恨めしい幽霊と陽気なゴーストがタッグを組んで祟ってみたんだが、雇われ陰陽師にあっさり祓われそう
鱗青
金髪と黒髪と私
壱輪目
線香の匂いはお好きだろうか。
唐突にしても脈絡のない質問だとはぐらかさないでほしい。あなたは、常日頃お仏壇の前に立ててお使いの(あるいは仏事全般)線香の素材・製法・メーカー・値段、それらを熟知しておられるだろうか。
当方真剣である。真剣をしらばっくれたら白刃取りである。
なぜなら線香は商売道具の一つなのである。欠くべからざるアイテム、スポーツをよくやるひとが読むようなアスリート系雑誌風にいうなら「ギア」。寿司屋でいうなら「ネタ」。理髪店でいうなら「ハサミ」かそれ以上に重要なものなのだから。
さてここまでくると「あー線香ね、神社とかお寺とかで焚いてるやつね」と記憶や思い出の中の乏しい経験からそのイメージを掘り起こされる方もいらっしゃるのではなかろうか。
中には「いや神社は線香を焚いたりしないよ。お寺とか、関帝廟とかで手向けるものだよ」などと気の利いたうんちくを垂れる方もおられるかもしれない。
残念である。その予想は裏切らねばならない。
私が線香を焚くのは神社でも仏閣でもなく、かといって墓前でも仏壇前でもない。さらに商売道具といっても、私は僧侶でも道士でもない。
外見についていえば、私の頭は剃髪ではなく総髪、それも表参道の美容院で軽くパーマをかけてもらっている。
袈裟は着ない。この生業に就いてこのかた仕事着は狩衣である。
ご存じだろうか、「かりぎぬ」を?
え、貸し衣裳?違う違う。それではなくて、いや、確かに借りることができればそれはそれで楽なのだが資金面でパフォーマンスが良くなくなってしまう。
お雛様の七人囃子とかなら想像もしやすいだろか。あんな感じのヒラヒラした平安朝の白い衣服。あれが
そして先程ご紹介したわが髪の上には烏帽子をつける。これも「かぶる」というより「つける」がニュアンス的に近い。帽子のように頭頂部をごっそり突っ込むようなものでなく、ちょん、と乗っかっている程度なのがいい。
頭に烏帽子、胴には狩衣。そして足には
そう、私は、私こそは現代の陰陽師、
さて話は冒頭に戻る。私こと陰陽師・壷井紀犀は、ひと束の線香を片手に悩んでいた。
ここは葛飾区のとある駅前コンビニである。庶民の殿堂、憩いのオアシス、現代人の補給地点だ。
たなびく白雲の印刷された箱の裏側の表示をためつすがめつ、呻吟する。
今日の
これで間に合わせるか…
帰宅すると玄関先まで聞こえる甘い男女の声がした。私はもうため息をつく元気もなくし、とりあえず遅い朝食にとりかかった。…トーストしようと思ったらパンは無く、冷凍してあったご飯も切れてる。
「あのクソジジイ…」
舌打ちし、果物を切って混ぜたシリアルに牛乳を注いだ。半分がたこなしたところで玄関へと廊下を通り過ぎる足音とけたたましい嬌声がし、ドアが閉まる音の後に台所の暖簾をくぐって坊主頭の僧都が顔を出した。
「おう、キーちゃん帰ってたのか。なんだぁそれ、またシケたもん食っとるなあ」
「あんたね、居候の分際で食材切らしたら買ってきておくぐらいの配慮はないわけ」
「やーすまん!別件で忙しくってのぅ」
この僧都、名前を
「それ。どうすんだよ」
「どれぞい?」
「首元、左の方。キスマークばっちり」ああいやだ。何が悲しくて午前中からこんなジジイの肌を見せられなきゃいけないんだ。「午後から法事だって言ってたじゃんか。悪行がバレるぞ生臭坊主」
「おりょっ、ほんとじゃ!あちゃー…あのスケ、アレの最中にやたらと首筋吸ってくるなとは思っとったが…キーちゃん、すまんけど首巻き貸」
「マフラーなら貸さないよ。あんたの体臭が移ったらヤダし」
「もーそんな冷たいこといわんでー、なぁ〜血の繋がった伯父ちゃんなんじゃし〜」
「抱きつくな食べにくい気持ち悪い死んで成仏して」
「そんな殺生な〜!」
生類不殺。それを説くのが徳の高い高僧であればいざしらず、こんな朝っぱらから自宅に水商売の女か街角の娼婦かを連れ込むような中高年から言われたのでは、全く効果などない。
「そういうのいいから。私もこのあと拝み仕事してくるから、法事が済んだら留守番しっかりしてよね」
とにもかくにも胃袋を満たし、私はシャワーで
烏帽子に狩衣、靴下ではなく足袋。スポーツ新聞にくわえ煙草の伯父が開け放した襖の向こうから眺めて言う。
「うん。その格好してると父親によく似とる。骨格の方はあやつ譲りじゃな」
「…どうかな。後ろのほうおかしくない?」
クルリと回り、ちょっと袂をさばいてみせる。もう19だのに、また手足が伸びたような気がする。
「ちょっと待て、裾に綿が…、ん、取れた。さ、あとは背筋を伸ばしてしゃんとしとれば若陰陽師様々じゃぞい」
「様々って、なんだよそれ」
前からの印象を姿見で確認する。
低めの烏帽子、パーマの黒髪はワックスで固めてたくし上げ、メイクはナチュラル。
胸が大きすぎたらかえって不恰好になっていたろうけど、これも父親の遺伝なのかスレンダーで狩衣に目立つ膨らみはできていない。
デモンストレーションに九字を切り、印を結ぶ。身は軽く仕草は優雅、表情は内側の思惑を気取られない醒めたもの。
たおやかな美男子とも凜とした女性とも受け取られるだろう中性的な佇まい。
「…ん、いいかな。そしたら行ってくる。大井町だから、多分戻りは6時前ぐらいになるかな」
「おう、行っといで。夕飯は適当に店屋物でも」
「出前は、やめて。私が帰ったら作るから、とにかく野菜と卵とか買っといてよ。あとなにか魚を。肉は少なくていい。分かった?肉は・少しで・いいの!」
「分かった分かった、うっさいのー」
伯父は耳をほじりながらいまいましげに斜め上を見やった。あ、あとこれだけは釘を刺しておかないと。
「あと今日はもう女の人は連れ込まないで。絶対ね!」
「あー、亮介くんの来る日だからか。キーちゃんもいっぱしに」
「いいからお
ニヤつく酒焼けした鼻面。そして差し出す懐紙に包んだものを私は乱暴に引ったくった。
「行ってくる!」
表通りに出た。草履の足が少し軽い。午後にさしかかって大気はすこしだけ甘く硬質だ。これはしばらく好天が続くのかもしれない。桜の開花もそろそろだろうし、これから雨の多い季節に入るから、その前に陽の気を溜める良い期間になるかもしれないな。
このような狩衣で出歩いても、私を見咎める人も目を
いわゆるシャッター街というやつだ。
だからこそこの格好で押し通せるというのもあるのだが、それだけではない。歩いて商店の軒が並ぶ間を通り抜けて大きな国道に出てからタクシーを利用したほうが、ちよっとだけ交通費が浮くからだ。
あの不良僧都との二人暮らし、さして生活費がかさんでいるわけでもないが、節約するに越したことはない。なにせ私自身は本業が不安定収入だし、これといって他に資格も持っていないのだから。…もっといえば、その資格を取りたいから貯金をしておきたいということが大きい。
ぱらぱらとすれ違うのは周辺の住人や商店街の店主達で、もう長年ここで暮らしている私のこの格好にも慣れっこだ。
「あれ、これからお出かけなの?偉いわねえまだ若いのに」
「遅くなったら気をつけるんだよ、もう暖かくなったからおかしな連中も増えとるからねえ」
「この後の天気は晴れだってよ、良かったなあ!頑張っといでー」
などなどと、声援や世間話の一端を投げかけられて歩いて行くのは、率直に言って少々恥ずかしい。
これが同年代の、それも親しい人となると…
「よ、キー坊」
笑みのこもる爽やかな声に、あの伯父に鍛えられていつも冷静なはずの私の心臓がこり固まって、それから、跳ねた。
つとめて無感動に、正面から二人連れで歩いてくる声の主に挨拶を返した。
「こんにちは、亮介。まだ大学は春休みなの?」
「まさか!たまたま教授がギックリ腰で休講になったからさ、出るのが遅くなっただけだよ。んで、我が愛する商店街の見回り兼ねて散歩してるところ。そっちはその格好、これから仕事なんだな。伯父さんは家?俺が後から行くって言っといてくれた?」
「うん。ほんとにありがとね、私の部屋とジジイの部屋のエアコン修理、格安で引き受けてくれて。夏前に直らないとあいつ、裸で家の中をうろつきかねないから困ってたんだ」
「壊れた家電から廃品回収、迷い猫の捜索まで!よろずお困りごとはこの
どん、と頼もしく胸を叩く亮介。見た目は小ざっぱりとして今風なのに、こういう情に厚いというか郷土愛に熱いというか、そういったところがあるから都内の有名大学の一回生だというのにモテていないのだと思う。
…モテていたら、困るのだけれど。
亮介の通うのは公立であり難関である大学で、彼はそこで経営学を学んでいる。幼い頃から「俺っちがこのしょーてんがいを立て直してやる!」と息巻いているような少年で、その志はどうやら今でも健在のようだ。
そしてそんな時代から彼を知っている私は、言うまでもなく唯一無二の親友、ご近所、幼馴染なのである。
「そーそー、聞いたか?なんか最近隣町の眼鏡屋に凶悪な強盗が入ったらしくてさー。やり口も荒っぽくて、溶接工まがいの工具を使って目撃者まで手傷を負わせてるっていうらしいんだ。爆窃団の再来ってやつかねー」
「怖いじゃないか。それで見回りを?」
「うん。昼間だけど一応な。浅草の方から流れてくる観光客も多いけど、そういうのに混じって来てんのかもな」
私はそこで亮介のうしろにいる人物も外国人であることに気づいた。キョロキョロと物珍しげに看板を見上げては、「OH…」だの「Fantastic!」だのとやかましく感動している金髪男。
カウボーイハットに紐飾りのついた革のジャケット、シャツからにょっきり伸びた超人ハルクもかくやの太い腕。太い腰に太ももあたりがパッツパツの、ヴィンテージ感のあふれたジーンズ。泥に汚れた鋲を打った長靴。
まじまじと見ると、煙草屋とか乾物屋とか米屋お茶屋の店を背景にして、物凄く場違いだ。
「国際交流サークル、調子いいの?」
「んー、まだ立ち上げたばっかだからな、そっちは。とりあえずコミュニケーションの方からがむしゃらにやってはいるけど、なかなかだ」
「そうみたいだね」
外人X氏、公衆電話に目をつけて受話器を引っこ抜こうとしている。
「亮介がついてちゃんと教えてあげなよ。将来大事なお客様になるかも知れないんだから」
「おう!」
うわ、お次は店の軒先の灰皿だ。中身を確かめようとして蓋を持ち上げて、盛大にくしゃみしている。それを亮介は気にもしていない。
「なんだか心配だなあ。気をつけてね」
「俺に至っては大丈夫!不届き者がいたって、気合いでなんとかするさ!」
「そっちじゃないよ。それに、そういう時は逃げるが勝ちってね」
亮介は目を丸くして小首を傾げた。その横で外人X氏は人好きのしそうな、いかにもアメリカンの大らかな笑顔にピースマークだ。留学生なのか知り合ったばかりの旅行者なのかは分からないけど、まぁ、仲はいいということかな。
それから手を振り合って別れる。ちょっとズレてるけど、そこが可愛いんだよね。亮介は。
国道で手配しておいたタクシーを拾う。運転士の人は、いつも同じ人を寄越すように頼んである。
向こうも慣れたもので、余計なことは聞かず行先だけ確認した。
「大森海岸の、三丁目までお願いします」
言いながら、なんとはなしに胸にもたれる違和感を不思議に思った。
それは、後になってみれば重大な事柄だったのだ。
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