後日談8 メアリさんの恋事情(3)

「────【グランドサルヴ】」


 辺りに光の微粒子が広がり、見えていた景色も、妹の姿も消えていく。

 サルブは魔法による幻覚なんかを解く魔法だ。

 これが効果を為したということは、やはり妹の姿は幻術か何かだったのだろう。


「さよなら……エミリ────」


 辺りが真っ白に染められていく。

 そして、子供に戻されていたあたしの体も元通りになっていた。



「さて……犯人は誰? 今のは、ちょっと悪戯が過ぎたよ!」

『クックック……まさか、この俺の幻術を自力で解く奴がいるとはな』


 そこに悪魔のような姿をした男が現れた。

 まさか、魔族……? 

 不気味な姿をした男は、長く伸びた舌で手に持つ大きな鎌を舐めている。


「あんた、何者? 魔王側に居た魔族の残党?」

『俺か? 俺はな……人間だよ。

 人々に忘れられたまま、ここで野垂れ死んだ可哀想な人間さ。

 気が付いたらこんな姿になっちまっていたが、そのおかげでこんな素晴らしい力が手に入ったんだ』


 ……こいつ、ゴーストか。

 この世に強い未練を残した人間が、稀に魔物のような存在となり生前よりも強い力を得るという。


 男がこちらに手を振り上げると、地面から長いツタが生えてきた。

 あたしはとっさに身を交し、ツタを【ウインドカッター】で切り裂いた。


「切れた……ツタは幻術じゃ無い?」

『半分正解で半分不正解だ。

 この世界では、俺が生み出したものは、まるでそれが現実のもののように具現化される』


 つまり、質量を持った幻術みたいな感じということか。

 それなら、ツタもサルヴで消してしまった方が早かったか?


「種がわかればどうってことないわ。あんたごと、この世界そのものを消し去ってやればいい」


 あたしが再びグランドサルヴの詠唱に入ろうとすると、男の足元にはいつの間にかエゴイ君が倒れていた。

 男は嫌らしい笑みを浮かべ、手に握られた鎌の先は首元へと向けられている。


「エゴイ君……それも、あんたのお得意の幻術?」

『これをどう取るかはお前次第だ。だが、幻術で無ければ……こいつは死ぬッ!』


 くッ……どうする!?

 あれが本物のエゴイ君だったとしたら────詠唱して確かめている時間なんて無い!


『俺としては、殺すのはこの男からでも構わんのだぞ』


 そう言って、男は鎌の刃先をスッと動かした。

 エゴイ君の首筋からは微量の血が流れている。


「やめなさい! エゴイ君を傷付けないで!」

『これはこれは、思いがけず効果的だったようだな。

 ククッ……良い表情だ。よし、やはりお前から生気をいただくとしよう!』


 あれは幻術かもしれない……でも、もしそうじゃなかったら……。

 もう、禁術は使えない……死んでしまった人は生き返らない。


『おっと、動くなよ』


 男はニヤリと笑うと、その腕を高く上げた。

 下から再び長いツタが伸びてきて、あたしの体に絡みつく。


『いいザマだな。では遠慮なく……』

「うあっ!」


 男の大鎌が、あたしの胸元を大きく切り裂いた。

 やばい……致命傷だ……。


『うむ、悪く無い味だ』


 男はその長い舌で鎌に付いた血を舐めている。

 見ているだけで、気分が悪い……。

 胸元からの血が止まらない……、このままじゃ……。


『クックック……ずっと幻術の世界で楽しんでいれば、痛い目に遭わずに済んだのものを』


 出血のせいで、目が霞んできた……。

 抵抗しようにも、もう……力が入らない……。

 詠唱が……間に合わない……。



●○●○



『エゴイ君、今日はあたしを好きにしていいんだよ』

「メ、メアリさんともあろう方が、何をはしたないことを言ってるんですか!?」

『エゴイ君ってエロイ君だから、あたしとこういうことしたかったんでしょ?』


 メアリさん……いくら二人きりだからって、なんて大胆な事を!

 あと、僕はエロイ君じゃありませんってば!


『ほら、この大きな胸だって、エゴイ君の好きにしていいんだよ!』


 ぶっちゃけてしまおう……確かに僕はメアリさんのことが好きだ! 大好きだ!

 メアリさんの大きな胸だって大好きだ!

 ああ、そうさ……僕はエロイ君さ、もうそれでいいよ!


 でも……僕はこんなこと望んでない。

 清らかに、健全に、メアリさんとは純愛を育んでいきたかったんだ。

 いや、こういうのも嬉しいんだけど……だけど!


 僕がアステア国に来たのだって、本音を言ってしまえばメアリさんと一緒に居たかったからだ!

 メアリさんの下で一緒に研究できるって喜んでたら、いつの間にか僕が魔道士長にされてて、何だか良いように使われてしまっている気がしなくも無いけど……。

 だけど……それでも、僕は────


「メアリさん……やっぱり駄目です! こんなのメアリさんらしく無いですよ!」

『エゴイ君はあたしの事、嫌い?』

「そ、そんなわけないじゃないですか! でも、僕は……できれば……文通から……」


 メアリさんに潤んだ瞳で見つめられ、僕の理性は崩壊寸前だ。

 据え膳喰わぬはとも言うし、メアリさんにここまでさせておいて何もしないってのも……。


『エゴイ君……』


 おかしい……やっぱり、このメアリさんは何か違和感がある。

 よく考えてみろ……あのメアリさんだぞ?

 急に、こんなしおらしくなるはずが無いじゃないか。


 そうか、もしかしたら……僕もメアリさんも、何か幻術にでも掛かっているんじゃないか?

 いや、彼女ほどの人が、そうそうそんなものに掛かるとは思えない……が、僕だったらどうだ?


 言ってて悲しくなってきた……。

 よし、念の為だ。これで何も変化がなかったら、その時は……。


「メアリさん、ちょっとだけ待ってください……、もしかしたら、僕は悪い魔法に掛かっているのかもしれない」

『何を言い出すの? エゴイ君』

「──【ラウンドサルヴ】!」


 どうだ……? 何か変化は?


『……』


 ほらな、チクショーッ……!

 物言わぬまま、目の前のメアリさんが崩れていく。

 こんなの、本物のメアリさんなわけないよなー……わかちゃいたけどさ。


 ────ということは僕は今、何者かの攻撃を受けている?

 もしかして……これが休憩所で起きている異変なのか?


 まあ……こんなこと言うのは不謹慎かもしれないけど、いい夢だったよ。

 でも、余計なお節介だ。

 幻術なんかの手を借りなくても、メアリさんとの事は、いつか僕自身の手で叶えて見せる。



────────

────

──



「────【デオサンダー】!!」

『ぐああああーーーー!?』



 ……え? 今の声────



「お前だな、僕に幻術を掛けたのは……ありが……じゃ無かった、ともかく許さん!」


 エゴイ君の声が聞こえる……。どうなってるの……?

 ……駄目だ……もう、体が動けない……。


「メアリさん!? 酷い出血だ……。────【デオリザレクション】!」

「え? ……えっ?」


 上級回復魔法が、あたしの胸の傷を癒して行く。

 見上げると、そこには見知った彼の姿があった。


「メアリさん、何もされてませんか?」

「え? 何もって?」

「だから、その……、あいつに……、手を出されたりはしてませんよね?」

「あ、うん……。ねえ、エゴイ君は本物?」

「──【ラウンドサルヴ】 ……どうです? 僕もメアリさんも、本物でしょ?」

「エゴイ君……!!」


 あたしは、思わずエゴイ君に抱き付いてしまった。

 温かい……。良かった……エゴイ君は無事だったんだ!


「メアリさん……う、嬉しいですけど……今は離れてください!」

『なかなか痛い魔法を使ってくれるじゃないか。おかげでちょっとだけ痺れて動けなかったぞ』

「上級魔法を直撃させたのに……、しぶとい奴め」

『ここは、俺の為だけに作られた俺の世界だ。お前がどれほど強力な魔法を使えようと、この世界で俺が死ぬような事は無い』


 男は鎌を大きな振り上げて、エゴイ君に襲い掛かってきた。


「エゴイ君、あたしももう戦えるわ。一緒にこいつを──」

「メアリさんは下がっていてください……というか、きちんと胸元隠してください」

「あっ……えっ!? やだ、エロイ君!!」

「エロイでいいですよ、もう……!! ちくしょー……全部あいつのせいだ!!」

『いや、それは違うだろ……』


 男から思わず突っ込みが入る。

 エゴイ君は半泣きで怒りながらも、何かの魔法を詠唱し始めた。


『何をする気か知らんが、あの程度の魔法ならこの俺には効かんぞ』

「【マジックミラー】!」

『馬鹿め、こんな鏡を出してどうする気だ』

「【マジックミラー】!」


 エゴイ君は男を無視して魔法の鏡を次々と出現させていった。

 もしかして、鏡で反射した魔法をぶつける気?


『俺の虚を突いて反射した魔法をぶつける気だな? ……そうは行くか!』


 鎌の先がエゴイ君の腕をかすり、血しぶきが飛んだ。

 エゴイ君が何を考えてるのかわからないけど、作戦もバレバレみたいだし、このままでは負けてしまう。

 こうなったら、あたしが今のうちにミリューガ級の魔法を詠唱して──

 魔力が足りない……さっき生気ごと魔力を持って行かれてしまったのか!?


『女の前で恰好付けたいとは、大した色男じゃないか……だが、それが命取りだ!』


 男はマジックミラーを叩き割りながら、再びエゴイ君に向けて飛び掛かった。


「やっぱり、ケチって一枚ずつだと間に合わないか」

『死んで絶望の糧となるがいい!』

「【ブライトニング】!」

『ぐあっ!』

「キャッ!」

「あ、メアリさん、ごめんなさい!」


 あいつの目くらましには成功したみたいだけど、突然だったからあたしの目も眩んでしまったじゃないか!

 それにしても、エゴイ君ってば何をするつもりなの?

 ただの時間稼ぎ? それとも……。


『き、貴様ァ……!』

「────【ラウンドリフレクション】!!」


 エゴイ君が、初めて聞く魔法を詠唱したみたいだった。

 ラウンドリフレクション……?

 リフレクションってマジックミラーの中等魔法だったはず……それを範囲指定と組み合わせたというの?


「これでお前を囲むことができたな」

『グギギ……鏡なんかで俺をどうする気だ!』

「僕は、メアリさんとは違って大した魔法は使えない……せいぜい上級魔法程度がいいところだ。

 だが、魔法の術式を応用することでお前を魔法の鏡で取り囲むくらいのことはできる」

『それが何だというのだ! こんなもの、全て叩き割ってくれる!』


 そうこうしているうちに目がだんだんと馴れてきた。

 真正面から閃光を受けたあいつはまだ完全とはいかないみたいだけど、このままだとまた鏡を破壊されてしまう。


「────【ワイド・デオサンダーアロー】!!」


 エゴイ君の放った無数の雷の矢が、鏡に囲まれた男の体を貫く。

 そして、貫いた矢はリフレクションで反射して、また男を貫いた。


『ぐがああああ!!』

「この攻撃は、僕のリフレクションを維持する魔力が尽きるまで続く。死ぬことが無いお前でも、痛みくらいはあるんだろう?」

『ぐうっ……! ふざけるな! このくらい上に避けて……動けないだと!?』

「さっきサンダーを受けた時、お前は痺れて動けなかったと言った。 例えこの世界ではお前が最強だったとしても、魔法の効果が出ないわけでは無いという事だ。

 そして、このサンダーアローも同じ特性を持っている。それに加え、デオの加護で射出速度を上げておいた。つまり、お前はこの魔法から逃れることは出来ない」


 鳴り響く魔法の反射音と炸裂音、そして男の叫び声。

 そうか……魔法にはこういう戦い方もあったのか。


『鏡の……ぐあっ! 魔法が……ぐひっ! 消えたら……どひゃっ! お前を……殺してやるからな! ぎゃひっ!』

「たぶん、あと三時間くらいはもつかな。それまでここでお前の悲鳴でも聞いててやるよ」

『さ、三時間だと……!? ぎゃあっ!』

「リフレクションは術者が離れれば消えてしまう。だから、こうして近くで待っててやるんだよ。

 お前がそれまで耐えられたら、僕達をどうとでもするがいい」

『ふ、ふざけ……ぎゃふんっ! か、返す! 元の世界に返してやる! くそっ……覚えてろ!』


 一人でゴーストに勝っちゃった。

 エゴイ君ったら、いつの間にこんなに逞しくなって……。


 男が手を上げると、そこから世界が真っ白に広がって行く。

 あたし達、元の世界に帰れるんだ────。



………………

…………

……



「う……ん……」

「メアリさん、おはようございます」


 目が覚めると、そこはさっきまでいた休憩所だった。


「エゴイ君! 本物のエゴイ君だよね!?」

「もちろんですよ。さ、後始末をしますよ」


 エゴイ君に続いて、あたしも休憩所の外へ出た。



◆◇◆◇



 あたし達は、再びあの墓石の前に来ていた。

 ここから、微かだけどあいつの魔力を感じる。


「あまり気乗りはしませんが、中を調べてみましょう」


 墓石の内部には、骸骨と化した亡骸が眠っていた。

 そこから、より一層あの男の魔力を感じる。


「……これかな?」


 エゴイ君は、頭蓋骨の口に手を突っ込むと、内部にあった赤い宝石を取り出した。

 ゴーストは、何かを媒体にしてその力を得ると聞いた事がある。


「なるほど……これがあいつの本体。これさえ破壊すれば……」

『ま、待て! もう悪さはしない……だから、それを破壊するのだけは!』


 エゴイ君は、その石を上空に放り投げた。


「もう遅い。────【デオサンダー】」


 エゴイ君の雷の魔法を受け、石は粉々に砕け散った。

 その瞬間、断末魔が辺りに鳴り響いた。


「エゴイ君、お疲れ様」

「まあ、あいつも悲しい奴だったんですよ。ともかく、これで休憩所で起きた事件も解決ですね」


 エゴイ君は、亡骸の眠る墓石を閉じた。

 そして、哀れな男の魂を弔うようにそっと手を閉じた。


「さ、帰りますよ。これから調査報告とか色々書かなきゃといけませんし」

「うん、あたしも手伝うから」

「えっ……いつもそういうのは僕に任せて逃げちゃうのに、どういう風の吹き回しですか?」

「たまには良いじゃない。その代わり、早く終わったらあたしを食事にでも連れてってよね」

「うっ……、わ、わかりましたよ」


 とぼとぼと歩いて行くエゴイ君の腕をあたしは掴んだ。

 エゴイ君は驚いて振り向くと、気恥ずかしそうに顔を背けてしまった。


 それにしても食事……どこに連れてってもらおうかな?


 そうそう、縁談の書状……あれも、きっぱりとお断りの返事書かなきゃね。

 さあ、帰ったらやる事がいっぱいだ。

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