第43話 哀しき血抹(Bloody The End)

「ウニャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!!!!」


 シャムは失禁した。

 体内に残ったコーラの全てを絞り出し、解き放った。

 奈緒たちの応援を背に受けたシャムの身体は、英気に満ちていた。

 その膀胱は、全盛期である幼少期の活力を取り戻し、生み出された黄金水のすべてがダイヤモンドのような輝きを放っている。

 その一粒一粒に込められた想い――匂いは、まるで天然化粧水のような優しさを含んでいた。


 しかし、その優しさは、細景の身体には毒だった。





【ぎゃああああああああああああああああああああああああっ!!】


 絶叫する細景。

 嗅覚を犯され、意識が遠のき始めている。

(ま、まだだ……! まだ、負けてたまるか……!)

 しかしながら、音を紡ぐその手を離そうとする素振りは一切ない。


【わらわは……天才……! こんな……スメルごときで……やられるような……ヤワな……女では……な……】

 手元を狂わせながらも、必死に演奏を続ける細景。

 しかしその鋭い目つきからは、なぜか一筋の涙が流れ始めている。

(な……なんなのだ……この……人間臭いなつかしい香りは…………)



 シャムの放った聖なる芳香は、狂気に侵された細景の心を浄化しつつあった。

 まるで母乳のごとく慈愛に満ちた味わいが、細景の内に潜む純真無垢な幼心おさなごころを呼び起こしつつあったのである。


(ぐうッ!? わらわの、感情が……精神が……稚拙な香りに、侵されていく……)



 そして細景は、思い出してしまう。

 まだ、〝人間まとも〟だったころ。

 この世に生を受け、産声を上げ、お漏らしをしたあの日。

 そこから、現在に至るまでの過程。

 母国の地――日本ジャパンでの、忌々いまいましき思い出メモリーズ――――。





            ☆☆☆☆☆





 一人で食べた、朝ごはん。


 一人で歩いた、通学路。


 一人で過ごした、休み時間。


 一人で食べた、お昼ごはん。


 一人で帰った、通学路。


 一人で寄った、楽器屋さん。




 ギター、高い。


 買えない。


 欲しい。


 どうしよう。




 そういえば、家に三味線がある。


 ……ママの遺品。


 それでいいや。


 それを持って街へ出よう。


 おうちはもうあきた。






 一人で歌った、深夜の駅前。


 スカウトされた。


 CD出した。






 売れた。


 お金もらえた。


 でも嬉しくない。


 満たされない。






 一人で臨んだ、初ライブ。


 みんな喜んだ。


 褒められた。


 でも嬉しくない。


 満たされない。


 



 逃げた。


 海外へ逃げた。


 一人で行った、初めての海外。


 お金なくなった。


 おなか空いた。


 稼ごう。弾こう。





 みんな喜ばなかった。


 お金くれなかった。


 なんか言われた。


 言葉、わからない。


 おなか空いた。


 




 みんな土に埋めた。


 ごはん食べた。


 満たされない。





 帰ろうとは思わなかった。


 帰っても一人だから。


 どうせ一人だから。


 わらわ、一人だから。


 ずっと一人だから。


 でもずっと一人でいい。


 わらわ、天才だから。


 ほかのやつらと、違うから。


 一人のほうが、楽だから。


 一人のほうが、好きだから。






     でも





              ひとりぼっちは


 






        さみしいよお。





(しまった……!)

【グワアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!】


 細景、失禁する!


 一瞬の気のゆるみが、仇となる!


【おかあさあああああああああああああああああああああああああああんっ!!】


 想いと一緒に流れ出る、命の源水――血液!

 鼻血はなじ血涙けつるい血尿けつにょう――。



 細景は、鼻血と血涙と血尿を同時に吹き曝し、最愛の楽器とともに背中へ倒れた。

 白装束は赤に染まり、胸元の三本弦がひるがえる――ぶち切れた。


(終わった……)



 しかし細景は、安堵の表情を浮かべていた。

 自らが創り出した窮屈な固有世界から解放されたかのような、安堵の表情を浮かべていた。

 シャムが放つ鮮烈な〝せい〟の香りが、浮世離れしていた細景の精神こころを呼び戻したのである。


(わらわの……負けなり……)






 やがて曲は、鳴り止んだ。

 曲が鳴り止んだことにより、奈緒、レイ、グレンG――

 そしてシャムの拘束が、一気に解きほぐされる。


(ボクの……勝ちだにゃあ……)


 瞬間、アスファルトに全身を預けるシャム。

 その際、地面に転がっていたコーラ缶を押しつぶす。


 ――プシャアッ!


 ――シュワシュワシュワ~




(ご清聴……ありがとうにゃあ……)


 その情けない破裂音が、シャムにとっては勝利の大喝采に聴こえた――。


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