第16話

 その同じ頃、パトリシアとソランの二人も例に洩れず、建物内の別の一室にいた。

 そこは広々としてがらんとした感があった。

 夜の十時を既に過ぎているというのに照明は昼間のように輝いていた。フロアを始め周り全体が白いのと相まって目がくらむほどの明るさだった。

 その中、二人はほぼ中央付近に置かれた長尺のソファに、同じくらい長細いテーブルを挟んで腰を下ろしていた。テーブルの上にはタブレット型携帯が二台置かれ、ディスプレイ部分が時刻を刻んでいた。それ以外付近には何も見当たらなかった。


 肩まであった絹糸のように細いパトリシアの髪がルビー色の輝きを放っていた。

 彼女は今、手帳二冊分くらいの大きさがあるタブレットPCを眺めて読書をしている最中だった。

 実は、退屈を紛らわせるためにそうしながら、ある重要な待ち人を待っていた、しかも人間ではない方の。既に一時間近くそうしていたが、待ち人がやってくる気配は未だないようだった。

 一方、テーブルを挟んで向かい側のソファの上では、青年が横になっていた。背もたれのないベンチタイプのソファは特殊な品らしく、六フィートの身長がある彼が身体を目一杯投げ出していたにもかかわらず、まだそれより長さに十分余裕があった。じっと目を閉じた様子から、どうやら青年はぐっすり眠っているようだった。彼の上には薄いブランケットが掛けられていた。

 彼等は、夢にも思っていなかった、余り有り難くないお迎えが来て、ここまで連れて来られていたのだった。


 それは三日前のこと。パトリシアの営業用の携帯に謎の資産家の男、サンジェイ・ハーメルから案内文のメールが届いた。

 そこには簡単にこう記されていた。


 パテシア・ジュモー並びにソランノ・ジュモー様へ

 某月某日。午後四時三十分。某公園墓地の入り口横、ポール時計の下でお待ち願います。その時間に迎えの車をよこしますのでそれにお乗り下さい。基地及び基地内の宿泊施設まで直接お送り致します。尚、資料を添付しましたので、それを読んでその通りに従って下さい。


 そしてそのすぐ下の方に、その付近の場所の景色だろうかカラー写真が八枚貼り付けてあった。そして写真の最後の方に、参考マニュアルと称した長い文章があった。


 それを見たとき、パトリシアの心が密かに躍った。とっさに、とうとう来たわと呟いた。

 先ず、ゾーレと青年に予定通り連絡を取った。もちろん予想通りの答えが返ってきた。

 次に、なぜ集合場所が公園墓地なのか謎だったが、とにかく最低限必要なこととして指定された場所の住所と交通手段と所要時間を調べ上げた。そして今回はバスを使おうと決めた。行き先だった公園墓地へ路線バスが通常運行しているのを発見したからだった。その日はここまでで終わった。

 次の日、いよいよ彼女は行動に移った。自転車を足にして、必要な衣類、食料、水などを周辺の商業地区へ買いに出掛け、その日は一日中買い物三昧で過ごした。そしてその夜、肩付近まであったセミロングの髪を耳元まで短くカットした。同じく両方の眉毛を剃った。いずれも変装するのに必要な処置で、これも全てお金のためだからと納得ずみでやったことだった。

 そうして当日の午前十一時に、「ギリギリですみません」とやって来た青年と共に、必要な物を詰めたキャリーバッグ二つを手にして、集合場所である公園墓地へとお昼を回った頃に向うことにした。そのときの格好は、お互いに普段の服装。パトリシアは白のブラウスにデニムのパンツ。青年はというと、上は黒のシャツにジャケット、下も黒のデニムにブーツというやはり全身黒ずくめのファッションだった。


 最寄りのバス停から目的地の公園墓地まで、一度の乗り換えに要した待ち時間を含めて、およそ三時間の工程だった。

 公園墓地は市街地からかなり離れた、見渡す限り緑が生い茂る平野部にあった。その辺りには高い建物が一切見受けられなかった。

 来る道すがら、路線バスが運行しているからには規模もそれ相当にあるのだろうかと思っていたが、数え切れない数の墓石が、途中の道路に沿って三マイル(4.8キロメートル)以上整然と立ち並んでいる光景を見て、それがはっきり分かったような気がした。


 パトリシアと青年が下車したバス停は公園墓地へ入る入り口付近にあった。そこへバスが到着したのが午後三時四十五分。直ぐに三人が乗車してきた。が、下りる者はパトリシア達以外に誰もいなかった。

 向こうが目標物として指定して来たポール時計は直ぐに見つかった。公園入口にあったアーチ状をした立派な青銅の門を挟んで、バス停とちょうど反対方向にあったのだ。 

 そのとき目標物まで歩いて行くすがら、門の中を覗く機会があった。門は両開き式で、そこを車や人が出入りするようになっていたのだが、ちょっと眺めただけでも、道路を除いた全面に芝生が敷き詰められた霊園内にはやはり数え切れないくらいの墓石があった。しかも、かなりきちんと維持管理がなされているようで、芝生は短く刈り込まれ、どの墓石も光沢を放っていた。

 待つ間に、ジョギングする中年男がひとりと犬を連れて散歩する少女と中年の女の二人連れが前を通過していった。夕方、どこでも見られる光景だった。また、周りに墓地しかないこの辺りには、最近どこでも見かけるようになっていた浮浪者やホームレスはさすがに見かけなかった。


 ところでパトリシアは、迎えが来るまでただ待つつもりはハナからなかった。わざわざ時間に余裕を見て来たのも、ある考えがあってのことだった。彼女は直ぐに予定通りの行動に出た。

 ポール時計の後ろの方に見えていた公園を囲む石壁に近寄るや、持ってきた荷物をそこに置き開けると、その中から昨日買い揃えた変装用の衣装を取り出し、街頭で人の目もはばからないで着替えを始めた。

 正直なところ、パトリシアにとってこんなことは屁でもないことだった。例え、大勢の見物人が見ていようが平気で着替えることができたし、裸になることすらためらわずにできる勇気と自信があった。

 実は、彼女は若い頃。 非営利の民間機関に雇われた医師の看護助手となって天災や戦争が起こった地域へ駆けつけては被災者や難民の医療活動にあたっていた。そこであられもない姿と化した人々を繰り返し生で見るに及んで、精神力も思考力も人一倍成長していた。しかも、後の人格に大きな影響を与える思春期にそれを経験したものだから尚更のことだった。

 それ以後、彼女には恥ずかしいという概念は存在しなくなっていた。その一端として、どこで着替えようと恥ずかしいと思わないようになっていた。

 ところが青年の場合はそうはいかなかった。度々自分の前で臆することも無く着替えるパトリシアを、いつも逆に恥ずかしく思っていた。今日も彼は赤面しながら、人影がないから良いけれど、と下着姿になり用意した衣装に着替えていたパトリシアをできるだけ見ないようにしていた。


 それを知ってか知らでか、パトリシアは着替えが済むと、素知らぬ顔でにこっと微笑んだ。そして呼び掛けた。


「実はあなたにも衣装を調達して来たの。ここで着替えてちょうだい。一緒にメイクもしてあげるから」


 意に介することなくそう言ってきたパトリシアに、青年は一瞬戸惑った。思わず、「なぜです。なぜ僕も?」と恥ずかしげに訊いていた。

 そのとき、着替えが終わって自身のメイクに入っていたパトリシアは、彼のぽかんとした様子をまじまじと見て、なぜそのような格好をしなければならないかを青年に詳しく説明した。

 やがてそれが依頼人の要請だと聞かされた青年は沈んだ声で、「あ、なるほど。そうですか」と返事をすると、あきらめ顔で黙って応じていたのだった。

 背を向けて青年が着替えている間に、パトリシアは自身のメイクの仕上げにかかった。アイシャドウで目を大きく見えるようにすると、これまで少し丸みを帯びていた眉毛がなくなった位置に、魅力的に見えるように吊り上がった眉を描いた。それからレッド系のチークを使い頬を赤めに仕上げ、ディープレッドのルージュを唇に引き直した。それが済むと用意してきた長髪のウイッグ(かつら)をつけた。そして最後に指輪とネックレスで着飾った。

 そのとき彼女自身のイメージでは、妖艶でモダンな女性だった。そして青年を、暗い影のある雰囲気を漂わせつつも存在感のあるような方向に持っていくつもりでいた。

 かようなことは案内書の最後に記されていたマニュアルの内容によっていた。そこには、地味なもの、普段着、古着の着用はやめてほしいといった服装の注意点が出ていたり、なまりがあってはいけない、丁寧過ぎる言葉使いをしたりおしゃべりであってはならない、大人しいのもいけない、背中を丸めて歩いてはいけないといった立ち振る舞いの仕方や当日に二日酔いで来てはならない、各種麻薬や精神高揚剤の中毒であってはならないといった素行の注意点が出ていた。

 これらのことは一目で大体理解したパトリシアだったが、最後の方に出ていた文言、『本物らしく振る舞うように』には、本物の実像を知っている故の悲しさで、そうはいってもねと思い悩んだ。

 だが結局のところは、マニュアルが意図する人物に化けることが肝心よと、本物からかけ離れて行くのが分かっていたが、安易に妥協する方向に傾いていた。


 自分の支度が全てできたパトリシアは、今度は青年のメイクに取り掛かった。着替えを済ませた彼は、肩口や袖口に金属製の鋲が付いた黒革のスタッズジャケットにパンツという姿で待っていた。

 先ず、濃オークル色のファンデーションで健康的な小麦色の肌に見えるようにした。

 次にアイブロウペンシルを使って眉を濃く描くと共に、アイライナーでインパクトのある目付きに見えるようにした。それから大人っぽく見せるために、ブラウン系のチークで頬にシャドーをわざと付けた。続いて存在感を出すために整髪料を使い短い髪を立て気味にし、荒々しい感じを演出した。そして最後の仕上げとして、服装へアクセントをつけるために用意したアクセサリーを付けるように促した。


 そのようにして出来上がった二人のそれぞれの格好といえば――――

 ビビッドピンクのワンピースドレスにセクシーなレース柄のストッキング、赤のハイヒール姿だったパトリシアは、目鼻立ちがはっきりした目の覚めるような赤毛の美人に変身していた。他にも全身から甘いローズの香りが艶めかしく漂っていた。

 彼女は若作りなファッション並びにメイクを自分自身に施してみたつもりだった。そして青年は、彼女の意向通り、メイクによって存在感が出ていた。但し、見ようによっては実年齢より十歳ぐらい老け込んだようになってはいたが。その彼はパトリシアから仕上がりを手鏡でみせられたとき、ジャケットとパンツはまあまあ良しとしても身に付けさせられたドクロの首飾りと手錠の形をしたブレスレットは、正直いって自分のセンスとかけ離れたパンクファッションそのものだったので内心閉口した。だが一途に従順だった彼は不満を口にするどころか、逆に表情を緩めて訊いていた。「どうです似合っていますか?」


 やがて準備が整い、待ち合わせ場所だったポール時計の下で立って待つこと約十分。約束の午後四時三十分になった。しかし誰も現れなかった。

 そのことについて、たぶん交通事情で遅れているんだわと思っていた。そんな矢先、五分遅れで一台の黒塗りの車が音も無く姿を現した。それは流線型をして車高がやや低いスポーツタイプの車だった。しかも屋根部分のかなり目立つところにカラフルな回転灯が付いていた。

 その車両を、日常的に車を運転する機会があったパトリシアは良く見知っていた。最高時速三百マイル(約480キロメートル)と規格外のスピードが出るというので、確か直線の長い高速道路において速度違反をする者達を専門に取り締まる警察の車両である筈だった。だがそのような車両が高速道路以外の一般公道へやって来るなんてと、全く意味が分からなかった。場違いじゃないの、とパトリシアはちょっとわだかまりを抱いていた。

 そのようなことからこの車がお迎えの車か疑わしいとして、さてどうしたものかとほんの少し思案していると、窓ガラスが全てスモークガラス製で、外から中がみえないようになっていた車が二人の目の前で停止した。次の瞬間、車のガルウイング式の後部ドアが上部に跳ね上がるように開いた。直後に運転席側から生の声を人工的な声に変換する装置を使い、車外のスピーカーを通してこう呼び掛けてきた。


「基地までお送りするように言われています。さあ、お乗りください」


 そのときパトリシアには、名のあるマフィアを裏で操り、しかも今は警察を使って軍の基地へ案内してくれるというのだから、本当の黒幕は一体何者なのよという疑問が湧き起こっていた。

 それで何となく考え込んでいると、車中から、「早くお乗りください。出発します」と焦ったようにせかす声が響いた。

 その声に直ぐさま我に返ったパトリシアは、馬鹿みたい、何を戸惑っているのよと自分に言い聞かせると、素直に従った。同じく青年も後へ続いていた。

 二人が乗り込むと、車は急ぐように直ちに発進した。方向転換をして元来た方向へ進んでいった。果たして運転席には警官の服装をした二人の男が乗っていた。彼等はそれ以後一言も話し掛けてくることがなかった。

 速度は、後部座席からスピードメーターが見えなかったので具体的に何マイル出ていたのか何とも言えなかったが、次々と前方の車を抜き去って行く様子などから、とにかくかなり高速度であったことは紛れのない事実だった。

 それに加えて、混んでいる場所では緊急灯を点灯して走行したりと、ほとんどスピードを緩めている気配がなかった。

 およそ一時間半で基地らしき場所まで到着すると、今度はそこで待っていた重武装した六人の兵士に案内が引き継がれた。

 その彼等は、四人がパトリシアと青年を取り囲むようにして歩き、残りの二人が先頭と後方を行くという陣形を取ってきた。その様子は、見ようによっては犯罪者を護送する際の陣形にも見える厳重なものだった。

 彼等が目指したのは白い大きな建物のすぐ傍に建つ二階建て風の建屋だった。中に入ると、天井部や壁面は鉄骨の骨組みが見える簡素な造りで、内部は一階部分しかない広い空間となっていた。しかもフロアはぶ厚い鉄板製だった。

 では、そこはどこだったかというと、六人の中の一人が壁面に備え付けられた制御スイッチを押してから、初めてそこが何であるのか分かった。即時に八人が乗ったフロア全体が沈んでいったからだった。  

 つまり、その建屋は荷物や車両を地下に格納するためのエレベーター設備であるらしかった。

 見る間に巨大なエレベーターは、これからの行き先なのだろう地下の三階で停止した。そこには車が五、六台並んで通れるくらい広い通路があった。天井の高さも先ほどの建屋ぐらいあり、通路の側壁の所々に鉄製の頑丈な扉が取り付けられていた。それら全てが白く塗装されていて、通路は比較的明るかった。

 先頭を行く兵士が向かったのはその中の一番手前に見えた扉で、B301と書かれた表札のようなものが貼り付けられていた。

 途中、パトリシアは幾度となく目を泳がせるようにしてちらちらと青年の方を見た。彼も分かったという風に目で答えていた。

 そういった彼女の挙動不審な行為は、どこへ連れて行かれるのかという不安からそうしたわけではなかった。

 悪知恵が働く者なら、二人を離れ離れに引き離し、自身を人質に取った上で取引材料にして青年を意のままに操ろうと考えるのは至極当然のことだからと恐れて警戒していたのである。

 だがそういった彼女の心配も一先ず取り越し苦労に終わったようだった。

 扉の前で最初に立ち止まった先頭にいた兵士が、鍵が掛かっていないようだったタッチ式の扉をすんなりと開けると、堅苦しい言い方でこう告げてきたからだった。


「着きました。少し殺風景ですが、この部屋で明日の午前十一時までお過ごし願います。時間が来ればお迎えに上がりますので」


 それだけ言い残すと、元来た方向へさっさと立ち去っていった兵士達に、残されたパトリシアはちょっとだけ拍子抜けした気分だった。けれども、まだまだ油断はできないわと思い直すと、気を引き締めながら開いたままの扉の向こう側へ目を凝らした。

 すると、中は白亜の空間だった。しかも照明が明るいので更に白さが際立っていた。おまけに百人ぐらいが楽に過ごせそうな広さがありそうだった。

 狭くはないけれど、広すぎるというのもね。そんなことを、周りをさっと見渡して呟いていたパトリシアの目に止まったものといえば、ちょうど部屋の中央付近にぽつんと放置されていた一度に五、六人が楽に座れるくらい長いベンチソファとテーブルのセットぐらいなもので。他には何も見当たらず。確かに兵士が行ったように殺風景には違いなかった。


 さっそく、ここに居ても何だからと用心しながら扉の向こう側へ足を踏み入れたパトリシアと青年は、一旦ベンチソファとテーブルが置かれた場所まで行きその傍に荷物を置くと、やや硬めに思えたソファへ腰を下ろし、座り心地を確かめた。それから上着を脱ぎ、周りを見渡した。

 そのときパトリシアは、ほんの一瞬だけ、ふ~うと一息ついた。しかし現実を見ていた彼女の目は、まだゆっくりするときではないわと、ソファやテーブルに盗聴器が仕掛けられていないか、明るい天井に隠しカメラの類が見つからないかと捜した。余りに明る過ぎることで、ひょっとして私達は監視されているのではと疑ってのことだった。

 これらの目配りは、皆そうそうたるプロ中のプロの殺し屋だった友人達から直々に教授を受けただけあって、スパイ映画さながらに抜かりのないものだった。

 やがて怪しいものが何もないことを確認すると、当然のことながら内部を一通り見ておく必要があるからと、彼女はさっそく青年へ向かって、柔らかい口調でこう語り掛けた。


「さて、ここはどこなのか二人で調べましょうか?」

 

 その呼び掛けに彼は拒否する筈はなく。それから二人は仲良く、倉庫か物置かと見間違うぐらい閑散としていた広い室内をひとしきり見て回った。こういうときだけは、パトリシアは無駄な話をしなかった。そのような彼女の一面は、青年には頼もしく映っていた。


 そうして一通り見て回った結果、以下のことが分かった。

 ほぼ正方形をした部屋の天井部は白のボードで、壁とフロアは白色に塗られたコンクリート。部屋の天井部に均等に配置されている直管形照明は埋め込み式で、明るさが無段階調整できるようになっている。

 地下三階である故に、当然と言えば当然だったが窓がない。その代わりに換気装置が常時働いている。

 電源ブレーカーが落とされているのか、全ての電源コンセントは電気がきていない。

 テレビもオーディオシステムも時計もどうやら置いていないらしい。

 奥の方に二つの扉が横に並んでおり、中はそれほど広いとはいえない部屋があった。一つは複数の男女が利用可能なトイレ、浴室、キッチンといった水回りの設備が入る部屋。そしてもう一つは電気機械室となっていて、狭い部屋一杯に制御盤がずらりと並んでいた。部屋の照明、換気装置の電源、コンセント電源などは全てここで管理しているらしかった。

 別向きの壁に、分かりづらかったがスチール製の扉が五つ並んでいた。中は引き出し様式になっていて、色々な形をしたイスやテーブル、パーテーションパネルが何セットも折り畳まれて収納されていた。

 部屋の中央に置かれていたソファとテーブルのセットもここから出したらしく、同じ形をしたものが見つかった。

 また、予想していたことであったが携帯が電波障害で使えなくなっていた。


 以上これらのことを総合すると、二人がいた部屋は、そのときの都合に合わせて会議室、ミーティングルーム、娯楽室となる多目的ルーム、若しくは、基地であることを考慮してシェルターとも考えられた。


 やがて二人がおよそ一時間近くかかって部屋の設備全てを見終わりベンチソファとテーブルのセットが置かれたところへ再び戻ったとき、時刻は夜の八時を過ぎていた。

 パトリシアは安堵した深いため息をついた。


「これでようやく落ち着けるわね」


「ええ」


「じゃあ、そろそろ夕食にしましょうか?」


「ええ、そうですね」


 そういった短い会話をにこやかに交わした二人は、さっそく一緒にテーブルを挟んでベンチソファに腰を下ろし、今夜の食事のメニューだった、水が入るペットボトルとフランスパンと袋に入った野菜スープとコーラとコーヒーミルク、あと総合ビタミン剤のカプセルをテーブルに広げた。そのとき、


「ごめんなさいね。こんなもので」パトリシアはすまなそうな顔をした。「向こうにキッチンがあったけれど、用心のために使うのはどうかと思ってね」


「分かっています」意に介さないと言う風に青年はにっこり頷いた。


「それじゃあ頂きましょう」


 やがて二人は一時間ほど掛けて食事を終えた。といっても正味食事に費やした時間は、食べ物のほとんど全てが喉に流し込むだけで済み、噛む必要がなかったので十分ほどしか掛からず、残りの約五十分間はパトリシアがひとりで喋っていた時間だった。

 冒頭彼女は、


「分かっていると思うけど、向こうは私達を利用する魂胆よ。その裏をかくのが私達がここへ来た理由よ。ま、いざとなったら私の友人達もいることだし。君はなんにも心配することはないわ」


 などと話し始めると、その友人達のこと、貰ったメールの案内書には明日具体的に何をするのか記されていなかったこと、今日の出来事を振り返って感じたことを極めて明るく振る舞いながら、一方的に喋った。それを青年は暗い影を見せずににこやかに聞いていて、ときには言葉少なに受け答えもしていた。


 話も一段落した頃。話していたパトリシア自身は、まだ頭ははっきりしていたのに対し青年の方はそういうわけにはいかなくなっていた。

 あくびともとれる深いため息をついたり、何度となくぼんやりと視線を宙に泳がせたりする仕草が見て取れていた。

 そんな彼の眠たそうな素振りに、公園墓地からここまでやって来るまでの間、普段通りに振る舞いながらもあたかもボディガードのようにずっと周囲に神経を使っていたのを知っていたパトリシアは気を利かして、「横になったら?」と勧めた。


「良いのよ、私なら。もし何かあったら起こすから。それでいいでしょ」


 続けて言い添えた言葉に青年が目をしょぼつかせてほくそ笑んだかと思うと、


「それではそうさせて貰います」


 と案外素直に言うなり身体を倒しソファに寝ころんだ。その様子を安心したように見たパトリシアは傍に置いていたキャリーバッグを引き寄せると、中からタブレットPCを取り出した。それから電源を入れるとディスプレイに目を走らせた。このようなこともあろうかとPCのメモリにゲームや小説や映像類を入れておいたのだった。そのときは読み進めるにつれて時間が過ぎるのが早いとの理由から推理小説を選んで読んでいた。

 だが、何も目が冴えて眠れないからということで彼女はそうしていたわけでなかった。

 先日、ゾーレに連絡を入れたとき、二人の間で一番の課題になったのは、常識的にみて通信機器は使えないだろうからどのようにして互いに連絡を取り合うかだった。それを解決するものとして考え付いたのがこの手法だった。

 しかしながら、何らかの手違いがあったと見えて希望の者が現れる気配は一向になかった。

 携帯の時計が午前十二時を表示したときだった。そんなパトリシアから大きなあくびが漏れた。待ちくたびれて彼女の意識もいつしか遠のきつつあった。

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