破片

 ずっと大切にしていた米びつが割れたのは、昨日の事だ。


 うちにあった米びつはそんじょそこらの無個性な箱なんかじゃなくて、瓶で出来たほんの少しだけお洒落な感じのやつ。私の家に誰か人を招くと、それこそ何よりも先にその米びつの事を指差し言うのだ。


「あれ、可愛いねー!」


なんて、可愛い声を上げる。

そんな事を言われるもんだから、私だっていい気になって


「ねー!可愛いでしょー!」


なんて返したりする。そんな今ではお気に入りの米びつだったのに、それが昨日割れてしまった。



ふとした出来事だ。

ほんの少しだけの不注意でそれは意図も簡単に砕け、ガラスの破片は私を睨むようにどれらもこちらを向いているように思えた。

その視線に私は恐怖を感じて、未だにそれらを片付けられずにいる。台所に散らばっているもんだから、昨日から台所には足を踏み入れる事ができないでいて、夜はコンビニでカップラーメンを買って食べた。今日の朝は何も食べていない。

それでもやっぱり私はまだその破片に恐怖を感じたままで、手を付けられずにいて、ただ遠くからそれらをぼーっと眺める事しか出来ないでいる。


 貰った時は、それこそお気に入りとは程遠い存在だったのだ、この米びつは。


 大体誕生日プレゼントに米びつを彼女に送る男なんてどこにいるんだ。貰った時にそう思ったのは今でもよく覚えているし、当時私の彼氏だったあの人が誕生日の当日、やたらと大きな荷物を持ってきていて、私の期待感が膨れ上がっていた事も原因だったのかもしれない。

もちろんその時は中身が米びつだなんて思いもしなかった。


 米びつを贈られて私は怒った。

今考えてみれば私もどれだけ小さな人間だったんだろうと反省したりもするのだけれど、まだ子供だった私にはやっぱり誕生日プレゼントに米びつを贈る彼の感性が理解できなかったし、もうそこれこ反射的に怒りを彼にぶつけていた気がする。


 「じゃあ何が欲しかったの?」なんて聞かれても分からないし、「気持ちが大切よ」なんて事をもしかしたら私は言うのかもしれない。

私はそれだけ勝手な人間なのだ。だからそれは彼に対する怒りというよりも米びつに対する怒りのようなものだとも思う。


 そんな出来事があって、私は彼と別れた。彼が私に米びつを贈らなければ、少なくとも私たちの関係はもう少し長く続いていたのかもしれない。

だけれど、あの時、あのタイミングで彼が私に米びつなんて差し出すから、それまでの二人の関係をぽいっとゴミ箱に捨てるように私は彼に「別れよう」と言ったのだ。


 自分でもつくづく勝手な人間だと思う。


「それは貰ってよ。一応……君のために買ったから」


そう言って彼は米びつを私の家に置いていった。

別に不必要な物でもなかったし、私がそれを貰う事が彼に対する優しさなのではないかと思って私はそれを引き受けた。

そんな事で許されやしないのに、私はそれを貰う事で彼に少し良い事をしたなんて、また随分と勝手な発想を抱いたりしていた。

もう昔の事だから、許して欲しい。


 それは十年も前の話だ。そしてその米びつが昨日割れた。


 今あの時の彼がどこで何をしているのかなんて知らないし、あれから何人かの男性と付き合ったけれど、もちろん誕生日に米びつを贈ってくる人なんて一人もいなかった。

そしてあの時みたいに、何かを貰って怒りを露にする事もなかった。


 でも、今となってみれば今まで貰ってきたものは米びつ以外には一つも私の部屋にはないのではないだろうか。

ネックレスや指輪は別れたタイミングで捨ててしまった。財布は当時の彼と別れてからもしばらく使っていたけれど、結局今は自分で買ったものを使っている。

だけれど、米びつだけは捨てる事がなかった。というか捨てるという程の発想にまで至らなかった。

それは所詮、私の食料を保管しているただの米びつでしかなかったのだ。だから、わざわざ処分する気にもならなかった。



 米びつが割れて、随分と久しぶりにあの時の彼の事を思い出した。

そして、あの時の随分と幼かった私自身の事も思い出した。あれから十年も経っているなんて考えると、本当に時間の流れは早いのだと感じる。


 私は重い腰を上げてゆっくり台所に近づいていって、ばらばらに散らばった破片を慎重に一つずつ拾っていった。

ふと油断した隙に、一つの破片が私の指に軽く刺さり、赤い血の点が私の指先に出来上がった。

それを舐めると鉄の味が口の中に充満して、ほんの少しだけ悲しくなったりもする。


 もし、奇跡が起きたとして、また彼にどこかで会う事が出来たら言うかもしれない。


「また私に米びつをプレゼントしてね」


どこまでいっても、私は自分勝手な女だ。


 またすぐに指先に赤い点が出来たけれど、それを無視して私は一つずつ破片を拾っていく。




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