実家

【妻のターン】


 午後9時30分。最寄駅からタクシーを拾って家に向かう。随分と遅くなってしまった。気づけば、『忍法すり替えの術』ですり替えた分も全部使ってしまっている。また、修ちゃんは子供みたいにプンすか怒るのだろうか。


 『午後7時以降は、帰りはタクシーで』修ちゃんが私に課した法律だ。以前、『もったいないから』と歩いて帰ったらめっちゃ叱られた。


 そんなところに、夫の愛情を感じてしまうのは私だけだろうか。


 家の近くまで来ると、タクシーのライトに修ちゃんが照らされた。腕を組んで仁王立ち。これ以上ないくらいタクシーを睨み付けている。


 あっ……やべっ。めちゃ怒ってる。


「運転手さん、このまま通り過ぎちゃってください」


「えっ、いいんですか? なんか男の人が待ってますけど」


 チラッと携帯を見ると、知らぬうちに30件。メールの文面には罵詈雑言の嵐。いわゆる相当なお冠状態。


 ああ、よかった。携帯の電源切っといて。


「いいんです! 実家に泊まるから、いいんです!」


「あの……全力で追ってきてますけど」


「いいんです! 引き離しちゃっていいんです!」


 結局、メールを入れることにした。


『怒っているようなので実家に泊まりますm(_ _)m』


 これでよしっと。


 10分後、実家に到着。我が家から数キロ離れているぐらいで、なにかあったらすぐに駆け込む。こうやってすぐに避難できる場所があるというのは、非常に素晴らしいことだ。


「ただいまー、おかぁさん」


 そう言いながら実家の玄関へと入る。


「あらぁ、里佳さん。どうしたの、こんな夜に1人で」


 せわしそうに、しかし嬉しそうに出迎えてくれた。


「エへへ……今日だけ泊めてもらえるとありがたいんですが」


「なに、喧嘩でもしたの?」


 お母さんは怪訝な顔をする。


「実は……今日、友達とディナーに行ったんですけど……に。それで修ちゃん怒っちゃって」


 半年ぶり、を強調しつつ先ほど送られた携帯のメール本文を見せる。もちろん改ざん済みである。


「……なんて甲斐性の無い夫なんでしょ。いいわ、ちょっと携帯貸して」


 お母さんはそう言って、私の携帯を取って電話をかける。面白そうなので『スピーカーモード』にして私にも聞こえるようにしてもらった。


              ♪♪♪


「もしもし……どうしたんだよ?」


「修! 友達とご飯食べに行くくらいでこんなメール書くなんて最低だよ! 私はあんたをそんな甲斐性なしの息子に育てた覚えはないよ!」


「なっ……ちょ……ええええっ! なんでそんな事知って――」


「なんでもなにも里佳さんが来てくれたんだ。ああ、可哀想に。こんなに目を腫らして。なんで、こんな可愛い妻に対してこんな所業ができるんだいこの悪魔!」


 当然、私の目は一向に腫れていない。お母さんは少し……いやかなり大げさに言ってくれた。


「あーのー女! 『実家に帰る』って俺の実家か! おふくろ聞いてくれ、あんた騙されてんだよ、その女に。とにかくちょっと代わってくれ」


「あのおん……妻に対してあの女って……どうしてこんなろくでなしに育ったか! いい、あんたが反省するまで里佳さんはうちで預かる。いい、それまで育児も家事も全部やりんさい! じゃあね」


「ちょ、おふくろ、まっ――」


 修ちゃんが話し終わる前に、携帯がきれた。


「さっ、これでいい。あっ、ミカン食べる? 徳島から甘いの送ってくれたんだ」


 そう言いながら笑顔で私の手をひくお母さん。


 ――よかった……私の実家じゃ本性ばれてるからこうはいかない。お母さん、私実家大好きです。


「修ちゃんの面白動画見ます? 最近いいの取れたんです」


 そう言って、携帯を取り出して修ちゃんの『にゃんにゃん動画』を見せる。息子の日常を親に見せてあげるという行為。私は、なんていい姑なんだろうか。


「……あはははは、アホねえ。里佳さん、あんなんの妻でよかった?」


 お母さん爆笑。大爆笑。夫のおかげで嫁姑仲はMAX。


 神様、こんなに面白い夫とその家族をくださってありがとうございます。


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