三段ばら

【妻のターン】


 最近、修ちゃんは疲れている。まあ、凛と遊んでいる時にぐったりしたり、テレビをボーッと見ていることが多い。なんとか癒してあげたい気持ちもあるが、貞淑な妻としては――


「誰が貞淑な妻よ。誰が」


 真奈がフレンチトーストを豪快に頬張りながら突っ込む。


「……私の気持ちを読むなんて……超能力者?」


「思いきり口に出して言ってたでしょうが。しかもワザとらしく。全然違う話題の時に!」


 ですよね、すいません。


 さすがにママ友には、相談できない。彼女たちに話すことは、選挙カーで胡散臭い議員が演説するよりも一万倍浸透力がある。


「悩みって……あんたの人格じゃない?」


 親友は、言うことも非常に容赦がなくて涙も出ない。


「し、失礼な」


「しっかし、よく耐えられるわあんたの旦那も。もう、結婚して何年だっけ?」


「ええっと……7年くらいかな」


「もはや、尊敬の念しか抱かない」


 どういう意味かな、親友。


「そっちは? どうなのよ……って聞くだけ野暮か」


 真奈の夫である岳君は聞くところによると、かなりいい父親で夫らしい。まあ、妻である真奈の証言なので話半分で聞いてるが。


「へへへ……幸せ」


 真奈はそう言って、お腹をさする。


 そこには、新しい命が。


「おめでとう……でも、妊娠中って不満ないの」


 私はそんな幸せ話を聞きに来たわけじゃないんだ。


「まあね……もっと子ども見てよー。もっと、私かまってよーって感じ」


「私かまってよーって、キラーマシンのあんたが何を言ってーー」


「ぶつわよ」

 と、言われる前にぶたれていた。


 恐らく、岳君の家で喧嘩がないのは真奈が空手の2段だからだろう。この年でもバリバリ現役で続けていて、なんとか杯とかで連覇するほどの実力だ。そんな女に喧嘩売れるとしたら、むしろ岳君を少し見直すところだ。


 その時、


「……里佳? 真奈?」


 後ろから、聞き慣れた声がして振り向いた。

 そこにいたのは、スラリとした長身で、背筋がピンと立った長髪の男性。かつてのバレエのコーチである南条コーチだった。


「な、南条コーチ。お久しぶりです」


 私より、遥かに動揺した様子を見せる真奈。それもそのはずだ。いわゆる彼女の初恋の人だったのだ。小中高一貫校で、ずっと好きだった人で、何十時間、彼の偉大さについて説明されただろうか。


「お久です! 相変わらず、全然変わりませんねー」


 一方、私はといえば、辞める時にコーチから本気でうれし涙を流された害虫的存在。


「ははっ、老けたよ。何年ぶりかな……二人とも綺麗になった」


 相変わらずの優しい笑顔。


「後悔しました?」


「ちょ、ちょっと里佳!」


 慌てて私を小突く真奈に、笑いだす南条コーチ。


「ああ、『ちょっと惜しいことしたかな』って、今、思ったよ」


 その時、


「あの……」


 あっ、修ちゃんと……岳君。


「な、ななななんでここに!?」


 いかん! 完全に真奈が! 浮気現場を見られた妻のように取り乱してしまっている。背徳妻! 背徳妻がここにいまーす!


「いや、さっき岳が来てここだって言うから。真奈ちゃんを、驚かせてやろうって」


「へ、へぇ。そうなんだー、ふーん」


 そう言いながら、真奈が冷めたミルクティーを震える手で口にする光景を思わずニヤニヤ顏で見てしまう。


「なによー」


「べっつにー」

 さすがに、背徳妻に紹介させるのは忍びない。私が代わりに仕切るとするか。


「えっと、紹介するね。こちらは南条コーチ。昔のバレエのコーチ。で、彼が真奈の夫の岳さん。これが私の――ええっと……おもちゃ」


「誰がおもちゃだよ!」


 オホン。


「……兼、夫の修さんです」


「ハハハ、初めまして、南条です」


「初めまして、真奈の夫の塚崎岳です」


 深々と頭をさげる。


「初めまして。真奈はいい子でしょう?」


「はい! めちゃくちゃ幸せです」


 自信満々に答える岳君が少しまぶしい。


「初めまして、アホの夫の橋場修です」


誰がアホやねん!


「……あなたが里佳さんの……大変ですね」


「はい……わかりますか?」


 どういう意味かな、南条コーチ。修ちゃん。


「おっ……っと。すいません、妻が来ました。それじゃあな、橋場里佳さん、塚崎真奈さん」


 そう言って、急ぎ足で走っていく南条コーチ。


 南条コーチの奥さんは凄く綺麗で、そして凄く幸せそうな顔をしていた。


 でもあれは……大分尻に敷かれてるな。


「すごい格好いい人だな。歳なんて45歳超えてるだろう? それなのに、スラッとして、筋肉質で、爽やかで」


 夫はその感心しながらつぶやく。


「三段腹も趣深いよ」


「ほっとけ……って掴むな掴むな」


「フフフ………フフフハハハハ……あーおかしい。あんたたち二人って本当に面白い……涙出てきちゃう。ちょっと化粧直してくるね」


 そう言って席を外す真奈。


 もしかしたら、彼女の方がいろいろ思うことがあったのかもしれない。


 まぎれもなく、真奈の初恋だったのだから。


「……おい、いつまで掴んでんだ」


 三段腹を搭載した、私の初恋の人が軽く頭をたたいた。

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