第39話

「まだ始まってもおらぬのに、そう殺気をばらまかないでくれぬか」


 異様な緊張感の中、メイクで無頼な風に装った上に全身黒ずくめの格好をしたソランに向かって、およそ四、五十ヤードぐらいの距離をおいて立っていた人物が、開口一番に呼び掛けて来た。

 ソランはその遠慮のない申し入れに、自然と眉をひそめた。

 ほとんど禿げ上がった頭。高齢者に良く見られる、やや下膨れ気味のふくよかな顔。白い眉。あごから四インチほど伸びた白いひげ。洋梨体型の見かけから、声を掛けて来たのは、年の頃は六、七十歳くらいかと思える老人だった。老人は、それほど背は高くなく。中東地域の出身なのか晒し木綿色のクルターとズボンを身に着けていた。


「なあ、ええとアバドンと言ったかな。ま、よろしく頼むわ」


 気安くそう言うと老人は、人懐っこい目で愛想笑いをした。その表情は、どこにでもいる人柄の良いおじいさんのように見えた。

 けれどもソランにはそう映らなかった。一目でこれは侮れない相手と見て、真剣な眼差しを老人に送っていた。

 それというのも、目の前に立つ老人は、三十名近くが例の廃墟の建物から脱出を図った際、そのリーダー的役割を演じた人物だったからだった。あのような展開になったのは、全てこの老人の指図通り動いた結果と言えた。

 その結果が余りに衝撃的であったため、老人が言った、


「皆の衆、わしに旨い考えがある。わしの言う通りに動いてくれればここから上手く脱出させて見せよう。どうだな、乗る気はないか?」「疑う奴は見ているだけで結構。へたに騒動を起こされては後々面倒なのでな。それと、自分達で何とかするという者は、止めはしない。好き勝手にやってくれて構わん。但しわしの邪魔はして貰っては困る。その時はそれ相応の処置をさせて貰う」から「共闘はここでお終いじゃ。あとは勝手にするが良い。ここからは、誰が先にゴール地点まで辿り着けるかお互いに競争だ」までの文言の一語一語を不思議と忘れずに覚えているほどだった。しかもその手並みの良さと統率力は完璧で、どう見てもただ者とは思えなかった。

 そのような人物を目の前にして警戒するなという方が無理なことだった。


 話し掛けて来た老人をわざと意識して無視するように、ソランはざっと周りを見回した。

 不用意に老人と目を合わせて老人の術中にはまってはと危惧してのことだった。

 あのとき煙幕が張られた状況下でのことであったため、単なる傍観者であったソランにははっきりとした確証はなかったが、廃墟の建物に侵攻してきた完全武装の兵士をこの老人は手を触れること無しに動けなくして身体の自由を奪うと、次から次へと操り人形のようにしていったように見えたのは、瞬間催眠のような不思議な力を使ったのではと疑っていた。よってそれを警戒していたのである。

 ほぼ中央付近に、二人は立っていた。それぞれの足元から影が長く伸びていた。その辺りの地面はほぼ平坦だったが、その代りに、前の戦闘の爪痕で、それ以外の所々に深い亀裂が走っていた。もしも万が一、不用意に落ちたり、足を取られたりすれば、直ぐに勝負がついてしまいそうだった。


 ソランは、引き分けに持ち込んだ相手が次の出場を棄権したことで、事実上勝ち抜けたことになり、ここへやって来ていた。つまり、後一つ勝てば八百万ドルという大金を確実に獲得できるところまできていた。それならうれしい筈だったが、怖い眼差しで口元を真一文字に結ぶ、不機嫌そのものといった険しい表情で姿を現していた。

 不機嫌の原因は、つい先ほど戦ったピョートル・バシリコフという名の男のせいだった。

 残念ながら男と時間切れの引き分けになりはしたが、ともかく一戦を終えたソランは、取るものもとりあえずパトリシアが待つ部屋へ向かった。男が喋ったことをそのまま伝えに行くためだった。

 ところが部屋に到着すると爆発も何も起こっていなかった。中に入ると、パトリシア本人がにこやかに出迎えてくれた。彼女は無事だった。それでソランは、男から聞いた話を彼女にした。


「強力な爆発物がこの部屋のどこかに仕掛けてあります。僕と対戦した、よう兵養成学校の教師をしているという男から直接聞いた話です。シート爆弾で、無線で起爆させるみたいです。全部で五ヶ所仕掛けてあると言っていました」


 それから万全を期すため、二人で室内を一緒に探してみた。だが結局、何も出てこなかった。

 そのあとパトリシアから言われたのは、感謝の言葉「心配してくれてありがとう」と、戒めの言葉「でも何も見つからないということはどうやら相手に旨く手玉に取られたようね。いい! ソラン君。緊迫した場面では決して相手を信じちゃだめよ。心して疑ってかからなくちゃあね」と、慰めの言葉「良い勉強になったわね」だった。

 そんな彼女の話を、ソランはいたたまれない気持ちで黙って聞いていた。そうして、自分を欺いた男への恨みと憎しみを募らせた結果、もう二度とだまされない。相手の言いなりにならないとの決意を固めていた。

 そのような人を強く警戒する感情が、鬼気迫る雰囲気を生み出していたのだった。


 既に対峙していた二人は、あとは時間が来るのを待つのみとなっていた。そのとき風はぴたりと止まっていた。

 老人はソランにそのような印象を与えていると全然気付いていない様子で、片方の手の指で白いひげをゆっくりと撫で回しながら尚も話し掛けて来た。


「わしは訳あって人捜しをしておってのう。その者だけに用があるのだが、あんたは本当にロザリオと縁がある者かのう?」


 柔和な笑顔で目を細めて告げてきた老人に、ソランは冷徹な疑いの視線を向けると、乱暴に言い放った。


「それを聞いてどうする!」


「実は訳あってそのロザリオの関係者と一戦交えるよう命令されておるのだ。もしあんたがそうでないと言ってくれたら、わしも安心してあんたを殺さずに済むと思って、こうして聞いておるのだ」


「そうか」ソランは憮然とした態度で応えた。


「で、あんたの返事はどちらの方かのう?」


「すまないがわけがあって返事ができない。ノーコメントにさせて貰う」


「ああ、そうかい。言いたくないと」老人は白い眉をやや斜めに立てると続けた。


「実はのう、わしはロザリオの関係者を殺れと頼まれたのはいいが、その当人の名も性別も特徴も教えて貰っておらぬのだ。例えあんたがそうであったとしても違うと言ってくれたらそれでもいいと思っておる。わしとて無益な戦いはしたくないのでな」


「すまないが……」


 不愛想に返したソランのそのような対応に、老人はさして表情を変えずに、穏やかな口調で言って来た。


「ああ、分かっておる、賞金のことだろう? その時は山分けすることでどうだろうな。お互いが痛い目をせずに金が半分ずつであるが手に入る方法を伝授しよう。そちら側もお得だと思うが?」


 やはりそう来たかとソランは直感した。だまされないぞ、と直ちに突っぱねた。


「いや、残念だがその話は素直に飲めない。戦いの場での人の涙と甘い誘いは断じて信じるなと教えられているんでね。また老人・子供・女が言うことも聞くなとな」


「ふむ、それは参ったのう……」老人は少し考え込むように首を傾げると言った。


「確かにあんたの言うことはもっともだ。だが見たところ、あんたはどこか無理をしてここに出て来ているような気が、思い過ごしかも知れんが思えてのう。それでこういう相談を持ち掛けて見たのだが、そう言われてはのう。後悔は先に立たずというが、それでも敢えてやるというのだな?」


「ああ、悪いが」


「ふむ、もう一度聞くが話し合いはこれで決別したと考えていいのだな?」


「ああ、そういうことだ」ソランは小さく頷いた。


「ふーむ、それなら最後に一つ聞いておこう。あんたは何という名で呼ばれておるのかな? あ、これは失礼した。わしの自己紹介がまだであったな。わしの名はアリスト・エルミテレス。登録名はエルミテレスとなっておるが普段の呼び名は単にアリストと呼ばれておる。あんたは?」


「俺は登録名の通りアバドンだ。この名が通り名だ!」


「ふむ、承知した。では直ぐにでも始めるとしようかのう、アバドンとやら」


 言葉によるかけ引きはそこで途絶えた。それからお互いに無言で立つ内に時間が経ち、運命の時がいよいよやって来た。

 老人を瞬間催眠の達人と疑ってかなり神経質になっていたソランは、あのときの兵士達の二の舞になりたくないと、できるだけ老人と目を合わさないようにしながら、一先ず様子見がてら、胸の前で身構えた右手に三本のナイフをちらつかせ、腰の後ろに回した左手に同じく三本のナイフを隠し持つ態勢で受けて立つ構えを取った。

 一方老人は、そのような回りくどい作戦を仕掛けて来る気配は微塵もなかった。開始早々、虫も殺さぬような顔つきと柔らかい物腰から一変。人殺しもいとわない真剣な眼差しで悠然と一歩、二歩と前に進むと突然走り出し、近接戦闘を正々堂々と仕掛けて来た。


(ロザリオとはいかなるものか、先ずその手並み拝見させて貰うぞ)


 それほど格好が良いと思えない体つきでありながら、土ぼこりを立てて一直線に突進してきた老人の動きは中々素早く。途中の地表の裂け目も、何ら問題なく、ひょいと軽快に跳び越えると、ふたりはいきなりぶつかり合った。

 直後、老人の素手による打撃が唸りを上げてソランを襲う。対するソランは、ジャケットスーツやズボンに装備したホルスターに余分なナイフを収めると、両手にナイフを一本ずつ持ち対応した。

 ソランのナイフが厚みのある鉄板を貫通する威力なら、サイコキネシス能力で鋼の域まで高めた老人の両方の大きな握り拳は鉄筋コンクリートの建物を解体する鉄球と同様の硬度と破壊力があった。

 たちまち、ナイフと拳が空振りしたときの空気を引き裂く音と、両方が重なり合ったときの金属音が交互に響いた。まさに迫力に満ちた戦いだった。

 しかし老人の拳圧の方があいにくとナイフより勝っていた関係で、直にナイフの方が拳の勢いに負けると吹き飛ばされた。だが後退して距離を取ったのは老人のほうだった。そのとき老人の衣装の片方の袖口が引き裂かれ、赤い鮮血が水煙のように散っていた。

 見れば、ナイフが吹き飛ばされた方のソランの腕が鉤爪に変わっていた。ソランはとっさに腕を変化させて反撃していたのだった。


「やはり歯が立たなかったか。相手がターゲットなら仕方あるまい」


 まだ余裕たっぷりにそうぼやいた老人は拳から肘にかけて手傷を負っていた。だが彼にとってそれらは単なる肩慣らしでしかなかった。その証拠に、傷口は何もなかったかのように直ぐにふさがり、見えなくなっていた。

 一先ず退散して間を置いた老人は、小細工なしに一気に決める腹積もりで、自身の十八番の中から技を出す支度に入った。


「マンジュシャッハ。現われ出よ、マガフ!」


 その言葉に呼応するように、成牛ぐらいの大きさで、ナマコ或いは極端に言えば棘が付いたロールパンのような姿形をした、目も鼻も口も手足もない不思議なものが全部で四個体、身体の表面を裸電球のように発光させながら老人の目の前に現れた。そのうちの二個体は地面にあったが、残りは明らかに空中に浮かんでいた。これこそ老人が自身の能力を使って前もって造っておいた特殊爆弾で、空洞になっていた内部には自然界の電気エネルギーがプラズマ状態で蓄積されており、衝突した反動で内部のエネルギーが放出される仕組みになっていた。


 そういうわけで、自信満々に老人が「行け!」と、半端でない目力で命令を下すや、四個体は空中を音もなく滑るように進みソランの方へ向かうと、彼を取り囲むように一斉に上空を旋回し始めた。それぞれの個体の表面が白く光って残像を残しながら飛行していたことなどから、その光景はさながら未確認飛行物体を見ているようだった。

 だがしかし、そのような行動も、ほんのわずかな時間の間だった。直ぐに順次軌道から離れると、一旦遠方へと去り、四方から挟み撃ちをする形で、身構えたソランの方へ、ライフルの弾丸より遥かに速いマッハ八を超えるスピードで向かうと、見る間にそれぞれの個体がキーンと残響を響かせながらソランが立つ地点へ前後左右から突入した。そのとき、周りが眩しく光り輝いたかと思うと、大きな破裂音と共にどす黒い土煙が舞い上がった。大容量の電流が高熱を伴いながら地表に流れた瞬間だった。その衝撃で、先の試合でコンクリートのように硬くなっていた地面が軽く削り取られ、おとな二十人ぐらいはいっぺんにすっぽり入るほどの大きな穴ができていた。もし普通に食らったなら、一瞬で身体がばらばらになっていたか、蒸発して跡形もなく消え去ったかのどちらかの筈だった。


 だがそのような衝撃的な出来事が落ち着いた頃、立ち上った四つの黒煙の狭間に背筋を伸ばして堂々と立つ、人影のようなものがちらりと一瞬見えた。それが夢幻でなかった証拠に、その人影のようなものがあっという間にそこからかき消えたと同時に、二本のナイフが飛び出した。更に別方向からも同じく出現した。そのこと自体は、まさに相手が生きていた証と言えた。

 これにはさしもの老人も、信じられないという風な目で、驚き感心して一瞬呆然と立ち尽くした。それぞれの個体が次々と自爆した瞬間、自身さえ遥か後方に避難していたぐらい、その破壊力の凄さを見知っていたからだった。

 だが頭の切り替えは早かった。直ぐに、そんな馬鹿な、訳が分からないから、開き直った苦笑いの顔に変わると、詰め寄ってきた各ナイフのスピードと軌道を持ち前のサイコキネシスの能力で変更して受け流していた。


 ちょうどその瞬間、ソランは駆けながら老人の側面へ回り込もうとしていた。

 それまでのいきさつから考えて、白兵戦では勝ち目がありそうと見たからだった。

 予め実戦演習で学習していた、上空から攻撃を受けた場合の対処法通りに行動した結果、あの大爆発でもかすり傷一つ負っていなかった。

 そのときは、相手をできるだけ引きつけた上で、魔物の翼そっくりな黒い翼を一瞬出して地面スレスレを後ろ向きで飛行すると、壁のすぐ傍まで一旦遠ざかって爆発を間一髪かわし、相手の意表を突く意味で、再び同じ地点へ舞い戻るという離れ業を演じていた。


 敵の懐まで入り近接戦に持ち込もうとしたソランに対し、直ぐにそれに気付いた老人は、慌てず不敵な笑みを浮かべると、すぐさま対応策に打って出た。

 相手の前方に両手をかざすと、気合いを込めた口調で、ある文言を一気に口にした。


「ステラマーヤー!」


 その瞬間、差し出した両手の前方に赤い閃光が連続的にほとばしると、機銃掃射をしたときのように、凄い勢いで地表を穿ちながら土砂を吹き飛ばし、周辺に白い爆煙を宙に立ち昇らせた。


「これぐらいのことでやられて貰っては困るぞ」


 無論、間近まで来ていたソランがそれに気付かぬ筈はなく。直線的に駆けていた足取りを咄嗟に急停止すると、迂回行動を取って攻撃を避けながら一時後退した。

 ともかくもかようにして相手の接近を阻止した老人は、すぐさまその機を利用すると次の行動へと移った。突然、灰色の煙が老人の周囲から多量に湧き上がると、煙幕となって辺りへ拡がった。

 その間に老人は大地を一気に蹴ると、二、三十数ヤードの高さまで跳び上がり、その地点に浮かんだ状態で、


「たった一人のためにこのようなものを見せなければならないとはのう。気がひけるが、相手が相手なら仕方あるまい」等と、ひとり言を吐きながら、片手で印を結び、一筋の長い文言を淡々と唱えた。


「キバラクサンサン シュトラ デモネスト、デハル サラサラ オンバサラ シュトラ マーヤ デウデウ パーラガテー、ブドゥ ポーラースピアー。悠久の時をこえ現世に現れ出でよ、神器ヴァジュラ」


 総じて神秘的な力というものは、唱える文言が長いほど、複雑な工程や段階を踏むほど、時期や環境や状況に左右されたり制限されたりするほど、相当な体力や対価を必要とするほど、その威力は大きいと相場が決まっていたが、老人の術もそれに違わないようだった。


 果たして、その文言が終わるや否や、何の前触れもなく千フィート(約300メートル)内外の上空で、雷光と共に雷鳴が轟いた。それと同じくして、赤く染まりかけていた空にぶ厚い濃灰色の雲が突然垂れ込めると、一転して今にも嵐が来そうな雲行きと化した。そして、巨大な円柱の柱のようなものが全部で四本、黄金色に輝きながら、空の雲の中からゆっくりと姿を現わした。綺麗に菱形に並んでいたそれらは、ロケットのように先端が尖り、その周囲に電気が発生しているのか雷の稲光のような放電現象が起こっていた。


 従ってソランも、薄暗くなった周りの変化に反応するように一旦は空に注意を向け、何が起こりつつあるのか目を光らせた。

 だがしかし、それらの現象は、二人が対峙していた箱状の場所の上空だけで見られるらしかったことで、単なる幻であるのか、それとも現実なのかの区別がはっきりとつかなかったこともあり、一先ずは老人を探すことに重きを置いた。

 即刻、煙幕の煙が濃い地点に向かって、闇雲にナイフを何度も投げつけた。裏をかいて煙の中に潜んでいるのではないかと疑ってのことだった。だが五秒も経たぬ内に、あれだけ視界を遮っていた煙幕があっという間に晴れたとき、その跡には老人がいた兆しすら見つけることができなかった。

 そのときになって、ようやくソランは、上空の様子とこつ然と消えた老人のことを考え併せて、何となく嫌な予感を覚えた。


 ちょうどその頃、遥か上空からであったため、ソランには知る由もなかったが、老人の声がどこからともなく響いていた。


「フォッサノータ イム トールスロイ ヴァーテブラス」


 老人のその文言が終わるや否や、雲の隙間から、多量の火の玉、火球と見られるものが出現すると、七色の光の尾を引きながら、下へと落ちていった。

 その光景は何とも幻想的で、あたかもキラキラ光りながら夜空を流れ落ちる流星群を見ているかのようだった。

 だが実際のところ、傍で見ているのと現実に体験することでは大違いで。空から無数に降って来たものは、地表に落下するや否や、大きな衝突音を残して見る間に粉々に壊れると、辺り一面に火の粉を撒き散らして、そこら中を火の海に変えていった。

 またそれだけに留まらず、火の粉は燃えながら至る所でくすぶり、立ち上った黒い噴煙は辺りを益々暗くしていった。その光景は、少し前に構内に拡がった黒煙に匹敵するもので。視界がほとんど利かない状態と化していた。


 その中ソランは、雨あられと降り注いで来た火球を、このままではいずれ怪我をする。どうにかしなければと即断すると、一転して立ち止まり、鉤爪に変化させた両手で払いのける動作を繰り返してその場をしのいでいた。

 しかしながら、地表に落下した火の玉の残骸によって辺りが暗くなっていくことだけはどうすることもできず。ただ傍観するだけになっていた。


 ソランが火の玉に気を取られ防戦一方となっている頃、事態は老人の思惑通りに進んでいた。雲から突き出ていた四本の円柱状のものが、菱形状の形を維持しながら東西南北の方向へ静かに拡がるように移動していくと、有る地点まで達してピタリと止まった。そして準備が整ったのか、またしてもどこからか老人の声が響いた。


「フォッサノータ ヒム バラーレ ブラキウムス」


 その文言が終わるか終らぬ内に、ソランが予想だにしていなかったことが再び起こった。巨大な円柱状の物体が一斉に垂直落下して来ると、地表に衝突したのだ。

 巨大な円柱状の物体の正体は、両端が鋭利に尖る、全長が四百フィート(約120メートル)ぐらいもあるロッドで。衝突した瞬間、落雷に似た耳がつんざくような轟音と共に、周りが一瞬だけ明るく輝き、大爆発が起こった。地表が大きく揺れ、黒煙が上空の雲の高さまで達するくらいまで一気に吹き上がった。

 そのときソランは、余りに不意であったため、頭の中が真っ白になり、一瞬ひるんで立ち尽くした。もう何もかも分からなくなっていた。そんなソランを、漆黒の闇が瞬く間に呑み込んでいた。


 それから間もなくして、大粒の雨が叩きつけるように凄まじく降った。やがて雨が短時間で止むと、一気にからっとした陽気となり、上空を覆っていたぶ厚い雲が消え、淡いオレンジ色をした空が覗いていた。

 その頃には、良くできているというべきか、降った雨の影響によって、立ち上った噴煙と土煙が見事に収まり、闇夜のようになっていた構内が、はっきりと見通しが利くようになっていた。

 そして、地表の四ヶ所に、直径が百(30.5メートル)から百五十フィート(45.8メートル)ぐらいはありそうで、深さがどれほどあるのか分からない、とてつもなく深い穴が目立つように穿たれており。その周辺には、爆発によって降り積もった土砂の山が幾つもできていた。

 そのようなところへ、少しくぐもっていたものの、老人の歯切れのいい声が響いた。


「所詮は模造品、一回撃てば終わりの使い捨て方式とはいえ、太古に巨人や魔人を狩る為に使われた武器とやり合っては、さすがにロザリオのメンバーとてひとたまりもなかろうて」


 すっかり荒廃した世界と化していた構内の一角に、周りの風景と同系の色をした、身の丈三十六フィートはありそうな人型ロボットが、ぽつんと立っていた。

 岩を切り出して造ったような外観にずんぐりむっくりとしたその体型は、広義的な意味で、巨大人型兵器ゴーレムの一種と考えられ。その声はその体内から漏れ出ていた。

 

 ゴーレムは、先ほどから大きな図体の割に機敏に動くと、辺りをきょろきょろと見て回っていた。

 実はゴーレムは、広い地域や険しい場所を老人が移動する際に、便宜上乗り物代わりに使っていたもので、そのときは相手が時間までに見つからない恐れは大いにあったが、ともかくも探すだけ探そうと決めて使っていた。


「勝利の法則とは、相手に反撃を許さず先手を取り続けることだと、古人も味なことを言ったものだが、こうも旨くはまるとはのう」


 そのようなことを、老人がひとり呑気に口にしながら相手を捜索していた頃、ソランはというと、爆発の直撃は運良く避けていたが、爆発で生じた衝撃波並びに、高出力の熱・運動エネルギーによって巻き上がった土砂と共に空高く吹き飛ばされて気を失うと、多量の土砂と共に地表に落ちて、その下敷きになって埋もれていた。

 着ていた黒ずくめの服は、その際にボロボロの状態になっており。また、服から露出していた部分は、どこも炭のように真っ黒で、その一部は流れ出た血でにじんでいた。そして、あたかも死んでいるかのように、ピクリとも動いていなかった。

 その状態で老人に発見されれば、即刻一巻の終わりなのは明らかで。といって、逆に発見されなくても時間がくれば、敗北は確定と言えた。


 だがそうはいっても、ソランはまだ生きていた。意識がなく息もしていなかったが、まだ蘇生する余地がある仮死状態という形で。

 その頃彼の精神は、潜在意識によって完全支配され、臨死体験のような不思議な経験をしていた。

 そのときの彼は、いつの間にか知らぬ間に、視野が開けた場所にいた。良く見れば、どうやら一段高い丘のようなところに、たった一人で立っているようで。三百六十度、どこを見渡しても、目の前に緑の草原が広がっているのみで、それ以外何もないところと言って良かった。

 何気なく見回すと、空は晴れていて青空で、その中を白い雲がゆっくり流れていた。また、心地の良いさわやかな風が吹いていた。ぼんやりしていると、知らない内に時間が過ぎてしまいそうな、うららかな日和と言えた。

 そのような中、ソランは焦りの色を顔に忍ばせながら、遥か彼方の一方向へ目を向けると、そこへ向かってちゅうちょ無く歩き出した。早く元の世界へ戻らないと。このままでは負けてしまう。

 彼の視線の先には、地上から天へ向かって伸びている、何の変哲もない虹の橋があった。虹には白い雲がかかっていた。ただそれだけだった。

 すると、それほども行かない内に、瞬間移動でもしたかのように、虹が地上にかかる地点へとやって来ていた。

 そこでもソランは、全く立ち止まることなく先へ進むと、何かに憑りつかれたような眼差しで、迷うことなく虹の中へと立ち入って行った。途端に、彼の身体が宙に浮き、虹の橋の中を、エスカレーターに乗って進むがごとく、自動的に昇って行った。

 ソランはここへ来たのは初めてではなかった。眠っている最中に全くの偶然であったが何度か迷い込んだことがあり、どのようにすれば元の世界へ戻れるか見知っていた。

 やがて彼は、宙に浮かんだ状態で虹から出ると、何もない雲の上を進んでいた。ほんのり明るい周辺には白いもやか霧のようなものが薄っすらとかかり、しんとしていて物音一つしなかった。まさに沈黙の世界だった。

 そうして更に行くと、何も無かった行く手に、白っぽい巨大な建築物が、何の前触れもなく複数現れた。

 いずれも、樹齢数千年を経た大木といった感じのする太い円柱の柱で、回廊のように列をなして天高くそびえ立ち、その壮大な眺めから、何となく近寄りがたい神聖な雰囲気を漂わせていた。

 ところがソランはほっと一息つくと、やや緊張した表情をしていたものの、その中へと足を踏み入れた。あともう少しだ。

 その内部は、清らかな青白い光で満ちていた。しかも身を刺すような冷気と恐ろしいほどの沈黙が支配しており、ある意味、そこだけ時間が止まっている、もしくは心が研ぎ澄まされるような雰囲気を醸し出していた。

 また下の方もそれまでの雲の地面でなく、表面が照り輝く黒っぽい石板がいつの間にか敷き詰められており。その上を歩きながら、ソランは周囲に目を配っていた。確かこの辺りだった筈なんだが。


 すると直後に「テオか?」と呼びかける声が、静まり返った空間に響いた。透き通るような男の声で、しかも高い位置から聴こえたことに、ソランは慌てて立ち止まると、きょろきょろと周りをうかがい、


「あ、はい。僕です、テオドール・レノンです」と、本名を言って返事を返していた。あの方だ、間違いない。


 次の瞬間、厳かな薄灯りに包まれていた空間が一気に明るくなり、それまで目の前に見えていた居並んだ柱が消え、辺りが開けたようになった。

 すると三百フィートほど離れた地点に、乳白色状をした巨大な物体が目に入った。良く見るとそれは、岩でできた台座のようなものの上に、膝に頬杖を突いた姿勢で腰掛けた成人男子の彫像で。彫像は鼻筋が綺麗に通る端正な顔立ちをしており、立ち上がれば、百フィートは優に超えるだろうと思われるほど馬鹿でかいもので、古代人の服装さながら、布きれのような簡素な衣装を身にまとい、衣装から露出した全身が青白く輝いていた。


 遠目からであったが、深緑の目を半眼に見開き微かに微笑みをたたえたその姿を見た途端、ソランはほとんど反射的に片膝を折ると、うやうやしく頭を垂れた。


「すみません、また来てしまいました、ソランデュ・ギア・ザ・マグテーン様。またまたご迷惑をおかけします」


「う~ん、そうか」


 彫像はゆっくりと頬杖を崩して上体を起こすと、穏やかな口調で物静かに応じた。

 彫像と見えたのは、実は異世界の住人で、ソラン自身の命の恩人でもあった。遺跡の中での事故で、もはや助からないと思われたところを奇跡的に救ってくれたという話で。その結果、ソランの魂の拠り所たるこの世界に留まることになったということだった。従ってソランにとっては、いくら感謝しても感謝しきれないほどの存在だった

 さらに、数々の特殊能力が使えるようになったのも、ソランという通り名もこの人物から来ていた。元々の名付け親であるパトリシアの話によれば、


「あなたの意識が戻ったのは良かったんだけれど、当初あなたは両親を亡くしたショックで口が利けなかったし。その後しばらくして口が利けるようになったときでも記憶が曖昧で、何を聞いてもまともに答えられなかったから、その間適当な呼び名を考えて見たの。すると真っ先に思い浮かんだのは、あなたの命を助けてくれた方の名前だったってわけ。それでその方の名前の一部を貰いソランと呼ぶことにしたのだけど……」ということだった。


「それにしてもテオ。どうしたのだ、顔が赤黒いぞ。それにその格好は何だ。余程急を要することがあったのかな?」


「はあ」


 そう言われて、ソランは手を顔に当てると共に、自身の姿を見回した。すると、手の平に赤い血らしきものがべっとりと付いてきた。また格好を見ると、着ていた衣服はこれまたほとんど原型を留めていなかったし、履いていたパンツも大きな穴が幾つも開いていた。その上、全身がどこでどうなったのか真っ黒に薄汚れて、どう考えても敗者の姿のようにしか見えず。ここまで自身の姿に目もくれずにやって来たので気付かなかったが、良く見ると我ながら酷い有り様だと、ソランは思わず天を仰いだ。そうしてそうなった理由を探した。だがしかし、直前の記憶がきれいさっぱり吹き飛んでいて、全く見当がつかなかった。

 そんなとき、柔らかい口調で落ち着いた声が響いた。


「何があったか知らないが、相当やれたようだな」


「あ、はい、そうみたいです」ソランはバツの悪さを取り繕うように、相手に口裏を合わせると、早く戻りたいとの一心から、外の世界での出来事を手短に話した。

 すると目の前の人物は、ソランを見下ろしながら、「そうか、外の世界でそのようなことが行われていたのか」と改めて口を開くと、何かしら興味をそそられたのか、


「もう少し詳しく聞かせて貰えないか」と言って来た。


 その人物の前では首を横に振ることがどうしてもできなかったソランは、焦る気持ちを押し留めると、「はい」と従順に返事をして、話し出そうとした。

 だがソランが口を開く前に、その人物が先に付け加えて来た。


「ところで、もっと傍まで来たらどうだ。何も遠慮することはない。お前だって話し難いだろう」


 その的を射た言葉にソランは、「はい」と立ち上がり、当初の距離の三分の一ほどまで間合いを詰めると、緊張した直立の姿勢で、今度は包み隠さず話した。

 ソランが話している間、その人物は、突如として出現した王座のような重厚な作りの椅子の肘掛部分に頬杖を突いた楽な姿勢で、うんうんと頷きながら聞いていた。そして話が終わると同時に上体を起こし、腕組みをして少し考えるように首を傾げると、ソランに向かって、疑問を呈した。


「話は良く分かった、テオ。直ぐにでも戻してやろう。だがただ一つだけ気がかりなことがある。その酷い有り様から見て、果たして続きが正常にできるかということだ」


「はい、それはたぶん大丈夫だと思います」


 ソランは目を細めて応えると、片方の腕に力こぶを作って、さも自信があるという風に白い歯を見せると言った。


「どこも痛くありませんし、身体もこの通り軽いですし。十分やれると思います」


「ふうむ、お前の言い分は良く分かった」


 その人物は軽く頷くと、にっこり笑い言い添えた。


「だがな、テオ。お前に一つ言っておくが、今いるこの世界はお前の世界とは別物だと言って良い。この世界でいる限り、お前が感じた通り一切痛みを感じないし、気力も不思議と充実しているが、元に戻った途端に、そうではないことに気付かされるだろう。

 その証拠として、実際に自分自身で身体をつねってみるか叩いてみるが良い。一切感覚が無い筈だ」


「はあ」


 言われるまま、ソランはやってみた。なるほどその通りだった。不思議なことに、痛いという感覚はなかった。


「それではどうすれば?」


 戸惑いの表情でソランは訊いた。


「さあ、それだが」その人物は自信ありげに切り出した。「私に一つ策がある」


「それは?」


「まあ、極めて簡単なことだが……」


 その人物は微かに微笑むと、その策なるものを披露した。ソランは分りましたと素直に受け入れると、


「すみません。お手数をお掛けします」と感謝の意を示した。するとその人物は、見るからに頑丈な椅子から静かに立ち上がった。次の瞬間、


「それでは、やろうか」


 物腰の柔らかい声が響くと、ソランはほっと息を吐いた。


「はい、お願いします」


 途端に、目の前が真っ暗になると共に、意識が遠のき何も分からなくなった。



 ――――ちょうどそのとき、外の世界では、ちょっとした異変が起こっていた。

 大地が小刻みに揺れたかと思うと、それまで堆積していた大量の土砂が突然空中に舞い上がり、少しの時間を措いて再び落下するという、一瞬だけ重力が消えたとしか表現のしようのない現象が起こっていた。

 その結果、ソランの身体を完全に隠すように覆い被さっていた土砂がきれいさっぱり吹き飛んで、たちどころに生気が蘇ったソランが、何もなかったかのように立ち上がっていた。

 それと相まって、身の丈三十六フィートに達する巨大なゴーレムに乗り込み、高い位置からのんびりと、


「なーに、五、六十エーカーばかりの広さだ。この乗り物にかかっては畑を開墾するようなものだ。じきに見つかるさ。細切れになっているか、それともできたての深い穴に落ちていなければの話だが」


 などと呟きながら、相手の行方を捜索していた老人が、突然自らも空中に放り出されるはめになったことで、それを見逃す筈はなかった。

 地表へ落下するや、即効で態勢を立て直したとき、土砂が跡形もなく吹き飛んで見晴らしが良くなったところにぽつんと立つ相手の後ろ姿を、簡単に見つけていた。

 そのとき、「打たれ強い奴よのう。あれを食らってもまだ平気とは」などと、半ば感心したような独り言を思わず漏らした老人は、本当のところは出会いたくなかったが出会ってしまった以上は何もしないでやり過ごすわけにもいかない、と直ぐに気持ちを切り替えるや、相手の動向をうかがった。

 そしてその結果、およそ二百ヤードばかりいった地点に、ボロ布をまとっただけと変わり果てた相手が放心したように立つ様子などから、かなりなダメージを負っているのではと推測すると、あともう一押しで決着がつくとして、有無を言わさず先制攻撃を仕掛けることを選択。さっそく実行に移した。

 小さな標的に向かって両手をかざすと、気合いを込めた口調で、ある文言を一気に口にした。


「ステラマーヤー!」


 その瞬間、差し出した両手の前方に赤い閃光が連続的にほとばしると、空気を引き裂く音と共に、エネルギー弾が凄い勢いで数発飛び出した。

 ちなみにその技は、先に見せた技と全く同じものだった。ただ違うのは、今回はゴーレムの姿で放っていたことで、その威力たるや、先のときが蜂の巣状態になるならば、このときは何も残らないと言った表現が的を射ていた。


 相手に逃げる素振りは見られなかった。攻撃が正確に相手を捉えたのと、相手が気付いて振り向いたのはほぼ同時だった。

 ところが、いずれの攻撃も相手の直前で弱々しい音を発すると、一抹の微風と化して消えていた。あたかも見えない空気の壁に威力を弱められたかのように。

 それでも、しつこく何度か繰り返した。が、同じことで変わらなかった。その全てが防がれていた。


「ほーう、中々やりよるのう」


 予想もつかなかった結果に終わったことに、老人はゴーレム内で一瞬きょとんとした。そして思わず口走っていた。


「その力でわしのとっておきの技を受け止めたという訳か。なるほどのう。こりゃまさしく本物だわい。

 そうなると、このわしも手足の一本どころか、命を差し出す覚悟でやらなければ勝ち目がないということか」


 老人は大きなため息を一つつくと、それならこれではどうだと、これまでとは毛色の異なる文言をぼそぼそと口にした。


「永久不滅の唱言、万能の鍵であるバトルガル・デル・ヨギの名において、ここに禁忌の門を叩く。マナドウシャ ケバラ シュルルムーン。出でて撃ち滅ぼせ、森羅万象のカルマよ」


 その瞬間、ゴーレムの胸部と言わず、背部、腕部、脚部、額部と、ほとんど全身が眩しく光ったかと思うと、球状体をしたすさまじい数のエネルギー弾が、ゴーレムの全身から発射されていた。

 それと同時に、「これで最後だ」との言葉が老人の口から漏れ出ていた。


 一般に知られている超能力や魔法は、火の属性、水の属性、金の属性、土の属性、風の属性といった具合に、その性質や特徴などからある程度分類できること。またそれらは、お互いに影響を及ぼし合っていて、じゃんけんのような法則が成立していることが分かっており。老人が使った術は、後者の事実を逆手に取り、全ての属性のエネルギー弾を物量に任せて放つというもので、放たれた方の相手は対応不可能と言って良く、まさに必殺の一撃だった。

 だがそう云った掟破りの大技である故に、一旦発動すれば寿命を削るという大きな代償を支払うとされ、老人にとってはそれこそ身体を張った勝負手だった。


 しかしながら閃光が消えた後、信じられない光景がそこに待っていた。

 想定では、速射砲のごとく次から次へと浴びせられたエネルギー弾の集中砲火によって、決着が付いている筈だった。なのに、そのときゴーレム内の老人が目にしたのは、こちら向きに立って、依然として何も変っていない相手の姿だった。


「何があったというのだ」


 瞬間、当初の大技に加えて禁断の術の発動によって体力のほとんどを奪われてしまっていた老人は、はあはあといかにもつらそうに荒い呼吸を繰り返しながら、信じられないという表情でそう呟くと、放ったエネルギー弾の痕跡がないかどうか、相手の周辺に視線を彷徨わせた。だがそれらしいものは何も発見できなかった。


「我がこん身の一撃がこうも簡単に無力化されるとはのう」


 一体何が起こったのか理解しかねた老人だったが、今はそのようなことを考えているどころではないとして、とっさに考えられる対応を取った。

 ちなみに老人が得意とした念動力は、見えない相手、不規則な或いは目が追えないくらい俊敏な動きをする相手、隠れて色々とやってくる相手、そして今回のように、強力な障壁を作って防御してくる相手には、総じて相性が良くないと言えた。よって、そのときはゴーレムの仕様を戦闘モードへと変換。全身を赤銅色の装甲で包むと、片方の手にこん棒、もう片方には丸い楯を携えていた。

 単純な物理攻撃で、あの強力な障壁を果たして突破できるものか大いに疑問だったが、それ以外思いつかなかったのだからしょうがなく。ともかくガードを固めて肉弾戦を挑もうとしたのだった。


 いきなりソランの足元と左右方向に爆発音が響き渡り、土煙が舞った。ゴーレムが手に持った盾の中央部から放たれた先制の一打だった。

 その直後にゴーレムは勢い良く大地を蹴ると、風を切るように突進した。そうして一気に間合いを詰めた。ところが相手は、こちらを傍観するかのように腕組みをしたまま、攻撃して来る兆候は全く見られなかった。

 それをいいことにゴーレムは盾で防御を固めながら、相手の正面からこん棒を振り被った。最後の力を振り絞って、一気に決める段取りだった。

 そのとき、一瞬だけ目が合った。薄汚いボロボロの格好をして顔面が多量の流血で赤黒く染まった相手は、ニタッと微笑んでいるように見え。

 全く得体の知れない奴。ふとそんな思いが頭をよぎった。ちょうどそのとき、まるで電池が切れたロボットのように、突然ゴーレムがこん棒を上に振り上げた状態で固まっていた。中の老人が必死の形相で動かそうとしても、全くうんともすんとも動く気配がなく。

 得意技(サイコキネシスによる金縛りの術)を代わってやられたような予想もしていなかった展開に、なぜ動かぬのだと老人は一瞬面食らった。

 だがそうはいっても、生きるか死ぬかの瀬戸際の世界で長くやって来ただけのことはあり、まだそれくらいのことで諦めてはいなかった。

 このままではにっちもさっちもいかないと、出せるだけの念動力を出し切るようにして、きしむ音とうっすらと白煙が゙ゴーレムの身体のあちこちから上がるのも構わず、どうにかして動かそうと試みた。

 案の定、無理に動かそうとしたせいで、直に至る所から小さな爆発音が一斉に起った。そして、濃い白煙が立ち上った。その中、一番負荷がかかっていた、こん棒を持ち振りかぶった状態で止まったままの長い腕が、付け根部分から崩壊していった。同じく、負荷が半端でなかった太い両足の膝部分のそれぞれに大きな亀裂が入ると、ゴーレムの身体がたちまち傾き、最後には前のめりに倒れていった。

 その際に、倒れたゴーレムの背中部分から三本の巨大な火柱が爆発音を伴いながら勢い良く立ち上ると、その衝撃でゴーレムの身体がバラバラに吹き飛んでいた。ゴーレムの内部に装備していた武器弾薬が誘爆を引き起こしたか、何からしかった。

 そこまで至ると、内部でゴーレムを繰る老人もタダで済む筈は無く。

 突然頭の中が空白になったかと思うと、視界が急に狭くなり、その後のことは全く分からなくなっていた。


 他方、一見すれば自滅したように見えなくもなかったゴーレムの最期を見届けたソランは、終了の合図があるまでの間、オレンジ色に染まりかけた空をぼんやりと見上げ、口のあたりに片手を持っていくと、いかにも退屈だといわんばかりにあくびを一つした。それ以外これといった表情をするわけでもなく立ち尽くしていた。

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