足元にライト照らして 3

 俺たち2人は3棟の教室を順番に回っていったが、ほとんどが鍵がかかっていた。唯一鍵の開いていた美術室も、今日は美術部が早めに活動を終えたようで美術の斎藤さいとう先生が鍵を閉めているところだった。

「残るは音楽室だ」

「本当にあんな女が出るとも思えないけれどな」

 僕が3棟3階の突き当たりの音楽室の手前のドアを開ける。音楽室だけがドアが二重構造になっていて、僕たちから見て左側にあるドアの奥は準備室になっている。正面にあるドアを開けると音楽室に入ることができるのだが、ドアノブがドアの左側にあるのでドアを開けても人が隠れられる隙間はなさそうだ。音楽室は日当たりがいいとは言えないのかもしれないが充分日光は差し込むし、音楽家の肖像画もない。波打った天井は高くて解放感もある。これは音の反響するように作られた特殊なものらしい。

「吹奏楽部は活動中かな?」

 そう言ってドアを少しだけ開けておそるおそる覗いてみる。2人でその狭い隙間を後ろから覗いてみると、音楽室には数えるほどの生徒しか残っていなかった。

「失礼しまーす」

 ドアを全開にすると、残っていた生徒がこちらを一斉に見た。

「お、元気じゃん! 篤志もどうした?」

 そう声をかけてこちらに寄ってきたのは叶内かなうち聖斗まさと。俺のクラスメートで、俺、篤志と同じ高浜たかはま小出身だ。

「研究部で七不思議について調べているんだ」

 こういうと、他の生徒たちも集まってきた。どうやら全員1年生の吹奏楽部員ようだ。ほとんどが興味津々といった感じで俺たちを見る。

「へー、研究部はそういうこともできるんだ。そうだ、分かったことだけでいいから教えてよ。こっちも知っていることは話すし」

 聖斗はミステリーが好きなだけあってこの手の話も好きなようだ。こちらとしては他に知っていることがあるなら教えてくれた方が手間が省ける。

「まず、音楽室のピアノってあれだけなのか?」

 黒板の前のグランドピアノを指さす。

「多分そうだよ。合唱コンクールの時にクラスで合唱練習するためのキーボードは準備室にあるけれどね」

 合唱コンクールというのは、11月に行われる久葉中の行事だ。各クラスの合唱の練習のために伴奏者がキーボードを使うこともあるらしい。けれど、さすがにピアノとキーボードは見間違えまい。

「ここから準備室って簡単に出入りできるのか?」

 篤志が質問すると、聖斗は「吹奏楽部員ならね」と答えた。

「聖斗、それは部活の時だけだろ」

「さすがにそれ以外は鍵かけてあるよ、逢坂おうさか先生だもん」

 周囲の生徒が聖斗に笑いかける。逢坂先生は音楽の先生であり、吹奏楽部の顧問もしている。音楽の授業では割りに厳しいというイメージがあるが、やはり鍵の施錠に関してもきちんとしている人のようである。

「っていうか結構厳しいよね、逢坂先生」

「お堅いよなー」

「ちょっと怖いよね」

 吹奏楽部員が口々に逢坂先生について不満を垂れている。

「特に戸締りはいっつも目を光らせているし」

「なんか赴任してきた2年前に戸締り忘れたらしいよ」

「その話聞かせて!」

 俺は部員たちの輪に食い込んでいった。聖斗の隣にいた女子は一歩下がったが、「お姉ちゃんから聞いたんだけどね」と前置きをして話し始めた。

「逢坂先生は2年前にこの学校に赴任してきた新任の先生だったんだって。逢坂先生すごく張り切っていて授業も部活も熱血教師って感じだったらしいんだけれど、ある日音楽室の鍵と音楽室と準備室の間にあるドアの鍵を閉め忘れて当時の先生にすごく怒られてへこんでたらしいよ。それから鍵の開け閉めにはすごく厳しくなったって」

「そんなことが……」と俺はつぶやいた。誰でも人間だから間違いくらいはあるだろう。

 そう思っていると吹奏楽部員たちは急に散り散りになっていった。後ろに人の気配がした。

「下校時刻よ、そろそろ帰りなさい」

 後ろを見ると、そこに立っていたのは逢坂先生ご本人であった。聖斗たち吹奏楽部員は「悪い、帰る!」「七不思議よろしくねー」といつのまにか帰り支度を済ませて俺たちの間をすり抜けていく。

「そこ2人も帰る」

「いや、俺たちは残留許可をもらっていまして――」

「いいから無駄話してないで出なさい!」

 逢坂先生は1つに縛ってある長い髪が肩幅まで振れるほどに勢いよく人差し指で廊下を指した。身長の高さと化粧もあって迫力は申し分ない。恐る恐る僕たちが出ると逢坂先生は音楽室と準備室をつなぐドア、それぞれのドアの鍵を閉めてガチャガチャとドアノブを回して確認する。それが終わるとカツカツと小気味いい音を立てて近くの階段を下りて行った。

「ありゃおっかないな」

「結局分からずじまい、か……」

 落ち込む暇すらないのだが、やっぱり何もなかったと思うと悔しい。

「やっと見つけましたよ」

 逢坂先生が降りて行った階段の方から声が聞こえる。見ると増田ますだ教頭先生がいた。

「増田教頭先生、どうしてここへ?」

「君たちが残留許可を出したので、戸締りの確認の際に一応様子を見てくれるよう田村先生に頼まれたのです。田村先生は下校指導がありますから。鍵の管理をしているため、下校指導が終わったら昇降口を閉めなくてはならないのですよ。逢坂先生のように君たちの事情を知らない先生方もいるので、本当は危ないのですが今日は彼女1人に見回りを任せました。澄香さんと牧羽さんには先ほど放送室近くで会いました。君たちが知りたがっているという放送室の件については彼女たちから聞いてください。二度手間ですから」

「知っていたんですか?」

 篤志が息を吹き返したように聞く。

「まさかあんな噂になって残っているとは思いもよりませんでしたが。私たちも厳しくしすぎたため、昼の放送を聞くことのできたクラスは少なかったようですし、当時の事情を正確に知る生徒もいませんからね」と増田教頭先生は言う。

「昼の放送を聞くことができなかった? どういうことですか?」

 増田教頭先生は「蓬莱先生から聞いていませんでしたか?」と首を傾げた。

「君は学校のことは何1つ聞かされていないようですから、蓬莱先生から何も聞いていないのは当然かもしれませんね。

 各教室には放送の音量を調節するスイッチがあるのを知っていますか? 5,6年前は流行歌などを流す昼の放送をよく思わない先生方もいたため、給食の時間だけ放送の音量を切っていた教室も多かったようです。職員室にも同じスイッチがあり、やはり給食の時間だけスイッチを切っていましたようです。私のクラスでは廊下に出て放送を聞く生徒の姿を何度も目撃したため、そうなるくらいならと給食の時間もスイッチを切ることはしませんでしたが、そのおかげであの件の真相も知ることができました」

 何のために放送を流したのだ。当時の放送委員が少し哀れに思える。

「では下校するときは靴を持って職員室まで来てください。人数確認をした後、昇降口が閉まっているので職員玄関の方から出てもらいますから。後で言いますが上履きは明日職員玄関まで取りに来てもらいます。くれぐれも事故などないように」と言い残して増田教頭先生は被服室の方へ向かった。

「そういえばもう合流の時間だな」

「マジで何もしてないな、俺たち」

 そう言いながらも俺は笑顔を引きつらせる。俺は篤志の歩いていく方について行った。

「僕たちは収穫なしか」

「でも俺は音楽室まで迷えず行くことができる自信がついた」

 方向音痴には効果があった、と言いたい。

「でも結局は何もできなかった」

 やはり思い出してしまう。失踪する前に何もできなかったこと。

「元気、まだ教室の方も残っている。落ち込むにはまだ早い。お前らしくないぞ」

「――そうだな」

 通路まで来ていたので俺は大股で歩き出す。

「父さんも落ち込んでくよくよしないからな。もともと穏やかだけど」

 わざと大声で言う。

「あ、でもそういえば一回父さんすごく落ち込んで帰ってきた日があった」

 俺は足を止めて後ろを歩く篤志を見た。急に止まったせいか肩を引きつらせていた。

「何があったんだ?」

「さあ。その日は父さん、帰ってくるなり『あれはよくなかったかな』ってため息ついてて。テレビ見たら結構過激なサスペンス系のドラマをやっていて、『元気、こういうの好きか?』って聞いてきて。『そこまでじゃない』って答えたら『そうだよな……』って言ってご飯よそって持ってきた。それで夕飯食べながら『やっぱり嫌な気分になる生徒もいるよな』ってつぶやいていた」

 久葉中に勤務していた時のはず。当時は生徒指導に追われていつも大変だったはずだ。でも中学校の授業でサスペンスなど扱うだろうか?

「元気の親父さんって何の教科教えていたんだ?」

「ん? 社会」

 篤志に聞かれて気付いたが、社会の授業はもちろん、道徳、総合、学活にしたってわざわざ取り上げなくてもいい話題だ。

「というか元気はその時小学生だよな。何でそんな番組を見ていたんだ? しかも元気の親父さんは食事中だったのに」

「え、それは覚えていないけれど――あ、そうか!」

 給食の時間の放送中に起きたアクシデント。これは怪奇現象でも機械のトラブルでもない。

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