第36話

 それから間もなくして、既定の十分間が経過した合図である電子音が大音量で鳴り響き、前の対戦と同じように、救急時のサイレンを鳴らした黒塗りのワンボックスカーが三台、まだ壊れていなかった車両専用口の扉から、連なるようにして現れた。

 その光景を目にして、ロウシュは鼻先でふんと笑った。やれやれ、あれに乗って退場という訳か。

 案の定、三台の内の一台はロウシュが立つ地点へやって来て止まった。すぐさま白い服装をした担当者が車外に下りて来ると、ロウシュに向かって、車に乗るように促した。言われるままロウシュが自動的に開いたドアから後部座席へ乗り込むと、車両は出てきた扉の方向へ一足先に向かった。

 扉の内部は車両専用エレベーターになっていて、地上部まであっという間に到着していた。

 エレベーターの扉が開いて外に出ると、目の前には有刺鉄線とフェンスによって厳重に隔てられた道路が一本走っていた。

 道路は、ほぼ四角い施設をぐるっと一周するもので。そこへ車両が侵入するや、すぐさま右折した。どうやら、ずらりと並ぶ施設の部屋の一つに向かっていると思われた。

 果たして、見る間にとある部屋の前で停止していた。そこを治療ルームとして使っているらしかった。

 ロウシュは車から下りると、涼しい顔で「ああ、俺は良い。大丈夫だ」と断わりを入れ、医療ルームがある場所だけを確認して中へは入らずに、筋向いにあった自分達があてがわれた部屋へと向かった。言うまでも無く、そのとき用心の為に周りへ気を配るのを忘れずに。

 やがて五分もしない内に目的の場所へ着いていた。九番と記された番号札が目の高さに貼り付けられた部屋がそうだった。

 ロウシュは入口の扉の前に立つと、いつものことで自慢するほどのことでもないと、普段の調子で「俺だ。入るぞ」と言うなり、普通に扉を開けて中へと入った。

 中では、テーブルを挟んでベンチソファに腰を下ろしたゾーレとホーリーが顔をつき合わせて何やら話し込んでいた。

 ゾーレは黒っぽいスーツを脱いで白のシャツにネクタイという姿になっており。一方ホーリーは銀色の髪をポニーテイル風にまとめ、ゆったりとした黄色のサウナスーツに身を包んでいた。

 ロウシュが入って行くと、彼等はすぐさま話を中断して、ゾーレは気さくに「まあ一杯飲んでゆっくり休んでくれ」と言ってテーブルの端に置かれたビールを勧めて来た。またホーリーはにこやかに微笑むと、「ご苦労様」と優しく声を掛けて来た。

 そんな二人に、ロウシュはニヤニヤすると、片手を軽く上げ、「ああ。その前にこの格好を何とかしねえとな」と機嫌よく応えて、二人の傍を素通りしてその奥の方に見えた別のベンチの上に置かれた自身の荷物の中からクレンジング剤のチューブと着替えとタオルとを持ち、奥の突き当たりのドアの方へ真っ直ぐに向かった。

 どうせホーリーの機嫌が直ったので、次の対戦について話し合っているのだろうと見なして、別に気に留めていなかった。

 ドアの向こう側はレストルームと地下へ向かう階段になっており。レストルームに入ったロウシュは、薄汚れた顔の汚れを拭き取り、ボロボロになった衣服を脱ぐと、備え付けのシャワーで身体の汚れと汗の臭いを流し落として、白のポロシャツにブルーの半パン、素足にスニーカー、頭には黒のキャップを被るという極めてカジュアルなスタイルになり、改めて二人がいる部屋の方へ、晴れ晴れとした表情で戻っていった。

 部屋に戻ると、二人はくつろいだ様子で普通に談笑していた。ロウシュが戻ったのも気が付かずに、あれやこれやと話に熱中していた。二人の傍らにはパンフレットが置かれていて、どうやらそれが話の理由のようだった。

 ははん、たぶんあれだな、と直感したロウシュは、二人の会話の邪魔をしないようにそっと傍のテーブルまでいき、目を付けていたテーブル上の缶ビールへと一直線に手を伸ばした。

 初め一ダースあった缶ビールは、あと半ダースほどになっていたが、そのどれもが今しがた冷やされたかのように、缶の表面に白い霜が付いていて、まさに飲み頃と思われた。

 かくしてロウシュは、一汗かいた後にビールを飲むのは格別だとひとり恍惚感に浸りながら、その中から適当に手に取った一本の蓋を開け、味わうよりも先ず乾いた喉をどうにかしようと、一気に水のように飲み干した。

 何ともたまらない心地良いのど越しに、至極の幸福に満たされているような気がして、ロウシュは間髪入れずに二本目も同じような飲み方をした。

 そうしてようやく一息入れた気分となったロウシュは三本目を取り、蓋を開けると、今度は飲まずに手に持ったまま、無言で気配を消すように、ゾーレの横に腰を下ろして、彼等の方へさりげなく耳をそばだてた。

 すると、にらんだ通りの会話を二人はしていた。

 実のところ、目的達成の暁には、その足でのんびりと旅行に出る予定にしており、その日程管理をゾーレが一人で担当していた。

プランでは、ここにいる三名と、今現在後方支援に回って貰っている一名と、あとホーリーの連れ子二名を加えた計六名で、二週間をかけて南半球の島々を巡るというクルーズツアーに参加する予定だった。

 ところが一日伸びたことで予定が狂い、別のツアーに変更するべきか、それとも出発日時や滞在日数を変更することを余儀なくされており。会話の端々から、その話を二人はしているようだった。

 その光景をロウシュは感心なさそうに眺めた。

 なぜそのようにしていたかと言うと、正直なところ、面倒くさいの一言であったからだった。

 それというのも、昨日、部屋に戻ってからのホーリーに対するゾーレの気遣いを延々と見せられて来たからに他ならなかった。

 ゾーレは、彼女の口からひんぱんに出て来る不平不満や愚痴や怒りを聞いては、優しい言葉を掛けてやっていた。

 また新しく購入した邸宅のことや今現在の詳しい近況をわざわざ尋ねては、適切なアドバイスをしていた。その中で、使っている電化製品が古いと分かると、気を利かして新製品をプレゼントしようと持ち掛けたりもしていた。そのとき、彼女のプライドに配慮して、お金の話は一切しなかった。

 それはもう、まるで腫れ物に触るような、至れり尽くせりの気遣いだった。そのとばっちりを受けて、ロウシュ自身も暗黙の了解で協力させられていた。

 いかに悪酔いしていた勢いでやったとしても、ホーリーを怒らせたのはまずい。ホーリーはいつまでも憎しみや憤りの感情を引きずるタイプだから、後々のことを考えると、できるだけ早く機嫌を直して貰わなければいけないとして。

 結果ロウシュは、ゾーレの要望もあり、何とかして機嫌を直してもらおうと、一振りのオリエンタルソードを謝罪の印として彼女に送っていた。

 それは、とある行きがかりから、ヤクザ者と賭け事をして勝った代償に手に入れたもので、命の次に貴重な品と言っていたやくざ者の言葉をそのまま信じていた訳ではなかったが、切れ味が抜群で、ちょっとした時に相手を威嚇するのに都合が良いだろうと最近持ち歩いていたものだった。

 そして、ちょうどそれと引き換えに貰ったのが、危機一髪の瞬間を救った例の魔法のマントだった。


 すると間もなくして、ホーリーの「それで行きましょうよ」に、「まあ良いか」とゾーレが応じて、ホーリーの主張通りに話が決着していた。

 ロウシュは手に持ったビールをひとくち口付けると苦笑いした。ふん、やはりな。

 そんなとき、


「実は見て貰いたいものがあるんだ」とゾーレが言うなり立ち上がると、自身の荷物が置いてあるベンチのところまで行き、小荷物ぐらいの大きさがある白いビニール袋を持って戻って来た。

 それを見て、ロウシュはニヤッと微笑んだ。あれか?

 案の定、ゾーレはビニール袋をテーブルの上に置くと、一瞬きょとんとしたホーリーに向かって、「これなんだが」と口を切った。


「ロウシュもここにいることだし、今が一番最適かなと思ってな」


「で、それは一体何?」ホーリーが不思議そうな顔で訊いて来た。


「まあ、開けて見てくれないか。きっと気に入って貰えると思う」


「ああ、そう。そういうのなら」


 ホーリーが袋の口を開けると、中から出て来たのは、一揃いの靴と上下がつながる補正下着のボディスーツに似た衣服だった。付属として顔を隠すマスクまで付いていた。いずれも銀色に輝き、派手な装飾がなされていた。


「わあ、凄い!」嬉しそうな声が、ホーリーから上がった。「これはバトルスーツね」


「ああ。フロイスが見立てたものだ。あいつに頼んで購入してきて貰ったんだ。こういうことになると思っていなかったんだが、ちょうど良い機会だと思ってな」


「ほんと」


「ああ、ほんとだ」


 ゾーレはそう応えると、先日パトリシアと話し合いを持った翌日、引っ越し祝いに何を贈れば良いか自分を含めて三人で話し合った結果、その発起人の一人であったフロイスの言動「仕事を依頼しに来たのだから仕事着をプレゼントするというのはどうだ。私達にとって仕事着は、なくてはならない最重要必需品であって消耗品でもあるからね。それに貰って喜ばない奴はいない」を採用することになって、彼女がひいきにしている魔法アイテムを扱う店に購入しに行って貰い、あとはいつ渡すかのタイミングだけとなっていた、という事情を説明した。


「そう……」ホーリーはこの上ない笑顔を浮かべると、「そんなことをして貰わなくたって良いのに」と呟きながら、かなり派手に見えた衣装とロングブーツらしい靴をテーブルに並べて、二、三分ほどかけて、デザインや肌触りを好奇の目を輝かせて確かめ、それで気がすんだのか、頭を上げると、満面の笑顔で礼を述べた。


「ありがとう、ゾーレ、ロウシュ」


 艶めかしく切れ上がった目が、自然と垂れ気味になっていた。それにつられる形で無粋で野暮ったい男達から自然と笑みが零れた。そんな二人の中から、


「どうだ、気に入ってくれたか?」


 ゾーレが人なつっこい微笑と共に問い掛けた。


「ええ、別に良いんじゃない」


「そうか」ほっとした表情でゾーレが応じた。「気に入ってくれたのか」


「ええ、まあね。こんなものじゃないかしら」


 ホーリーは、いつものクールで冷静な表情で冷ややかに笑うと、柔らかい視線を二人に向けながら付け加えた。


「実は、こんなことになろうとは思っていなかったから、どうしようかと迷っていたところだったの。

 今使えそうな服は、昨日とお揃いの何の変哲もない既製服しかなくってね。でも今度の相手は一筋縄ではいかない手強そうな人達ばかりが集まっているみたいでしょ。このまままだと、かなりヤバいと思って、素性がばれるのは覚悟の上で正規の服装で戦うしかないかもと考えていたの。

 でもこのスーツを使わせて貰えば、そうする必要もなさそうだし。おかげで色々と気を遣わないで済みそうだし。

 といっても、バトルスーツにはそれぞれ一長一短があるから、通常は試着テストを必ずしなくちゃあ心もとないんだけれど。

 でもまあ、彼女が選んだものなら、彼女を信頼して、そんなことをしなくたって、ぶっつけ本番でも何とかなるんじゃないかしら。

 という訳で、さっそく着替えてみるから、悪いけど私が良いというまでしばらくの間、ここから出て行って貰える?」


「ああ、分かった」「分かったよ」


 ゾーレとロウシュの二人は、なるほどと二つ返事で応じると、連れだって一旦外へと出た。

 外は、有刺鉄線とフェンスによって厳重に隔てられた道路が一本、目の前を横切っているだけで、それ以外に何もなかった。単調な荒野が広がっていた。しかも強い日差しが照り付けていた。

 二人は、唯一日陰を作っていた建物の壁に仲良くもたれると、ホーリーから声が掛かるのを、しばらく待った。

 だがほどなくしてロウシュが沈黙を破ると、


「おい、ゾーレ」


 いつもの乱暴な物言いで口を開いた。二人になったこと、暇を持て余したことで、それまで忘れていたことが急に頭をよぎったことによっていた。


「何だ」


 すぐさまゾーレが横から素っ気なく応じて来た。


「何だと言うことはないぜ、てめえよう。俺をフールと言う名で登録したことは覚えているだろうな」


「ああ」


「そのお陰で、俺はちょっと前に対戦した野郎に舐められたんだ。おい、分かっているだろうな。この落とし前はどうつける気だ。てめえはカール何とかとマシな名前で登録した癖によう、どうして俺がフールなんだ。しかもダンプティーのおまけまで付け上がってよ。それが分かったとき、直ぐに文句を言ってやりたがったが、あのときあいにくと時間が無くってよう、それができなかったが、とうとうその時がきたという次第だ。今ここでその訳を釈明して貰おうじゃねえか」


「ああ、そのことか」ゾーレはにべもなく応えた。


「すまん。あれは俺が悪かった。悪かったと思ってる。まさかこんなことになるとは思ってもいなくてな。

 実は、ここへ来るまでに俺はカール・サイモンで、ホーリーの場合は通り名の通りクールで行こうと決めていたのだがお前の場合は登録の直前まで名前を考えていなくてな、思いつきのままフーでいいだろうと記入したのが運のつきで、知らぬ間に手が滑ってフールと綴っていたのだ。そしたらついふらふらと、いたずら心が出て来てな」


「それでダンプティーにしたわけか」


「ああ。たった一時のことだと思ったし、別にばれたってお前なら笑って許してくれるかと思ってな」


「馬鹿言え!」


 ずうずうしく言って来たゾーレに、ロウシュは一蹴した。


「そりゃ、二日目もあるとは誰も思わないからな。だがよ、ミスはミスだ。それはお前も分かっている筈だ。今ここでその落とし前をつけて貰おうじゃねえか」


「ああ、分かってる。俺が悪い。そうそう、みんなとの旅行が終わったら、そのついでに二人で足を延ばす気がないか。

 ヌーディストビーチ付きのリゾートクラブに二、三日ほど滞在して、それからカーニバルか音楽コンサートを見に行く予定にしているんだが、どうだろうな。もちろん費用は俺が全部持つ」


「それがお前の落とし前ってことか?」


「いや、落とし前ということではない。行くか行かないかとだけ訊いているんだ。

 実は正直言うと、女達と一緒にいると自由な行動がどうしても制限されるんで、それでこういういきあたりばったりの羽目を外す旅行を思い付いたのだが、どうせ行くなら一人で行くよりも気心の知れた友と行く方が、より楽しいと思ってな」


「それで俺に声を掛けたってわけか?」


「ああ」


「ふ~ん、そういうことか。なるほどな」


 ロウシュは思案するように首を傾げた。

 本当のところ、落とし前をつけろと言っても大した要求をするつもりはなかった。どうすれば良いか相手が訊いてきた時、十ドル以下で飲める行きつけのバーの五、六軒もつき合わせて、その支払いを全部持って貰うことで済ましてやろうかと決めていた。

 それが旅行とは。しかも、みんなと行く家族旅行のような慰安旅行と違い、気心が知れた男同士で行く、大いに遊び回れること疑い無しのプライベートな旅行とは。思っても見ないことで、悪い気がしなかった。寧ろ、リアルに笑いが出てきそうだった。

 そういうのなら、まあ付き合ってやるか。

 ロウシュはうれしさをかみ殺すと、もったいぶってぶつぶつと言った。


「まあ、そういうことなら乗らないこともないが」


「すまんな」


「ああ」


 ロウシュはわざと憮然とした顔でそう返事をすると、片方の手に持っていた缶ビールを格好付けて一気飲みした。そして空になった容器を、ぽいと乱暴に投げ捨てると、腕組みをして言った。


「そうと決まれば、その話、もう少し詳しく話して聞かせろ」


「ああ、分かった」


 ゾーレはにこやかに応えると、語って行った。ロウシュは表向き渋面を作って聞いていたが、内心は薄ら笑いを浮かべてにんまりしていた。

 久しぶりに良い目にあえそうだな。奴と二人で旅行に行くのは一年、いや一年半振りか。


 すると、そこへ女性の艶めかしい声で、優しく呼び掛ける声がした。


「二人共、入って来ても良いわよ」

 

 二人は話を中断して声がした方へ振り向くと、閉じていた入口の扉が、いつの間にかほんの少し開いていた。どうやら着替えが済んだらしかった。

 すぐさま二人は「ああ、分かった」「すぐに行く」と、それぞれ返事を返して顔を見合わせると、こくりと頷いた。お互いに口元がいやらしく緩んでいた。


 ようやく準備ができたようだな。それじゃあ、女王様のあで姿を拝ませて貰いに行くとするか。

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