第52話 奈緒のロックンロール(Dear My Fuckin' Valentain)

 公開処刑ライブの幕開けからわずか15分――

 主催者・折田六誤郎が織り成した悪夢の連奏は、すでに二人の犠牲者を出した。


「――――」

 右腕をもがれたグレンG。


「――――」

 幻覚に侵されたシャム。


 教会中央のヴァージンロードで、二人の女子高生が死んだように倒れ伏している。

 彼女たちは、戦った。

 バンドのリーダーを守るため、その身を挺して戦い、果てた。


(シャム……)

(優子……)

 会場に残るは、ギターの奈緒とベースのレイ。

 相対するは、ひとり壇上ステージに立つヴァイオリニスト・折田六誤郎。

 

 奈緒たちの背後では、十数名の外国人スタッフたちが撮影機材とともに入口の扉を固めている。彼らが構える大型カメラの向こうには、数十億人の視聴者リスナーがテレビやパソコンの前で釘付けになっている。あまりにも衝撃的なライブ映像シーンの連続に、誰もが誰を応援するでもなくただその行く末を見届けてやろうとしている――。



「さあ、三曲目を始めるぞ……!」

 

 奈緒の父・折田六誤郎は強敵だった。

 シャムとグレンの激しい音楽こうげきを受けていながらも、ほぼ無傷。

 一度は落とした弓を何事もなかったように拾い上げ、再び楽器の弦にあてがう。

 その演奏モチベーションはまったくの衰えを見せない――



「もうやめて」


 父親を睨みつける奈緒。

 その声と表情に震えはない。


 奈緒の緊張は解けていた。


 倒れ伏した二人の仲間メンバーを前にして、ひとり震えていられるわけがない。

 纏わりついていた一切の緊張感を振り払い、怒りと憎しみを肌や毛先にまでがっつりと浸透させる。その不細工な形相を世界中に見られていようが関係ない。

 奈緒の演奏準備は整った。


「殺してやる……!」


 ギターを構える奈緒。

 左手でネックを握り締め、右手のピックにありったけの感情を込める。

 テレビカメラが奈緒を見つめ、世界中の視線が奈緒に集まる。


「ほう……いい構えだな」

 愛想もなく娘を褒める折田。

 奈緒が家を飛び出してから七か月――その期間に体験した出来事が奈緒にとって一体どれほどの価値があったのか、折田は確かめてみたくなった。


「冥土の土産に一曲だけ聴こうじゃないか。おまえの‶ロックンロール〟とやらの価値を私が精査してやろう」


 折田は楽器を床に置き、腕組みをして拝聴体制を整えた。

 ロックンロールごときで自分がやられるわけがないという圧倒的な自信。

 やれるもんならやってみろという驕りの姿勢。

 逝く前に一曲だけ弾かせてやろうというなけなしの父性愛。


「これがお前の最後の演奏ラストプレイだ。死に物狂いで弾いてみろ」



「――――」

 奈緒にとっては、最大のチャンス。

 自分の音楽を世界に喰らわせる絶好の舞台が整った。


「あたしのロックで、ぜんぶ壊してやる!!」


 奈緒は右手を振り下ろし、


「喰らえええええええええええええええっ!!」


 ギターの弦を、一度だけ鳴らした。









電気仕掛けの伝道者ライトニング・テレキャスター








 音が響いた。


 演奏時間はたったの三秒。


 ロッカーは多くを語らない。


 奈緒は一音ですべてを表現する。


 まずは現場の撮影スタッフ全員が、耳汁を吹き晒して次々に倒れ込んだ。

 残された機材だけが黙々と世界への配信を続ける。


 奈緒が鳴らした一撃は、カメラやマイクを貫通して世界の人々の耳へと届いた。


 テレビやインターネットを所有する富裕層――世界人口の約8割の人間が、奈緒のロックを確かに聴いた。


(世界に轟け! あたしの破壊衝動ロックンロール!)



 





 しかし、その音にいのちを奪われた者は、誰一人としていなかった。





(え……?)





「くだらない演奏だな」


 最前列まぢかで音を聴いていた折田でさえも、結果は同様であった。

 まるでハエの羽音でも耳にしたかのような表情で腕組みを続けている。

「それがお前のロックンロールか?」


 結局、奈緒の音楽をまともに喰らったのは現場の撮影スタッフのみ。

 彼らでさえもただ気絶しているだけに過ぎず、そのいのちまでは奪われていない。



「…………」

 音を鳴らした奈緒自身も、自分が鳴らした一撃にどこか違和感を覚えていた。

 以前のものよりも、明らかに‶歪み〟がない。

 怒りや憎しみの裏で、消し去り切れない愛情が揺蕩う――そんな中途半端な音。

 七か月前の自分の音は、もっと尖っていたはずだ。

 だけど今の自分の音は、棘を失い丸くなっている――――


(なんで……?)


 奈緒はこれまでに、沢山のライブ経験を積んできた。

 経験を積めば、音は研ぎ澄まされていく――そう思っていた。

 しかし、そうではない。


 奈緒はこれまでのライブの中で、多くの‶人々〟と関わってしまった。


『KAMASE-DOGMANS』。

『スコティッシュ・クバリス』。

『クロコダイル・ティアーズ』。

『DJアゲハ』。

『アイアンメルヘン』。

『細径妖子』。


 彼女たちとの戦いの中で、奈緒は多くの感情に触れ、様々な人間模様を目の当たりにした。出会いと別れを繰り返し、その表現力は豊かさを帯びた。


 奈緒にとっては、それが大きな仇となった。


 育まれた人間らしさは、奈緒の音楽性を狂わせた。

 誰かを、何かを壊そうとする破壊衝動――奈緒が本来持っていた破壊衝動は、人々の笑顔や愛情に侵され無意識のうちに失われてしまった。

 奈緒の人としての成長が、奈緒のロッカーとしての才能を徐々に退化させてしまったのだ。


「奈緒…………?」

 傍で見守っていたレイも、奈緒の音楽性の変化に気が付いた。

 今まで何千と聴いてきた鋭利なギターフレーズが、明らかに刃こぼれを起こしている。

 丸みを帯びた音楽は、もう誰の心にも刺さらない……。




「おまえの音楽には、なんのメッセージ性もないんだよ!」


 罵声を撒き散らす折田。

 父親の性からか、折田は娘に説教を垂れ流し始めた。


「私の言うことを聞かないから、そんな中途半端な音しか出せない人間になったのだ!」


(…………)


「ろくでもない人間からは、ろくでもない音しか生まれない! まさにロックでもないということだな、がっはっは!」


(…………)


「お前は一生私の言うことを聞いていればいいんだよ! そうすれば必ず更生できる! 今からでも私の言う通りの人生を歩むならば、お前の罪をすべて免除してやってもいいぞ?」


(…………)


「さあ、私と一緒にクラシックを始めよう!!」

 両手を広げる折田。

 支配的な笑顔を浮かべ、奈緒へゆっくりと歩み寄る。



「ふざけんな……」


 奈緒は数多の感情を巡らせた。


 自分の根底には、常にこの男が潜んでいる。

 父親という存在が、自分の人間性を大きく狂わせている。

 父親という存在が、自分の音楽性を大きく惑わせている。

 

 無意識のうちに、あたしは父親に束縛レイプされている。


 あたしは常にロックでありたい。

 何ものにも縛られず、完全に‶自由〟な存在でありたい。


 だけど父親という繋がりがある以上、あたしは自由に羽ばたいていけない。

 あたしが自由になる為には、どうしてもこの足枷を取り除かなければならない――――


 短い自問自答の末、奈緒はひとつの答えをはじき出した。


「消えろ! くそおやじ!! この世界からいなくなれ!!!」




 奈緒は壇上へと駆け上がり、ギターを斧のようにして振り上げた。




「何ッ!?」

 目の前の俊足に対応を遅らせる折田。



「あたしはあんたのおもちゃじゃない!! あんたがあたしのおもちゃになれっーーー!!」


 

「ばかっ! やめっ――」




 物理攻撃。


 奈緒はギターで、父親の頭部を打ち鳴らした。


 耳を塞ぎたくなるような反響音ハウリングが、会場全体に鳴り響く――――





「――――」

 音を鳴らした奈緒は、絶頂した。





 この曲最高。


 なんて気持ちが良いのかしら。


 あたしが鳴らしかったのは、この音よ。


 むかつく誰かを殴る音。


 こんな音で気持ちよくなるなんて、あたしってホントいかれてる。


 最高だわロックンロール





「がっhはああああああああああああああああk!?」


 折田は絶命した。


(そ、そん……な……ばか……な……)


 しかしその死因は、肉体的なものではない。

 17歳の少女のパワーなどたかがしれている。女子高生にギターで殴られたごときで死に至るようなやわな男ではない。


 致命傷となったのは、自らがその父親であるという受け入れがたい真実。

『娘に鈍器で殴られた』という精神的ショックが、折田の理性を崩壊させた。


(こ、こんな娘に、育てたつもりは……)


 まがりなりにも愛情を注いできた実の娘に、まさか鈍器で殴られるわけがないとういう思い込み。その常識を覆された反動は、人生を揺るがすほどに大きかった。


(なんてあっけないんだ……これが私の人生なのか……?)


 積み重ねてきた沢山の社会経験キャリアが、音も立てずに崩れ落ちていく。

 世界に新たな法律を作るという折田の野望は、自らの子育てとともに失敗に終わった。


乙女心オトメゴコロ理解不能リカイフノウ…………子育ては……難しい…………)



(――――)

 やがて折田の脳波は停止した。

 壇上から倒れ落ち、血を流すことなく死に至る。

 娘に対する愛情を、うまく表現できなかったアーティストの末路である。




「ざまあみろ」


 奈緒は父親を殺した。

 ひとり壇上に立ち尽くし、ギターを床に突き立てる。

 彼女にとって、それは終演の合図である。



「奈緒……それがアンタのロックンロールなの?」


 レイは静かに感想を漏らした。

 言いたいことの全てを飲み込み、ただそれだけを口にした。


 奈緒は答える。


「ええ、そうよ」




 パパがこの世から消えたことで、あたしは完全に自由になった。


 もう誰もあたしを咎めるやつはいない。


 あたしは究極に自由。


 あたしは究極に自由。


 あたしは究極に自由。




 後悔はない。


 悲しくない。


 寂しくない。




 でも、嬉しくもない。




 なんで?


 なんでなの?


 まだ足りないの?


 まだ足りないというの?


 あたしはどうすれば、自由になれるというの?

 



「……………」


 奈緒はカメラのレンズを見つめ、思考の迷路に迷い込んだ。

 カメラのレンズの先にいる、自分を見つめて出口を求めた。





 あたしが壊したいのは、たぶん世の中なんかじゃない。


 あたしが本当に壊したいのは、きっとあたしそのものなんだ。


 世の中に入り込めない自分が、どうしようもなく退屈で、


 自分が入り込めない世の中が、どうしようもなく窮屈なんだ。


 こんな世界なら、もう壊れてしまえばいい。

 こんな自分なら、もう壊れてしまえばいい。

 ぜんぶ壊れてしまえばいい。

 ぜんぶ失なってしまえばいい。


 あたしはただ、自由になりたいだけなんだ。




 シャム、


 レイ、


 優子、



 ごめんなさい。




 奈緒は仲間のほうを向き、ギターを掲げて叫びを上げた。


「あたしはこれから自由になる!  デスペラードン・キホーテは今日で解散よ!」


 あたしは楽器で人を殴った。

 もう音楽をやる資格はない。

 自分の刑は、自分で執行する。

 それがあたしのロックンロール。




(奈緒……)

 レイは壇上を見上げた。

 奈緒と多くを共にしてきたレイは、奈緒の発言が一時の感情ではないことをすぐに理解した。それが揺るぎない決意であることも、確かめるまでもない。


 仲間の意志を否定することは、極めてロックではない。

 例えそれが、どんな思惑であったとしても。


「それがあなたのロックなら、アタシはここで見送るわ」

 レイは最後まで、自分のロックを貫き信じた。

 


「レイ……ありがとう」







「おれもおまえを止めないぜ」


 気絶しながら言葉を紡ぐグレンG。

 渾身の力を振り絞り、仲間へ精一杯の激励を放つ。


「奈緒、安心して逝けばいい。たとえどこへ逝こうが、おまえはおまえだよ」


 仲間の決意リズムを最後まで繋ぐこと、それがドラマーの運命さだめ

 グレンGも最後まで、自分の役割を貫き演じた。



「優子……ありがとう」






「にゃお……」

 あまりの異常事態に目を覚ますシャム。

 その際に思わず股間が緩んだが、シャムは最後まで失禁をこらえた。

 ここで漏らしてしまったら、すべてが台無しになってしまうと思ったからだ。


(ふにゃ……)

 シャムは溢れ出しそうな全ての想いを、自分の股間に封じ込めた。

 そしてただ一言を、柔らかな顔で囁いた。

「ばいにゃあ……」



「シャム……ありがとう」



 


 覚悟を決めた奈緒は、ゆっくりと壇上の奥へと進んだ。


 憧れの《テッヅ=カオサム像》と向かい合い、立ち止まる。


(…………)


 そしてまた仲間のほうを振り返り、大きな声で笑顔を投げた。


「みんな、ありがとう! 超楽しかった!」


 奈緒はギターを構えた。














 ロッカーは多くを語れない。


 なぜならば、その生涯がとても短いものであるからだ。













「あたしは感情無きケモノ、ロックンローラーよ!」


 奈緒はギターを自分の胸に突き刺した。


 脂肪分の少ない平らな胸板が、その行為を大きく助長する。


 その小さな胸からは、血が一滴も流れない。


(テッヅ……これであんたと一緒だね)


 奈緒はもう、人間ではなくなった。


 すべての感情から解き放たれ、自由の象徴への転生が始まる――。





                        7th LIVE finished.

 (※次回で第一部完結になります)


 

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