第44話 芽生えた感情
広大に広がる大草原を、エプリクスは私を乗せて駆けだしました。
「凄い……あなたは、こんなにも早く走れたのね」
『これでも抑えているほうだぞ、主よ』
燃え盛る尻尾を振りながら、走るエプリクス。
私が半日かけて歩いた距離を、あっという間に追い越していきました。
「エプリクスは……私がメディマム族だと知っていたのですか?」
『我ら精霊を扱う事ができるのはメディマム族のみだからな……』
そうか……精霊達は知っていたんだ。
人間に生まれ変わることができたと思って、最初は戸惑っていたけどそれが嬉しくて……。
精霊達だって、皆さんを守るために神様が私にくれた力だと思っていた……けど……。
これまで何も知らずに過ごしてきたのに……本当は違ったんだ……。
ずっと皆さんに迷惑を掛けていたのですね、私は……。
人間にとって敵であるはずの私をずっと守ってくださったロデオ様、メアリ様、レド様……そして……。
「……クルス様……」
────『これからもずっと、あなたを守らせて下さい』
苦しい……。胸が苦しいよ……。
なんでこんなにあの方を思い浮かべるとこんなに辛くなるの……。
『主よ。辛い時、苦しい時は我慢せず、思い切り泣くがいい』
「……エプリクス」
『幸いここは広い草原の中だ。誰に迷惑を掛ける事もあるまいよ』
私はエプリクスの背の上で、思い切り泣きました。
気持ちの整理をつけたつもりでしたが、私は彼らと長く居すぎたようです。
この辛さから解放されるには、長い時間を必要とするのでしょう。
エプリクスは何も言わず、ただ私を乗せて草原を駆けました。
◆◇◆◇
森を抜けた先で、川の流れる場所がありました。
今夜はここで野宿をする事にしましょうか。
地理的なことはあまり詳しくありませんが、この川はエスカロ高原にあった沢と繋がっているのかもしれません。
エプリクスは、指輪の中へと戻りました。
ここまで走ってきてくれてありがとう、エプリクス。
ゆっくり休んでくださいね。
河原で集めてきた薪に、魔法で火を点けました。
ぐーっとお腹が鳴っています。そういえば、朝から何も食べていません。
せめて水だけでも飲まないと。
川で汲んだ水を鍋に入れ、火にかけました。
薪の火は、魔物避けにもなります。
一本、また一本と、私は火に薪をくべていきます。
静かな夜です。川のせせらぎだけが聞こえてきます。
エプリクスのおかげで、明日にはゼラに着く事ができそうです。
煮沸した水を飲みながら、私はふと考えます。
私はなぜ、この世界に転生したのでしょうか。
元の世界で、私はただの働きアリでした。人ですら無く、私は虫と呼ばれる存在でした。
私達アリにとって、人間は脅威の対象でした。
ある日、私は旅のコオロギさんに出会いました。
コオロギさんの話は面白く、そして、楽しく、特に人間の世界に伝わる童話のような世界の話は、それまで働く事だけが生き甲斐だった私を夢中にさせました。
その中には、魔王に侵略された世界を救う勇者の話もありましたっけ。
まるで、この世界の事のようです。
コオロギさんの奏でる演奏も素敵でした。
彼の話を聞くうちに、私は人間に興味を持つようになっていたんです。
そして私は悪魔に喰い殺され、気が付けば人に生まれ変わっていました。
それからの私は、両親を始め様々な人間達と触れ合ってきました。
人間には様々な感情があり、最初はよくわからない事も多かったけど……成長するに従って、それは私にも少しずつ芽生え始めました。
不思議です。
人間は、感情によって強くも弱くもなります。
大切な誰かを想う事で、どんな強大な敵にも立ち向かえる力にもなります。
私にとって大切な人……それは、両親であり、友達のマリーであり、優しくしてくれた村の人々、ディア様、そして……。
あの魔族は言いました。
アリエス……アステア国を陥落させた男の名。
ディア様はアステア国を再興させたいとおっしゃっています。
でも、あの男が魔族達を統率しているのなら、きっとまたディア様を……。
私はやはり生まれ変わっても働きアリなのでしょう。
例え私が人間じゃなかったとしても、ディア様の夢を守るためなら私はあの男と戦います。
それがきっと、私がこの世界に生まれた理由なんです。
いろいろと考えて込んでいたら、なんだか疲れてしまいました。
少しだけ眠りましょうか。
布を身に纏い、最後の薪をくべます。
その時、遠くからザッザッと音が聞こえました。
魔物? 私は弓を持って立ち上がりました。
焚火があるとはいえ、近付いてくる魔物はいます。
暗闇の中、音はどんどんこちらへと近付いてきました。
これは、足音でしょうか。
弓の弦を引き、足音が聞こえる方に構えます。
「……嘘」
薪の火に照らされ、そこには、思いがけない人の姿がありました。
「……クルス様?」
「リズさん、置いて行くなんて酷いよ……」
私は思わずクルス様に抱きついてしまいました。
その体は夜風に冷えていましたが、こうしているととても暖かく感じられます。
すると、クルス様の手が私の髪に触れました。
「フリューゲルさんから話を聞いて僕もすぐに追いかけたんだ。でもリズさんがどこに向かったのか、わからなくてさ……」
「すみません……でも……」
「ところがだ。草原をよく見ると怪しげな燃えた跡が残っていてさ、もしかしたらとそれを辿ってきたら……」
「……え?」
燃えた跡……? もしかして……エプリクス?
指輪を見ると、何だか淡く光っています。
絶対にこれは彼の仕業です。
「ずっと、あなたを守ると言ったでしょう?」
再び彼の口から出た言葉に、思わず涙が出そうになりました。
でも……それでも────。
「……わ、私はメディマム族だったんですよ」
「わかってます」
「普通の人間じゃないんです」
「そうみたいですね」
「私といると……きっとあなたに迷惑を掛けてしまいます!」
「僕がリズさんの事を、一度でも迷惑だと言いましたか?」
クルス様は、どれも何でも無いことのように答えてしまいました。
……私があれだけ悩んでいたというのに。
「僕は、あなたを愛しています」
クルス様は、ギュッと私を抱きしめてきました。
その時、私の中にある感情が芽生えたのがわかりました。
ああ、そうか。
だから、私は辛かったんだ。
だから、あんなに悲しかったんだ。
ずっと心の中にあった辛さから解放されていくこの気持ちが、私に芽生えた感情の答えだったんだ。
私は人間に生まれ変わって、初めて恋をしました。
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