第3話 シブヤアの夜(Nights of 109)
シブヤアの街は夜を迎えた。
ごった返した中央通りに、ぼやけたネオンサインが乱雑に散らばる。
「あたしは今夜、鬼になる」
その中から
まるでマサカリを担いだ金太郎のごとく、相棒の《ライトニング・テレキャスター》を肩に乗せ、ゆっくりと歩いている。
その後、ドラッグストアでレイと、
「お金もってくんの忘れちゃった」
ハンバーガーショップでグレンGと落ち合う。
「なんでラーメン売り切れなんだ?」
無事に合流を果たした三人は、シブヤアの小さなライブハウス『イヌゴヤーン』へと足を運んだ――。
当然、
『予定を組む』という概念を、彼女たちは持ち合わせていなかった。
やりたいときに、やりたいことを、やりたいようにやる――代わりにあるのはそんなポリシー。座右の銘は、『自由の女神よりも自由』である。
殴り込まれる側からしてみれば、大金をはたき、客を呼び込み、真面目に予定を組んでライブを楽しんでいるのだから、たまったもんじゃない!
そんな今夜のかわいそうな犠牲者は、
ギターボーカルの
『犬の鳴き声をカラダで表現したい』という信念のもと、四つんばいで演奏するという型破りな音楽性で全国の愛犬家たちのハートをつかみ、確かな演奏力とやさぐれたルックスも相まって、いま、着実に人気をつけてきている話題の筆頭である。
そんな、まさにこれからというときに、彼らは犠牲者となる。
☆☆☆☆☆
『イヌゴヤーン』の入り口には、ひとりのチケット売りが立っていた。
このチケット売りという仕事は、提示されたチケットをちぎるだけの簡単なお仕事――つまり、アルバイトである。時給は、ちょっと高めの1350円。
「らっせぇ~」
売り子(21歳)は、生活費に困っていた。
高校卒業後、幼いころから抱いていた都会への憧れを実現すべく田舎から東京に出てきたはいいものの、その高い家賃からすぐに生活苦に陥った。
売り子のアルバイト暦は長い。
正社員は視野になく、短期バイトで日銭を稼いで東京のまちをぶらつく、という生活が何年も続いていた。
目的も目標もない人生。あるのは『遊びたい』という気持ちだけ。
遊びたい。けどお金がない。働きたくない。だけどお金のために働く。そのあと遊ぶ。またお金がなくなる。働きたくないけど働くがすぐやめて遊ぶ。働く。遊ぶ。遊ぶ。働く。働きたくない。しょうがないけど働く。遊びたい。もっと遊びたい。
そんなループに、売り子自身もちょっと疲れていた。
――そんな矢先の出会いだった。
「どきな」
奈緒がギターを構えた。
「どきませぇ~ん。チケットみせてくださ~い」
売り子が抵抗する。
流れ作業の疲れからか、その滑舌には覇気がない。
正直、かったるい。けれども、最低限の仕事はこなしたい――チケット売りのわずかなプライドだけが、売り子の身体を動かしていた。
しかし、ライブチケットの提示など、殴り込みに来た三人に対しては意味のない催促である。
「天国行きのチケットならあるけど、どうする?」
奈緒のうしろでレイが提案する。
「天国……?」
売り子の思考が止まる。
売り子は、
それがいけないことだとは、頭でわかっていながらも。
「ふぅん、なるほどね」
何かを察したように、左手でギターの
「あたしがあんたに自由をあげるわ」
その右腕をだらりと下ろし、
「でもこれは、ただの権利。選択するのはあんただよ」
手前に引いた。
『天国へのガイダンス』
浮遊感を
売り子の華奢な魂を空へと届けるには、十分すぎるくらいに軽やかな響きであった。
「わ、わたしは……お空を飛べるの?」
売り子の両耳からは、耳汁が溢れ出す。
(おかあさん、ごめんなさい。でもわたしはあっちのほうが、幸せになれるかもしれない。お空のうえで、一生遊んでいられるから。まずはきれいなお洋服を着て、小鳥とダンスをして遊ぶ)
演奏時間、三秒。
その曲を聴き終えた売り子は、小銭をばら撒きながら、静かに倒れこんだ。
ばら撒かれた小銭が、サイフを忘れたレイのもとへと転がる。
「……盗みはロックじゃないね」
レイはそれらに目もくれず、身に付けていた腕時計をはずして放り投げた。
「チケット代、これで足りるかしら」
売り子の胸に置かれたのは、109万円相当の高級ブランド腕時計。
これを質屋に持っていけば、服やバッグ、食費や家賃にだって化ける。
延々と続くバイト生活から、抜け出すきっかけにだってなり得る――。
(わたしが欲しいのは、お金じゃない――)
売り子の魂は、天国へと旅立った。
お金という概念のないその世界のほうが、売り子にとって居心地が良いのかもしれない。
これは彼女が選んだ。
奈緒は、その
「…………」
なにか思い残すことがあったのか――売り子のポケットからは、半額シールのついた一個のおにぎりが、涙のようにポロリとこぼれ落ちた。
「おっ」
グレンGがためらいなくそれを拾う。
「やめなさい。盗みはロックじゃないよ」
レイが警告する。
しかし次の瞬間――グレンGは、そのオニギリをビニールごとかみちぎった。
「それはおまえのロックだろ? おれにはおれのロックがある。自分のロックを他人におしつけるのが、おまえのロックなのか?」
少し考えたあと、レイは足を進めた。「それもそうね。ゴメンアソバセ」
「……じゃあね」
安らかに眠る売り子を横切り、後に続く奈緒。
かくして三人は、『イヌゴヤーン』へと会場入りを果たした。
奈緒がギターを肩に下げる。
「行き場をなくしたケモノたちのニオイがするわ」
レイがベースを胸に抱く。
「アタシたちの音楽が、アロマの代わりになるかもね」
グレンGがオニギリを噛みしめる。
「さっさとおっぱじめようぜ。この米の甘味が消えねぇうちにな」
嵐の夜が、はじまった。
『KAMASE-DOGMANS』
ジャンル:パンクロック
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