第45話 風の吹く谷

 ────私ったら、なんと大それたことを。


 クルス様に愛していると言っていただいて、本当に嬉しい。

 この胸にあるモヤモヤした気持ちは、私自身もクルス様を好きになってしまった証拠なんだと思う。

 でも、私はただの町娘……ううん、人間ですら無い。


 これまで、クルス様には様々な場面で助けられてきました。

 そして、今、この瞬間も……。


 クルス様が一緒に来てくれると聞いたとき、本当に嬉しかった。

 ルドラに対して言ってくれた言葉も、涙が出そうだった。

 この方は、いつでも私の事を本当に想ってくれていた。


 それでも私は、クルス様を好きになるわけにはいかない。

 身分も種族も違う……この気持ちは深く閉まっておこう。


 そもそも私は人ですらなく、ただのアリだったんです。

 人に生まれ変わって長く過ごしてきたせいで、ちょっと人間らしい感情を持ってしまっただけのこと。

 クルス様の事を想っているだけで……それだけで充分です。


「リズさん、お腹空いたでしょ? パンで良かったら食べますか?」

「ありがとうございます。せっかくですし、いただきますね」


 クルス様に分けていただいたパンを食べながら、消えかけていた火に薪をくべていきました。


「薪なら僕が追加しておくから、リズさんは遠慮なく寝てて良いよ」

「クルス様こそ、お疲れでは無いですか? 私が見ておきますので、お休みになられた方が……」

「僕は大丈夫だよ」


 ……困りました。

 クルス様は、本当にこのまま一晩起きていらっしゃるつもりなんでしょう。

 そんな状況で私だけが眠るなんて、できるはずもありません。

 どうしたら……あ、そうだ。


「【エプリクス】」


 私は指輪から、火の精霊を呼び出しました。


『よ、用件は……何かな?』


 いつもの威厳はどこへやら、私を見て気まずそうな顔をしています。


「見張りをお願いします」

『我が?』

「はい」


 彼は火の精霊です。

 薪の扱いも彼なら心配いらないでしょう。むしろプロです。

 精霊は強いですし、見張り役にも適任です。


『長い事精霊をやってきたが、こんな扱いは初めてだ……』

「クルス様、じゃあ私達は寝ましょうか」

「いいのかな……? ごめんな、エプリクス」


 精霊を呼び出したままとはいえ、魔物と戦うわけでもありませんし魔力も心配いらないでしょう。

 それは、草原を走ってもらった時に立証済みです。


 私達は布に包まり、エプリクスに見張りを任せて眠ることにしました。

 やっぱり……クルス様と一緒だと、なんだか心が安らぎます。

 おやすみなさい、クルス様。



◆◇◆◇


 無事に朝を迎えました。

 エプリクスは、私が起きた事を確認すると指輪へと戻ってきました。


「無理を言ってごめんなさい、エプリクス。 ……ありがとう」

『気にするな。そもそも我ら精霊に眠りは必要無いからな。主達が安心して眠れたのなら、それで良いよ』


 指輪から声が聞こえました。


 彼が草原にこっそり印しを付けておいてくれたお陰で、こうしてクルス様とまた会うことができたんですよね。

 ちょっとだけ意地悪しちゃいました。ごめんなさい、エプリクス。



「ふあぁぁぁ……リズさん、おはよう」

「おはようございます、クルス様」


 クルス様も、よく眠れたみたいです。

 さてと……、顔も洗って、身支度を整えましょうか。


 川で水浴びを……と、クルス様の前でそんなことできませんよね。

 でも、昨日は動き回って汗もかきましたし、これはこれで駄目なような気がしますけど。


「リズさん、ちょっと体洗いに下流の方へ行ってくるよ」


 クルス様はそう言うと、川を下って行きました。

 もしかして、気を遣っていただいたのでしょうか。

 クルス様が見えなくなった事を確認してから、私も水浴びをすることにしました。



 水浴びのついでと言って、クルス様が魚を捕まえてきました。

 今日の朝ご飯は焼き魚です。

 火で焼いただけの魚が、こんなに美味しいなんて……思わず感激してしまいました。

 アリから人になって、味覚があるって素晴らしいとしみじみ思いました。


「ところでさ、リズさんは一体どこへ行こうとしてたの?」

「町を出るときフリューゲルさんに精霊の話を聞いたんです。それで心当たりのある場所に行ってみようかと思いまして」

「精霊!? さすが上級冒険者、いろんな情報を知ってるんだな」

「その精霊は綺麗な花畑に現れるそうです。私が生まれた町には花畑がありました。今もその場所が残っていたら、もしかすると……」

「という事は、この方角だと……」


 そう言いながら、クルス様は地図を広げました。

 地図で見ると、やはり今居るところはエスカロ高原に近い場所のようです。


「ここから向かうなら、このまま谷を抜けていったほうが早いな」


 朝食を終え、私達は早速ゼラへ向かうことにしました。

 マリーとよく遊んだ場所……そして、ディア様と初めてお会いした場所。

 果たしてあの花畑は、今も健在なのでしょうか。


◆◇◆◇


 獣道のような場所かと思っていましたが、そうでもないみたいです。

 街道のように広くは無いですけど、道もちゃんとできています。


「さすがに馬で走ったりは無理だけど、これなら日が落ちる前には辿り着けるかな」

「そうですね」


 谷の道は、ゼラへと通じているそうです。

 でも、この先にあるのは既に滅んだ町。まるで人の気配はありません。


「もう少し行くと休憩所があったと思うんだけど、今でもやってるのかな?」

「どうなんでしょう? 見たところ旅人の往来も無さそうですし……」


 道を進むと、クルス様の言っていた休憩所らしき場所が見えてきました。

 しかし、そこは既に朽ち果てており、魔物によって破壊されたような痕跡が散見されます。


「ここも、魔物の襲撃を受けていたのか……」

「可哀想に……」


 そこには既に白骨化した人の亡骸がありました。

 長く使われなかったこの道で、旅人などに発見される事も無かったのでしょう。

 私は静かに目を瞑り、ここで亡くなった方のご冥福をお祈りしました。


 私達は再び歩き出しました。




『……なら……おまえに…………』




 ……え?


「クルス様、何かおっしゃいました?」

「ん? 僕は何も言ってないけど」


 あれ? 今、確かに何か聞こえたような気がしたんですけど。

 先程から風が強く吹いています。もしかして、それを聞き間違えたんでしょうか。


「気のせいですね」

「きっと疲れてるんだよ。休みながら行こう」


 途中で休憩を挟みながら進んでいると、やがて町があった場所が見えてきました。

 ここへ来るのも随分久しぶりな気がします。


 ただいま、お父さん、お母さん……そして、マリー。

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