葉に誘われるように、リュードの目が銃に向けられた。ゴルチエはしめしめと続けた。


「ターゲットを巨大な猛獣に想定したのか六十口径だ。まともに当たれば風穴が空くこと間違いなしだ。しかも弾は特別製ときている」


 疑い深い目つきをする男に、ゴルチエはそこまで言うと「ま、そんなことはどうでも良いことだが」と、わざとさりげなく話題を終わらせ、逆に訊いた。


「ところで、あんた。ロザリオという名を知ってるか?」


「知っていると言ったなら」


 男の意外な一言に、薄気味悪い笑みを浮かべたゴルチエの陰湿に淀んだ目が輝いた。


「ほ~う、そうか。で、あんたはロザリオの何だ、幹部か、それとも知り合いか?」


「それを訊いてどうする」


「どうするって、簡単なことよ。俺がわざわざ休暇を取ってここへやって来たわけは、一つはもちろん金のためだ。そしてもう一つはそのロザリオに会いに来たってわけだ。会って腕試しをしたくてな。分かるだろう、この意味が」


「ああ。ここへは一旗上げに来たわけか」


「な~んだ、あんた、意外と話が分かるようじゃないか。ああ、その通りよ。で、あんたの正体は何だ。何しに来たんだ。

 俺は正直に話したんだ。分かっているだろうが、今更嘘でしたは通用しないぜ。あんたは、ロザリオとどんなつながりがあるんだ。早く言いな。さもないとタダじゃすまないぜ」


 急に怒りっぽくなったり、開き直ったり、脅したりとコロコロ豹変するゴルチエに、リュードは冷静な視線を送りながら苦笑いすると告げた。


「無論、からかったわけではない。ただお門違いなだけだ」


「お門違い?」ゴルチエの目の色が、ほんの少し真剣に変わった。「なんだ、それは?」


「我等もそのロザリオに会いに来たということだ」


「何だと」声を荒げたゴルチエは、酷くがっかりしたという風に露骨に口を歪めると、確認を取った。


「てめえも同類というわけか!」


「ああ、その通り」


「ふふん、嘘じゃないだろうな」そう言ってリュードをにらみつけたゴルチエに、ある閃きが漠然と生じた。「あんたら、もしかして……」


「一体何のことだ」


「いやこっちのことだ。つかぬことを訊くが、あんたら、ただ者じゃないな。もしかして、協会の者か?」


「この姿を見れば分かるだろう。その通りだ」


「いや、その協会じゃねえ」薄笑いを浮べたゴルチエは、一呼吸措くと続けた。


「こう言えば分かると思うが、その協会には、下から順にカラドール、ノーマ、ユーク、マーギアンといった特殊な階級制度があってな、世界導師協会と呼ばれているんだ」


 今度はリュードの目の色が変わる番だった。「何のことだ、それは」と訊いたその目は懐疑に満ちていた。これにゴルチエは、更に追い打ちをかけるように畳みかけた。


「それじゃあ、そこは別名、救世の協会とかゴールド・レーベルと呼ばれているんだが、聞いたことはないか?」


「それがどうしたというのだ。さっぱり分からぬな」直ちにリュードが強い調子で否定した。


「あ、そうか。知らないということか」


 これは脈があるなと、ゴルチエは目を見開いた。二つの別名の内、ゴールド・レーベルという名称は協会内部の人間。しかもユーククラス以上でなければ知らされていないものだった。


「それはおかしいな。普通だったら、もうちょっとぐらい関心を寄せて来るもんだが。それをあっさり違うというのは、あんた、やっぱり協会の人間だろう?」


「さあ、何のことだ」


「とぼけたって無駄なことだぜ。あんたは俺と同じ臭いがするような気がするんだ」


 そう言ってカマをかけたゴルチエを、リュードが不快そうに、にらみつけて来た。


「それはどういう意味だ」


 怒声を含んだ口調から、明らかに図星のようだなと内心驚いたゴルチエだったが表面はきわめて冷静に振る舞って応じていた。


「どういう意味って? 簡単なことだ。俺は昔、そこに世話になっていたことがあるのさ。クラスはユークと万年低かったが」


「貴様……そういうことだったのか」


「ああ」


「するとお前は、脱退者か?」


「まあ、そういうことになるな」ゴルチエは軽く受け流した。「ただ、きっちり筋は通したつもりだ。いわゆる移籍というわけだ」


「するとホワイト・レーベルに移ったと?」リュードが一瞬だけ表情を堅くした。


「ああ、ご名答。その通りだ」


 ゴルチエは得意げに笑みを浮かべると、


「だがそこも脱退して今は別のところにいる。つまりよう、今俺はあんたと違い、縛りがとれて自由なんだ。二つの協会と縁がきれいさっぱり切れて自由気ままに生きてるというわけだ」


 そう応えて、余裕を見せつけたゴルチエだったが胸中は別のところにあった。

 言って見るもんだぜ。まさかと思ったが、ゴールド・レーベルの人間がここへやって来ているとはな。こいつの連れの戦い振りから、ただ者じゃないと、これはもしかして ホワイト・レーベルの人間だろうかと山をはって外堀を埋めに行ったら、とんだネズミが出てきやがったもんだ。この感じじゃあ、クラスはマーギアン以上か! 手強いな。気を引き締めてかからないとヤバいかもな。


 ロザリオの奴等とやれなかったのは残念だったが、これも有りかもと思っていたゴルチエだった。

 そのようなゴルチエの思いをよそに、ほんの少しの間押し黙ったまま立っていた男が、考えがまとまったのか不意に訊いて来た。


「どこにいる」かなり強い調子だった。「協会を離れて今どこで何をしていると訊いておるのだ」


「俺か?」


「ああ、そうだ」


「エヘヘヘ。さあなととぼけてやっても良いんだが、俺は根が優しいんでね、昔のよしみで教えてやる。だがその前に今からあんたに良いものを見せてやる。昔の格言で、見ることは信じることにつながるって言うだろう。これを見れば、俺がどこにいて何をしているか丸わかりだ。驚くこと間違いなしだ」


 そう言ってゴルチエは、四方の壁の中央付近にそびえ立つ鉄塔の幾つかをぎょろりと目の端で捉えた。

 通常なら既に試合が開始されていてもおかしくない時間帯だった。が、肝心の時間を表示する電光掲示板の具合がどうも悪いらしく、デジタルの数字が消えたままになっていた。先の急な環境の変化が電気系統に何らかの影響を及ぼしてそうなったらしく、一向に始まる気配がなかった。

 このハプニングを利用して、昔所属していた団体の人間に自身の自慢話をするのも悪くないだろうと判断して話をする気になっていたのだった。ただそれだけのことだった。


「ああ、安心しな。まだ始まっちゃあいねえからだまし討ちはしねえ。それで勝ったとしても後で難癖つけられて金が手に入らなかったら困るんでね。俺はルールをきっちり守るたちなんだ」


 ゴルチエはニヤニヤしながら、憮然とした表情で何だと凝視した男を尻目に、それまで相手に見せびらかすように手に持っていた銃をバトルスーツの腰の隙間に一旦差し込んだ。それから、


「エヘヘヘ。貴重品は一番大事なところへしまって措けって言うだろう!」


 などと軽口を飛ばしながら、スーツの前の方へ片手を滑り込ませると、下半身をもぞもぞとまさぐった。そうして引き抜いた手には、直径三インチぐらいの鈍い金色に光るメダルが握られていた。


「どうだ、分かるか!? あんたならこの距離からでもはっきり見えると思うが、これが俺の身分証代わりだ」


 そう言って、時計のベルトのように太い同色のチェーンがついていたメダルを相手に見せつけるように掲げた。


 そう言われるまでもなく、リュードは当たり前のように大きく眼を見開いてそれを直視していた。

 ゴルチエの大きくて長い指の間で小さく見えていたそれは、中央に動物、そう……ライオンの顔が浮き彫りになって刻印されてあるだけで、何の変哲もないどこにでもありそうな金属製のメダルだった。


「それは何だ?」思わずリュードは、一瞬きょとんとした顔をすると訊いていた。


「分からなければ教えてやるぜ」


 思ったよりも反応を示さなかった男にゴルチエは、何も知らないようだなとあざ笑って言った。


「これを持っていると、裏社会で名刺代わりとなって一目置かれるようになるものさ。これはな、金では買えない代物なんだ。

 この俺でさえ三年かかったんだぜ。真面目に仕事に励んでノルマを達成してようやく手に入れた貴重な品だ。

 表にライオンが、裏にはひまわりが描かれている。そして両方に、神の愛と叡智を称える聖リオン聖歌隊と刻印されている」


 次の瞬間、リュードの目つきが最大限に険しく変わった。「貴様まさか、あの悪名高い……」


「ああ、その通りだ」ゴルチエは鼻高々に自慢して言った。


「誰もが良くご存知の平和を守る部隊さ。誰が何と言おうとも、全世界を平和に導く正義の味方だ。別の言い方をするなら、世に争いあるところ、俺達が有りってな。

 泣く子も黙る天下の軍団マーガレット隊に俺はいるんだ。その中でも今一番勢いがあるガルチエ軍団を束ねる軍団長の一人がこの俺様だ。どうだ、参ったか!」


 そして、どこが平和を守る部隊だ、正義の味方だ、このとんでもない嘘付きめと言いたげに顔を曇らせた相手の男をまざまざと見つめながら満足そうにヘラヘラと笑うと、


「おっと、俺達を悪人と言いたいのだろうが、それは違うぜ。大きな間違いだ」


 と涼しい顔で否定したゴルチエだった。


 そもそもマーガレット隊とは、数名から百名まで。平均二、三十名の構成員からなる武装部隊が多数集まったものを呼称したもので。早い話、金で雇われて戦争に参加するよう兵のようなものだった。

 その起こりは、いつになっても争いが終わらない現実と時代背景を前にして、もうこれ以上どうしようもない切羽詰った状況下に置かれた人々が、この世にスーパーヒーローのようなものが登場して、それらを何とか解決してくれないかとこの世に投げ掛けた思いを聞き届けた形となって、民間の戦争請負会社が立ち上げた集団がそうだった。

 だが、そのような立派な志とは裏腹に、その船出は多難と言って良いものだった。幾ら給料や条件面で優遇しようとも、蓋を開けて見ると、誰一人として人員が集まらなかったからだった。その理由は至極簡単なことで。仕事自体が、それまでの政府軍や多国籍軍を影から応援するのではなく、直接代わって戦うことであったためである。そのことは、どのような命知らずな強者からでも、無謀なことと受け止められていたのだった。しかもその主な相手(ターゲット)たるや、反政府ゲリラ、過激思想のテロリスト、犯罪組織、野盗等と云った反社会勢力、危険分子であったからなおさらだった。

 彼等は大抵死を恐れていなかったし、常套手段として一般市民の中に紛れ込んで攻撃してきたり、市民を人質にしながら抵抗を図ったり、場合によっては他人を巻き込んだ自爆行為もいとわない者達がほとんどだったからである。かような頭のいかれた、しかも神出鬼没で卑劣なやり口を行う者達を討伐することは容易でないのは誰の目から見ても明らかで、発案した会社の目論みは、完全にとん挫したように見えていた。

 ところがである。大幅な制限の緩和並びに、依頼主から起死回生の密約を取り付けたことで、会社は事業を一躍軌道に乗せていた。

 その大まかな内容は、――――

 一つ、マーガレット隊内部の全ての規律を撤廃し、各人の自己責任と自主性に任せる。

 一つ、マーガレット隊が存在すること自体は秘密であってマスコミ等に一切口外禁止として、ごく少数の特別な人間しか知らないものとする。

 一つ、マーガレット隊に関する情報を一切漏えいしない。

 一つ、マーガレット隊の居場所や行いを絶対に公にしない。

 一つ、マーガレット隊が出した被害について賠償を求めない。

 一つ、マーガレット隊が取った行動や行為について一切の非難や意見をしない。

 一つ、マーガレット隊が任務の遂行のために人質や一般人を巻き込んで、その結果死なせたり負傷させても黙認して罪に問わない、と云ったもので。

 そのことをどこで聞きつけたのか、またたく間に志願する者がぞくぞくと現れたのだから、世の中不思議と言うべきか、分からないもので。ともかくもそのような紆余曲折を経て、どうにかこうにか形が出来上がったマーガレット隊であった。

 だが実質上、志願者の正体は、血に飢えた狼、人の皮を被った獣、人非人と云ったまともな神経を持たない物騒な人間と、性格異常者、薬物中毒者、お尋ね者、逃亡者と云った世間で言われる訳ありの人間で占められていた関係で、組織の体をなさないごろつきの集まりそのものと言って良いものだった。

 けれども、そのようなまとまりのない者達であっても、世の中、何が幸運を呼ぶか分からないもので。

 そんな彼等が、唯一共通して併せ持っていた、自分勝手で後先のことを何も考えずに行動するところと、訳も無く競い合うのが好きなところと、誰であっても容赦がないところと、性悪なところと、殺人を遊びととらえているところと、残虐さに歯止めがきかないところと、何をしても悪びれないところは、困難と思われた局面を次々と良い方向へと向かわせていったのである。

 その効用たるや、ターゲットになった者達に抵抗する気力を失わせるどころか、遭遇した途端に自ら進んで死を選択させるほどだった。

 その甲斐あって、輝かしい成果を立て続けに上げていったマーガレット隊であったが、しばらく経つと、称賛に値する活躍の影で、やはり起こるべきことが起こっていた。

 どこで路線を間違ったのか、権力者や特権階級と結託して、一般市民や特定民族の虐殺、果ては人種排外、異教徒狩りに手を貸すようになると、それがいつの日にか本来の目的になっていたのである。

 今では「あいつ等はいつも正義面してはいるが、本当は弱い者を好き放題いじめて喜んでいるならず者だ、無法者だ、殺りく者だ」と云った噂も飛び交うほどだった。だが実際にその通りだったのだから始末が悪かった。

 ちなみにマーガレット隊というその可愛らしい名称は、全くの偶然によって、後から生まれた俗称だった。

 元はと言えば、世を欺く仮の名として『聖リオン聖歌隊』と訳の分からぬ名称を付けて、事実上はライオン部隊という勇ましい名で活動していく予定にしていたものが、誰が勘違いして呼称したのか不明であったが、裏紋章であったひまわりの花をマーガレットと呼んだのが言われの最初とされ。それが、一度訊けば不思議と頭から離れない名前として、いつの間にかライオン部隊の代わりに広まり、やがて定着していったものだった。


「あんたにはたぶん分からないだろうが、俺達は間違っていることをやっているとは思っちゃあいねえ。寧ろ俺達側に正義があるんだと思っている。俺達が汚れ役を買って出てやっているから、世間が丸く収まっているんだ、とな。

 その証拠に、俺達に依頼を頼んで来るお偉い連中は、作戦が成功すれば皆喜んでくれる。称賛してくれる。

 連中の口ぐせはいつもこうだ。通常なら自然淘汰か根絶やしされてもおかしくない無駄な人間がどこにでもゴロゴロいる。しかし人道主義だとか人命尊重と言っている馬鹿がそれを妨げて生かしている、とな。

 俺達は、連中が、社会に貢献するためだとか、市民の幸せを守るためだとか、犯罪を未然に防ぐためだとか、不治の感染症ウイルスを根絶するためだとか、もっともらしい理屈をつけて来る依頼を素直に受けて、遂行しているだけなんだ。


「それが無差別に皆殺しにする理由というわけか」


「エヘヘヘ。今のあんたがどう思おうと勝手だが、仕方ねえんだ。世の中の風潮なんだからな」


「馬鹿な。そのような理屈は通らぬ」


「不思議なことを言うね。俺から見ればあんた等も良く似たものだと思うが?」


「馬鹿な。我々は無用な殺生は一切しない。それに比べてお前達はいつも目に余る虐殺を繰り返している。裏社会の評判がそれを物語っている筈だ。それはどう説明する」


「ああ、確かにいつも大勢を手にかけている。みんな殺っちまえば、この先生き残って不幸になる人間はいなくなると良心的に考えて実行しているんだ。

 それによう、世間の評判なんてものは、幾らでも情報操作できるもんだ。虐殺、虐殺というが俺達の大活躍をねたむ奴等が都合の良い情報をでっち上げて勝手に騒いでいるに過ぎない。

 それによう、いつも大勢の人間を手にかける言い訳をするわけじゃないが、ひと握りの英雄の出現の陰には万人の死が付き従うって言うだろう。

 実際、歴史を振り返れば、世の末代まで残る偉大な業績を残した英雄という奴はよう、さしずめ無慈悲な大量虐殺を何度も繰り返している。

 結局、幾らきれいごとを言ってもよう、回りくどいだけだ。やっぱりやることは一緒ということだ」


「愚かな。馬鹿を言うのも大概にしろ。お前達が英雄になれると思ってそう言っているのか。お前達は未来永劫、天地がひっくり返ろうとも英雄には金輪際なれない。お前達のやることには、はっきりとした理念がないからだ。一見、筋が通っているようにみえても、所詮はこじつけに過ぎぬ。

 お前達の行為は、テロリスト連中が、俺達は一番偉いんだぞと力を誇示するために手当り次第に人を殺りくするのと少しも変わらない。いわば、欲望の赴くまま身勝手に暴走しているだけだ。この殺人好きのしれ者が」


 眉を吊り上げるようにして言って来た男に、迷惑そうな顔で薄ら笑いを浮かべたゴルチエは、


「もうこの話はよそうぜ。お互いの正体が判ったことだし早く始めようぜ」


 そう落ち着いた声で切り出し、変わり身早くメダルを元の場所へしまうと、腰に差していた銃を引き抜き、前方の男の方へ銃身を軽く向けた。

 対するリュードは「ああ、望むところだ。掛かって来るが良い」と、これも低い声で返事を返すと、片足を正面前に出し、やや斜めを向く半身に身構えた。自然の流れで両手は正面方向を向いていた。別にこれといった特徴のないありふれた構えだった。


 遠方の鉄塔に取り付けられた電光掲示板の電源がいつの間にか入り、デジタル数字の表示が10:00と示されていた。


 さっそくゴルチエは、銃の狙いを前方の相手に定めた。相手はこちらににらみをきかせながら、ぴくりとも動かなかった。どこから見ても隙がみられなかった。

 銃を身構えたゴルチエの表情は余裕に満ちあふれていた。だがそれは表面上であって、その内心は、相手の正体が分かったことでかなり慎重になっていた。さてどうしたものか、というところだった。

 相手の構えは、受けるのかそれとも避けるのかの二者択一の選択をして待ち構えているように見えていた。それで、向こうからはやって来ないだろうと高をくくって、前もって考えた作戦をもう一度頭で復習した。

 先の女のときは、相手の行動をじっくり見ながら真正面から受けて立つという正攻法の手法から最後に策を弄して仕留めてやったが、今回は奇策から入り、遊びなしで一気に仕留めてやる。

 ところで、これから俺がまく撒き餌に、どう応えてくるかだが。用心深い奴なら正面から受けることは先ずしないだろう。きっと一度は避ける筈だ。右か左か、上に跳ぶのか? それとも……。


 そう云った思考でゴルチエは相手の心を探るように、向けた銃身を小刻みに上下左右に動かした。誘いに乗って少しでも相手が動けば撃つつもりでいた。

 距離はおおむね百ヤード(約91メートル)。動く的に当たるかは微妙な距離だったこともあり、これで決まってくれればうれしい誤算だった。だが、そんなに簡単には決まるとは思っていなかった。


 無言のまま立ち尽くした二人の身体から殺気がほとばしり、周りの空気がピンと張りつめた。

 するとリュードがそれまで開いていた手の指をゆっくり折り曲げ、握りしめた状態にした。何かをしようとしているな、とゴルチエも続いた。ぞくぞくして思わず身震いしそうだった。

 刹那。

 間を措かずに、バーンバーンと銃声音が二発、重苦しい空気を吹き飛ばすように木霊した。ゴルチエのレボルバーが火を噴いたのだ。

 だがその瞬間、異変が起きたのはリュードでなく、ゴルチエの方だった。ゴルチエの方が吹き飛んでいた。攻撃してこないだろうとじっくり構えて、ぎりぎりまで相手の動向を観察していたのを、要するに逆手に取られて先制攻撃を受けたのだった。


 それは、銃をゴルチエが撃つよりも早く、金色の縁取りがされていたリュードのゆったり目の両袖下から、全部で二十個近くの濃青緑色をした球体が、突然ゴルチエの方へ向かって勢い良く飛び出したことによっていた。

 当初球体は、豆粒ぐらいの何でもない大きさに見えていた。ところがゴルチエの目前に来るまでに、ボーリングの玉以上はありそうな大きさとなっていた。そのことを、どうせ目の錯覚だろうと考え、軽く払いのけようとしたことがいけなかった。

 あっという間に真正面へもの凄い勢いで飛んで来た一つを、とっさに空いた手でハエや蚊を追い払うみたいに払い落そうとしたゴルチエは、逆にその勢いと重量感に押されて、後方へ身体を持っていかれていた。そうなると、狙い通りの方向へ銃を撃つどころではなく。不可抗力から連射されたレボルバーの銃弾は、たちまち見当違いな方向へと飛んでいった、という次第だった。


 そのとき、もう少しで後方の地面に叩きつけられそうになりかけたゴルチエだったが、それぐらいのことで倒れる玉ではなかった。

 やりやがったなと憤りの表情で、持ち前の柔軟な身体を駆使して態勢を立て直すと、後からやってきたそれ以外の球体を後方へ下がりながら器用に避けていた。無論、そうしながら相手に目を配るのも忘れていなかった。その視線の先には、リュードが一気に走り込んで来る姿があった。

 ところがリュードは二、三歩行きかけて急に駆ける勢いを止めると、立ち止まっていた。どうやら、ゴルチエがダメージをそれほど負わなかった風に見えたことと、ゴルチエの一方の手が鉤爪に変わっていたこと。そして先のゴルチエの戦い方を思い出してそう判断したようだった。

 だがその瞬間をゴルチエは逃さなかった。まるっきり痛みを感じないという風な平気な顔で、球体を払おうとして傷ついた腕を相手の方に向けた。腕は、肘の辺りから直角に曲り、使い物にならなくなっていた。

 それをリュードが「何だ、どういうことだ?」と疑いの目で覗き込んだとき、パンと風船が弾けたような破裂音とともにゴルチエが前方に出した腕が、肘の中途あたりから千切れて木っ端微塵になりながら砲弾のように宙を飛んでいった。

 そのとき、凄い勢いで灰色の煙を吐き出した。その勢いは発煙弾の比ではなく、あっという間に辺りがもうもうとした煙に包まれた。見る間に構内のおよそ四分の一を覆い尽して、リュードの姿も中に取り込んでいた。


 腕の約半分が綺麗に吹き飛んだあとには、口径が四十ミリぐらいありそうな機関砲の砲口らしき金属の筒が覗いていた。体内へ武器弾薬や毒薬や備品を自在に仕込むことができる能力を男は持っていたのだった。

 間髪を入れずにまた破裂音が鳴り響いた。砲口らしきものから前方の灰色の煙を目掛けて一発の砲弾が射出された音だった。砲弾は見る間に空中で破裂して、中から投網そっくりの巨大なネットが現れ、煙の中に消えていった。

 捕まえてしまえばあとは何とでも料理できると考えて、ゴルチエが立てた作戦だった。まだ始まって五秒も経っていなかった。


「どうやら、やったようだな」


 何とも言えない高揚感に、ゴルチエは舌なめずりすると、満足そうに微笑んだ。


「今日のジャイロネット弾(拘束弾)は特別製だ。逃げられないぜ」


 ネットには数々の毒の成分が塗ってあった。そのついでに能力者の力を抑制する薬剤もねりこんでいた。ターゲットの視覚を奪った上から、丈夫なクモの糸由来の網を被せてターゲットを一網打尽にする手法で、元々は一度に多数の車両や生きたまま人間を捕獲したり、或いはトラップとして使っていたものだった。


 この上はどう始末をつけるかだけだった。普通ならしばらく放っておいて様子をみるのが妥当な線だったが、短い時間ではそういうわけにもいかなかった。


 数秒待ったが反撃してこなかったことから、中では奴が方向音痴になったまま毒で自由を奪われ動けなくなっている筈と、ゴルチエはさっそく目の前の煙を消しにかかった。口から別の砲弾を取り出すと、腕の砲口にセットし、煙がもくもくと漂う方向へ向けて撃ち出した。

 砲弾は中途で破裂するや、煙の成分が中和されかき消えて、地面に拡がった巨大なネットが太陽の光に照らされキラキラと光り輝く光景が姿をみせた。

 だが次の瞬間、ゴルチエは目を疑った。

 その一ヶ所に山のように盛り上がった地点があり、人でも化け物でもない黒くて巨大なものが一つ、ひっそりと捕われていたのだから。

 見たところ、それは丸い形状をしており、高さ二十フィート(約6メートル)ぐらいはありそうだった。

 だがそれが何であるかと考える余裕がなかった。背後にただならぬ気配を感じたからだった。

 チラッと首だけで振り返った先には、前方に見えたものと良く似た黒っぽいものが複数見えた。しかもその数は十以上。それらが転がりながらこちらを囲むようにして向かって来ていた。そのこと自体は、敵が明らかに無事で生きていることを示すものだった。


「面白いじゃねえか。こうでなくちゃあな」


 絶体絶命と思われるこの状況に、表情を歪めたゴルチエから自虐の笑みが自然にこぼれた。


「だが、お手柔らかにお願いしたいものだぜ」


 間近まで迫って来た物体は明らかに丸い球体で、小さいもので一抱えくらい。一番大きいものは、人の背丈の三、四倍は優にあった。

 それらが横並びに次々と転がって来るのである。転がる音がそれほど大きくなかった割に、外見上は黒光りして鋼鉄の玉のように見えていた。


「これでも食らいやがれ!」


 刹那。それらに対応するように、ゴルチエが腕に仕込んだ砲口が火を吹いた。発射されたのは、相手を仕留めるために用意しておいた通常弾だった。

 白煙を伴った爆発音と共に、至近距離まで近付いていた球体の幾つかが瞬く間に吹き飛んだ。だが破壊されたわけではなさそうで。その方向が変わっただけのように見えていた。

 次の瞬間、キンと甲高い金属音と共に火花が散った。近付いて来た球体の一つをかわし際にゴルチエの鉤爪が強襲したのだ。しかし球体は相当な硬さとみえてびくともしなかった。何もなかったように転がっていった。返ってゴルチエの方がその勢いに負けて振り飛ばされていた。あっという間に地面に倒れたゴルチエは、次々とやって来た球体の下敷きにならないように地面を転がりやり過ごすと即座に起き上がり、バネでできているかのような軽やかなフットワークで一気に空中高く跳び上がって直ぐ目の前に迫った巨大な物体の頭上を飛び越した。そのようにして、向かって来た全ての個体を置き去りにすると反対側へ避難した。

 そのようなことを二度、三度と繰り返した。だが相手は学習能力があるようで、同じようなやり方がそう易々と何度も通用する筈はなかった。

 それぞれの球体は、磁石のようにくっついたり反発しながらやって来たり、衝突を互いに繰り返しながら来たり、弾かれて空高く跳んで空中から飛来して来たり、一列や並列に並ぶように転がって来たり、コマのように横回転しながら来たり、途中で進行方向を逆転しながらやって来たりと、思いもよらぬ動きで向かって来た。

 その上、残りの砲弾も直ぐに尽き、毒や鉤爪攻撃は全く役に立たないときていた。また球体の表面は、酸や溶剤でも溶ける様子はなかった。

 手足どころか目も口も鼻も見当たらない、丸い鉄球といって良いシンプルな個体が相手ではどう考えても、ゴルチエには旗色が悪いといって良かった。

 それではどうしたかというと、一か八かの無茶はせずに、生き延びるためにできることをしたまでだった。

 その方法とは、超高速の動きを制限して、体力を温存するというものだった。ヤバいことはヤバかったがこのまま休憩を挟まずに超高速の移動を続ければ、時間半ばにして息切れして身体の自由が利かなくなることは分かりきっていたのでやむを得ない選択だった。

 動きから見れば、一番小さな球体は中々すばしっこくて、超高速の動きにある程度ついてこられる能力を持っていた。それに比べて人の倍以上の大きさの球体はそれほどでもなかった。

 ゴルチエは大きい方の動きに照準を合わせていた。小さい方は受け身さえしっかり取っていれば、圧倒されても致命傷を受けずに済むだろうと考えて、無視する感じで好きなようにさせていた。

 ゴルチエは実戦派らしく、理屈でなく身体で感じたままそれをごく自然な成り行きでやってのけていたのだった。


 そうして一分、二分と時間が経過していった。土煙が至る所で舞っていた。並みの人間なら直ぐに結果が出ているところだったが、まだ先は見えなかった。それはもう我慢比べの様相を呈していた。

 尻の辺りに長い尾が発生し、顔かたちがトカゲのように変わったゴルチエは爬虫類特有の黄色く淀んだ目をギラギラさせながら、裸足で地上を駆け回っていた。ほんの少し前まで金属製の砲身がついていた腕は既に鉤爪に変わっていた。着ていた派手なバトルスーツはあちこち擦り切れてボロボロの状態だった。浅黒い皮膚と以前に負ったものなのだろうか傷跡のようなものが見えていた。また全身がずぶ濡れだった。球体と死闘を繰り広げる度に身体から多量の液体がまき散らされていた。

 その頃には、ゴルチエが相手を捕縛したネットは、大きく欠損していたり断片となっていたりで、もはや原型を留めていなかった。ネットに捕われた球体も、もはやネットの影響は全く受けていない状態だった。

 相手を捕えたのに効果がなく無用の産物になったばかりでなく、逃げ回る途中にネットに足でも絡ませたら自らのトラップに引っ掛かることになる。そうなってはシャレにもならないとゴルチエ自身が構内を駆け回るうちに判断してやったことだった。彼がずぶ濡れだったのは、ネットの繊維を溶かす溶剤と毒を中和する解毒剤でもって身体を覆っていたからだった。

 そのとき思わず口走った、「こう忙しくちゃ、何もできやしねえ」がゴルチエの本音を語っていた。


 この危機的状況を何とか打破するためには、とにかく相手を目の前に引きずり出す必要がゴルチエ側にはあった。が、それができるとは到底思えなかった。ゴルチエに残された道はダメージを最小限に抑えながら時間を引き延ばす以外ないようで、どこから見てもリュードが圧倒的に有利と思われた。

 しかし先に動くことになったのは、それまでの情勢を見ていて、このままでは時間までに勝負がつかないかも知れないと判断したリュードの方だった。

 それまで潜んでいた例の黒い球体の陰から涼しい顔で現れたリュードは、自身の策戦を生温いと見たのかは定かでなかったが、


「時間をかければやれる気もするが……。仕方がない。あれを出すか」


 そう口惜しそうに呟くと、「シャンティーヒ エンデ。戻れ、コアストーン!」と命令口調で言った。


 文言の終了と共に、目の前の全ての球体に突然亀裂が入り、幾つにも割れていった。そして最後には地表の土に同化して見えなくなっていた。

 その光景は、何の前触れもなく急に壊れて消えたように見えていたが実はそうではなく、形を形成していた核がなくなったためそうなっただけのことだった。核となった物質は、リュードの片方の手の中にきっちり納まっていて、彼が手を開いたときには環状のブレスレット、つまり数珠ブレスになっていた。

 リュードは数珠ブレスを懐にしまうと、次なる秘術を繰り出す支度にかかった。


 対してガルチエは、ほんの今まで激闘を繰り広げていたやりにくい相手がこつ然と消えたことに、どうなっていやがる、と目を丸くすると、いなくなった球体を探して周囲に目を走らせた。そして、球体の代わりに本来の目的である人影を見つけていた。だが、これはワナかも知れないと疑い、どこからやってきても対応できるように、背を丸め気味にした万全の構えを取ると、息を静かに整えながら用心深く耳を澄ませた。


 一切次の行動に移ろうとはせずに傍観する立場を取ったゴルチエをよそに、リュードはやにわに、一匹の蛇が絡みついた図柄が彫刻された、手の中に隠れるくらい小ぶりなハンドベルを懐から取り出し、ちりんちりんと奥ゆかしく澄んだ音を響かせながら、「ギャキ ソワタラ サラバカーン」と唱えた。

 その途端に、黄白色の炎が出現すると、リュードの姿を包んだ。そこまでは単なる炎の魔術に見えていた。

 ところが、さらなる文言、


「朱理霊静律令云々。アシャラナーラ ナウマ ダバザラン ウンタラ ナームン。

 いざ、第十五位界に存する東海の霊峰、六階山の主にして蓮華三千世界の焔の権化。またの名を、現世五体の未練を永遠に絶つ炎神。その献上名はクンダリーニ・クリカラーヤ、今そのお姿を現わし、詮索無しにして神がかりな御力をお貸し願いたく候」を低いが良く通る声で続けると辺りは一変した。 


 文言の出だしから炎の形状と色が異様に変様。言い終わる頃には、ゆらゆらと揺れ動いていたありふれた炎の形状が、ガスバーナーのような激しく燃える形へと変わり、炎の色も白黄色から朱色へと変化。そして最後に赤黒い色へと変わっていく頃には、ゴーゴーと風の唸り声のような怖ろし気な音を響かせていた。

 そして立て続けに、


「生きとし生けるもの。この世に生あるものはいつしか全て灰となり芥となる。人の霊肉もまた是に同じこと。遅いか早いかは一時の運命だけが握る。しかして生滅は存在の理不尽さを抜きにすれば苦にもなり楽にもなる。しかれども生滅は物の理にあらず。存在の理でもあらず。ましてや愚の理でもあらず。されば絶学の理なり。理外の理なり。心外の理なり。あなめくは因果の小車と心得よ。功徳悪業のしがらみと心得よ。青天のへきれきの来報と心得よ。何人も諸人諸世のはかなさを知らむるに、能所一体に見て蛍虫の定めとは如何せん。蝉虫の定めとは如何せん。愚直愚某の定めとは如何せん。後世万年千億、是に至り、いみじくも世に問うとすれば、其れ曰く。未来永劫、とどまるところ、迷いあれば此処是に迷い有り。それぞれをあがなうは賛美三階、愁訴十階、悔恨十二階。忘却千と一階。日々昂々、時節はつくづく流れようとも信ずる心地は一休利他是に拠り障路の尻尾垣間見るべし。ぐぜい、ぐぜい、ぐぜい。初地心酔。おのずから戒めを解き放つならば。云々……」


 などと、黙示録に似た導文をリュードが口ずさみ始めると、更に炎は周辺部や上方向へ規模を拡大しながら広がり、やがては地鳴りのような轟音を響かせながら、特大の大火へと進化を遂げていた。

 そのとき、無数の赤黒い炎が、地表から渦を巻きながら上方向に向かって凄い勢いで湧き立つ光景や、途中で勢い良く四方に枝分かれするようにして拡散していく様子は、例えるものが見つからないほど圧巻で壮観だった。

 ちなみに、そのときリュードが発動したのは、数ある法術の中でも殺傷能力が最上位クラスに位置する、黒竜王の契約呪印という名の術だった。

 炎が渦巻く様子は見ようによっては竜の鱗のように見え、炎が勢い良く枝分かれしていく様子は竜の頭や手足や尾が伸びて行くように見え、同時に聞こえるおどろおどろしい音は竜の叫びに聞こえることなどからそう名付けられたものだった。

 また別の見方をすれば、稲妻のような特異な形で伸びる猛火の形状が、一本の巨木から四方へ伸びた枝が無数の葉を付けて上方向へ向かって広がっている様子に似ていることなどから、俗に言う地獄の業火、火炎樹を現世に召喚したと受け止められることもあった。


「最初の女にしっぺ返しを食らって、今度は火あぶりでもする気か。今日俺はどうなっていやがるんだ」


 突然出現した巨大な赤黒い炎に照らされながら、ゴルチエは疑り深い目で舌打ちすると、毒を含んだ唾を地面に吐いた。どういう術なのか分からなかったが、ひしひしと伝わってくる熱さと強風の怒号にも似た不気味な音と猛毒を含んでいそうな炎の色からして、かなり危険なものであるに違いないことは分っているつもりだった。


「こりゃやばいな。一難去ってまた一難とはこのことか」


 このような場合、相手はどこかで炎を遠隔操作しているのではと考えて、ゴルチエはいの一番に周辺に目を走らせていた。

 しかしながら、炎の内部か、それとも背後に隠れているのか、それらしい人影を見つけることができなかったことで、諦めよくその場から離れていた。

 その拍子に、どこかに落としたらしく行方不明になっていた銃が偶然目に入り、まだ弾はあと三発残っていた筈だとして拾っていた。


 そのとき、あっさりと退散したことが、どうやら生死の分かれ目となったらしかった。少し遅れて周囲の地面が小刻みに揺れ、亀裂が入ると、地表の下を這ってきた炎がその割れ目から意表を突くようにいきなり噴き上がった。ゴルチエがいたところも例に漏れず、瞬く間に炎の柱が、不気味な音を立てながら幾本も上がっていた。それから見て、ゴルチエはまだ悪運が尽きていないようだった。


 またちょうどその頃、四方を囲んだ壁の周辺でも、慌ただしい動きが密かに見られた。天を衝く勢いで二百ヤード以上の高さまで、地響きを伴い豪快に燃え上がったまがまがしい炎を見るに及んで余程危機感を持ったらしく、正体不明の者達が続々と姿を見せると、今度は総勢二十数名が白ずくめの衣装を晒しながら、上空に向かって両手をかざし、またもや不思議な文言を暗誦した。


「カザレヤ ハウ エマス。生命力の主たるラグスよ、この場に現れ我の壁となれ」


「アデシーレ コルムナ。テオミー パルマ」


「デウス ア ニーマ。インペティーメントゥーム」


「ブドゥ サット ヴァーダ」


 四種類に分かれていたそれらの文言を、彼等は連携して口々に唱えるや、四方の壁の延長線上にあたる上空に、文言の違いにかかわらず、どれもがガラス板のようにも見える巨大で透明な、超現実的な壁が次々と姿を現した。その高さは百数十ヤードほどと、立ち上った炎の高さに比べて物足りなかった。が、距離にして一マイル(1.6キロメートル)以上ある四方の長さを何とか覆うことには成功していた。

 最期にその中の一人が、老練な重低音の声で「デウス ア ニーマ。コンク ルデレ デオ ウンウス」と唱えると、申し合わせたようにそれぞれの壁が密着して水槽の壁のような障壁が出来上がっていた。


 四方の壁の上空に、透明の壁が形作られたそうそう、炎の勢いによってできたての壁が揺らいできしんだ。その途端に、かざした手をそのままに正体不明の者達から、相次いで声が漏れた。

 しかるにそれぞれの内容が、「ああ、もう死にそう」「糞ったれ!」「良い迷惑だわ。もう少し場所をわきまえて欲しいものだわねえ」「無茶する奴だな。このままじゃあ、そう長く持たないぞ」「本当にこんなものを召喚するとはな」「他に何とかならないのか」と云った失望や憤りとも取れる声から、「火には水が常識だろう。なぜそうしない」「馬鹿、馬鹿、馬鹿! あんたって、ほんと単純ね。単純な馬鹿ね」「なぜこんなことをする必要がある」と云ったとんちんかんな声。更には、「これが火炎樹というものなのか? あの冥界に自生するという……」「ああ、まず間違いない。あのような放電現象のような炎の形は極めて特殊だからな」「これが時を超越してあらゆる生き物を焼き殺す極めて特異な炎、輪廻の炎なのか」「ああそうそう、確かあの炎には心を焼き尽くす炎と命を焼き尽くす炎の二通りあった筈だわね。さて、これはどちらの方なのかしら?」「本当に物騒な炎よ。確か、石壁でも金属製の扉でも容易に貫通してしまうという話だったな。ところであの使い手は手加減と云うものを知っておるのだろうな。もし暴走でもされると、あの無尽蔵な炎にこの結界でどれ位持つか心配じゃ」と云った冷静に分析する声であったりと、三者三様であったところを見ると、彼等は発言がことのほか自由な集団、例えば全員が仲間、友人のような関係にあるように思われた。


 一方その頃、あともう少し行けば切り立った壁に至るところまで避難していたゴルチエは、無論その様子に気づいていた。しかもそのとき、あいつ等はきっとグルに違いない。俺を閉じ込めて逃げないようにしておくつもりだな、と悪い方向に受け取っていた。従って、心中穏やかでなかった。覚えていやがれ、きっとこの始末はきっちりつけてやるからな、と悪態をつきながら、さてどうしたものかと自問自答していた。


 地下も地上も空中も、どこへ逃げたってアウトということかい。とんでもない炎だぜ、こいつはよう。このまま逃げたところで、いずれ殺られるのは間違いないな。万事休すということか。

 そう言ったって、壊れた壁の隙間を通ってずらかるのは無いな。

 もしもそうした暁には、尻尾を巻いて逃げ出したと見なされ、俺のメンツが立たなくなる上に俺が俺でなくなる。

 俺はどこへ行っても負け犬のレッテルを貼られ、誰からも物笑いにされて、信用を無くし、相手にされなくなる。終いには一生日陰者の生き方をしなくちゃあならない羽目になっちしまう。

 こりゃ正念場だな。さあてと……


 ゴルチエは、近付いて来る炎を直視しながら「ふん、だがまだ手はあるさ。殺られる前にこっちから行けば良いだけだ」


 などと、開き直りとも取れるセリフをやがて吐くと、勝算があるかのように不敵な笑みを漏らしつつ、前方を見上げて残り時間を確認した。たっぷり七分残っていやがるぜ。

 時を移さずゴルチエは実行に移した。壁の間近まで走り、そこからくるりと方向転換して、轟々と神経を逆なでするような騒音を発しながら勢い良く燃え上がる巨大な炎をじろっとにらみつけるや、その中心を目掛けて、銃を片手に無謀にも突進した。

 と言っても、冷静さはまだ欠いていなかった。馬鹿正直に真っ直ぐに突っ込むことはせずに、前方に見えた炎の柱を避けるように、右へ行ったり左へ行ったりと素早い身のこなしで変則的な動きを繰り返しながら駆けた。

 ところが、そう甘くなかったというべきか、状況を見誤ったというべきか、それ程も迫らない内に、空中を稲妻のように伝播して伸びて来る特異な赤黒い炎に進行を阻まれ、取り囲まれると逃げ場を失っていた。そうして呆気なく捕まり飲み込まれ、銃を撃って抵抗することも悲鳴を上げることもできぬまま、良く目立っていた真っ赤な姿が一瞬の間に跡形も無く消え失せるという予想外のプロセスを辿っていた。


 男が消えた後、その後の経過を観察するためなのかそれは不明だったが、炎は勢力を維持しながら小一分ほど燃え続け、それから収束へ向かった。

 といっても、巨大な炎は、一瞬で掻き消えるように見えなくなっていた。それと共に、それまで周辺に漂っていた高温かつ多量の熱エネルギーが自然の摂理に反して消滅し、元の常温へと戻っていた。

 加えて、地鳴りそっくりなおどろおどろしい騒音が嘘のように止み、元の静寂が訪れていた。

 そして最後の最後に、一つの人影が、威風堂々とした雰囲気を漂わせて、何事も無かったように立っていた。

 中肉中背、剃髪した頭、東洋系の顔立ち、そして青い服装。それらの特徴から、紛れもなくリュードという登録名の男だった。


 リュードは、まるで相手にならないと格の違いをまざまざと見せつけたのにもかかわらず、まだ安心ができないというのか、眼光鋭く辺りをぐるっと一周見渡すと、考え込むように、ほんの暫くじっと立っていた。

 だがようやく腹が決まったのか、男が消えた方角へ、むすっとした顔を向けると、脇目も振らずに歩き出した。

 と言っても、そこには閑散としたからっぽの世界が存在するだけで、男がいた目印になりそうなものは何もなかった。しかも、業火の中心が存在していたところや炎の柱が立ち上っていた地点は、地表が至る所で裂け、地面が波打ったように変形していて、元の地形を留めていなかった。

 従って、向かったとしても、徒労に終わる可能性が大きいと言わざるを得なかった。

 にもかかわらず、リュードは無言で歩を進めると、ある地点までやって来たとき、直感鋭く足を止めていた。

 そのときリュードが目に留めたのは、一ヶ所にかたまるようにして落ちていた融けた金属の塊だった。

 リュードはそれらに直接触れる訳でもなく、立ったまま、サンダル履きの足で軽く触れていた。

 それぞれ、黒くくすんだ鉛色をしていたそれらは、何とか原型を留めていた関係で、短剣、鎖、拳銃の類のなれの果てであるらしかった。但し、それだけでは男の遺留物である根拠はなかった。だが、一緒に落ちていた品が、はっきりそうだと決定づけていた。

 それだけは仄かに真ちゅう色をする金属の塊で、融けて扁平な形になってはいたが、大きさと表面に絵柄が何とか残っていたことから、あのとき男が大事そうに見せびらかした黄金のメダルと見てほぼ間違いなく。

 結局のところ、術の副産物であったところの三千度から一万度あたりまでに達する高熱の影響によって、予想通り男の姿は影も形もなくなっていたが、男が所持していたと思われる貴金属が消滅せずに残っていたことで、ようやくリュードは笑いをかみ殺すように口元を一直線に引き結ぶと、小さく頷いた。こんなものだろう。

 あとは、まだ五分近く残っていた時間が過ぎるのを待つのみだった。

 ところがその間、何もしないで待つのは、彼の几帳面な性格がどうしても許さず。再び歩みを始めた。しかしながら、今度は臨機応変に腕を後ろでゆったりと組み、足が赴くまま、悠然と時間をかけていた。


 ところが、歩き始めて十歩も行かない内に、それは何の前触れもなく、いきなり起こった。

 突然上空から大粒の雨がぱらぱらと降って来たかと思うと、リュードのつるつるの頭と肩口を濡らし、二、三秒後に止んだ。

 ただそれだけのことであった。だがリュードは過敏に反応すると、一瞬歩みを止め、空を一、二秒間じろっと見上げ、辺りを見回した。

 けれど、異常らしいものが何も見られなかったことで、考えすぎかと思いながら、そのまま行きかけたときだった。どこからともなく笑い声が聴こえた。


「えへへ……」


 直ぐにリュードは足を止めて周りを見渡した。が、どこにもそれらしい姿も気配もなかった。


「誰だ!」思わず叫んだ。「どこにいる?」


 その呼び掛けに応えるように、笑いの主が、


「おい、聞こえるか? 俺だ」


 と、例の特徴のあるしわがれ声で応えて来た。間違いなく、今しがた安否を確かめた男の声だった。

 これにはさしものリュードも平常心ではいられず。すぐさま顔色を変えると、再び叫んでいた。


「何だとっ!? 貴様、どこにいる。姿を見せろ!」


「どこにいるっていわれてもよう。俺はあんたのちょうど真ん前にいるんだぜ」


 そう言われてリュードは前方に目をやった。が、男の影も形もなく。さっぱりわけが分からなかった。

 そのときリュードに、焦りと戸惑いの色が初めて浮かんだ。


「嘘をつけ。そんな戯言は訊く耳を持たぬ。直ぐに姿を見せろ」と怒鳴りながら身構えていた。このような場合に良く見られる、不意打ちを恐れてのことだった。


 だがほんの少し、緊迫した空気が流れたのちに、例の馬鹿にしたような笑い声と共に再び男の声がした。


「えへへへ。どうやら、あんたは俺の姿が見えていないようだな。それもしようのないことか。なんたって俺は今しがたあんたに焼き殺されたんだからな。ここにいる俺は肉体を持っていねえんだ。つまり、死んで魂だけになっているらしいんだ」


「嘘つけ!」


「嘘つけって言われたってよう、死んだ人間が嘘をついたって何の得があると言うんだ」


「それが嘘というものだ」


 間を置かずに、リュードは強い調子で反論した。そうして、声がした前方をもう一度凝視した。しかしながら、どこにも男の姿を見つけることができず。リュードの額に、冷汗がうっすらとにじんでいた。


「ま、信じるか信じないかはそっちの勝手だが、俺はあんたの真ん前に浮かんで、あんたをのぞき込んでいるんだぜ」


「馬鹿な」


「馬鹿なと言われてもよう、事実なんだからしょうがないんだ。俺だってこの姿に驚いたくらいだからな」


「ううっ」


 開き直った男の言動に、リュードは「嘘をつくな。そもそもお前を焼き殺した炎は、確かに魂までは滅ぼすことができないが、その代りに魂を浄化する効果がある。一旦浄化された魂は性別、人格、のみならず記憶さえ消失して、物言わぬ空っぽの器と化す。それなのにお前は、死ぬ前と何ら変わっていない。それはどういうことか説明して貰おうか」と言い返してやりたかった。だが男の姿を見つけることができない以上は、何を言っても所詮意味がないからと、ぐっと言葉を飲み込んだ。


「とにかく、何が何だか知らないうちに気が付いたら、この姿になっていてな。と言っても、あんたには魂となったこの俺が見えないだったけな」


 男は益々調子に乗って言って来た。対してリュードは、どう考えても男の話は合点のいくものでなかった。が、この上は相手に合わせて、つけ入る隙を見つける方が先決だとして、努めて冷静に振る舞った。


「当たり前だ、分かり切ったことであろう。そう簡単に見ることができるのなら、今頃気が変になっている」


「ああ、そうかもな」


「ところでなぜ、いつまでもここに留まっているつもりだ。死んだ人間なら当然行くところがあるだろう。なぜそこに行かぬのだ」


「ああそのことね。行かない理由ね。えへへへ。実はな、一度あの世の入り口らしいところまで行ったんだが、あいにくと運が悪い事に、入り口の門が閉まっていてな。仕方がないんで引き返して下を見ると、そしたらあんたが立っているのが分かったもんで、こうしてやって来たという次第だ。

 まっ、安心しな。あんたともう一戦交えるつもりはない。本当は、やりたくってうずうずしてるんだが、あいにくとこの身体には、手も足も付いていなくてな。おまけにあらゆるものを通り抜けてしまうときている。つまり実体がないのさ」


「それでお前はどうしたいのだ」


「そうだな、とにかくこのままでは俺もどうにもならんのでな。またもう一度向こうへ行って見ようか思っているんだ。俺だって、人並みに行くところへ行きたいからな。

 それまでの間、俺の話につき合って貰おうかと思ってる。そもそもあんたは、俺をこんな姿にした張本人なんだからな」


「それで、何を話すつもりだ。悔い改めてざんげでもする気になったか」


「えへへへ、とんでもない。これから話してやるのは、他所ではきけない貴重な裏話だ。マーガレット隊内部の、な。そいつをきけば、あんただって俺に同情するかもな」


「馬鹿な。お前なんぞに誰が同情するものか」


「そう言わずに、とにかく聞きなって。仰天すること間違い無しだぜ」


 男は機嫌良く告げて来た。そのとき不思議にも、金縛りに遭ったときのように、手足が自由に動かせなくなっているのに気付いたリュードは、どうやら拒否できないらしい、とんでもない悪霊に憑りつかれたものだと、ため息を一つつくと、あきらめ顔で立ったまま頷いた。


「話せ、聞いてやる」


「えへへ、そうでなくちゃあな」


 薄気味悪い笑い声と共に、男はいきなりから話し出した。


「俺が組織を抜けてマーガレット隊に入ったのは、別にこれと言った理由はない。それでも何とかこじつけろと言われれば、自然の成り行き、いや運命かもな。

 組織から抜け一旦落ち着き先を捜すにあたって、誰でも考えるように、食い物と金と根城を一先ず確保しなければと思ってよ、できるだけ短期間で高収入が得られる人材募集をあさっていたときだ。全く偶然だったが“命知らず緊急募集”の広告が目に入ってよう、さっそく応募したら速攻で受かってしまったんだ。

 それがマーガレット隊の受け皿になっていた人材派遣会社の募集だったということだ。

 後から知ったことなんだが、あのとき部隊の人間が大量に戦死したんで、急に人手不足に陥っていたらしいんだ。その関係で一先ず頭数を揃えようということになって、どんぶり勘定で緊急募集をかけたみたいで、応じた人間はみんな無審査で全員入隊できたんだ。

 そんなでたらめな募集だったから、案の定、中の待遇の悪い事。幾ら集まった人間が、みんなろくでなしのあんぽんたん野郎だと言ったってよう、民間の会社とはこうも酷いものかとびっくりすわ、感心するわで、慣れるまでしばらく開いた口が塞がらなかったな。

 例えば、表向きあそこは高給待遇となっているが、実際はそうじゃない。何も出ないんだ。無給だ。食い物も一切提供無しだ。着る制服も装備も全て自前だ。

 それならどうして高給待遇と宣伝しているかというと、向こうの言い分はこうだ。

 派遣される先々には、金目のものや金儲けの種がそこら中に転がっている。後はもう分かるだろう。ちょっと頭を使って考えれば済むことだとぬかしやがったんだ。

 つまり早い話、報酬は追いはぎでも何でもして、自己責任で好きなだけ現地調達しろということだったんだ。

 しかも旨い具合に、俺達の周辺には、高利貸しと質屋と何でも屋と悪徳医者と奴隷業者と薬の売人が六組セットになって入り込んでいやがって、俺達が稼いだ金品をハゲタカのように奪い取っていくシステムがきっちり出来上がっていて、俺達はいつまで経ってもその日暮らしで、マーガレット隊を辞められないようになっているんだ。

 他にも、休暇は死んでから幾らでも取れっていわれているし、もちろん危険手当は皆目無いし。怪我をしたって病気になったって全部自己責任だ。どこも面倒をみてくれやしねえ。

 ま、そんなブラックなところだが、住めば天国というか、慣れとは恐ろしいもので、一ヶ月もいる内に、俺にとってはとてつもなく居心地が良くなってきてな、今に至っているということよ。

 結局は、結果さえきっちり出せば、その途中経過なんて一切関係なしに、何をしたって自由という環境が俺に合っていたんだと思うな。

 あんたに話すのを忘れていたが、ここへは休暇を貰ってやって来たんだ。マーガレット隊は申請したって休暇は絶対くれないが、ただ一つ例外があって、ちょいとやり過ぎると、ほとぼりが冷めるまで休みを強制的にくれるんだ。

 ここへやって来た目的は、さっきも訊いたように、あのロザリオだ。この基地であの悪名高い奴等と出会えるという噂を聞きつけて、いてもたってもいられなくなって、のこのことやって来たというわけだ。

 あんたにはこの気持ちが分かるかどうかは知らねえが、死んでも良いから一度お手合わせ願おうと思ってな」


「それで終わりか?」


「ああ」


「満足したか?」


「ああ」


 男の返事に、リュードは露骨に嫌な顔をした。

 話すだけ話せば、あちらの世界に行くだろう。そして身体の束縛が解けるだろうと見ていたのに、そうならなかったからだった。こいつめ、まだこの世に未練があるのか。

 また同時に、本当に奴は死んだのか、実は生きているのでは。そんな疑問がちらりと頭を横切った。が、まさかそんなことは絶対有り得ないことだ、と直ぐに否定していた。


「それならこちらから聞きたい」リュードは釈然としない顔で尋ねた。


「何だ、言って見ろ」


「そのようなことを、なぜ私に話す気になった?」


「そうさなあ、普段から話す機会がないからかな。あ、それと、俺自身が普段から話好きであることからかな」


 ふんとリュードは鼻先で笑うと、まだ話足りないのならと、話を振った。


「それでは、なぜ協会を脱退した?」


「どちらのだ?」


「我が世界導師協会だ」


「ああ、そのこと」男はこともなげに応えて来た。「そうさなあ、あんたも知ってるように、協会の階級制度が俺自身に合わなかったということかな。

 いつだって俺は、上の階級の奴とどういうわけかそりが合わなくなっていくんだ。終いにはけんかばかりしていたな。

 でも階級が下だからっていうことで、いつだって俺が悪いことになって、その度に罰として能力を封じられた上で、見知らぬ土地で強制労働させられたり、躾と称して俺より小物の家へ下働きに行かせられたり、遊園施設や保育施設へ派遣されては、ガキ共のご機嫌取りをさせられていたんだ。

 それが若い頃から何度も続いたもんだから、毎日がうっとうしくてよう、いつももやもやしていたんだ。

 そしてこれが一番決定的だったんだが、あるとき、次にやったら更生施設へ送ると脅されたんだ。あそこに送られることは、ロボットのような人格になって戻って来るという噂があるくらい、もろに地獄行の宣告だからな。それで協会にいるのがとうとう嫌になって、どうにかして抜けたいと思っていたところに入れ知恵をしてきたダチがいてな、そいつの話にのって友好関係にあるもう一つの協会へ移ったという訳だ。

 そいつの話だと、あそこは実力さえあれば好き放題できる面白いところだということだったが、いざ入ってみるとそういう訳でもなかったな。あそこは規律が激しくて自由がないんだ。それで自然とまた抜けたくなってよう。そうして最後に流れ着いたのがマーガレット隊というわけだ。

 結局、俺は好きなことをやっているのが性に合っているらしい」


 最後にそううそぶいて話を締めくくった男に、リュードは冷笑すると、更に尋ねた。


「よくあそこから退会できたものだな。あそこは確か、我が協会より厳しい鉄の掟があった筈だが」


「えへへへ」即座に、例の笑い声が起こった。「ああそのことね」


 リュードは心の中でニヤッと微笑んだ。

 男が話す間、リュードは何もしないで、ただ聞き役に回っていたのではなかった。これも駆け引きの内だと、その間を利用して、身体の自由が利かない身で声がする方向を眺めては、慎重に相手の動向をうかがい、例え相手が見えなくても、肉体を持たない存在であっても通用する術を吟味していた。

 そして、次に男が話し始めたときがチャンスだと、話を振ったのだった。

 案の定、男は図に乗って話し出した。


「意外と簡単だったぜ。実はな、先ほどあんたに使った手を使ったんだ」


 だが次の瞬間、太い針が刺さったのかと思うくらいの鋭い痛みがリュードの首筋に走った。次いで頭にも激痛が起こった。意識を失いそうなくらいの耐え難い痛みに、リュードは思わずうめいた。


「ううううっ」自然と息が荒くなった。


 その耳元に、例の男の声が出し抜けに響いた。


「よう、旦那。どうだい、大丈夫か?」


 その声は小馬鹿にしたように笑っていた。リュードは一体何が起こったのか理由が分からず、歯をかみしめて痛みを我慢しながら、声を絞り出して叫んだ。


「き、貴様、何をした!」


「ちょっと準備をさせて貰ったんだ」


「……」


 リュードはますます理由が分からず、血の気の引いた顔で立ち尽くした。なぜか身体の震えが止まらなかった。そこへ、またもや陽気な男の声が響いた。


「俺はここには長居するつもりはないのでね。悪いがここいらで終わりにしようかと思ってな。もう直ぐあんたと俺が入れ替わるのさ。俺が生き返ってあんたが死ぬんだ。命あってこそと思って、引き分けでも上等だと思っていたが、ここまで上手くいくとはな。うれしい誤算だぜ」


 その言葉に、リュードは一瞬放心した。それを尻目に、男の言葉が尚も続いた。


「ちょいとネタ晴らしをしてやると、俺は死んじゃあいねえのさ」


「そんな馬鹿な。お前は魂だけになっていると……」


「馬鹿か、てめえ。嘘に決まっているだろうが」


「おのれっ。ならば、焼け死んだのは誰だ!」


「ああ、あれか? あれは正真正銘の俺だ、生身の俺自身だ」


「すると、灰から復活したと?」


「かいかぶりし過ぎだぜ。この俺が、そんな奇跡を起こせるわけがないだろうがよ」


「ではここで喋っているお前は何だ。お前は二人いたということか?」


「おい、それは飛躍し過ぎというもんだ。とっておきの切り札を使ったのよ。いわばトカゲの尻尾切りみたいなもんだ。

 あんたの炎があの後もしつこく燃え続けたときには、さすがの俺ももうこれまでかとハラハラしたぜ。でもまあ、あの辺で諦めてくれたおかげで、助かったんだ」


 男のその言葉で、男に実体があることをようやく理解したリュードは、明らかに有利なはずなのに、中々姿を現さない男にいらついたように呼び掛けた。


「それなら、貴様。どこにいる、どこから話している!」


「あんたのすぐ隣だ。そうだな、耳元あたりか」


「すると、あのとき憑りついたのか?」重度の頭痛がする頭で、リュードは精一杯訊いた。


「ああ、その通り」


「あの雨がそうだったのか?」


「いや、あれは何でもない水だ。壁の隅に大きな水たまりができていたので、それを使わせて貰ったのよ。その後、あんたは気を抜いただろう。そこにつけ込んだってわけだ」


 スラスラと応えてきたその言葉には淀みが無く、本当のことを男が言っているのにほぼ違いないと思われ。そうと分かれば話は簡単だと、時を移さずリュードは地面に転がり、身体のどこかに憑りついた男を追い払ってやろうと、わざと倒れ込もうとした。だが、両足の感覚がいつの間にか無くなっており、ピクリとも動かなかった。こんな金縛りぐらい、なぜ解けぬ!

 唇をかみしめて悔しさを露わにしたリュードの蒼白な顔から脂汗がたらたらと流れ落ちた。焦る気持ちがそうさせていた。そのような場の空気を弄ぶように、男は一笑すると付け加えた。


「それにしたって、あんたの能力には正直驚いたぜ。あんたは相当な使い手だな。普通なら、俺なんか足元にも及ばねえところだ。ところが今日に限って言えば、あんたには運もツキもなかったようだな。

 ま、俺も忙しい身なんでね。そういうことで、おさらばだ。楽しかったぜ。あばよ、旦那!」


 突然の最後通告とも受け取れた男の発言に、怒りに身を震わせたリュードは、まるで身体中の精気が吸い取られているかのようで、今にも意識が遠のきそうなのを、気力を振り絞り何とか踏みとどまると、精一杯の声で叫んだ。


「お、おい、待て!」


 うぬぼれおって。舐めるなよ。早く姿を見せろ。直ぐにでも殺してやる。

 だがそこまでだった。そんな思いをよそに、イラつくような男の乱暴な声が聞こえた。


「本当に七面倒くさい野郎だぜ。もう手遅れなんだよ。もはやあんたはこの俺の抜け殻なのだからな」


 その直後に肉が裂ける音がした。余りの激痛に、リュードは苦しそうに喘ぐと、おう吐した。多量の赤い物が胃液に混ざって放出された。

 瞬間リュードは、反撃の一つもできそうにないことに、もはやこれまでかと、眉間にしわを寄せ目は虚空をにらんだ無念の表情で、ついに意識を無くしていた。

 その途端、足から崩れるようにしてリュードの身体が前のめりに倒れ、瞬く間に衣服から露出した頭や手足が、生気を失いミイラのように干からびると、死者の色である土色に変化。もはや微動だにしなかった。


 それから間もなく、息絶えて無残な姿となったリュードと入れ替わりに、何も身に着けていない痩せ細った人影が、したり顔でぽつんと立っていた。

 両方の眼をぎらつかせ、薄気味悪い笑みを半開きの口元に満面にたたえたゴルチエで。決着は時間ぎりぎりに、静かについていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る