Lecture8:北海道だけ何故「道」

 明治元年(1868年)、江戸幕府の直轄領(幕領・旗本の領地)が明治政府の直轄領になり、三都(江戸・大坂・京)や、開港五港などを管轄する重要地域を「府」とし、それ以外を「県」として、「府」に「知府事」が、「県」に「知県事」が置かれ、「藩」はそのまま大名(諸侯)が治めました。


 明治2年(1869年)、『太政官布告』によって、京都府・東京府・大阪府以外は全て「県」と称することが決まり、(神奈川府・新潟府・越後府・甲斐府・度会府・奈良府・箱館府・長崎府)が「県」に名称変更した。『太政官布告』前までは、「東京府」は「江戸府」と呼ばれていました。


 明治4年(1871年)、中央集権体制を進めるために、それまで「藩」と呼ばれていたところもすべて中国の律令制に倣い「県」を用いて、『廃藩置県』が行われました。当初は「藩」をそのまま「県」に置き換えたために、現在の都道府県よりも細かく分かれており、3府302県ありましたが、その年の10〜11月には、3府72県に統合されました。


 その後「県」の数は、政治的背景や戦争によって紆余曲折しますが、細かいことはここで割愛します。


 昭和18年(1943年)に『東京都制(法律第89号)』の施行により、「東京市(旧東京府東部に明治22年(1889年)から昭和18年(1943年)までの間に存在していた市)」は「東京府」と合併され「東京都」となりました。


 昭和47年(1972年)沖縄返還により沖縄県が復帰して現在の「1道1都2府43県」の「47都道府県」となりました。


 では、どうして、すべて「県」にしなかったのでしょう。

 東京都や京都府の「都」や「府」は中心地を意味する言葉なのですが、北海道は何故「道」になったのでしょうか。そして何故、北海道だけが「北海」と都道府県を省いて言わないのでしょうか。


 当時北海道は「蝦夷地」と呼ばれていて、まだ未開の土地でした。

 新しい地名をつける必要性に迫られ、案として出された中に、日本古来の律令制で定められた『行政区分五畿七道』の七道に倣いました。


 七道とは「東海道」「東山道」「北陸道」「山陰道」「山陽道」「南海道」「西海道」を示し、「東海」「西海」「南海」はあるのに「北海」だけがなかった。

 そこで、「蝦夷地」は「北海道」と定められたのです。


 細かく書くと、北海道は明治中期(1882年)に一度、「札幌県」「函館県」「根室県(千島を含む)」に分かれたことがあるのです。

 しかし、北海道の開拓にあたって3県の足並みがそろわず、すぐに(1886年)「北海道」に戻り、現在に至っています。


 では、何故「北海道」だけが「北海」と呼ばないのでしょうか。

 その理由は、「北海道」でひとつの地名だからです。

 東京都や京都府、高知県や広島県の「都」「府」「県」は、それ自体が意味を持つ言葉で、地名としては「東京」「京都」「高知」「広島」と呼んでもでいいのです。

 

 

 


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