湯煙と共に去りぬ

@jyo-nk

第1話 温泉街

粉雪が微かに舞い、湯煙がそれを溶かし、アスファルトにつく頃にはただの滴となっていく。春一番が東京では吹いたらしいがこの土地では春の訪れなど、まだ先のことだろう。

温泉宿の机の上でコンビニで買ったおにぎりを頬張りながら、パソコンのキーボードを忙しく叩いてた森野修一は窓の外の景色を見ながらため息をついた。

本当なら今頃、外をブラブラ歩き、郷土料理に舌鼓を打っているはずだったのだが・・・。

東京から乗った新幹線の道中、課長の田中から電話があり、来週の月曜日商談に臨む客先への提案スキームを纏めてくれとの依頼だったのだ。依頼と言うより命令だ。

「そう言われましても、明日のプレゼンのおさらいや、地元での情報収集もありますし、それにまだ水曜ですよ。工藤にもう一度・・・」と断ろうとしたが、課長が言うには、後輩の工藤に任せていたが、あまりにもスキームの出来が悪く、部長が怒り心頭とのことで、早急に新たなスキームを纏め、部長の承認を得なければいけないのだと取り付く島もない。

有名大学の経済学部を卒業し、マクロ経済からミクロな視点まで幅広い知識を持ち、様々な業界のトレンドを予想することに長けていた修一の出すアイデアは部長は疎か役員や社長の耳に入るまでであった。

そんな周囲の評価から修一への企画依頼や、プロジェクトのアドバイザーとしての依頼が多く、週末の休みすら最近はままならない。

そんな修一が密かに楽しみにしていたのが今回の出張だった。

新幹線を降り、乗客の少ない電車に揺られること1時間、昔は多くの客が押し寄せた温泉地の近くにある小さな会社の作る製品を少しアレンジして大手製造会社のラインに乗せ、自社のブランド名を付けて売り出す。

関わった企業は皆潤うし、そしてこれからの時代、長期的且つ安定的に売り上げを見込める商品となると修一は自信を持っていた。

大手製造会社からは簡単なスキームの説明をしただけで、今すぐにでも実現したいと返答をもらっており、この小さな会社も前向きに検討してくれるとのことで明日のプレゼン一撃で話を纏めるつもりだった。

その成功の事前報酬として、細やかな温泉旅行を修一は密かに企画していたのだ。

プレゼンは明日の13時、予約した宿からは車で15分程、ゆっくり疲れを癒し、リフレッシュしてプレゼンに臨むつもりだったのだが。

課長からの電話を切り、新幹線の中で頼まれたスキームを纏める為の情報を一通りタブレットを見ながら収集し、4人掛けの椅子を独り占めできる電車の中で粗方のアイデアをA4のノートにマインドマップとして書き出す。後は宿にて提出できる書類として纏めるだけであったが、社内での森野スキームの名に恥じぬクオリティに仕上げる為の時間は惜しまなかった。

書類として完成させ、課長の田中へメールを送ったのは20時を過ぎたころだった。おにぎりを2つ食べたせいで腹も減っておらず、とりあえずは温泉につかろうと宿自慢の露天風呂でゆっくりと疲れを癒したが、それでもまだ21時半。寝るには早いしここまで来てダラダラとテレビを見るのも違う。かといって読書にふけるのも日常過ぎると考えた修一はどこかで酒でも飲むことにした。

駅から宿への道中はお土産屋や温泉宿が錆びれ果て廃墟となった建物と混在しながら立ち並んでいたが、一軒だけ「スナック瞳」の看板があったのを思い出した。

接待や付き合いで俗にいうスナックやラウンジに行くことには抵抗はなかったが、 田舎のスナックに酔い以外に求めるものはなかった。

さっきまで微かに降っていた粉雪もやみ、静かな夜空に温泉客の下駄の音がまばらに聞こえる中、修一はしっかり磨き上げたビジネスシューズを履き、コートの襟を立てて足早にスナック瞳を目指した。






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